第428話 人と同じ生き方をしない
-【建築の世界に革命をもたらしたレジェンド篇】ル・コルビュジエ-
[2023.11.11]
Podcast
©Schütze/Rodemann/Alamy/amanaimages
20世紀モダニズム建築の巨匠と呼ばれるレジェンドがいます。
ル・コルビュジエ。
19世紀の建築は、レンガと石で造る組積造が主流でした。
古代ローマ、古代ギリシャの様式建築を踏襲するのが、建築家の役割だったのです。
しかし、コルビュジエは、鉄筋コンクリート構造を学び、床や屋根、柱、階段だけが建築の大切な要素だと主張する、ドミノシステムを考案。
パリの都市構想においても、低層階の住宅をまんべんなく広げるより、高層マンションを建て、空いた土地に緑あふれる公園を造ることを提案しました。
採用には至りませんでしたが、斬新で大胆な発想は、既成概念にとらわれていた建築家、芸術家を驚かせました。
彼は、建築だけではなく、絵画、家具のデザイン、彫刻など、さまざまなジャンルで世の中をあっと言わせた唯一無二のアーティストなのです。
昨年、日本で唯一のコルビュジエ建築が、およそ1年半をかけてリニューアルされました。
上野の国立西洋美術館。
この世界的に有名な美術館の設計は、コルビュジエが担当。
建設にあたっては、彼の弟子であり、日本の建築界を世界に押し上げた重鎮、坂倉準三(さかくら・じゅんぞう)、前川國男(まえかわ・くにお)、吉阪隆正(よしざか・たかまさ)が協力しました。
世界遺産に登録されたこの建造群、リニューアルの最大のポイントは、前庭。
この前庭の景観を、1959年の開館時に戻したのです。
西門から入る導線は新鮮で、コルビュジエのこだわりが垣間見られます。
彼は、スロープ、ストロークを大事にしました。
建築物にどうやってアプローチするか、まず最初に見える風景は何か。
人間の微妙で繊細な目線に注目したのです。
なぜ彼は、日常に寄り添った視線を獲得できたのでしょうか。
そこには、彼の辛い挫折の日々が関係しているのです。
世界中に自らの痕跡を残した芸術家、ル・コルビュジエが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
世界的に有名な建築家、ル・コルビュジエは、1887年10月6日、スイスの山あいの街で生まれた。
父は時計の文字盤職人。母はピアノ教師だった。
彼が生まれた2年後に、パリ万博開催。
エッフェル塔が建ち、近代産業が目まぐるしい進化を遂げ、新しい素材、新しい技術が次々産み出されていく。
そんな激しい変革の時代の渦の中、コルビュジエは、父の跡を継ぎ、時計職人になることを全く疑わなかった。
しかし、天は彼に最初の試練を与える。
生まれながら、視力が弱い。
精密な加工をほどこす時計職人にとって、あまりにも致命的だった。
父を尊敬し、父のようになることだけを望んだ少年は、蓋つきの時計に細かな装飾をする夢ばかりを見て、日々を過ごしてきた。
父に言われた。
「残念ながら、おまえにはこの道は無理だ」
ショックだった。
時計職人になるため、地元の美術学校で、デザインや彫金を学んでいたのに…。
そんなコルビュジエの前に、ひとりの教師が現れる。
30歳にして美術学校の校長も務める、レプラトーニエ。
彼はよく、生徒たちを屋外に連れ出した。
「みんな、よく見ておくがいい。
この世に普遍的なデザインがあるとすれば、それは、この大自然だ。
創造の源は、机の上にはない。
この空、木々、山の稜線、草花たちにあるんだ」
そして、ある教会の前にやってきて、こう言った。
「建築は、あらゆる芸術の母である」
絶望のどん底にいたコルビュジエの心に、この言葉が響いた。
それは深海にかすかに降りて来た、ひとすじの光に思えた。
モダニズム建築の巨匠、ル・コルビュジエを、早くから見出した教師、シャルル・レプラトーニエ。
彼はコルビュジエに、スケッチすることを執拗に教えた。
木の葉っぱの葉脈、花びら、湖に拡がる波紋。
自然界がデザインの宝庫であることを徹底的に叩き込む。
「いいかい、デザインだけじゃない、あの大きな樹を見てごらん。
なぜあの樹が激しい風にも倒れないか、そして、あっちの岩、どうしてあの岩は崩れないのか。
長い時間に耐えられるものには、ちゃんと理由があるんだ。
その理由を知ること。
自然からの贈り物をちゃんと受け取るようにしよう」
コルビュジエは、レプラトーニエの教えに応え、建築の奥深さ、楽しさを知っていった。
17歳のとき、地元の建築家、ルネ・シャパラのもと、コルビュジエは初めて、一軒の住宅を設計する。
森の斜面に立つ木造建築「ファレ邸」。
伝統的な建築様式を踏襲しつつ、コルビュジエは、南側の壁面を、まるで時計の文字盤のようなレリーフで装飾した。
木々の葉、雪の結晶を思わせる造形。
森の中に浮かんだ、珠玉の芸術作品が完成した。
やってみて、初めて納得する。
「そうだ、建築は、あらゆる芸術の母だ」
©Florian Monheim/Alamy/amanaimages
誰もが、コルビュジエは、建築を学ぶため、大学に進学すると思った。
恩師も大学、もしくは専門学校で建築を学び、修士課程を経て、学士の称号を得るべきだと考えた。
そのほうが仕事が舞い込んでくる。
名が知れる。
人脈が拡がり、独立して事務所を構えることができる。
しかし、まわりの期待や助言を無視して、コルビュジエは進学しなかった。
彼は「ファレ邸」を設計したとき、知ってしまった。
建築が芸術であるならば、誰かの造った道を歩くわけにはいかない。
誰も歩まなかった道を進まない限り、唯一無二にはなれない。
コルビュジエは、大学に進む代わりに、旅をした。
アルバイトをしながらお金を貯め、実現した、3度の大旅行。
ウィーン、フィレンツェ、パリ、ミュンヘン、トルコ、ギリシャ。
スケッチをして、建造物の基本を独学で学ぶ。
その土地には、その土地にふさわしい建築がある。
湿度、陽の光の加減、人々の暮らし。
細かく見ることで、彼は、最良で最高の建築を求めた。
それは茨の道だった。
仕事はなく、貧しい日々が続く。
それでも彼は、信念を曲げなかった。
自分の人生は、自分だけのもの。
誰かの真似をして生きても仕方がない。
そうして彼は、世界が認める巨匠になった。
「建築家は常に、新しい言葉を使うべきです。
私にとって新しい言葉を導くもの。
それはただひとつ、まずは、行動すること。
それしかありません」
ル・コルビュジエ
【ON AIR LIST】
window / くるり
THIS IS OUR HOME / Nitin Sawhney
交響曲第2番 ~Alles ist Architektur~すべては建築である Ⅲ. 建築は光のもとで繰り広げられる、巧みで正確で壮麗なボリュームの戯れである(ル・コルビュジエ) / 菅野祐悟(作曲)、関西フィルハーモニー管弦楽団、藤岡幸夫(指揮)
DOMINO / Van Morrison