第452話 挑戦をやめない
-【今年メモリアルなレジェンド篇】画家 エドヴァルド・ムンク-
[2024.04.27]
Podcast
©Greg Balfour Evans/Alamy/amanaimages
今年、没後80年を迎える、世紀末の画家がいます。
エドヴァルド・ムンク。
名画『叫び』で世界的に有名な、ノルウェー出身のムンクは、幼い頃から身内の死を経験し、内省的で孤独。
内にこもるような印象がありますが、実は類まれなる、挑戦のひとでもありました。
それは、『叫び』を画く一年前、1892年11月の出来事。
ムンクは、ドイツ・ベルリン芸術協会から、「個展を開きませんか」という招待を受けました。
パリで学んだ印象派の呪縛に苦しみ、自分の画風を模索していた29歳のムンクにとって、それは新しい作品に挑戦する最高のチャンスでした。
文字通り、寝食を忘れ、制作に没頭。
油彩55点を画き上げ、ベルリンに乗り込んだのです。
のちに「愛のシリーズ」と呼ばれる、『窓辺の接吻』や『愛と痛み』などの作品群は、人間の内面を真摯に描き切った自信作でした。
しかし、世紀末の暗さや、抽象的で難解な作風は、保守的なベルリンの批評家たちには理解されず、皇帝ウィルヘルムもこれらを認めず、新聞記者たちは、ムンクを「芸術を毒殺するもの」と揶揄したのです。
展覧会は、わずか一週間で打ち切り。
前代未聞の事件は、「ムンク・スキャンダル」として、世界中のマスコミが取り上げました。
まわりの心無い言葉に、人一倍繊細なムンクは、ひどく傷つきましたが、画くことを諦めたりしませんでした。
それどころか、翌年、最高傑作『叫び』を世に送り出すのです。
彼は、誹謗中傷の嵐の中、自分が描くべき主題を見つけました。
それは、『愛』。
暗く、病んだような画風に思えますが、彼が最も描きたかったのは、愛、そして表層的ではない人間の強さ、だったのです。
誰に何を言われても、一つの作品を何度も書き直し、自分が信じた道を突き進んだレジェンド、エドヴァルド・ムンクが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
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画家・エドヴァルド・ムンクは、1863年12月12日、ノルウェーに生まれた。
父は陸軍の外科医。
厳格で信心深く、貧しいひとからお金を受け取らなかった。
そのため、家計はいつも苦しかった。
父は常に病に挑み、死に抗っていた。
病弱だったムンクは、毎日、手術を患者に施す父の背後に、死神を見ていた。
いつか、自分にもお迎えがやってくる、その恐怖はじわじわと彼を追い詰める。
しかし、死神は彼を連れ去るより前に、まず母を選んだ。
ムンクが5歳のとき、母が結核で亡くなる。
14歳のときには、姉がやはり結核でこの世を去った。
ムンクは、リュウマチ、気管支炎、さらに心も病み、夜中には眠るのが怖くて家中を徘徊した。
ひとたび目を閉じれば、二度と開くことができないような気がした。
家族で最も弱い自分が残され、大切なひとが先に逝ってしまう。
のちに彼は、こう語った。
「なぜ、自分は他のひとと違うのか。なぜ、自分がこの世に生を受けたのか。
それが苦しく、哀しい。
でも、まさしくその思いこそが、私の芸術の根っこにある」
エドヴァルド・ムンクの父は、ほんとうは、医者ではなく、牧師か詩人になりたかった。
診察を終えたあとは、決まって長椅子に腰かけ、本を読んだ。
そんな父の姿を見ながら、幼いムンクは絵を画いた。
ときどき父は読み聞かせをしてくれたが、ドストエフスキーの小説だったので、子どもには難しすぎた。
大人になってから、父の無念さを思う。
医者でありながら、愛する妻や娘を助けられなかった気持ち。
言葉の少ない父の横顔は、いつも厳しく、ただ、怖かった。
ムンクは、16歳のとき、工業専門学校に通う。
しかし、病気がちで満足に学校に通えない。
仕方なく、自主退学。
自分がこの世に必要とされていない存在だと思い知る。
結核を発症。
白いハンカチは、血に染まった。
そんなに長く生きられないとしたら、何をしたいか。
絵が画きたい。
そう思ったムンクは父に頼み、夜間の画学校に通わせてもらう。
楽しかった。
絵を画く時間だけが、世界とつながることができた。
17歳の春。彼は心に誓う。
「ボクは、画家になろう。画家になって、たったひとりでいい。誰かを幸せにしよう」
エドヴァルド・ムンクは、22歳の時、奨学金を得て、パリに行った。
自分の絵をさらなる高みに押し上げたい。
ルーブル美術館で、夢中になって模写した。
さまざまなサロンをめぐり、いろんな絵を見る。
当時のパリは、モネ、ルノワール、シスレーなどの印象派が時代を席巻していた。
自然をありのままに、光や風景をいかに再現するかが最大のテーマだった。
しかし、ムンクは違和感を覚える。
「もっと人間を描かないでどうする? 魂を感じる絵こそ、自分は画きたい!」
一年かけて、若くして亡くなった姉の死に向き合う。
そうしてできた作品『病める子』。
ベッドにいる娘とその娘の手をとりうなだれる母。
暗い病室。深い緑。
キャンバスには、ナイフで切り裂いたような跡が残る。
自信を持って展覧会に出品するが、酷評される。
「失敗作!」「未完成!」「ひどい作品!!」
でも、ムンクは気にも留めなかった。
この絵が画けたことで、一歩先に進めたような気がした。
「大切なのは、内面なんだ。人間の奥底に流れる感情なんだ。
ボクは、一生をかけて、それを画いていこう」
そう、確信した。
ひとと違うことをすれば、必ずひとは足をひっぱる。
でも、自分の中にブレない信念さえあれば、前に進めるはずだ。
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「常に、ギリギリの人生。
その渦中にあって、ジタバタとしている私。
どんなに険しい道が辛くても、私は、その崖っぷちの道へと引き返す。
時には足を踏み外してしまおうかと思ったり、歩くのをやめてしまおうかと思っても、気がつくと、最も危険な道に引き返している。
なぜかと聞かれれば、こう答えるしかない。
それが、私の道だから」
エドヴァルド・ムンク
【ON AIR LIST】
◆接吻 Kiss / オリジナル・ラヴ
◆SKIES OF SONG (Norwegian Version) / Ludvig Forssell, Hannah Storm
◆MIDNIGHT SUN / Sarah Vaughan