第409話 自分が生まれてきた意味を知る
-【医学の発展に貢献したレジェンド篇】フローレンス・ナイチンゲール-
[2023.07.01]
Podcast
近代看護教育の母といわれる、イギリスのレジェンドがいます。
フローレンス・ナイチンゲール。
彼女の誕生日、5月12日は、国際看護師の日に制定されています。
看護の世界においてその名は世界中に轟いていますが、ナイチンゲールがいったい何をしたひとなのか、意外に知られていないのかもしれません。
しかも、今からおよそ200年前のイギリス社会に生きた彼女が、どれほどの苦労、苦悩を経験したかは、おそらく、安易に想像するのは難しいのではないかと思われます。
貧富の差。男女差別。女性に対する偏見。
何より病院における看護師の位置づけは、驚くほど低かったのです。
そもそも、当時、病院は富裕層にとって、決して行ってはいけないところ。
病気になれば、屋敷まで医者に来てもらうのが通例でした。
病院は、どこも汚く、暗く、運営もひどいものだったのです。
同じベッドに、二人の患者。
足を骨折したひとと、伝染病で余命いくばくもないひとが、重なるように寝ていました。
床は埃にまみれ、至る所にカビ。
マットレスやシーツは一度も洗濯されず、医者は手を洗わず、手術の際は、血だらけのうわっぱりを着るだけでした。
看護師に至っては、ほぼ小間使い。
ひとつの病棟にひとりしかいない看護師は、火をたき、食事を作り、患者の世話をするよりも、やらなければならないことが多すぎたのです。
朝5時から夜まで働き、中には昼間から酒を飲まないとやっていられない看護師も多かったと言います。
裕福な家庭に生まれたナイチンゲールは、初めて病院という場所に足を踏み入れたとき、愕然としました。
このありさまでは、この国は滅んでしまう…。
なぜ、ナイチンゲールが病院に関心を持ったのか。
それは、16歳の時に、自分の人生の意味を考えたからです。
自分には、一生を捧げるに値する仕事があるはずだ。
自分がこの世に生まれてきた意味が知りたい。
そして、できれば、その使命を全うしたい。
誰かの役に立ちたい!
たとえ、その先に、壮絶な苦難が待っていようとも…。
結婚もせず、裕福な地位も捨て、看護の道に一生を捧げた賢人、フローレンス・ナイチンゲールが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
フローレンス・ナイチンゲールは、1820年5月12日、トスカーナ大公国フィレンツェに生まれた。
フローレンスは、フィレンツェの英語読み。
両親の新婚旅行先での出産だった。
裕福な家庭。幼い頃から、英才教育を受ける。
英語以外に、フランス語、ギリシャ語、イタリア語、ラテン語を習得。
ギリシャ哲学を学び、数学や天文学、経済や歴史についても、大学レベルの学問を15歳までに叩き込まれた。
ナイチンゲールには、二つの性格が共存していた。
ひとつは、華やかで社交的な一面。
もうひとつは、秩序や規則を重んじ、深く繊細に物事をとらえ、整理する内省的な一面。
美しく、頭がよく、性格も優しい彼女は、姉よりも社交界で際立っていた。
16歳にして、親が定めた婚約者もあり、このまま家庭に入る日はそう遠くないと、誰もが思っていた。
そのころのイギリス上流界では、女性は結婚こそが生きる道。
炊事、家事、育児は、全て最下層の召使いの仕事で、妻がやるべきことは、着飾ってパーティに出かけ、同じような奥方たちとサロンに集うこと。
しかし、彼女は疑問に思う。
「16歳で、人生を決めてしまっていいんだろうか。
私は、他の誰とも違う、ただひとりの人間。
生まれてきた意味を知りたい。
一生のうちに何がやれるか、それがわかれば、私は、どんな苦労もいとわない!」
フローレンス・ナイチンゲールは、家族でヨーロッパ旅行をしても、気になるのは、戦争によって家を失い、食べるものもままならない人々の暮らし。
この世にある不平等や貧富の差に、いち早く目を向けていた。
貧しいひとたちに心を同化するあまり、考えすぎて苦しくなる。
「裕福な自分と、貧しく暮らすあのひとたち、人間として、いったい何が違うというんだろう…」
石畳の路地で、意識せず、足を踏み入れてしまった病院の風景が頭から離れない。
強烈な匂い、湿気、うめき声、ただ死を待つ患者たち…。
旅行から帰ると、ナイチンゲールは心身を病んでしまう。
心配した家族は、彼女をロンドンの親戚のもとに預ける。
華やかな社交界に身を置けば、きっと憂鬱な気分が吹き飛ぶと思った。
しかし、ナイチンゲールの絶望感は一層深まる。
彼女は家に引きこもり、ひたすら数学を学んだ。
必ず明確な答えが出る数学をやっているときだけ、心の秩序が保たれた。
心を押し殺して数年が経つ。
やがて24歳のとき、ついに彼女は自分を偽る生活を辞めようと思う。
「もう、自分の心に嘘はつきたくない!
私は、病院で働く。
病院で、患者さんのお世話をする!」
1844年、ナイチンゲール24歳の夏。
ひとりの医者が、家に滞在した。
アメリカの慈善家、サミュエル・ハウ。
ナイチンゲールは、彼に思い切って相談してみた。
「私のような人間が、看護師になれたりしますか?
どうしてもなりたいんです、看護師に!」
ハウ医師は、ナイチンゲールの真っすぐで澄んだ瞳を見た。
彼は、こう答えた。
「ご自分がいかに茨の道を歩くことになるか、どうやらあなたは、ご存知のようだ。
前例はありません。
多くの障壁があなたを拒むでしょう。
ですが…私は、あなたの選択を心から尊敬します。
やってごらんなさい、とことん進んでごらんなさい」
ナイチンゲールは、その場で泣き崩れた。
今まで閉じていた心の窓が、全て開く思いがした。
その後、彼女は、親に隠れ、勉強漬けの日々をおくる。
看護師になるための、あらゆることを学んだ。
周囲の反対もさることながら、病院経営や、医者との信頼関係の確保など、いくつもの障害があった。
それでも、彼女は突き進む。
彼女は、後輩たちにこんな言葉を残した。
「命ある限り、あなたは、あなたの人生を生きてください。
いいですか、人生は、素晴らしい贈り物なんです」
フローレンス・ナイチンゲール
【ON AIR LIST】
いのちの歌 / 竹内まりや
スカボロー・フェア / つのだたかし
キープ・ザ・フェイス / マイケル・ジャクソン
フローレンス・ナイチンゲール。
彼女の誕生日、5月12日は、国際看護師の日に制定されています。
看護の世界においてその名は世界中に轟いていますが、ナイチンゲールがいったい何をしたひとなのか、意外に知られていないのかもしれません。
しかも、今からおよそ200年前のイギリス社会に生きた彼女が、どれほどの苦労、苦悩を経験したかは、おそらく、安易に想像するのは難しいのではないかと思われます。
貧富の差。男女差別。女性に対する偏見。
何より病院における看護師の位置づけは、驚くほど低かったのです。
そもそも、当時、病院は富裕層にとって、決して行ってはいけないところ。
病気になれば、屋敷まで医者に来てもらうのが通例でした。
病院は、どこも汚く、暗く、運営もひどいものだったのです。
同じベッドに、二人の患者。
足を骨折したひとと、伝染病で余命いくばくもないひとが、重なるように寝ていました。
床は埃にまみれ、至る所にカビ。
マットレスやシーツは一度も洗濯されず、医者は手を洗わず、手術の際は、血だらけのうわっぱりを着るだけでした。
看護師に至っては、ほぼ小間使い。
ひとつの病棟にひとりしかいない看護師は、火をたき、食事を作り、患者の世話をするよりも、やらなければならないことが多すぎたのです。
朝5時から夜まで働き、中には昼間から酒を飲まないとやっていられない看護師も多かったと言います。
裕福な家庭に生まれたナイチンゲールは、初めて病院という場所に足を踏み入れたとき、愕然としました。
このありさまでは、この国は滅んでしまう…。
なぜ、ナイチンゲールが病院に関心を持ったのか。
それは、16歳の時に、自分の人生の意味を考えたからです。
自分には、一生を捧げるに値する仕事があるはずだ。
自分がこの世に生まれてきた意味が知りたい。
そして、できれば、その使命を全うしたい。
誰かの役に立ちたい!
たとえ、その先に、壮絶な苦難が待っていようとも…。
結婚もせず、裕福な地位も捨て、看護の道に一生を捧げた賢人、フローレンス・ナイチンゲールが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
フローレンス・ナイチンゲールは、1820年5月12日、トスカーナ大公国フィレンツェに生まれた。
フローレンスは、フィレンツェの英語読み。
両親の新婚旅行先での出産だった。
裕福な家庭。幼い頃から、英才教育を受ける。
英語以外に、フランス語、ギリシャ語、イタリア語、ラテン語を習得。
ギリシャ哲学を学び、数学や天文学、経済や歴史についても、大学レベルの学問を15歳までに叩き込まれた。
ナイチンゲールには、二つの性格が共存していた。
ひとつは、華やかで社交的な一面。
もうひとつは、秩序や規則を重んじ、深く繊細に物事をとらえ、整理する内省的な一面。
美しく、頭がよく、性格も優しい彼女は、姉よりも社交界で際立っていた。
16歳にして、親が定めた婚約者もあり、このまま家庭に入る日はそう遠くないと、誰もが思っていた。
そのころのイギリス上流界では、女性は結婚こそが生きる道。
炊事、家事、育児は、全て最下層の召使いの仕事で、妻がやるべきことは、着飾ってパーティに出かけ、同じような奥方たちとサロンに集うこと。
しかし、彼女は疑問に思う。
「16歳で、人生を決めてしまっていいんだろうか。
私は、他の誰とも違う、ただひとりの人間。
生まれてきた意味を知りたい。
一生のうちに何がやれるか、それがわかれば、私は、どんな苦労もいとわない!」
フローレンス・ナイチンゲールは、家族でヨーロッパ旅行をしても、気になるのは、戦争によって家を失い、食べるものもままならない人々の暮らし。
この世にある不平等や貧富の差に、いち早く目を向けていた。
貧しいひとたちに心を同化するあまり、考えすぎて苦しくなる。
「裕福な自分と、貧しく暮らすあのひとたち、人間として、いったい何が違うというんだろう…」
石畳の路地で、意識せず、足を踏み入れてしまった病院の風景が頭から離れない。
強烈な匂い、湿気、うめき声、ただ死を待つ患者たち…。
旅行から帰ると、ナイチンゲールは心身を病んでしまう。
心配した家族は、彼女をロンドンの親戚のもとに預ける。
華やかな社交界に身を置けば、きっと憂鬱な気分が吹き飛ぶと思った。
しかし、ナイチンゲールの絶望感は一層深まる。
彼女は家に引きこもり、ひたすら数学を学んだ。
必ず明確な答えが出る数学をやっているときだけ、心の秩序が保たれた。
心を押し殺して数年が経つ。
やがて24歳のとき、ついに彼女は自分を偽る生活を辞めようと思う。
「もう、自分の心に嘘はつきたくない!
私は、病院で働く。
病院で、患者さんのお世話をする!」
1844年、ナイチンゲール24歳の夏。
ひとりの医者が、家に滞在した。
アメリカの慈善家、サミュエル・ハウ。
ナイチンゲールは、彼に思い切って相談してみた。
「私のような人間が、看護師になれたりしますか?
どうしてもなりたいんです、看護師に!」
ハウ医師は、ナイチンゲールの真っすぐで澄んだ瞳を見た。
彼は、こう答えた。
「ご自分がいかに茨の道を歩くことになるか、どうやらあなたは、ご存知のようだ。
前例はありません。
多くの障壁があなたを拒むでしょう。
ですが…私は、あなたの選択を心から尊敬します。
やってごらんなさい、とことん進んでごらんなさい」
ナイチンゲールは、その場で泣き崩れた。
今まで閉じていた心の窓が、全て開く思いがした。
その後、彼女は、親に隠れ、勉強漬けの日々をおくる。
看護師になるための、あらゆることを学んだ。
周囲の反対もさることながら、病院経営や、医者との信頼関係の確保など、いくつもの障害があった。
それでも、彼女は突き進む。
彼女は、後輩たちにこんな言葉を残した。
「命ある限り、あなたは、あなたの人生を生きてください。
いいですか、人生は、素晴らしい贈り物なんです」
フローレンス・ナイチンゲール
【ON AIR LIST】
いのちの歌 / 竹内まりや
スカボロー・フェア / つのだたかし
キープ・ザ・フェイス / マイケル・ジャクソン