第430話 信念が明日を切り開く
-【建築の世界に革命をもたらしたレジェンド篇】フランク・ロイド・ライト-
[2023.11.25]
Podcast
写真提供:帝国ホテル
東京・日比谷の帝国ホテル。
今年、開業100周年を迎えた二代目本館「ライト館」を設計した、近代建築の巨匠がいます。
フランク・ロイド・ライト。
「ライト館」は、東洋風の屋根や庭、石・煉瓦が作り出す精巧な美しさから「東洋の宝石」と呼ばれました。
また、幾何学模様の内装・家具など、ライトが愛した装飾も随所にほどこされました。
一説によれば、この「ライト館」設計のベースにあるのは、1893年、ライトが26歳のときに見たシカゴ万博の、平等院鳳凰堂をモチーフにした日本館「鳳凰殿」だと言われています。
左右対称の美しさは、ライトが考案した革命的な建築様式「プレーリー・スタイル」を踏襲しています。
この建物が地震や火事にも強いことは、落成したその日に証明されました。
100年前に起きた、関東大震災。
帝国ホテルはほとんど被害がなく、復興の拠点として、多くのひとびとに安心とやすらぎの空間を提供したのです。
「ライト館」は老朽化のため、1967年にその幕を閉じましたが、当時の壁画などが今も館内のバーに残されています。
また、来年からは、現在の本館も含めて建て替えが行われ、さらなる「東洋の宝石」の継承が待たれています。
写真提供:帝国ホテル
フランク・ロイド・ライトの人生は、まさに波乱万丈でした。
特に40代は、不倫、駆け落ちなど、スキャンダルにまみれ、クライアントの信頼を失い、仕事の依頼は激減してしまいます。
そんな失意の中、当時の帝国ホテルの支配人だった林愛作(はやし・あいさく)が、彼に新館設計を依頼したのです。
日本建築に感動を覚え、いつか日本で設計をしたいという信念を持っていた、近代建築の巨匠と呼ばれるライトに、世界に名立たる設計をしてほしいと願った林。
二人の思いは、100年を越えてもなお、日比谷の地に息づいているのです。
ライトは、人間的には、あまりに自由で奔放であるがゆえ、時に誹謗中傷の対象となり、マスコミに叩かれ、罵詈雑言を浴びせられました。
しかし、建築に関しては、強い信念のもと、どの作品に対しても妥協なく向き合い続けたのです。
アメリカが生んだ建築界のレジェンド、フランク・ロイド・ライトが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
近代建築の三大巨匠のひとり、フランク・ロイド・ライトは、1867年6月8日、アメリカ合衆国ウィスコンシン州に生まれた。
アメリカ中西部のウィスコンシン州は、ミシガン湖、スペリオル湖を有する、森林と農場が拡がる、当時は開拓者の土地。
ライトと同じ年に、同じウィスコンシン州で生まれた作家に、『大草原の小さな家』で知られるローラ・インガルス・ワイルダーがいる。
都会派のイメージがあるライトだが、実は、過酷な自然環境に身を置く、開拓者の血を受け継いでいた。
牧師である父と、芸術を愛する母。
二人の価値観は合わず、喧嘩が絶えなかった。
ライトは、母の寵愛を受け、幼い頃からこう言われ続けた。
「いいですか、あなたは建築家になるのです。
建築は、あらゆる芸術の頂点。
全ての芸術を集めたものが、建築なのです」
母の願いはそのままライトの夢、目標になった。
ウィスコンシン大学マディソン校土木科に入るが、中途で退学。
座学だけの授業に物足りなさを感じる。
都会に出たい。
シカゴに行って、建築設計事務所に入って修行したい。
思いは膨らみ、シカゴの事務所に片っ端から手紙を送った。
断られても、めげない。
自分は建築家になるのだという信念が行動をうながした。
結局、叔父に頼み込み、シカゴのシルスビーという建築家の事務所に入る。
しかし、ここも1年足らずに辞めてしまう。
ライトは、「何か違う、ここではない」と思うと、すぐに辞めてしまう。
意味のない我慢は、時間の無駄。そう考えていた。
アドラーとサリバンという二人の建築家の事務所に入り、ライトの才能が開花する。
彼はここで、プレーリー・スタイルを確立する。
プレーリー・スタイル。日本語ではこう訳される。
『大草原様式』。
建築家の巨匠、フランク・ロイド・ライトが20代前半で確立したプレーリー・スタイル、大草原様式とは、自然との融合がテーマだった。
四方に水平に伸びる建物。高さは極力抑える。
まるで大地の一部のように根ざす建築物。
ライトはこのスタイルで一躍有名になり、事務所にきた住宅の発注のほとんどをひとりで請け負う。
でも、給料は他の従業員と同じ。
納得がいかない。
当時、結婚して子どももいた。
お金がほしい。
密かに発注を受け、アルバイトをした。
それが所長の知るところとなり、解雇。
ライトは、落ち込まなかった。
だったら、ひとりでやってみせる。
何の後ろ盾もなかったが、独立。
お金が入ると、クルマを買い、高級な服を着た。
かつて母に言われていた。
「貧乏になってもいい、でも、貧乏くさくなってはいけません。
自分の美意識のために、お金を使いなさい。
最高のものを知らないひとは、最低なものがわからないのです」
フランク・ロイド・ライトは、自伝やインタビューで、時に自分の人生を脚色する。
年齢も、2つ若くサバをよんでいた。
なるべくドラマティックに自分を見せたい。
そんな彼の虚言は、スキャンダルもあいまって、バッシングの対象になってしまう。
「失われた時代」と言われた、40代、50代。
しかし、彼は奇跡の復活を果たす。
そのきっかけを作ったのが、日本からの発注、帝国ホテルの設計だった。
ライトは「私はあらゆる外国のものに影響を受けていない」とうそぶくが、彼が日本を愛し、日本に感謝していたことは、間違いない。
晩年、彼が起死回生で打ち立てた様式が、「有機的建築」だった。
「有機的建築」とは、自然界の造形物が全てそうあるように、人間界の創作物も自然界に融合し、持続可能に溶け合うものであらねばならないという哲学。
現代のSDGsを先取りした考え方だった。
ライトは、その最たる例に、砂漠の中のサボテンを挙げた。
「サボテンの造形を見てください。
過酷な自然環境に耐えうる、ギリギリまで研ぎ澄まされたフォルムと機能。
あれこそ、私が目指す、究極の建築です」
欲望にかられ、醜態をさらし、嘘をつき、笑われた。
でも、建築に関してだけは、終生、真摯に誠実に向き合った。
「私は、信じている。
家は芸術作品になることによって、単なる住まいを超える存在になりうる」
フランク・ロイド・ライト
写真提供:帝国ホテル
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