yes!~明日への便り~presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

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第402話 微弱なる電流を強くせよ
-【今年周年のレジェンド篇】司馬遼太郎-

[2023.05.13]

Podcast 

今年生誕100年を迎える歴史小説家のレジェンドがいます。
司馬遼太郎(しば・りょうたろう)。
『竜馬がゆく』『坂の上の雲』『国盗り物語』などの歴史小説はもちろん、『この国のかたち』『街道をゆく』をはじめとする、随筆・紀行文でも、圧倒的な筆力・取材力で、国民的な作家として君臨しつづけています。
司馬は、「なぜ、小説を書いてきたのですか?」という問いに、こう答えていました。
「ことさら簡単に申しますと、私は二十二歳の自分にずっと手紙を書きつづけてきたような気がします」
司馬遼太郎が、22歳になったとき。
それは、昭和20年8月7日。
その8日後に、日本は降伏します。
「明治、大正を経て、日本人は、すっかり変わってしまった、日本人は、おのれの原点を見失ってしまった」
終戦後、そう確信した彼は、日本人の規範であった「武士道」を再認識したのです。
終戦間際。
栃木の佐野にあった戦車 第一連隊に所属していた司馬は、そのときのある体験を忘れることができません。
連隊の将校が少佐に尋ねました。
「少佐殿、我々の連隊は、敵が上陸すると同時に南下、敵を水際で撃退する任務を持っております。
しかしながら、東京都民が避難のため、北上することは必至。街道の大混雑が予想されます。
そんな中、我が戦車隊は、立ち往生してしまうと考えられます。
いかがいたしますか?」
少佐は、すぐさま、こう言ったのです。
「ひき殺して進め」
それを聞いていた司馬は、思いました。
「日本人のために闘っているはずの軍隊が、味方をひき殺す?
その論理はいったいどこから来るんだ?
おかしい、何かがおかしい!」
そのときの違和感が、一生、彼の創作の背後にあったのです。
日本人が、日本人であるために、何が必要か。
彼は、晩年、若者たちにこう言いました。
「いいですか、みなさん、自己を確立するのです。
そのために、みなさんひとりひとりの『微弱なる電流』を強くしてください」
唯一無二の世界を描き続けた大ベストセラー作家・司馬遼太郎が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?

作家・司馬遼太郎は、1923年8月7日、大阪に生まれた。
幼い頃から、やんちゃで無鉄砲。
学校が大嫌いだった。
母の実家あたりに古墳があり、弥生式土器のかけらを集めるのが好きだった。
大陸を縦横無尽に駆け巡る、馬賊に憧れた。
井伏鱒二の『岩田君のクロ』という小説を読み、読書にはまる。
町の図書館に朝から夕方までいて、片っ端から本を読んだ。
小説に留まらず、科学、歴史、生物学、釣りや将棋の本まで、手あたり次第。
中学を出て、大阪外国語学校に入学しても、図書館通いは続けられた。
ある日、本屋さんで、吉川英治の宮本武蔵全集を立ち読みしていたら、売り場のひとに「うちは図書館じゃないんだよ!」と文句を言われる。
司馬少年は「すみません、そのうち、ここらの本をまとめて買いますから、勘弁してください」と答えたという。
学校に行かず、図書館に通うことで、自分で調べることを学んだ。
以来、司馬の流儀は変わらない。
『坂の上の雲』を執筆の際は、神保町の古本街に軽トラックを横づけし、日露戦争の本を根こそぎ買ったという逸話が残っている。
同時期に、日露戦争を戯曲にしようと思って神保町を訪れた井上ひさしは、一冊も資料の本を買えなかった。
「司馬遼太郎が連載を始めると、本屋から本がなくなる!」
逸話は、伝説になった。

司馬遼太郎は、独学、自分ひとりで調べる、という流儀を守り続けた。
それを補うのは、膨大な読書量。
そして、わからないことは、どんなにささいなことでも、少年のようにひとに尋ねた。
こんなことを聞いたら恥ずかしい、馬鹿にされる、などという考えは、微塵も持たない。
『坂の上の雲』という作品で、海軍士官を描くとき、どうにも気になることがあった。
商船、航空機の高級乗員が着る制服の袖のあたりには、金の筋がほどこされている。
あれには、どんな意味があるのか?
質問してまわる。
ひとりの元海軍大佐が、答えてくれた。
「あくまで、こういう説があるというものですが、イギリス海軍の草創期には、甲板士官が細いロープを腕に巻き付けるという習慣があったのです。非常時の対応のために。おそらく、その名残りでしょう」
司馬は、疑問が解け、すっきりした。
別にそれを小説に書くわけではない。
魂は細部に宿る。
袖の金筋の由来を知るだけで、登場人物たちが生き生きと動き出すことを知っていた。
「若きひとたちへ、もっと質問しなさい。
ささいなことに興味を持ちなさい。
そうすればきっと、あなたの魂が強くなる」

司馬遼太郎は、38歳までサラリーマンを続けた。
最後の肩書は、産経新聞社 出版局次長。
今から60年以上前に、会社という名の「電車」を降りる若者が増えることを予見していた。


ひとと同じレールに乗って走っていれば、人生が安泰、という時代が、やがて終わることを知っていた。
司馬は、『風塵抄』というエッセイに、こうしたためる。
「“電車”に乗らないというのは、依存しないということである。
そういう独立人のなかから深い思想がうまれてきたりすれば、未来の日本のために慶賀すべきことである」
自分の目で見て、自分の頭で考える。
そんな愚直な行為でしか、おのれの電流は強くできない。
子どものような素直な心で世界を見続けた歴史小説の大家は、終生、自分の電流を蓄電し、強くした。
そして彼は、若者に期待していた。
「ひとりであることを、恐れてはいけない。
まずは、自分の足で立ってください」

【ON AIR LIST】
FOREVER YOUNG / THE PRETENDERS
YOU CAN'T JUDGE A BOOK BY ITS COVER / BO DIDDLEY
STAND ALONE / 久石譲×森麻季(ドラマ『坂の上の雲』より)

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