yes!~明日への便り~presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

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第478話 自分にyesと言える生き方を選ぶ
-【日本武道館にまつわるレジェンド篇】ロック・バンド ザ・ビートルズ-

[2024.10.26]

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©Asahi Shimbun/amanaimages


1966年6月30日から7月2日までの3日間、日本武道館で初めてロックのコンサートを開催した、伝説のアーティストがいます。
ザ・ビートルズ。
生で演奏する彼らを見ることができた、最初で最後の公演。
実現に至るまで、多くの苦難がありました。
神聖な武道を行うための場所で、キャーキャーと黄色い声が飛び交うコンサートなど、ありえない。
日本武道館初代会長の正力松太郎(しょうりき・まつたろう)は、「ペートルスとかなんとかいうやつに、武道館は使わせない!」と豪語したと言われています。
今でこそ、若いアーティストの憧れの演奏場所であり、ポップ・ミュージックのコンサートが頻繁に開催されていますが、当時は、一度クラシックのコンサートが開かれたくらいで、柔道や剣道、公的な行事以外の使用はほとんどありませんでした。
しかし主催者側は、世界を席巻していたイギリスのロック・バンドの日本公演は、この国を象徴する会場で行いたいと必死だったのです。
正力会長はなんとか説得できたものの、ビートルズの武道館公演に反対する勢力は激化していきます。
街宣車に、脅迫電話。
大規模な警備体制が求められ、1万人の観客に対し、配備された警察官は3000人。
観客が近づけないように、アリーナ席は撤去。
厳戒態勢の中、彼ら4人は、日航機のタラップを降りました。
こうしておよそ100時間の彼らの滞在時間がスタートしたのです。
ビートルズは、この年の8月にコンサート活動をいっさいやらないことを決めます。
彼らは、表現の場をレコードに移し、破格の挑戦を続けるのです。
1962年にデビュー、そして1970年に解散。
わずか8年あまりの活動で、今なお世界中の人々を魅了する、ロック・バンドのレジェンド、ザ・ビートルズが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?

©Asahi Shimbun/amanaimages

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ザ・ビートルズ、日本武道館での初日の公演は、1966年6月30日夜。
尾藤イサオや内田裕也、ザ・ドリフターズたちの前座が終わると、4人が現れる。
歓声に包まれる場内。
しかし、最初に彼らが行ったのは、なんとチューニングだった。
これには諸説ある。
あまりの厳戒態勢に音合わせが事前にできなかった。
観客を一瞬かわす演出だった。
そして、まことしやかに言われたのは、彼らは直前に、半音下げた、というもの。
どうせ、歓声がうるさくて演奏など聴こえないだろう。
もしくは、声が本調子ではなかったから。
アリーナ席はなく、さらに日本人の国民性、厳重な警備のせいでビートルズの演奏、歌声は客席まで届き、彼ら4人も自分たちのパフォーマンスを再確認した。
一説によれば、彼らはその夜の演奏を反省。
翌日の公演は、素晴らしい音楽を届けたという。
初日の公演では、もうひとつアクシデントがあった。
マイクの首振り。
彼らがどんなに直しても、マイクが首を振ってしまう。
歌いづらい。気になって仕方がない。
この原因にも諸説ある。
ネジが緩んでいた。マイクコードがたるんでいた。
床が揺れやすく、マイクスタンドに影響した。
ビートルズの4人は、グルグル首を振るマイクを必死に直しながら、演奏を続けた。
そこには、破格の人気ゆえ、世界各地でありえない事態に遭遇してきた、彼らなりのある種の諦めと、耐える力があった。
もしかしたら、彼らがほんとうにやりたい音楽に気づく、ささやかで確かな理由の種は、すでに芽吹いていたのかもしれない。

©Asahi Shimbun/amanaimages

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ザ・ビートルズの日本公演は、大きなトラブルもなく、無事、終わった。
ただ、彼ら4人は、ホテルに缶詰め状態。
一歩も自由に外を歩けない環境にストレスを感じる。
日本を旅立ち、香港からフィリピンのマニラに到着。
のべ10万人を熱狂させ、コンサートは大成功だったが、ここである事件が起きた。
フィリピン大統領のイメルダ夫人主催のパーティーに無断で欠席したことを、「大統領を侮辱した!」と新聞があおり、国民が激怒した。
ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインは、当初から断っていたにも関わらず、主催者側がイメルダ夫人に伝えていなかった。
フィリピンから去るビートルズのクルマに投げつけられるトマト。
警備するはずの警官や兵士まで殺意をあらわにした。
それをクルマの中から冷静に眺める4人。彼らは思う。
「コンサートは、もはや僕たちの音楽を届ける手段ではなくなっている」

日本武道館を含む、ザ・ビートルズの世界ツアーは、1966年8月29日、サンフランシスコ公演で終わりを告げた。
ちなみにサンフランシスコでの移動は、警備のため囚人用の護送車だった。
クルマの中でジョンは、つぶやく。
「もうこんなこと、やめよう」
世界各地で体験したのは、賞賛や成功より、反発や怒りだった。
自分たちは、どうして音楽を始めたのか。
自分たちは、音楽で何を届けたいのか。
過密スケジュールの疲労も重なり、4人それぞれが、自分の中のyesを見失いかけた。
ほんとうにやりたい音楽をやろう。
そこに「コンサート」というフィールドの必要がないなら、はずそう。
そうして彼らが半年をかけて制作したアルバムこそ、ロック史上、最高傑作と呼ばれる、『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』。
実験的な取り組みを全て試した、音楽劇のような世界初のコンセプトアルバム。
4人それぞれが、やりたい音楽を探した。
『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』というアルバムのジャケットは、サイケデリックで絢爛豪華。
その中には、ジョンが日本で買った、福助人形も飾られている。
まるで、自分のyesに気づかせてもらった日本へのオマージュのように…。

©Asahi Shimbun/amanaimages

【ON AIR LIST】
◆Mr.Moonlight / The Beatles
◆Rock And Roll Music(1966年6月30日日本公演) / The Beatles
◆She's A Woman(1966年6月30日日本公演) / The Beatles
◆A Day In The Life / The Beatles

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