yes!~明日への便り~presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

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第476話 信じることをやめない
-【日本武道館にまつわるレジェンド篇】歌手 オリビア・ニュートン・ジョン-

[2024.10.12]

Podcast 

©Michael Holloway/Alamy/amanaimages


1976年12月1日、日本武道館で、女性ソロ・アーティストとして初の単独公演を行った、レジェンドがいます。
オリビア・ニュートン・ジョン。
ささやくように歌い始めた『Love Song』という楽曲が、武道館の会場内に沁みわたっていきます。
およそ1万人のファンが待ち望んだ来日公演。
美しく、知的で、笑顔を絶やさない、ブロンドヘアーの歌姫に、魅了されました。
ラストには大ヒット曲『I Honestly Love You』、邦題『愛の告白』を熱唱。
この曲でオリビアは、前年の3月、第17回グラミー賞を受賞しました。
プレゼンターは、ポール・サイモン、そしてもうひとりは、ジョン・レノン。
ツアー中で不在だったオリビアの代わりにトロフィーを受け取ったのは、アート・ガーファンクルでした。
このとき、オリビア・ニュートン・ジョン、27歳。
名実ともに、アーティストとしての絶頂期を迎えていました。
この後、『そよ風の誘惑』や『ジョリーン』など、ヒット曲を連発します。
1978年には、女優デビュー。
映画『グリース』でジョン・トラボルタと共演し、興行成績も大成功を収めました。
家族にも恵まれ、順風満帆だった彼女でしたが、1992年、44歳のときに病魔が襲いかかります。
乳がん。
その後、73歳で亡くなるまで、闘病生活は続きました。
彼女は自身もがんと闘いながら、オーストラリア・メルボルンに「オリビア・ニュートン・ジョンがん健康研究センター」を設立。
多くの患者のために、奔走したのです。
どんな苦難が押し寄せても、彼女は前を見て、笑顔を忘れませんでした。
シンコーミュージック・エンタテイメント発行、中川泉 訳『オリビア・ニュートン・ジョン自伝』の副題は、こうです。
Don't Stop Believin' 信じることをやめないで。
今も聴くひとの心をなぐさめる、唯一無二のシンガー、オリビア・ニュートン・ジョンが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?

オリビア・ニュートン・ジョンは、1948年9月26日、イギリス、ケンブリッジに生まれた。
父は、ケンブリッジ大学のキングス・カレッジで校長を務めていた。
母は、1954年にノーベル物理学賞を受賞したドイツ人、マックス・ボルンの娘。
オリビアの祖父にあたるマックス・ボルンは、アインシュタインの親友だった。
さらに母方の祖先を辿れば、マルティン・ルターにたどりつくと、オリビアは自伝で述べている。
知的で豊かな暮らしに守られながら、幼少の頃から非凡な才能を発揮する。
2歳のときにはすでに、ラジオから流れるポップスに、音程をはずさず、ハモることができた。
美しい声は、父ゆずりだった。
5歳のとき、オーストラリア・メルボルンに移る。
父がメルボルン大学オーモンド・カレッジの校長に大抜擢された。
40歳の若さで異例の大出世。
父は、自ら学長に手紙を書き、実績やこれからやりたいこと、あらゆる角度から自己アピールをした。
父はいつもオリビアに言った。
「いいかい、これは無理とか、やれっこないって、たいていの場合、誰かから言われるんじゃなく、自分で思ってしまうんだ。
大切なのは、自分で自分を信じる心だよ。覚えておきなさい」
尊敬する父、ユーモアあふれる母。石造りの立派な家。
しかし、そんな平和な環境は、長くは続かなかった…。

オリビア・ニュートン・ジョンがもうすぐ10歳というときに、両親は離婚。同時に、父は大学の職を失う。
専業主婦だった母は娘を養うために、突如、働くことになった。
父はやがて再婚し、子どもを授かる。
大好きだった父が遠のいていく。さびしかった。
人生で初めて、大切なものはあっという間に消えることがあると知った。
ひとりで過ごす時間が増える。
学校にはなじめなかった。
知能テストは最高レベルなのに、成績は最悪。勉強に集中できない。
14歳のとき、全てが一変する。
ひとりで勉強していたレンガ造りのアパートメントの部屋、その窓から、向いのビルにいた同い年くらいの女の子たちと言葉を交わすようになった。
そこに集う3人の女子は、いずれも歌が大好き。
オリビアは、幼い頃、両親に歌を褒めてもらったことを思い出す。
1人加えて4人でグループを組む。
ジャズクラブで歌った。楽しかった。
やがてあるオーディションに参加する。
結果は、最優秀賞。デビューのチャンスをもらう。
まだ、歌手になるという気持ちはない。ただ、母は言った。
「全ての答えは、オリビア、あなたの心の中にあるの。その声に耳を傾けなさい」

オリビア・ニュートン・ジョンは、歌で生きていくと決めたが、なかなか日の目を見なかった。
下積み時代。10代後半から20代前半は、辛い日々が続く。
父からは自分を信じることの大切さを、母からはユーモアと笑顔が救いになることを教えられた彼女は、歌い続けた。
23歳のときに出したシングル『If Not For You』が、ヒットする。
その後は、あっという間にスターダムに駆けあがった。
1992年に最初のがんが見つかってから、病気と向き合う日々が始まる。
オリビアは信じた。
「必ず克服できる」
これは闘いではなく、自分の使命の一部だと捉えた。

日本が大好きだった彼女は、2015年、福島でコンサートを開催する。
自身のがんの再発がわかった後だった。
満身創痍。
それでも、被災地での公演にこだわった。
彼女は、歌を通して、明日を信じる大切さを届けようとした。

2018年、オリビアはオーストラリア・メルボルンのラ・トローブ大学から名誉文学博士号を授与された。
彼女は、こんなスピーチをした。
「みなさん、文字は言葉になり、言葉にはチカラがあります。
いつも自分の言葉を意識して、たえず自分の言葉を気遣い、どうか、自分の言葉に嘘をつかないでください。
最後に、この言葉をみなさんに贈ります。
信じることを、やめないで」
オリビア・ニュートン・ジョン

【ON AIR LIST】
◆I HONESTLY LOVE YOU 愛の告白 / オリビア・ニュートン・ジョン
◆HAVE YOU NEVER BEEN MELLOW そよ風の誘惑 / オリビア・ニュートン・ジョン
◆IF NOT FOR YOU / オリビア・ニュートン・ジョン
◆DON'T STOP BELIEVIN' / オリビア・ニュートン・ジョン

【参考文献】
『オリビア・ニュートン・ジョン自伝 Don't Stop Believin' 信じることをやめないで』
著:オリビア・ニュートン・ジョン、訳:中川泉(発行:シンコーミュージック・エンタテイメント)

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