yes!~明日への便り~presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

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第456話 自分自身のルールをつくる
-【福井にまつわるレジェンド篇】作曲家 カミーユ・サン=サーンス-

[2024.05.25]

Podcast 

写真提供:福井県立音楽堂「ハーモニーホールふくい」


福井県には、全国でも名高いパイプオルガンを有する、「福井県立音楽堂 ハーモニーホールふくい」があります。
パイプの数は、実に5014本。
音色を選択するストップは70を数え、優しく繊細でありながら、ダイナミックな世界観を可能にしています。
このホールで、6月16日、オルガン設置20周年を記念したコンサートが開催されます。
オルガンを演奏するのは、世界的に有名で、日本を代表するオルガニスト、石丸由佳(いしまる・ゆか)。
演目のひとつが、今週のレジェンド、カミーユ・サン=サーンスが作曲した、『交響曲第3番「オルガン付き」』です。
サン=サーンスがこの偉大な作品を作曲したのは、1886年。
51歳のときでした。
この年には、「白鳥」を有する『動物の謝肉祭』も発表しています。
幼い頃から神童としてもてはやされ、フランスの名門 マドレーヌ教会で、およそ20年にわたりオルガニストをつとめたサン=サーンスですが、その人生は、決して順風満帆なものではありませんでした。
誰よりもフランスを愛し、「私は音楽よりフランスが大切だ」とまで発言した彼ですが、ワーグナーをはじめとするドイツの作曲家への傾倒ぶりが批判され、国内での評価は失墜。
かと思うと、ワーグナーについての発言で、今度はドイツ国民から大バッシングを受け、演奏をボイコットされてしまうのです。
愛する祖国に留まることをやめ、世界中を転々とする晩年。
しかし彼は、正直な発言、自分の思う通りの生き方を、生涯手放すことはありませんでした。
誰に何を言われても、自分のルールを守り切ったのです。
「フランスのベートーヴェン」と呼ばれたレジェンド、カミーユ・サン=サーンスが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?

名曲『白鳥』で知られる作曲家、カミーユ・サン=サーンスは、1835年10月9日、フランス王国・パリに生まれた。
父は、内務省の高級官僚。
しかし、サン=サーンスが生まれて3か月後に、亡くなってしまう。
サン=サーンスは、生まれながら体が弱く、母方の実家にあずけられる。
貧しい暮らしの中、母の養母である大叔母が、2歳のサン=サーンスにピアノを教える。
サン=サーンスは、一音一音、たどたどしく指を置く。
最初、母は、ずいぶん不器用な子だなと思った。
しかし、違った。
彼は、ひとつの音色が放たれ、空中に舞い、やがて消えていくのを、ただ確かめていた。
音の誕生から死までの物語を見極めるように。
分析能力と客観性。
それは生涯、彼の武器になった。
1年も経たずして、ピアノの教本を暗譜。
完全にコピーできるようになっていた。
3歳で作曲を覚え、4歳にはサロンで演奏。
「モーツァルトのライバル!」と地元の新聞に書かれる。
母親は、我が子の才能に驚いた。
そして、この才能をさらに伸ばすことだけを、自らの使命とした。
どんなに貧しくても、生活費を削り、一流の先生の扉を叩く。
「お願いします! 我が息子を一流の音楽家にしてください!」
その甲斐もあり、サン=サーンスは、さらに才能を開花させる。
彼の心に、ある思いが生まれた。
「ボクは、他の子と違う」

サン=サーンスは、名門パリ音楽院に入学する。
選んだ学科は、ピアノ科ではなく、オルガン科。
ピアノはもはや教わることがない、という建前もあったが、実は、母親になるべくお金の心配をさせたくないという優しい思いがあった。
当時、オルガニストは、教会の専属になることにより、定期的な収入が得られるメリットがあった。
入学してすぐの、クラス分けのための演奏試験。
学内において、サン=サーンスの評判は凄かった。
いったいどんな演奏を聴かせてくれるのか、生徒のみならず、先生も、ワクワクしてその時を待つ。
いよいよ、彼の出番。
しかし…緊張のあまり、目も当てられないひどい演奏だった。
結果、サン=サーンスは、正規の生徒として選ばれず、聴講生からのスタートになった。
落胆はすさまじく、彼は学校を辞めようとさえ思う。
でも、母親は言った。
「私はね、カミーユ、むしろよかったと思っています。
だって最近のあなたは、自分を特別なものとして、傲慢というライオンを育てているのですから。
自分を、他のひとと違うと認識するのは、正しい。
でもね、カミーユ、自分を誰かより上だと思うのは、間違いです」

聴講生から出発したサン=サーンスは、必死に勉学に励む。
あっという間に正規の学生に昇格。
そのひたむきな姿を見ていたのが、初代オルガン科の教授、フランソワ・ブノワだった。
ブノワは、サン=サーンスに、バッハを徹底的に叩き込む。
砂漠に水がしみいるように、サン=サーンスはバッハを体得していった。
実力は、十分、首席レベル。
しかしブノワは、彼にあえて、2番の成績をつけた。
もっともっと学んでほしかった。
自分を過信することなく、謙虚さを培ってほしかった。
やがて、1年遅れて、首席で卒業。
作曲科でも学び、すぐにサン=メリ教会の専属オルガニストの職を得た。
作曲家の登竜門、ローマ賞に応募するが、何度か落選。
それでもサン=サーンスは、めげずに応募を繰り返し、やがて大賞をとる。
神童とうたわれ、誰もがうらやむ才能を持ちながら、彼は、幾度となく挫折して、地面に叩き落された。
そのたびに、地べたに咲く名もなき花に気づき、何かを手にして、自分なりの世界を構築していった。

『誰もがみな、自分のルールをつくらねばならない。
音楽は自由であり、その表現の中においては、誰も制限を加えてはならない。
完全なる和音、そして不協和音にも、いや間違った和音でさえ、全ての音符には、そこに存在する意味がある。ルールがある』
カミーユ・サン=サーンス

写真提供:福井県立音楽堂「ハーモニーホールふくい」

【ON AIR LIST】
◆白鳥(『動物の謝肉祭』より) / サン=サーンス(作曲)、ミッシャ・マイスキー(チェロ)、パリ管弦楽団、セミヨン・ビシュコフ(指揮)
◆死の舞踏 / サン=サーンス(作曲)、石丸由佳(パイプオルガン)
◆交響曲第3番ハ短調 作品78「オルガン付き」(終結部) / サン=サーンス(作曲)、マティアス・アイゼンベルク(オルガン)、トゥールーズ・カピトール管弦楽団、ミシェル・プラッソン(指揮)

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