木村拓哉 Flow supported by Spotify - TOKYO FM 80.0MHz - 木村拓哉

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2022年10月09日Flow 第二百十九回目「拓哉キャプテン × 眞木蔵人」Part1

10月のマンスリーゲストは眞木蔵人さんです。
一体どんなTALKになるのか、お楽しみに!


眞木:こんにちは! よろしくお願いします。

木村:こんにちは! いやあ、実現しましたね。
僕らはですね、1997年放送のドラマ「ギフト」っていう作品で(共演)当時、2人とも24歳。

眞木:2回目の年男を迎えたばかりの。

木村:今ちょうど番組を始める前に蔵人と話してたんですけど、ロングボードの大会で24歳の時に優勝してますよね。

眞木:そう。全日本のNSSAのアマチュアの大会なんですけど。24歳と25歳、両方かな。それで、世界選手権とかの選考にも選んでもらったのかな。

木村:ほうほうほう。そして、この間「NALU」っていうサーフマガジンがあるんですけど、そちらの4月号で「対談OKしてくれるかな?」ってオファーしたら「行く行く」って来てくれて。また、そこのタイミングでフォトグラファーも横山泰介さんっていう、泰ちゃんが…。

眞木:2人の共通の友達なんですよ。

木村:請け負ってくれて、撮影してくれましたね。だから、再会的には…。

眞木:26年ぶりとか、そうでしょ。そうだよね、25年ぶりか。

木村:(笑)。25年ぶり。4半世紀ぶり。

眞木:海で1回、ニアミスあったぐらいでね。

木村:あった、あった。ちょうど蔵人が上がってきて、自分らが今から入るみたいなタイミングでニアミスがあったんだけど、オフィシャルな感じでは、あのNALUの対談が25年ぶりだったんですよ。
で、あの雑誌が発売されて、この番組のリスナーから「そこ繋がってるんだったら、ラジオゲストに呼んでよ」っていうのがすごい来て。

眞木:それは嬉しいな。俺もリスナーだったんで(笑)。ちょうど海の帰りに。静岡かな、御前崎の方に行った時にちょうど、たっくんがアルバムを出すっていうプロモーションの回かなんかで、たまたまラジオで聴いてて「あれ!」ってなって。ずっと聴いててさ、それが始まりでNALUの仕事にまで来たから「縁があるんだなあ」なんて思ってたんだけど(笑)。

木村:すげーよ(笑)。その話を対談でしてくれて、「何? 山下達郎さんと仕事してるわけ?」みたいな感じの事を。

眞木:そうそう。すごいジェラっちゃってさ(笑)。山下達郎さんに曲書いてもらうってどういう事よ、ずるいよと思って。

木村:その時、そういう風に受け取ってくれる同世代がいてくれるのがすごい嬉しくて。

眞木:ビックリしちゃって、曲もじっくり聴いちゃって。「いいじゃん」と思って「何だよ」って居ても立っても居られなかったけど。

木村:いやあ、ほんとに嬉しかったです。
この番組はゲストがどのように人生をFlowしてきたのかトークしていくわけなんですけど、1972年10月3日生まれという事で先日、50歳になったばかりという事で、おめでとうございます。

眞木:ありがとうございます。

木村:だから、「ラジオゲストよろしく」ってメッセージを送ったら、「今回のこのラジオと立て続けにきた台風が40代最後の俺のご褒美だ」って言ってメッセージを送り返してくれたんだよね。

眞木:(笑)。そうなんだよね。今日、当日に波が良かったらどうしようかなと思っちゃってて。

木村:だから、返信が…。

眞木:怪しかったでしょ。

木村:怪しくて。「波いいよ。でもね、風が悪いから、とりあえずそっち向かうわ」っていうメッセージが来て。これ、風が合ってたら、こいつ来なかったんじゃないかっていう可能性が無きにしも非ずでヤバい、ヤバいと思って。

眞木:(笑)。そうなんだよね。もう、そうやって適当な理由を付けて何回仕事をバックレちゃった事か、今まで。すいません、ほんとに。

木村:細かい事は皆さんもご存じだと思うんですけど、お父さんがマイク眞木さん、そしてお母さんは前田美波里さんという事で子供の頃はどんな感じだったんですか?

眞木:子供の頃はほんとに親父がすごい好きで、親父が色々やってくれたことに対して一生懸命だったかな。それは、親父がいろんな事を教えてくれたから。モトクロスだったり、ラグビーだったり、ポケットバイクだったり、BMXだったり、スケートボードだったり。

木村:もう、その頃からあれっすね。

眞木:そう。今のメインストリームのストリートカルチャーのスポーツみたいなのを小っちゃい時に、俺らの世代ってちょうどその世代だと思うんだけど、そういうのを10代で経験させてもらえたって言うか、そういうのに夢中だったかな。

木村:そして、ストリートでブイブイブイブイ遊んでた眞木蔵人が1988年15歳の時にNHKの大河ドラマ「武田信玄」で、信玄の幼少時代を演じて俳優デビュー。

眞木:そうなの。

木村:これ、急になんか。

眞木:すごいよね(笑)。

木村:すごいジャンプ台じゃない。

眞木:「ほんとに俺だったのかな?」って思っちゃう。当時、「伊達政宗」っていう大河ドラマをやられてて。

木村:渡辺謙さんが、「独眼竜政宗」をやって。オープニングがあれでしょ。馬に乗った伊達政宗の後ろからレーザービームがビロリーンって。

眞木:そう、それ。親父と一緒に新聞の親子対談みたいのに出て、その新聞を見たNHKの(独眼竜政宗の)プロデューサーから「出てみないか」みたいな誘いで。

木村:でも、あんまり興味がなくて、オファーを断ったらしいじゃん。

眞木:うん。もう、当時はめっちゃくちゃになってた頃だったから(笑)。中学校3年、ちょうど3者面談が始まって高校行くのか行かないのか、就職するのかどうするのかなんていう時にちょうどお話いただいて、「やってみろよ」みたいな感じで、安易な気持ちでスタートした感じかな。

木村:でも安易かもしれないけど入り口が大河って。

眞木:そうでしょ、今思うとちょっとビビるよ。

木村:ビビるよね(笑)。

眞木:当時だったから行けたんだと思うんだ。今だったら完全にお断りしようかなと思うぐらい凄いところだなと思って。

木村:いや、すごいよ。

眞木:ちょうど同じデビューが宍戸開くん、宍戸錠さんの息子さん。あと丹波哲郎さんの息子さん。その辺が一緒にデビューでね、2世俳優みたいな感じでちょうど一緒に出たんですよ。

木村:当初は1話だけに登場する予定だったんだけど、ちょっと反響があまりにもデカかったために脚本が書き換えられて。

眞木:みたいよ。

木村:その後なんだっけ?

眞木:武田信玄の勝頼っていう役でまた出たんだよね、その後に。

木村:すっげーな。

眞木:うん、ビックリしてる。

木村:1人2役やってますからね、大河ドラマで(笑)。

眞木:そうなんだよね、すごいよね(笑)。

木村:「あれっ!?」て感じですよね。

眞木:何のキャリアもなかったんですけど、なんか印象に残ったみたいで。

木村:でも全く興味が無かったのかもしれないけど、最終シーンを撮り終えた後になんかこう自然とこみあげてくるような体験をしたらしいけど。

眞木:たぶん、初めての達成感みたいなやつだったんじゃないのかな。自分の中で、自分でやりとげたものとして、すごい感じられたし。蓋を開けてみればお袋も女優さんで、親父も芸能界でやってる人たちだったから、こういったものもナチュラルなのかなみたいな風にはその時に感じたけどね。

木村:でもなあ、勝手な、俺からイメージする15歳当時の眞木蔵人は相当ね、多分、カジュアルに言うと“手に負えないヤツ”だったと思うんですよ。

眞木:(笑)。そうだと思うんだよね。自分でも手に負えてなかったから。

木村:それがNHKの大河ドラマで現場を経験して、やり終わった後に何かこみ上げてくるって言うスイッチの入り方は格別だったんじゃないかなって、話を聞くだけでも思うんだよね。

眞木:そうだね。素晴らしい経験だったと思います。

木村:その後に、俳優さんとしての道を自然と進んでいくことになったと思うんですけど、その翌年の89年に向田邦子さん原作の映画「あ・うん」で日本アカデミー賞新人賞を受賞されて。その後、僕も大好きな映画なんですけど「あの夏、いちばん静かな海。」っていう、これすごい大好きな映画です。

眞木:いい映画だった、最高だった。

木村:あと、「BROTHER」。北野武監督作品ってどんな感じなんですか?

眞木:うーん。まあ、なんか雰囲気があって、彼自身撮りたいものっていうのが決まってて、その中に絵面を合わせていくみたいな。言葉数も彼は少ないし、何か要求もしてこないし、ダメとも言わないし。で、映画を観てみると1日かけて撮ったシーンが全く使われてないみたいな。それにも文句も全く言えない状態の。だから、多分、頭の中で出来上がってて、その絵に俺らをおえられるのかおえないのかみたいな風に、今はそういう風に感じるんだけど。

木村:そして、「傷だらけの天使」「亡国のイージス」阪本監督の作品にも出られてますけど。やっぱ映画が多いか。

眞木:そうだね。なんか、ちょうどドラマを色々やらせてもらって、当時の芸能界ってアイドルだったり俳優だったりタレントだったり、何でもできて当たり前な風に進んでいったじゃないですか。そんな中、お袋は舞台の人だったし、親父も歌の人だったから、そことちゃんと線引きはしたいなって自分の中であって。どうしてもお袋のサンクチュアリには入り込めないし、親父の歌でも親父と勝負する気にもならないし。阪本監督との出会いが映画の魅力っていうのをすごい教えてくれて、そこから映画へすごい入っていくんだけど。

木村:なんかね、すごい印象深いのが「ギフト」っていうドラマで共演させてもらって、まだ渋谷ビデオセンターっていうのがあって、そこで撮影したりさせてもらったんですけど。何て言えばいいんだろうな。同い年で同じ日本人なんだけど、なんか向き合ってるその当時の蔵人がポール・ニューマン並みにカッコよくて。

眞木:(笑)。ポール牧です(笑)。

木村::そうかわすな! かわし方がちょっと雑だな。
その時、「すげーかっけーな!」っていう印象が強かったすね。

[OA曲]
M.Tokyo Joe/Bryan Ferry

[後TM]
MOJO DRIVE/木村拓哉

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