第459話 精一杯、生きる
-【今年メモリアルなレジェンド篇】弁護士 三淵嘉子-
[2024.06.15]
Podcast
撮影協力:法務省
NHK朝の連続テレビ小説の主人公のモデルといわれる、日本初の女性弁護士がいます。
三淵嘉子(みぶち・よしこ)。
今年、生誕110年、没後40年を迎える三淵は、法曹界にまだ女性の登用がなかった時代に、果敢に挑戦を試み、弁護士を皮切りに、女性初の判事、女性初の家庭裁判所長の座につきました。
彼女は、新聞記者やインタビュアーから、「三淵さんが法曹界にうってでるのは、女性の味方になりたいからですか?」と聞かれるのを嫌がりました。
「わたくしは、女性のためとか男性のためとか、そういうことを考えたことはありません。
あえて言うのであれば、か弱きものの力になれたらという思いで、法律家を志したのであります」
その発言のとおり、彼女は後年、家庭裁判所の設置に尽力し、裁判長に就任。
およそ16年間にわたり、のべ5000人以上の少年少女の更生に命を捧げました。
判決を言い渡す際の、三淵の、子どもたちに向けた言葉は、愛情と優しさにあふれ、傍聴人はもとより、裁きを受ける少年少女たちも号泣したと言います。
「あなたたちは、好き好んで、そういう環境に育ったわけではありません。
ですが、負けてはいけません。環境のせいにしてはいけません。
あなたたちが陽の光のほうに歩きさえすれば、必ず、手を差し伸べてくれるひとが現れるのです。
だから、どうか、絶望しないで。
どうか、明日を見捨てないでください」
1933年、昭和8年、弁護士法が改正され、女性にも弁護士の資格が認められるようになりましたが、女性に門戸を開いた大学は、ほとんどありませんでした。
旧帝大では、東北大学と九州大学のみ。
選科生などの扱いを除けば、東京で唯一女性弁護士への扉を開いたのは、明治大学だけでした。
その狭き門にあえて挑んだ三淵には、心に決めたある思いがあったのです。
それは「自分のたった一回の人生を、精一杯、生きる」。
シンプルで力強いその思いは、終生、変わることはありませんでした。
想像を絶する壁に挑んだ、法曹界のレジェンド、三淵嘉子が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
撮影協力:法務省
日本初の女性弁護士、三淵嘉子は、第一次世界大戦が始まった、1914年、父親の赴任先のシンガポールで生まれた。
嘉子という名前の、嘉の字は、シンガポールの漢字表記からつけられた。
父は、旧東京帝国大学法学部を出たエリート。
官僚や弁護士の道を選択せず、台湾銀行に就職した。
結婚後すぐに、シンガポール支店に異動。
ほどなくして、嘉子が生まれた。
さらに、嘉子が2歳になる頃、ニューヨーク支店に単身赴任。
母は、幼子を連れて、香川県丸亀市の実家に身を寄せた。
嘉子が6歳になると、父が帰国し、渋谷区で一家そろって暮らすことになる。
嘉子は幼い頃から、頭が良く、明るく活発な女の子だった。
愛くるしい丸顔と、のびやかな声。
自然と彼女のまわりに友だちが集まる。
青山師範附属小学校から、難関を突破し、東京女子高等師範学校の附属高等女学校に入学。
ただ、母の思いはひとつ。「良妻賢母」。
「男は外で働き、女は家庭を守る」というのが、一般的な社会常識だった。
しかし、父は違った。
父は、嘉子に言った。
「いいかい、フツウのお嫁さんにならなくていい。
男と同じように政治や経済を論じられるひとになるんだ。
そのためにも、何か、専門的な仕事につきなさい。
そうだな、医者か…あとは、そう、弁護士なんかどうだろう」
撮影協力:明治大学史資料センター
三淵嘉子は、18歳で、明治大学女子部に入学する。
この学校の法科を卒業して法学部に編入できれば、男子と一緒に法律を学ぶことができる。
まもなく弁護士法が改正されるという機運もあった。
しかし、周りからは猛烈に反対される。
高等学校の教師も、そして母も、反対の理由は同じだった。
「女だてらに法律など勉強したら、お嫁にいけなくなる」
ただ、父だけが賛成してくれた。
「時代っていうのは、決してとどまってはいない。前へ前へと動いているんだ。
この先、女性が弁護士になる時代が、きっと来る」
父は、背中を押してくれるばかりではなく、こうも付け加えた。
「やる以上は、死ぬ気でやりなさい。
厳しい道を自分で選ぶのだから、泣き言言ってはダメだ。覚悟しなさい」
嘉子は、頑張った。
誰よりも努力して、学部トップで卒業、予定通り、法学部に入った。
法学部でも首席を貫く。
大学では、ひそかに陰口をたたかれた。
構内で同級生が教えてくれる。
「あなたのこと、みんな、怖いひと、変人、世の中からはずれたひとって言ってるわよ、ひどいわよねえ。気にしないでね」
決していい気持ちはしないが、嘉子は思っていた。
「自分には、なりたい自分が見えている。
そしてそのための努力の方法もわかっている。
それがいかに幸せなことか。
嘆くことは、なにひとつない」
撮影協力:明治大学史資料センター
撮影協力:法務省
大学を卒業した三淵嘉子は、中田正子(なかた・まさこ)、久米愛(くめ・あい)と共に、高等文官司法科試験に合格。
ここに3名の、日本初の女性弁護士が誕生した。
新聞も大きく取り上げる。
記者たちがコメントを求める。
しかし、3名とも、男女差別が色濃く残る、時代の風潮という圧力を感じ、なるべく謙虚な発言にとどめた。
嘉子は言った。
「仮に…もしも弁護士になれたといたしましても、あまりにも未熟で世間知らずで無力。
空虚な自分がいるばかりでございます。ただ…」
そこで、嘉子は、言葉を切って、パシャパシャとたかれるカメラのフラッシュを見据え、こう続けた。
「か弱きひとのために、少しでもお力になれるよう、精進してまいる所存でございます!」
その言葉どおり、彼女は、不幸なひと、社会的弱者のために、精一杯、闘った。
一生を賭けるに値する天職を、生涯、手放すことはなかった。
撮影協力:法務省
【ON AIR LIST】
◆さよーならまたいつか! / 米津玄師
◆LAWYERS IN LOVE(愛の使者) / Jackson Browne
◆AIN'T NO MOUNTAIN HIGH ENOUGH / Marvin Gaye & Tammi Terrell
◆YOU ARE SO AMAZING(『虎に翼』メインテーマ) / 森優太、Stuart Murdoch(Vo)
★今回の撮影は、「法務省」様、「明治大学史資料センター」様にご協力いただきました。ありがとうございました。