yes!~明日への便り~presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

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ストーリー

第395話 他人と違う自分を大切にする
-【福島篇】作家 横光利一-

[2023.03.25]

Podcast 

志賀直哉と共に「小説の神様」と呼ばれる、福島県生まれの文豪がいます。
横光利一(よこみつ・りいち)。
小説家の辻邦生(つじ・くにお)は、文章修業時代に、名立たる先人の作家の中で、唯一、横光の文体だけを模写して学んだと言います。
戦時中の戦争協力を非難され、一時、文壇から排除される運命にさらされましたが、のちに再評価運動が勃発。
特に『機械』は、新感覚派の小説として、今も多くの文人の心をとらえています。
それにしても、同時代の川端康成や、菊池寛、芥川龍之介に比べ、圧倒的に知名度が低いのは何故なのでしょうか?
そこには、おそらく、横光の「他のひとと違う己を大切にする」という信条があったからかもしれません。
彼は決してひとを信用せず、己の心を見せることもせず、ひたすら孤独の中にいました。
「理解できないやつは、理解しなくていい…」
そんなつぶやきが、彼の創作活動の原点だったのです。
早稲田大学英文科の同窓生、作家の村松友視(むらまつ・ともみ)の祖父、村松梢風(むらまつ・しょうふう)によれば、横光は、いつも和服に黒マント。
授業に出ても、瞑想してノートもとらない。
獅子がたてがみを振るように、長い髪をぶるっとゆさぶり、左右をにらみながら、右手で髪をかきあげたと証言しています。
その姿は、異様。
自分はおまえらと違うんだという自意識に、周囲の学生は扱いに困っていたそうです。
その背景には、横光の幼少期の体験があるのかもしれません。
父は鉄道工事の技術者。
おびただしい転勤に、家族は振り回されます。
横光も、福島を皮きりに、千葉県の佐倉市、東京の赤坂、山梨、三重、広島、滋賀と、各地を転々としたのです。
途中で友だちをつくるのは、諦めました。
どこにいっても、ひとり。
どうせ、ひとり。
だったら、ひとと違う自分を大切にしよう、どうせ、誰も大切にしてくれないのだから。
絶えず貧困にあえぎ、49歳で生涯を終えた孤高の作家・横光利一が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?



文豪・横光利一は、1898年3月17日、福島県北会津郡、現在の会津若松市に生まれた。
父は、鉄道工事の設計技師。
利一は、両親が宿泊していた宿で生まれた。
母は、三重県の出身。遠縁に松尾芭蕉がいた。
利一は、のちに父の性格をこう書いた。
「一族の宿命にひそむ旅人の性格」
母と出会ったのも、旅の途中。
とにかく全国を転々とし、各地の鉄道にかかわることが誇りだった。
技師としての腕もよく「鉄道の父」と言われることもあったという。
利一の最初の記憶は、東京・赤坂。
姉と共に踊りを習うなど、最も羽振りが良かった時代。
ただ、どの町にいても、落ち着かない。
滋賀県大津市の小学校に入学してすぐ、日露戦争が始まる。
父は、軍事鉄道建設の要員として、朝鮮半島に派遣されることになった。
利一は、母の実家の三重県伊賀市柘植に移り住む。
ここで4年間という、彼にとっては長い時間を過ごす。
言葉や服装の違いから、いじめられた。
さらに母も病にかかる。
孤独と不安。
最も甘えたいさかりに、頼るものはいなかった。
落ち着かない暮らしの果ての、絶望的な孤立。
作家の自我は、こうして形成されていった。
「結局、人間なんてものは、ひとりきりなんだ」

志賀直哉と並び称される文豪・横光利一は、中学で再び、滋賀県大津市に戻る。
一心不乱に、勉学とスポーツにいそしむ。
それはまるで、自らの存在証明を、自分だけの力で成し遂げるようだった。
庭に柿の木があり、その木にのぼって勉強すれば、誰にも負けないと自己暗示をかける。
木の上で、本もたくさん読んだ。
地面から少しでも高くあがれば、それだけで、自分が特別な人間になったような気がした。
姉が嫁ぎ、父が姫路に転勤になると知らされたとき、利一は、もう転校は嫌だと、初めてわがままを言った。
知り合いの家で、下宿生活をおくる。
もはや独りは哀しくなかった。
野球や柔道で、まわりを圧倒する。
国語ではその文才で教師にも一目おかれた。
自分で自分を高めるしか、この世に生きていける方法はない。
そんな覚悟が努力の背中を押す。
それが行き過ぎて、戦闘意識が強くなり、時に同級生に攻撃的になった。
弁論大会では、まわりをねじ伏せ、柔道でも勝ったあと、雄たけびをあげた。
素行は粗野になり、服装も乱れていく。
常に一番でないと気がすまない。
友だちは、できなかった。
でも、利一は、むしろ孤独ではなかった。
「どうせ、ひとりで生まれてひとりで死んでいくんだ。
友だちなんか、いらない」

作家・横光利一は、親の反対を押し切って、現在の京都大学工学部ではなく、早稲田の英文科に進む。
文学だけが心のよりどころだった。
ドストエフスキーに傾倒。
孤独な自分が共感できる作品を探し回った。
この時期、愛するひとの死や、友だちと思った人の裏切りを体験。
ますます、厭世観をつのらせる。
そんな彼を救ったのは、二人の作家だった。
ひとりは、経済的にも彼を援助し続けた、菊池寛。
もうひとりは、川端康成。
父を亡くして、貧困生活に入っていた横光を、菊池寛は、励まし、支えた。
川端を紹介したのも、菊池だった。
川端康成は、最初に会ったときの横光の眼光の鋭さを覚えている。
「来るならかかってこい!」といわんばかりの気迫。
まわりの作家志望の仲間とは、一線を画していた。
誰も信じないと決めた野犬のような横光も、菊池の包容力と、川端の優しさの前に、頭をたれる。
ただ、自分で自分の存在を守るという覚悟だけは、生涯、変わらなかった。
横光利一が49歳でこの世を去ったとき、川端康成は、弔辞を詠んだ。
「国破れて、このかた ひとしお木枯らしに吹きさらされる僕の骨は、君というあたたかい支えさえ奪われて、寒天に砕けるようである」
文学がつないだ二人の友情は、永遠に消えることはなかった。

【ON AIR LIST】
LONELY BOY / THE BLACK KEYS
ONE / THREE DOG NIGHT
孤独な太陽 / エレファントカシマシ

★今回の撮影は、「会津東山温泉 くつろぎ宿 新滝」様にご協力いただきました。ありがとうございました。
宿泊予約など、詳しくは公式HPにてご確認ください。
会津東山温泉 くつろぎ宿 新滝 HP

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