yes!~明日への便り~presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

STORY

ストーリー

第406話 信念を貫く
-【今年周年のレジェンド篇】オードリー・ヘプバーン-

[2023.06.10]

Podcast 

今年、没後30年を迎えた、伝説の映画女優がいます。
オードリー・ヘプバーン。
彼女は、晩年の多くの時間を国際連合児童基金、ユニセフの仕事に費やし、親善大使としてアフリカ、南米、アジアを訪問。
恵まれない子どもたちのための援助活動を、積極的に行いました。
1992年に、アメリカ合衆国から大統領自由勲章を授与されましたが、そのわずか1か月後の1993年1月20日、病のため、スイスの自宅でこの世を去りました。
享年、63歳。
大女優の早すぎる死は、全世界に哀しみをもたらしました。

子供のころ、ナチス占領下のオランダで、迫りくる死の恐怖と飢餓状態に襲われた彼女は、ユニセフ親善大使を受けるとき、こんな発言をしています。
「わたくしの全人生は、このお仕事のためのリハーサルだったのです。
わたくしは、ようやく、この役を得ました!」

24歳のときに出演した『ローマの休日』で、アカデミー賞主演女優賞を受賞して以来、『麗しのサブリナ』『ティファニーで朝食を』など、立て続けにヒット作に恵まれ、美の象徴として、名実ともに大スターであり続けた彼女ですが、実は、容姿へのコンプレックスや、父を失ったトラウマなど、多くの苦しみの中にいました。
ユニセフの活動をしているときでさえ、こんな揶揄する言葉を受けました。
「あなたがしていることは、実際のところ、全く無意味なことなんですよ。
子どもたちの苦しみは、ずっと昔からあったし、今後も続いていくことでしょう。
オードリー、あなたは子どもを救うことで、彼らの苦しみをただ単に長引かせているだけなんです」
そう言われたオードリー・ヘプバーンは、静かに、こう返しました。
「なるほど、そうですか、じゃあ、あなたのお孫さんのことで話を考えてみましょう。
いいですか、お孫さんが肺炎になっても、決して抗生物質を使わないでください、お孫さんが事故にあっても、断じて、病院に連れて行かないでください」
オードリーは、自らの体験から、ある信念を持っていました。
その強い思いを、生涯、手放すことはありませんでした。
彼女が抱えた苦しみ、そして、揺るぎない信念とはなんだったのでしょうか。
ハリウッド黄金時代を支えた偉大なる女優、オードリー・ヘプバーンが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?

オードリー・ヘプバーンは、1929年5月4日、ベルギーのブリュッセルで生まれた。
同じ年のおよそ1か月後、ドイツで、ひとりの女の子が誕生する。
『アンネの日記』で知られる、アンネ・フランク。
二人は、数奇な運命に導かれるように、13歳のとき、同じようにナチス占領下のオランダで過ごした。
自らの爪を食べるほどの飢餓状態だったオードリーは、反ドイツのレジスタンス活動の資金集めのために、やせ細った体で、バレエを踊っていた。
同じころアンネは、おびえながら、地下で日記を書いていた。
オードリーは、駅で貨車に詰め込まれていくユダヤ人の姿を見た。
特に覚えているのが、ひとりの少年。
父親に着せられたのか、大きなサイズのコートを羽織り、青白い顔をしていた。
やがて列車の中に呑み込まれていく少年の姿を、ただ見送るしかなかった。
13歳の少女は、あまりに無力だった。
このときの体験は、生涯、彼女の心から消えることはなかった。
アンネ・フランクは強制収容所に送られ、15歳で亡くなった。
アンネは、日記に書いた。
「この太陽の光と、雲ひとつない青空を見ることができるだけで、私は幸せです」

オードリー・ヘプバーンの母は、オランダの貴族、ファン・ヘームストラ家に生まれた。
一方の父は、ボヘミア生まれのイギリス人。
ひとつの職を長く続けられない性格。さらにファシズムに傾倒。
熱烈に愛し合って結婚したが、夫婦になると、争いが絶えなかった。
母はしつけに厳しく、父はオードリーに優しかったので、幼い彼女は、父を慕っていた。
ところが、オードリー6歳の時、母の留守中に、突然、父が失踪。
何も告げぬまま、いなくなる。
ショックだった。彼女は自分が捨てられたと思う。
「私は、誰からも必要とされていない存在なんだ…」
その喪失感は、少女の心を蝕み、毎日、泣いた。
幼いオードリーの不安をさらに助長させるように、世界は、戦争に向かって走り始めていた。
母は子どもを連れて、一時オランダに戻るが、あまりにふさぎ込むオードリーを心配して、イギリスの女学校に入れる。
寄宿舎でも、他の子どもとうまくなじめない。
自分という人間に価値が見いだせない。
ただ、彼女は、そこで自分が夢中になれる唯一のものに出会う。
それは、バレエ。
バレリーナになることが、夢になった。
踊っているとき、初めて自分を好きになれた。

オードリー・ヘプバーンが、10歳のとき、第二次世界大戦が勃発。
オランダは中立国として安全だと母親は判断したが、翌年の1940年に、ドイツがオランダに侵攻。
オードリーというイギリス的な名前は危険だと思った母は、エッダという偽名にした。
とてつもない飢えが、街を飲み込む。
チューリップの球根を食べて、なんとか生き延びる。
ガリガリにやせ細っても、レジスタンス支援のため、バレエを踊った。
そこに、自分の存在価値を見出した。
みんなが拍手をくれる。ふらふらでも踊り続けた。
戦争が終結し、オランダが解放されたとき、ユニセフの前身、連合国救済復興機関から支援物資が届く。
オートミールを一気に食べて、吐いてしまう。
ただ、そのときのチョコレートの美味しさに、涙を流した。
脳裏に、あの少年の青白い顔が浮かんだ。
貨車に詰め込まれる、だぶだぶのコートを着た少年。
晩年、オードリーは、こんな言葉を残した。
「スターと呼ばれるようになった今でも、私には、ひとつの信念があります。
それは、私たちは、この世界に飢えと戦争を持ち込んではいけないということ。
この世界は、平凡な人間の、平凡な幸せのために存在し、存在し続けなくてはいけないということです」

【ON AIR LIST】
魅惑のワルツ / パーシー・フェイス・オーケストラ
ムーン・リヴァー / オードリー・ヘプバーン
ス・ワンダフル / フレッド・アステア&オードリー・ヘプバーン
トゥモロー / クインシー・ジョーンズ feat. テヴィン・キャンベル

STORY ARCHIVES

AuDee

音声を聴く

放送のアーカイブをAuDeeで配信中!
ぜひ、お聴きください!

MAIL

メール募集中

リスナーの皆様からのメッセージを募集しています。
番組のご感想、ご意見などをお寄せください。

メッセージを送る