第390話 夢とロマンに生きる
-【島根篇】実業家 足立全康-
[2023.02.18]
Podcast
島根県安来市出身の、世界にその名をとどろかせる日本庭園をつくった、実業家がいます。
足立全康(あだち・ぜんこう)。
昨年末、あるニュースが世界中に配信されました。
「島根県安来市の足立美術館が、アメリカの専門誌による日本庭園ランキングで、なんと20年連続の1位に選ばれる!」
『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』でも三ツ星と掲載された、この庭園をつくったのが、足立全康です。
およそ17万平方メートル、5万坪の敷地に植えられた、赤松、黒松、サツキやモミジたち。
そして、枯山水や苔の庭、全康が敬愛してやまない横山大観の絵をモチーフにした、白砂青松の庭など、四季折々の景色は、連日、多くの観光客の五感を刺激し、その目を楽しませています。
「庭園もまた一幅の絵画である」と唱えた全康の思いが、草木一本まで沁みわたっているのです。
庭園もさることながら、展示された日本画や、北大路魯山人(きたおおじ・ろさんじん)のコレクションも、圧巻です。
これだけの美術館をつくった男は、生まれながらの大富豪だったのでしょうか?
全康は、安来の農家出身。
子どもの頃は劣等生だったと言います。
夢とロマンを持ち続けて、彼が『足立美術館』に着手したのは、1968年、69歳のときでした。
開館は、2年後の1970年。
およそ10年あまり、入館者は伸び悩み、閑散とした館内をひとり歩く全康の姿がありました。
それでも、365日、1日たりとも庭園の手入れを怠らず、大好きなふるさと・安来にどうやったらひとが来てくれるかを考え続けたのです。
全康は、人間には3つのタイプがあると言っていました。
用心深く、なかなか腰をあげないタイプ、行動しながら考えようとする現実主義タイプ。
そして、やってみないことにはわからない、まずは動いてみて、あとから善後策を講じるタイプ。
彼は3番目の、いきなり走り出すタイプでした。
だからこそ、挫折も経験する、でも、それゆえ足腰が強くなる。
彼は、いかにして日本一の庭園をつくることができたのでしょうか?
明治・大正・昭和を生き抜いたレジェンド。足立全康が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
『足立美術館』の創設者・足立全康は、1899年2月8日、現在の島根県安来市に生まれた。
家は、小作農。
尋常小学校には、あぜ道を素足にわらじで通った。
きょうだいは、みんな勉強ができるのに、落ちこぼれ。
学校に行くのが嫌だった。
毎朝、学校に行きなさい!という親に尻をたたかれ、仕方なく登校。
性格はおとなしく、同級生から馬鹿にされても、言い返せない。
劣等感に苛まれる日々が続いた。
ただ、絵を画くことだけは、好きだった。
ときどき、先生にほめられ、教室に貼りだされる。
うれしかった。
夢中で絵を画くときだけが、ダメな自分を忘れることができた。
ある時、どうしても欲しい、絵の手本書を見つけた。
買いたい、買ってほしい。
でも、きっと父親は反対するに違いない。
同居する祖父の財布から、そっと15銭、抜き取ってしまった。
祖父が、ワラ仕事をして自分の酒代のために貯めていたものだった。
祖父は、「誰か、知らんか? わしのお金」と言った。
全康と目が合う。
一瞬で、祖父は悟った。
でも、何も言わなかった。
絵の手本書を見るたび、心が痛む。
もう二度と、内緒でお金を抜き取ったりしないと誓った。
それは、小学6年生のときだった。
家から歩いて2時間ほどの橋のたもとにある、雲樹寺という古刹に入った。
裏山に枯山水の庭があった。
見た瞬間、「いい庭だなあ」と思う。
思えば父は植木いじりが好きで、狭い庭に山からとってきた、松やカエデを植えていた。
その日を境に全康は、自宅の庭に興味を持つようになった。
夢やロマンの大木は、多くの場合、幼い頃に芽吹いている。
足立全康は、小学校を卒業すると、農作業を手伝った。
1日中、腰をかがめての仕事はきつかったが、学校の勉強よりいいなと思う。
父は真面目で几帳面。
他の田畑に比べると、圧倒的に効率が悪い。
朝早くから夜遅くまで働き詰め。
収穫はそれに比例しなかった。
全康は、子ども心に工夫をこらし、能率第一で動く。
「おまえのやりかたは、おおざっぱでいかん!」と父に言われて、喧嘩になった。
全康は、思う。
「農作業だけをやっていては、この貧乏から逃れることはできない」
14歳のとき、農閑期に、大八車を引いて木炭を売り歩く商売を始めた。
木炭小屋から海辺の小売店まで、1日10キロ以上のデコボコ道を5時間かけて運ぶ。
12月の風は冷たく、あかぎれとしもやけ。
つらい。苦しい。それでも、日当の30銭は有難かった。
仲のいい友だちの家は裕福で、馬を使っていた。
売り上げは倍以上。悔しかった。
マメがつぶれて血だらけになったわらじを見て、涙がこぼれた。
「このままでは…終われない」
足立全康は、小売りを思い付く。
木炭を運びながら、自分で仕入れた炭を近在の家々に売り歩けば、売り上げが稼げるのではないか。
「若いのに感心だ! 働き者だ」とほめられて、うれしかった。
ほめられると、頑張れる。
小学生のとき、絵をほめてくれた先生の顔を思い出した。
炭を売る商売から、多くを学ぶ。
ひとに信頼してもらう大切さ。
もうけばかりを優先すると、先細るという怖さ。
効率と奉仕の精神。
誰かを幸せにしたいと願う心こそ、全ての基本だと思った。
一方で、「人間は、命をかけて物事に取り組めば、どんなことでもやれる」という自信もついた。
商いで成功すると、大好きだった絵と庭への思いがあふれる。
幼い頃から、さんざん苦労して育ったふるさとに、恩返しがしたい。
未来を担う若いひとたちに、生きた絵を、素晴らしい庭をプレゼントしたい。
そんな夢とロマンが、彼を突き動かす。
もしかしたら、足立全康は、幼い日の自分に見せたかったのかもしれない。
あかぎれだらけの手に、ふーふーと息をふきかける泥だらけの自分に、「大丈夫、夢を見ることを忘れなければ、キミはきっと願いをかなえるよ」と伝えるために。
【ON AIR LIST】
SEND ONE YOUR LOVE / STEVIE WONDER
睡蓮 / GONTITI
ART MUSEUM / 辛島文雄(ピアノ)
NEVER CRY BUTTERFLY / 竹内まりや
★今回の撮影は、「足立美術館」様にご協力いただきました。ありがとうございました。
営業時間、アクセスなど、詳しくは公式HPにてご確認ください。
足立美術館 HP
《近日公開予定の特別展》 ※2023年2月現在
「名画の感触 絵を見て感じる手ざわり」
会期:2022年12月1日~2023年2月28日
詳しくはこちら
「メモリアル 節目を迎えた日本画家たち」
会期:2023年3月1日~5月31日
詳しくはこちら
足立全康(あだち・ぜんこう)。
昨年末、あるニュースが世界中に配信されました。
「島根県安来市の足立美術館が、アメリカの専門誌による日本庭園ランキングで、なんと20年連続の1位に選ばれる!」
『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』でも三ツ星と掲載された、この庭園をつくったのが、足立全康です。
およそ17万平方メートル、5万坪の敷地に植えられた、赤松、黒松、サツキやモミジたち。
そして、枯山水や苔の庭、全康が敬愛してやまない横山大観の絵をモチーフにした、白砂青松の庭など、四季折々の景色は、連日、多くの観光客の五感を刺激し、その目を楽しませています。
「庭園もまた一幅の絵画である」と唱えた全康の思いが、草木一本まで沁みわたっているのです。
庭園もさることながら、展示された日本画や、北大路魯山人(きたおおじ・ろさんじん)のコレクションも、圧巻です。
これだけの美術館をつくった男は、生まれながらの大富豪だったのでしょうか?
全康は、安来の農家出身。
子どもの頃は劣等生だったと言います。
夢とロマンを持ち続けて、彼が『足立美術館』に着手したのは、1968年、69歳のときでした。
開館は、2年後の1970年。
およそ10年あまり、入館者は伸び悩み、閑散とした館内をひとり歩く全康の姿がありました。
それでも、365日、1日たりとも庭園の手入れを怠らず、大好きなふるさと・安来にどうやったらひとが来てくれるかを考え続けたのです。
全康は、人間には3つのタイプがあると言っていました。
用心深く、なかなか腰をあげないタイプ、行動しながら考えようとする現実主義タイプ。
そして、やってみないことにはわからない、まずは動いてみて、あとから善後策を講じるタイプ。
彼は3番目の、いきなり走り出すタイプでした。
だからこそ、挫折も経験する、でも、それゆえ足腰が強くなる。
彼は、いかにして日本一の庭園をつくることができたのでしょうか?
明治・大正・昭和を生き抜いたレジェンド。足立全康が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
『足立美術館』の創設者・足立全康は、1899年2月8日、現在の島根県安来市に生まれた。
家は、小作農。
尋常小学校には、あぜ道を素足にわらじで通った。
きょうだいは、みんな勉強ができるのに、落ちこぼれ。
学校に行くのが嫌だった。
毎朝、学校に行きなさい!という親に尻をたたかれ、仕方なく登校。
性格はおとなしく、同級生から馬鹿にされても、言い返せない。
劣等感に苛まれる日々が続いた。
ただ、絵を画くことだけは、好きだった。
ときどき、先生にほめられ、教室に貼りだされる。
うれしかった。
夢中で絵を画くときだけが、ダメな自分を忘れることができた。
ある時、どうしても欲しい、絵の手本書を見つけた。
買いたい、買ってほしい。
でも、きっと父親は反対するに違いない。
同居する祖父の財布から、そっと15銭、抜き取ってしまった。
祖父が、ワラ仕事をして自分の酒代のために貯めていたものだった。
祖父は、「誰か、知らんか? わしのお金」と言った。
全康と目が合う。
一瞬で、祖父は悟った。
でも、何も言わなかった。
絵の手本書を見るたび、心が痛む。
もう二度と、内緒でお金を抜き取ったりしないと誓った。
それは、小学6年生のときだった。
家から歩いて2時間ほどの橋のたもとにある、雲樹寺という古刹に入った。
裏山に枯山水の庭があった。
見た瞬間、「いい庭だなあ」と思う。
思えば父は植木いじりが好きで、狭い庭に山からとってきた、松やカエデを植えていた。
その日を境に全康は、自宅の庭に興味を持つようになった。
夢やロマンの大木は、多くの場合、幼い頃に芽吹いている。
足立全康は、小学校を卒業すると、農作業を手伝った。
1日中、腰をかがめての仕事はきつかったが、学校の勉強よりいいなと思う。
父は真面目で几帳面。
他の田畑に比べると、圧倒的に効率が悪い。
朝早くから夜遅くまで働き詰め。
収穫はそれに比例しなかった。
全康は、子ども心に工夫をこらし、能率第一で動く。
「おまえのやりかたは、おおざっぱでいかん!」と父に言われて、喧嘩になった。
全康は、思う。
「農作業だけをやっていては、この貧乏から逃れることはできない」
14歳のとき、農閑期に、大八車を引いて木炭を売り歩く商売を始めた。
木炭小屋から海辺の小売店まで、1日10キロ以上のデコボコ道を5時間かけて運ぶ。
12月の風は冷たく、あかぎれとしもやけ。
つらい。苦しい。それでも、日当の30銭は有難かった。
仲のいい友だちの家は裕福で、馬を使っていた。
売り上げは倍以上。悔しかった。
マメがつぶれて血だらけになったわらじを見て、涙がこぼれた。
「このままでは…終われない」
足立全康は、小売りを思い付く。
木炭を運びながら、自分で仕入れた炭を近在の家々に売り歩けば、売り上げが稼げるのではないか。
「若いのに感心だ! 働き者だ」とほめられて、うれしかった。
ほめられると、頑張れる。
小学生のとき、絵をほめてくれた先生の顔を思い出した。
炭を売る商売から、多くを学ぶ。
ひとに信頼してもらう大切さ。
もうけばかりを優先すると、先細るという怖さ。
効率と奉仕の精神。
誰かを幸せにしたいと願う心こそ、全ての基本だと思った。
一方で、「人間は、命をかけて物事に取り組めば、どんなことでもやれる」という自信もついた。
商いで成功すると、大好きだった絵と庭への思いがあふれる。
幼い頃から、さんざん苦労して育ったふるさとに、恩返しがしたい。
未来を担う若いひとたちに、生きた絵を、素晴らしい庭をプレゼントしたい。
そんな夢とロマンが、彼を突き動かす。
もしかしたら、足立全康は、幼い日の自分に見せたかったのかもしれない。
あかぎれだらけの手に、ふーふーと息をふきかける泥だらけの自分に、「大丈夫、夢を見ることを忘れなければ、キミはきっと願いをかなえるよ」と伝えるために。
【ON AIR LIST】
SEND ONE YOUR LOVE / STEVIE WONDER
睡蓮 / GONTITI
ART MUSEUM / 辛島文雄(ピアノ)
NEVER CRY BUTTERFLY / 竹内まりや
★今回の撮影は、「足立美術館」様にご協力いただきました。ありがとうございました。
営業時間、アクセスなど、詳しくは公式HPにてご確認ください。
足立美術館 HP
《近日公開予定の特別展》 ※2023年2月現在
「名画の感触 絵を見て感じる手ざわり」
会期:2022年12月1日~2023年2月28日
詳しくはこちら
「メモリアル 節目を迎えた日本画家たち」
会期:2023年3月1日~5月31日
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