第396話 常に挑戦する心を忘れない
-【音楽家のレジェンド篇】エンニオ・モリコーネ-
[2023.04.01]
Podcast
2020年に91歳でこの世を去った、映画音楽の巨匠がいます。
エンニオ・モリコーネ。
モリコーネの名前を知らなくても、この音楽は聴いたことがあるかもしれません。
『ニュー・シネマ・パラダイス』
1988年公開の映画『ニュー・シネマ・パラダイス』。
世界中の映画ファンの涙をさそった名作は、この音楽なしには考えられません。
当時、30歳になったばかりの無名だった映画監督、ジュゼッペ・トルナトーレは、無謀にも、すでにマエストロと呼ばれていたモリコーネに音楽のオファーをします。
最初は忙しさのあまり断ったモリコーネでしたが、脚本を読んで、「よし、わかった、やりましょう」とOKを出したのです。
トルナトーレは、新人の自分にも公平に、ごくごくフツウに接してくれるモリコーネに感動したと言います。
「彼の頭の中には、常に映像が沸き起こり、登場人物たちの心の流れが見えているのです」
映画は大ヒット。
アカデミー外国語映画賞や、カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリを受賞しました。
先ごろ公開された『モリコーネ 映画が恋した音楽家』というドキュメンタリー映画は、トルナトーレがメガフォンをとり、ブルース・スプリングスティーン、クエンティン・タランティーノ、クリント・イーストウッドやクインシー・ジョーンズなど、モリコーネに影響を受けたアーティストたちが名前を連ねます。
父から教わったトランペットを吹いていた少年は、やがて、作曲の道に未来を見ます。
声をかけられた映画音楽の世界は、当時、ありものの音楽をあてはめる、ただの伴奏にしかすぎませんでした。
作曲を生業とする芸術家を望んでいたモリコーネにとって、映画音楽は、当初、命を賭けてまでやるものではなかったのです。
でも、彼は挑戦を続けることで、映画音楽を芸術の高みへと押し上げていきました。不断の、文字通り血のにじむ努力で。
映画音楽の新しい扉を開いたレジェンド、エンニオ・モリコーネが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
映画音楽の巨匠、エンニオ・モリコーネは、1928年11月10日、イタリア・ローマで生まれた。
父は、トランペット奏者。
パブやクラブの楽団に所属していた。
家にあふれる、たくさんの音楽。ジャズ、クラシック、ブルース。
父は、勉強より、息子にトランペットを学ぶことをすすめる。
「いいか、トランペットがうまくなるとなあ、トランペットを持ってるだけで、一生、家族を養っていけるんだ。なあ、すごいだろう。
勉強なんか、いいよ、何の役にも立たない、そんな暇があったら、練習しろ、いいな!」
父の言うとおり、朝も夜も練習に励む。
あまりの練習に、唇はひび割れ、常に血が出ていた。
学校で笑われた。
でも、最初は下手だったトランペットが、だんだんうまくなっていく。
うれしかった。
もう誰も笑わない。
学校の音楽祭で大きな拍手を浴びた。
うまくなると、欲が出る。音楽院に通いたいと願い出た。
父は、ときおり自分の代わりに楽団で吹いてくれる息子を満足げに眺め、OKを出した。
モリコーネは、見事、難関を突破。
ローマのサンタ・チェチーリア音楽院に入る。
この音楽院で、生涯の師匠となる、ゴッフレード・ペトラッシとの出会いが待っていた。
挑戦は、運を引き寄せる。
映画『ニュー・シネマ・パラダイス』の音楽で知られる作曲家、エンニオ・モリコーネは、ローマの名門、サンタ・チェチーリア音楽院に入学。
入って来た同級生たちとの格差に驚く。
音楽的な知識はもちろん、彼らの裕福な暮らしには、劣等感を覚えずにはいられなかった。
友だちからバカにされる。
悔しかった。いつか、見返してやりたい。
でも、自分には誇れるものが何もなかった。
モリコーネは家計を助けるため、夜はナイトクラブでトランペットを吹いた。
たくさんの宿題をこなしていると、朝になってしまう。
眠い目をこすりながら学校に行く。
授業中、居眠りをして叱られることが多かった。
でも、ある授業だけは真剣に聞いた。
それは、作曲技法。
先生は、ゴッフレード・ペトラッシ。
ペトラッシ先生が書いた楽譜を見て、ため息が出た。
美しい。
こんなに知的で、洗練された楽譜を見たことがなかった。
モリコーネは、作曲の魔法にとりつかれる。
すでにあるものではなく、今までなかったものをつくる。
五線譜に音符を置いたとき、体がふるえた。
「これだ! これがやりたかったことだ!」
一生を賭けて挑戦したいものを見つけたとき、努力が苦行ではなくなる。
アカデミー賞を受賞した作曲家、エンニオ・モリコーネは、音楽院時代、町の楽団でトランペットを吹いていた。
作曲を学ぶうちに、楽団でもいろんなことを試したくなる。
編曲し、編成を変えた。
同じことをただ繰り返しても、つまらない。
仕事において、慣れや守りが、最もリスクをまねくことを知った。
みんなと同じようにやっていれば、たいして努力はいらない。
でも、観客もリスナーも、飽きてくる。
やがて、ひとり去り、二人去り…
気がつくと、まわりに誰もいなくなっている。
安全な道は、危険な道。
いい仕事をするには、実験や挑戦の道も用意しておくべきだと思った。
映画音楽の仕事を請け負ったとき、師匠ペトラッシは、さげすむように言った。
「映画音楽? あれはね、これまでにある音楽をあてはめれば、それでいいんだよ。新しくつくる必要なんかない、だって伴奏だからね」
確かに現場では監督やプロデューサーと喧嘩になることも多かった。
「バッハのように、ヴェルディのようにって言うんなら、バッハやヴェルディを流せばいいじゃないですか!
僕は嫌です。自分で創ります。この世になかったメロディを紡ぎます。
その挑戦をさせてくれないなら、この仕事、おります!」
映画音楽を芸術に高めたマエストロ、エンニオ・モリコーネは、挑戦を繰り返すことで、おのれの人生を全うした。
【ON AIR LIST】
ニュー・シネマ・パラダイス(映画『ニュー・シネマ・パラダイス』) / エンニオ・モリコーネ
さすらいの口笛(映画『荒野の用心棒』) / エンニオ・モリコーネ
ウエスタンのテーマ(映画『ウエスタン』) / エンニオ・モリコーネ
ミッション(映画『ミッション』) / エンニオ・モリコーネ
HERE'S TO YOU(映画『死刑台のメロディ』) / エンニオ・モリコーネ、ジョーン・バエズ(歌)
エンニオ・モリコーネ。
モリコーネの名前を知らなくても、この音楽は聴いたことがあるかもしれません。
『ニュー・シネマ・パラダイス』
1988年公開の映画『ニュー・シネマ・パラダイス』。
世界中の映画ファンの涙をさそった名作は、この音楽なしには考えられません。
当時、30歳になったばかりの無名だった映画監督、ジュゼッペ・トルナトーレは、無謀にも、すでにマエストロと呼ばれていたモリコーネに音楽のオファーをします。
最初は忙しさのあまり断ったモリコーネでしたが、脚本を読んで、「よし、わかった、やりましょう」とOKを出したのです。
トルナトーレは、新人の自分にも公平に、ごくごくフツウに接してくれるモリコーネに感動したと言います。
「彼の頭の中には、常に映像が沸き起こり、登場人物たちの心の流れが見えているのです」
映画は大ヒット。
アカデミー外国語映画賞や、カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリを受賞しました。
先ごろ公開された『モリコーネ 映画が恋した音楽家』というドキュメンタリー映画は、トルナトーレがメガフォンをとり、ブルース・スプリングスティーン、クエンティン・タランティーノ、クリント・イーストウッドやクインシー・ジョーンズなど、モリコーネに影響を受けたアーティストたちが名前を連ねます。
父から教わったトランペットを吹いていた少年は、やがて、作曲の道に未来を見ます。
声をかけられた映画音楽の世界は、当時、ありものの音楽をあてはめる、ただの伴奏にしかすぎませんでした。
作曲を生業とする芸術家を望んでいたモリコーネにとって、映画音楽は、当初、命を賭けてまでやるものではなかったのです。
でも、彼は挑戦を続けることで、映画音楽を芸術の高みへと押し上げていきました。不断の、文字通り血のにじむ努力で。
映画音楽の新しい扉を開いたレジェンド、エンニオ・モリコーネが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
映画音楽の巨匠、エンニオ・モリコーネは、1928年11月10日、イタリア・ローマで生まれた。
父は、トランペット奏者。
パブやクラブの楽団に所属していた。
家にあふれる、たくさんの音楽。ジャズ、クラシック、ブルース。
父は、勉強より、息子にトランペットを学ぶことをすすめる。
「いいか、トランペットがうまくなるとなあ、トランペットを持ってるだけで、一生、家族を養っていけるんだ。なあ、すごいだろう。
勉強なんか、いいよ、何の役にも立たない、そんな暇があったら、練習しろ、いいな!」
父の言うとおり、朝も夜も練習に励む。
あまりの練習に、唇はひび割れ、常に血が出ていた。
学校で笑われた。
でも、最初は下手だったトランペットが、だんだんうまくなっていく。
うれしかった。
もう誰も笑わない。
学校の音楽祭で大きな拍手を浴びた。
うまくなると、欲が出る。音楽院に通いたいと願い出た。
父は、ときおり自分の代わりに楽団で吹いてくれる息子を満足げに眺め、OKを出した。
モリコーネは、見事、難関を突破。
ローマのサンタ・チェチーリア音楽院に入る。
この音楽院で、生涯の師匠となる、ゴッフレード・ペトラッシとの出会いが待っていた。
挑戦は、運を引き寄せる。
映画『ニュー・シネマ・パラダイス』の音楽で知られる作曲家、エンニオ・モリコーネは、ローマの名門、サンタ・チェチーリア音楽院に入学。
入って来た同級生たちとの格差に驚く。
音楽的な知識はもちろん、彼らの裕福な暮らしには、劣等感を覚えずにはいられなかった。
友だちからバカにされる。
悔しかった。いつか、見返してやりたい。
でも、自分には誇れるものが何もなかった。
モリコーネは家計を助けるため、夜はナイトクラブでトランペットを吹いた。
たくさんの宿題をこなしていると、朝になってしまう。
眠い目をこすりながら学校に行く。
授業中、居眠りをして叱られることが多かった。
でも、ある授業だけは真剣に聞いた。
それは、作曲技法。
先生は、ゴッフレード・ペトラッシ。
ペトラッシ先生が書いた楽譜を見て、ため息が出た。
美しい。
こんなに知的で、洗練された楽譜を見たことがなかった。
モリコーネは、作曲の魔法にとりつかれる。
すでにあるものではなく、今までなかったものをつくる。
五線譜に音符を置いたとき、体がふるえた。
「これだ! これがやりたかったことだ!」
一生を賭けて挑戦したいものを見つけたとき、努力が苦行ではなくなる。
アカデミー賞を受賞した作曲家、エンニオ・モリコーネは、音楽院時代、町の楽団でトランペットを吹いていた。
作曲を学ぶうちに、楽団でもいろんなことを試したくなる。
編曲し、編成を変えた。
同じことをただ繰り返しても、つまらない。
仕事において、慣れや守りが、最もリスクをまねくことを知った。
みんなと同じようにやっていれば、たいして努力はいらない。
でも、観客もリスナーも、飽きてくる。
やがて、ひとり去り、二人去り…
気がつくと、まわりに誰もいなくなっている。
安全な道は、危険な道。
いい仕事をするには、実験や挑戦の道も用意しておくべきだと思った。
映画音楽の仕事を請け負ったとき、師匠ペトラッシは、さげすむように言った。
「映画音楽? あれはね、これまでにある音楽をあてはめれば、それでいいんだよ。新しくつくる必要なんかない、だって伴奏だからね」
確かに現場では監督やプロデューサーと喧嘩になることも多かった。
「バッハのように、ヴェルディのようにって言うんなら、バッハやヴェルディを流せばいいじゃないですか!
僕は嫌です。自分で創ります。この世になかったメロディを紡ぎます。
その挑戦をさせてくれないなら、この仕事、おります!」
映画音楽を芸術に高めたマエストロ、エンニオ・モリコーネは、挑戦を繰り返すことで、おのれの人生を全うした。
【ON AIR LIST】
ニュー・シネマ・パラダイス(映画『ニュー・シネマ・パラダイス』) / エンニオ・モリコーネ
さすらいの口笛(映画『荒野の用心棒』) / エンニオ・モリコーネ
ウエスタンのテーマ(映画『ウエスタン』) / エンニオ・モリコーネ
ミッション(映画『ミッション』) / エンニオ・モリコーネ
HERE'S TO YOU(映画『死刑台のメロディ』) / エンニオ・モリコーネ、ジョーン・バエズ(歌)