yes!~明日への便り~presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

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第425話 納得がいくまで前に進まない
-【絵画の世界に革命をもたらしたレジェンド篇】レオナルド・ダ・ヴィンチ-

[2023.10.21]

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©Stock Italia/Alamy/amanaimages


イタリア、ルネッサンス期に活躍し、「万能の天才」と謳われたレジェンドがいます。
レオナルド・ダ・ヴィンチ。
彼の名は世界に轟いていますが、『モナ・リザ』や『最後の晩餐』を画いた画家だということ以外、いったい何をやった偉人なのか、彼について知っているひとは、それほど多くないかもしれません。
画家のほかに、解剖学者、物理学者、発明家、建築、音楽、天文学、飛行機の航空力学や軍事技師、さらには式典の舞台芸術や演出まで、彼の肩書や実績は、枚挙にいとまがありません。
そもそも、彼の名は「ヴィンチ村のレオナルド」という意味で、近年では、彼をダ・ヴィンチと呼ぶより、レオナルドと呼ぶ風潮が本流です。
つまり、彼には苗字がなかった。
というのも、彼の父は裕福な公証人で、母は不倫関係にあった年若い農家の娘。
つまり、私生児だったのです。
レオナルドは、満足に学校に通うこともなく、あらゆるジャンルの学問を全て独学でおさめました。
彼は生涯に、絵画をたったの16点しか画いていませんが、膨大な手記、日記、覚書を残しています。
彼は、疑問をすぐさまメモし、それを調べ、解決したら、やはり文書にしたためる、という一連の作業を己のルーティンにしていました。
しかも残された遺稿のほとんどが、鏡文字。
鏡文字とは、書いた字を鏡に写して初めて読める文字のことです。
なぜ、そんな面倒なことをしたのか。
レオナルドは左利きだったので、そのほうが書きやすかった、当時は特許がなく、自分の発見や発明を盗まれないため、など、所説ありますが、真相はわかっていません。
レオナルドの特徴のひとつに、異常なまでに完璧主義者だった、というのがあります。
細部にこだわりすぎて、とにかく作品が完成しない。
そのため、30歳になる頃まで、生活は貧しく、彼に仕事を発注するスポンサーは減っていったのです。
それでも彼は、自分の流儀を変えませんでした。
のちに残る作品になると知っていたからこそ、自分が納得するまで手を入れたかったのです。
世界で最も有名な芸術家のひとり、レオナルド・ダ・ヴィンチが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?

レオナルド・ダ・ヴィンチは、1452年4月15日、フィレンツェ共和国ヴィンチ村に生まれた。
生まれて間もない記憶を、彼は鏡文字で残した。
「ボクは…ゆりかごでスヤスヤ眠っていた。
すると、いきなり、窓に、ワシだかタカだか、恐ろしい鳥がやってきたんだ。
そいつはボクに近づくと、尾っぽでボクの口をこじあけ、ぐいぐいと尾っぽを喉の奥に入れようとするんだ」

もうひとつの思い出は、こんな話だ。
幼いレオナルドは、ひとりで山の中を歩いている。
洞窟が見えた。入り口は暗く、怖い。
でも、中には何があるのか、どんな生き物がいるのか、知りたい。
勇気をふり絞り、洞窟の中に入っていく。
不思議なことに、洞窟の内部がどんなふうだったのか、そのあとのことは、何も覚えていなかった。
ただ、怖かったこと。
それでも、一歩前に足を踏み入れたときの感触だけは、鮮明に記憶していた。

レオナルドは、子どもの頃から好奇心旺盛だった。
一緒に暮らしていた祖父は、不憫な境遇に同情してか、我が孫を心底、可愛がったが、孫の質問攻めには辟易した。
「ねえ、どうして? なんで?」を一日に何十回も繰り返される。
書物を与え、読み書きを教え、自分で解決することの素晴らしさを説いた。
ある日、レオナルドは、鏡に写った文字を見る。
「あれ? なんだこれ…鏡に写ったときにハッキリ読める文字は、どう書いたらいいんだろう…」
鏡文字に出会った瞬間だった。

©Classic Image/Alamy/amanaimages

レオナルド・ダ・ヴィンチは、幼い頃から絵を画くのが好きだった。
ただ、おおざっぱに描くのが苦手。
細部にこだわった。
馬を画かせれば、たてがみの毛を一本ずつ丁寧に描いた。
息子の才能を早くに見抜いた父は、レオナルドが14歳の時に、フィレンツェで最も有名な芸術家、アンドレア・デル・ヴェロッキオに預けることにした。
ヴェロッキオは、彫刻家で画家である以上に、起業家。
弟子たちをうまく使い、たくさんの仕事をこなす経営者でもあった。
レオナルドの才能には、いち早く気づいていた。
『キリストの洗礼』という大作。
キリストなど主要人物は、ヴェロッキオ本人が受け持ち、左脇の天使は、レオナルドに担当させた。
天使の絵は、難しい。
どこまでやれるか、お手並み拝見、そんな思いで、ヴェロッキオはレオナルドの仕事ぶりを見た。
驚いた。驚愕で体がふるえる。
振り向く天使の首の描写、衣服の陰影、表情の豊かさ。
師匠は、弟子に敗北を感じた。
その絵で共作して以来、ヴェロッキオは、二度と絵を画かなかったと言われている。

©World History Archive/Alamy/amanaimages

レオナルド・ダ・ヴィンチは、フィレンツェでは、誰もが認める天才画家として有名になった。
20歳のとき、親方からマイスターの称号を与えられ、独立が許される。
ただ、彼は極度の人見知り。
誰かと話している時間がもったいない。
ひとに気を使い、へつらい、可笑しくもないのに笑う場所が、苦手だった。
孤独を愛する。
ひとりは、心地よかった。

彼は、鏡文字でつづった。
「もしあなたがひとりきりなら、全ての世界があなたのものだ。
手放してはいけない。
あなたは、ひとりきりを手放してはいけない」
レオナルドは、思った。
人付き合いができなくて、世に出ることがかなわないならば、仕方がない。
自分の力がそれまでだったということだ。
そう開き直ると、人生は明るくなった。
ただ、絵に対するこだわりがとてつもない。
せっかく譲ってくれた壁画の仕事も、完成することができず、クビになる。
お金は入らず、貧乏だった。
「それでも妥協はしたくない。
これを、何十年、いや、何百年先の誰かが見たことを想像する。
ダメだ、まだまだこんなんじゃダメだ。
もしも自分に納得できないものを世に出してしまったら、ボクはきっと、恐ろしいワシに襲われる。
暗い洞窟に閉じ込められる。
全ての基準は、自分しか決められない」

なぜ、『モナ・リザ』というあんな小さな絵を見るために、世界中からひとが押し寄せるのか。
ひとつの作品に妥協しなかった彼の思いが、人々をひきつけるのかもしれない。

「画家の心は、鏡に似ている。
鏡はつねに、自分が持っているものに変り、自分の前に置かれるものに満足できないのであれば、己が変わるしかないのだ」
レオナルド・ダ・ヴィンチ

【ON AIR LIST】
パーフェクト / フェアーグラウンド・アトラクション
ふしぎな気持ち / ジリオラ・チンクェッティ
モナ・リザ / ドゥニ・レザン・ダドル&ドゥース・メモワール(演奏)
モナ・リザ / ナット・キング・コール

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