第447話 心の中心を見つける
-【岩手にまつわるレジェンド篇】柔道家 三船久蔵-
[2024.03.23]
Podcast
現在の岩手県久慈市出身の「柔道の神様」がいます。
三船久蔵(みふね・きゅうぞう)。
身長は160センチに満たず、体重は50キロ半ば。
圧倒的に不利な体格で、講道館柔道の最高位、十段を授けられたレジェンドです。
柔道の長い歴史の中、十段を取得したのは現在15名しかいません。
ちなみに十段の帯は、黒帯の上、赤帯です。
最近では3年前、1992年のバルセロナオリンピック、男子71キロ級で金メダルをとった古賀稔彦(こが・としひこ)が、数々の偉業をたたえられ、九段に昇格し、話題になりました。
53歳で亡くなる、前日のことでした。
九段、十段の赤帯は、ただ単に強さだけではなく、競技の普及や後進の育成など、柔道界への多大なる貢献が、昇段の決め手となります。
三船久蔵は、小柄な体格ながら、新しい技を次々とあみだし、柔道というフレームを大きく伸ばし、拡大したのです。
故郷の久慈市には、三船十段記念館があり、「若き日の三船久蔵」「三船久蔵と講道館」「三船と将棋」「三船と書道」というテーマに沿ってパネルが展示されています。
さらに、圧巻は、彼が考案した「空気投げ」の貴重な映像。
大きな相手をうまくさばき、タイミングを崩し、気がつけば相手が転がっているという、三船の必殺技です。
資料館の隣には、柔道場も併設されており、彼の精神を受け継ぐ若き道場生が稽古にやってきます。
三船には、流儀がありました。
「大切なのは、心の中心をブレないようにすること」
そのために彼は、65年間、たったの一日も稽古を休まなかったと言います。
心の中心がブレていなければ、体重移動しても、ふらふらとよろけても、すぐに体勢を立て直すことができる。
彼の流儀は、技ではなく、心の持ち方にあったのです。
三船は、後輩たちに言いました。
「相手に勝とうと思うと、相手の心が自分の中心を乱す。
ほんとうの相手は、自分の中にしかいない」
名人という称号を与えられた賢人・三船久蔵が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
「柔道の神様」、三船久蔵は、1883年、岩手県九戸郡久慈村、現在の久慈市に生まれた。
久慈は、三方を山に囲まれ、一方は海。
江戸時代は城下町として栄え、九戸の中心地だったが、自然は厳しく、北上山地の空っ風と雪に悩まされた。
久蔵が生まれたとき、父は52歳。母は43歳。
末っ子だった。
父は、村で唯一の米問屋。
家族は、何不自由ない生活をしていた。
末っ子の久蔵は、ことのほか、父に可愛がられた。
父は自分の商いの、次の担い手として、育てようと思った。
久蔵は、甘やかされ、腕白に育ったが、ひとつだけ他の子どもにはないところがあった。
それは、潔癖なまでの正義感。
小学生のとき、自分よりはるかに身長の高い、民雄というクラスメートがいた。
民雄は、やることなすこと全てスローで、クラスの女子たちにからかわれ、いじめられていた。
久蔵は、それが許せない。
女子たちにいじめをやめるように言ったが、受け入れられないので行動に出た。
しかし、先生に見つかる。こっぴどく怒られた。
家に帰れば、父の厳しい折檻が待っていた。
「女性に手を出すやつは、男として最低だ!」
なぜ、そんなことをしたのか。
どんなに問われても、久蔵は、黙りつづけた。
やがて、いじめはやんだ。
民雄は、前歯のない口をあけ、「ありがとうね、久蔵くん」と笑った。
「柔道の名人」という称号を与えられたレジェンド、三船久蔵は、自分の心の中に、抑えきれない「何か」が潜んでいることに気づいていく。
決定的だったのは、小学4年生のとき。
1年先輩の大関と呼ばれていたガキ大将と、取っ組み合いの喧嘩になった。
学校の番長である大関に「子分になれ!」と言われ、「いやだ!」と突っぱねたところから、目の敵にされていた。
体格でも、喧嘩のやり方でも、かなわない。
ただ、どんなに殴られても、子分になることは拒否した。
闘いながら、久蔵は感じていた。
負けん気、燃えたぎる闘争心。
相手を叩きのめしたいという本能。
自分の中心にあるのは、もしかしたら、正義感や道徳心などという格好いいものではないのかもしれない。
ただ、闘って、勝ちたい。
大関が、落ちていた大きな石を拾い、振り上げたとき、「ああ、もう、自分の人生は終わった」と思う。
しかし、喧嘩を見ていた上級生が、それを止めた。
ドスン!と、石は自分の顔近くに落ちた。
三船久蔵の父は、荒くれ者の息子をもてあました。
尋常高等小学校卒業後、知り合いのつてをたどって、役所に勤めさせる。
なるべく早く、社会の厳しさを学ばせようと考えた。
しかし、数日で問題を起し、辞めてしまう。
近所への体裁もあり、仙台の中学に進学させた。
久蔵は、自分でも、自分をもてあましていた。
何がやりたいか、わからない。
どう生きたいか、わからない。
ただ自分の心の中心にある、マグマのような情熱が行き場を探していることだけはわかった。
仙台の中学に入り、友だちに誘われた。
「柔道っていうものを見に行かないか?」
柔道?
中学から2キロほど離れた場所にある高校に向かった。
道場に入った途端。体がふるえた。
白い柔道着に身を包んだ高校生たちが、それぞれ組みあっていた。
バスン!
畳に投げられたひとがいた。
小さい者が、大きい者を倒す。
「美しい」
そう、思った。
これは喧嘩ではない。
ここには、品性があり、型があり、ルールがある。
自分の心の中心が「これだ!」と叫んだような気がした。
自分がやりたいことは、自分の心の中にしかない。
己の中心に耳を傾ければ、必ず、わかるときがくる。
自分にふさわしい場所が。
三船久蔵は、このときの感動を、生涯忘れることはなかった。
【ON AIR LIST】
◆LIVE BY THE SWORD / The Rolling Stones
◆EARTH / Joe LoPiccolo, Ray Sandoval
◆ALL IN YOUR MIND / Raul Midon
◆柔 / 美空ひばり
★今回の撮影は、「久慈市立三船十段記念館」様にご協力いただきました。ありがとうございました。
営業時間など、詳しくは久慈市のHPよりご確認ください。
久慈市立三船十段記念館 HP
三船久蔵(みふね・きゅうぞう)。
身長は160センチに満たず、体重は50キロ半ば。
圧倒的に不利な体格で、講道館柔道の最高位、十段を授けられたレジェンドです。
柔道の長い歴史の中、十段を取得したのは現在15名しかいません。
ちなみに十段の帯は、黒帯の上、赤帯です。
最近では3年前、1992年のバルセロナオリンピック、男子71キロ級で金メダルをとった古賀稔彦(こが・としひこ)が、数々の偉業をたたえられ、九段に昇格し、話題になりました。
53歳で亡くなる、前日のことでした。
九段、十段の赤帯は、ただ単に強さだけではなく、競技の普及や後進の育成など、柔道界への多大なる貢献が、昇段の決め手となります。
三船久蔵は、小柄な体格ながら、新しい技を次々とあみだし、柔道というフレームを大きく伸ばし、拡大したのです。
故郷の久慈市には、三船十段記念館があり、「若き日の三船久蔵」「三船久蔵と講道館」「三船と将棋」「三船と書道」というテーマに沿ってパネルが展示されています。
さらに、圧巻は、彼が考案した「空気投げ」の貴重な映像。
大きな相手をうまくさばき、タイミングを崩し、気がつけば相手が転がっているという、三船の必殺技です。
資料館の隣には、柔道場も併設されており、彼の精神を受け継ぐ若き道場生が稽古にやってきます。
三船には、流儀がありました。
「大切なのは、心の中心をブレないようにすること」
そのために彼は、65年間、たったの一日も稽古を休まなかったと言います。
心の中心がブレていなければ、体重移動しても、ふらふらとよろけても、すぐに体勢を立て直すことができる。
彼の流儀は、技ではなく、心の持ち方にあったのです。
三船は、後輩たちに言いました。
「相手に勝とうと思うと、相手の心が自分の中心を乱す。
ほんとうの相手は、自分の中にしかいない」
名人という称号を与えられた賢人・三船久蔵が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
「柔道の神様」、三船久蔵は、1883年、岩手県九戸郡久慈村、現在の久慈市に生まれた。
久慈は、三方を山に囲まれ、一方は海。
江戸時代は城下町として栄え、九戸の中心地だったが、自然は厳しく、北上山地の空っ風と雪に悩まされた。
久蔵が生まれたとき、父は52歳。母は43歳。
末っ子だった。
父は、村で唯一の米問屋。
家族は、何不自由ない生活をしていた。
末っ子の久蔵は、ことのほか、父に可愛がられた。
父は自分の商いの、次の担い手として、育てようと思った。
久蔵は、甘やかされ、腕白に育ったが、ひとつだけ他の子どもにはないところがあった。
それは、潔癖なまでの正義感。
小学生のとき、自分よりはるかに身長の高い、民雄というクラスメートがいた。
民雄は、やることなすこと全てスローで、クラスの女子たちにからかわれ、いじめられていた。
久蔵は、それが許せない。
女子たちにいじめをやめるように言ったが、受け入れられないので行動に出た。
しかし、先生に見つかる。こっぴどく怒られた。
家に帰れば、父の厳しい折檻が待っていた。
「女性に手を出すやつは、男として最低だ!」
なぜ、そんなことをしたのか。
どんなに問われても、久蔵は、黙りつづけた。
やがて、いじめはやんだ。
民雄は、前歯のない口をあけ、「ありがとうね、久蔵くん」と笑った。
「柔道の名人」という称号を与えられたレジェンド、三船久蔵は、自分の心の中に、抑えきれない「何か」が潜んでいることに気づいていく。
決定的だったのは、小学4年生のとき。
1年先輩の大関と呼ばれていたガキ大将と、取っ組み合いの喧嘩になった。
学校の番長である大関に「子分になれ!」と言われ、「いやだ!」と突っぱねたところから、目の敵にされていた。
体格でも、喧嘩のやり方でも、かなわない。
ただ、どんなに殴られても、子分になることは拒否した。
闘いながら、久蔵は感じていた。
負けん気、燃えたぎる闘争心。
相手を叩きのめしたいという本能。
自分の中心にあるのは、もしかしたら、正義感や道徳心などという格好いいものではないのかもしれない。
ただ、闘って、勝ちたい。
大関が、落ちていた大きな石を拾い、振り上げたとき、「ああ、もう、自分の人生は終わった」と思う。
しかし、喧嘩を見ていた上級生が、それを止めた。
ドスン!と、石は自分の顔近くに落ちた。
三船久蔵の父は、荒くれ者の息子をもてあました。
尋常高等小学校卒業後、知り合いのつてをたどって、役所に勤めさせる。
なるべく早く、社会の厳しさを学ばせようと考えた。
しかし、数日で問題を起し、辞めてしまう。
近所への体裁もあり、仙台の中学に進学させた。
久蔵は、自分でも、自分をもてあましていた。
何がやりたいか、わからない。
どう生きたいか、わからない。
ただ自分の心の中心にある、マグマのような情熱が行き場を探していることだけはわかった。
仙台の中学に入り、友だちに誘われた。
「柔道っていうものを見に行かないか?」
柔道?
中学から2キロほど離れた場所にある高校に向かった。
道場に入った途端。体がふるえた。
白い柔道着に身を包んだ高校生たちが、それぞれ組みあっていた。
バスン!
畳に投げられたひとがいた。
小さい者が、大きい者を倒す。
「美しい」
そう、思った。
これは喧嘩ではない。
ここには、品性があり、型があり、ルールがある。
自分の心の中心が「これだ!」と叫んだような気がした。
自分がやりたいことは、自分の心の中にしかない。
己の中心に耳を傾ければ、必ず、わかるときがくる。
自分にふさわしい場所が。
三船久蔵は、このときの感動を、生涯忘れることはなかった。
【ON AIR LIST】
◆LIVE BY THE SWORD / The Rolling Stones
◆EARTH / Joe LoPiccolo, Ray Sandoval
◆ALL IN YOUR MIND / Raul Midon
◆柔 / 美空ひばり
★今回の撮影は、「久慈市立三船十段記念館」様にご協力いただきました。ありがとうございました。
営業時間など、詳しくは久慈市のHPよりご確認ください。
久慈市立三船十段記念館 HP