第499話 何度でも立ち上がる
-【軽井沢にゆかりのある作家篇】横溝正史-
[2025.03.22]
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晩年、軽井沢を舞台にした本格探偵小説を書いた、ミステリーの巨匠がいます。
横溝正史(よこみぞ・せいし)。
横溝を一躍有名にしたのは、金田一耕助が事件を解決する、『本陣殺人事件』『獄門島』『八つ墓村』。
多くの作品がテレビドラマ化、映画化されました。
特に彼の名を全国に広めたのが、『犬神家の一族』です。
横溝が48歳のとき、雑誌に連載をスタートさせたこの小説は、日本古来の因習、家督争いをベースに、湖から飛び出した2本の足など、ショッキングなシーンが描かれ、大きな話題になりました。
名監督、市川崑が、二度も映画化。
興行収入で成果を上げるだけではなく、作品としても数々の賞を受賞しました。
この小説での成功を受け、横溝は軽井沢に別荘を購入。
夏の間は、信州の涼やかな風に吹かれながら、執筆に励みました。
彼が10年もの歳月をかけて完成させた『仮面舞踏会』は、晩年の傑作。
避暑地・軽井沢で起きた殺人事件に、金田一耕助が挑む物語です。

ミステリー小説、推理小説、捕物帳、大衆小説からジュブナイルまで、多彩なジャンルを書き分けた横溝ですが、最も好んだ肩書きは「探偵小説家」でした。
5歳で母を亡くした彼は、臆病で人見知り。
父の再婚相手には、血のつながらない兄弟が多くいて、孤独な思いが募ります。
そんな中、彼の心の支えは、国内外の探偵小説を読むことだけだったのです。
さらに彼を襲った病魔、結核。
病気のせいで、思うように執筆できない辛さも味わいました。
江戸川乱歩に認められ、デビューを果たすも、ヒット作は続かない。
一時は忘れられた存在になったのですが、1970年代、角川春樹のプロデュースで、時のひとに返り咲きました。
なぜ横溝は、何度も不死鳥のように蘇ることができたのでしょうか。
今も多くのファンを魅了する探偵小説家、横溝正史が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?

横溝正史は、1902年5月24日、兵庫県神戸市に生まれた。
両親は共に、岡山県出身。
発展著しい神戸の造船所に職を求めてやってきた。
他県からやってきた住人で構成される地域は、神戸にあって、まるで隔離されたように貧しい街だった。
二軒長屋の狭い部屋。
母は薬を扱う商いをして父を支えたが、体を壊し、他界した。
父はすぐに再婚。
継母は、自ら産んだ子を連れてきた。
横溝は、孤独だった。
もともと、病弱で、引っ込み思案。
親は忙しく、彼の心のケアまで手がまわらない。
そんなとき、一冊の本に出合った。
三津木春影(みつぎ・しゅんえい)の『呉田博士 探偵奇譚』。
オースチン・フリーマンの「ソーンダイク博士」やコナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」を三津木が翻案。
そうして生まれた法医学者の名探偵、呉田秀雄(くれた・ひでお)が事件を解決するストーリー。
薄暗い部屋の片隅で、夢中で読む。
ワクワクした。
刑事でも警官でもなく、探偵という仕事に魅了される。
自由で、型にはまらない。
相手を油断させて、鋭い推理で打ち負かす。
自分でも、見様見真似で書いてみる。
書くことで、違う自分になれる快感に酔いしれた。
さらに…探偵小説を好きな友人に出会い、彼は、孤独から這い上がった…。

横溝正史は、神戸二中に在籍しているとき、違うクラスの少年に出会う。
冬の朝。横溝が、剣道の寒稽古をさぼって、校舎の日当たりのいい場所で本を読んでいると、隣にやってくる同級生がいた。
西田君。
名前は知っていた。色白な美少年。
でも、彼は足に障害を持ち、歩き方に特徴があった。
運動会では、みんなに笑われていた。
西田君も、横溝を知っていた。
とある少年誌のコンクールに、小説が入賞。
先生に叱られて、学校中の噂になっていた。
二人は、ポツポツと話し始める。
お互い、探偵小説が大好きなことがわかった。
そうして二人は親友になる。
川のほとり、造船所の壁沿いの道、学校への通学路、いつも一緒に歩いて、探偵小説の話をした。
うれしかった。
こんなにも気持ちを分かち合える同志がいるとは思わなかった。
夕ご飯を食べるため、一度それぞれの家に帰っても、夜、西田君が迎えに来た。
雨の日でも、傘をさしながら、二人で探偵小説について語り合う。
思えば二人とも、学校では目立たない存在。
でも、二人でいれば、楽しかった。
西田君は言った。
「なあ、横溝、いつかさ、書いてくれよな。すごい探偵小説」
西田君は、中学を卒業すると、病で亡くなった…。

横溝正史と西田君の縁は、切れなかった。
西田君の兄、政治(まさじ)は、弟のように横溝を可愛がった。
海外の探偵小説を、横溝に読ませる。
小説を書くように、励ました。
横溝があこがれていた、ある作家に引き合わせてくれたのも、政治だった。
その作家とは、江戸川乱歩。
横溝24歳、乱歩32歳のとき、運命的な出会いが待っていた。
乱歩が主催する「探偵趣味の会」に、横溝が出席。
温和で優しい乱歩の雰囲気。
横溝はホッとした。
こうして、乱歩が亡くなるまでのおよそ40年間、親密な交流が続くことになる。
政治は言った。
「横溝君、世の中には、書くひとと書かないひとがいる。
君はね、書くひとなんだ。
だからさ、へこたれないでくれたまえ。僕の弟も応援してるからさ」
横溝は、どんなに苦しいときも、思い出した。
冷たい雨が降る中、傘をさして西田君と歩いた、あの泥の道を。
「探偵小説を書きつづけて五十年余。
あるときは情熱の火に身を焦がし、あるときは挫折して冷たい灰となり、しかし、私は不死鳥のごとく蘇ってきた。
私は生ある限り謎と論理の結合に、執念の火を燃やしつづけるであろう。
嗤(わら)わば嗤(わら)え。
私は探偵小説一代男なのである」
横溝正史

【ON AIR LIST】
◆青空に問いかけて / 小室等
映画『八つ墓村』主題歌 (1996年)
◆メインタイトル(八つ墓村) / 芥川也寸志 (1977年)
◆ハンガリア田園幻想曲 / ドップラー(作曲)、吉田雅夫(フルート)
(『悪魔が来りて笛を吹く』の想像力の源となった曲)
◆何度でも立ち上がれ / エレファントカシマシ
横溝正史(よこみぞ・せいし)。
横溝を一躍有名にしたのは、金田一耕助が事件を解決する、『本陣殺人事件』『獄門島』『八つ墓村』。
多くの作品がテレビドラマ化、映画化されました。
特に彼の名を全国に広めたのが、『犬神家の一族』です。
横溝が48歳のとき、雑誌に連載をスタートさせたこの小説は、日本古来の因習、家督争いをベースに、湖から飛び出した2本の足など、ショッキングなシーンが描かれ、大きな話題になりました。
名監督、市川崑が、二度も映画化。
興行収入で成果を上げるだけではなく、作品としても数々の賞を受賞しました。
この小説での成功を受け、横溝は軽井沢に別荘を購入。
夏の間は、信州の涼やかな風に吹かれながら、執筆に励みました。
彼が10年もの歳月をかけて完成させた『仮面舞踏会』は、晩年の傑作。
避暑地・軽井沢で起きた殺人事件に、金田一耕助が挑む物語です。

ミステリー小説、推理小説、捕物帳、大衆小説からジュブナイルまで、多彩なジャンルを書き分けた横溝ですが、最も好んだ肩書きは「探偵小説家」でした。
5歳で母を亡くした彼は、臆病で人見知り。
父の再婚相手には、血のつながらない兄弟が多くいて、孤独な思いが募ります。
そんな中、彼の心の支えは、国内外の探偵小説を読むことだけだったのです。
さらに彼を襲った病魔、結核。
病気のせいで、思うように執筆できない辛さも味わいました。
江戸川乱歩に認められ、デビューを果たすも、ヒット作は続かない。
一時は忘れられた存在になったのですが、1970年代、角川春樹のプロデュースで、時のひとに返り咲きました。
なぜ横溝は、何度も不死鳥のように蘇ることができたのでしょうか。
今も多くのファンを魅了する探偵小説家、横溝正史が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?

横溝正史は、1902年5月24日、兵庫県神戸市に生まれた。
両親は共に、岡山県出身。
発展著しい神戸の造船所に職を求めてやってきた。
他県からやってきた住人で構成される地域は、神戸にあって、まるで隔離されたように貧しい街だった。
二軒長屋の狭い部屋。
母は薬を扱う商いをして父を支えたが、体を壊し、他界した。
父はすぐに再婚。
継母は、自ら産んだ子を連れてきた。
横溝は、孤独だった。
もともと、病弱で、引っ込み思案。
親は忙しく、彼の心のケアまで手がまわらない。
そんなとき、一冊の本に出合った。
三津木春影(みつぎ・しゅんえい)の『呉田博士 探偵奇譚』。
オースチン・フリーマンの「ソーンダイク博士」やコナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」を三津木が翻案。
そうして生まれた法医学者の名探偵、呉田秀雄(くれた・ひでお)が事件を解決するストーリー。
薄暗い部屋の片隅で、夢中で読む。
ワクワクした。
刑事でも警官でもなく、探偵という仕事に魅了される。
自由で、型にはまらない。
相手を油断させて、鋭い推理で打ち負かす。
自分でも、見様見真似で書いてみる。
書くことで、違う自分になれる快感に酔いしれた。
さらに…探偵小説を好きな友人に出会い、彼は、孤独から這い上がった…。

横溝正史は、神戸二中に在籍しているとき、違うクラスの少年に出会う。
冬の朝。横溝が、剣道の寒稽古をさぼって、校舎の日当たりのいい場所で本を読んでいると、隣にやってくる同級生がいた。
西田君。
名前は知っていた。色白な美少年。
でも、彼は足に障害を持ち、歩き方に特徴があった。
運動会では、みんなに笑われていた。
西田君も、横溝を知っていた。
とある少年誌のコンクールに、小説が入賞。
先生に叱られて、学校中の噂になっていた。
二人は、ポツポツと話し始める。
お互い、探偵小説が大好きなことがわかった。
そうして二人は親友になる。
川のほとり、造船所の壁沿いの道、学校への通学路、いつも一緒に歩いて、探偵小説の話をした。
うれしかった。
こんなにも気持ちを分かち合える同志がいるとは思わなかった。
夕ご飯を食べるため、一度それぞれの家に帰っても、夜、西田君が迎えに来た。
雨の日でも、傘をさしながら、二人で探偵小説について語り合う。
思えば二人とも、学校では目立たない存在。
でも、二人でいれば、楽しかった。
西田君は言った。
「なあ、横溝、いつかさ、書いてくれよな。すごい探偵小説」
西田君は、中学を卒業すると、病で亡くなった…。

横溝正史と西田君の縁は、切れなかった。
西田君の兄、政治(まさじ)は、弟のように横溝を可愛がった。
海外の探偵小説を、横溝に読ませる。
小説を書くように、励ました。
横溝があこがれていた、ある作家に引き合わせてくれたのも、政治だった。
その作家とは、江戸川乱歩。
横溝24歳、乱歩32歳のとき、運命的な出会いが待っていた。
乱歩が主催する「探偵趣味の会」に、横溝が出席。
温和で優しい乱歩の雰囲気。
横溝はホッとした。
こうして、乱歩が亡くなるまでのおよそ40年間、親密な交流が続くことになる。
政治は言った。
「横溝君、世の中には、書くひとと書かないひとがいる。
君はね、書くひとなんだ。
だからさ、へこたれないでくれたまえ。僕の弟も応援してるからさ」
横溝は、どんなに苦しいときも、思い出した。
冷たい雨が降る中、傘をさして西田君と歩いた、あの泥の道を。
「探偵小説を書きつづけて五十年余。
あるときは情熱の火に身を焦がし、あるときは挫折して冷たい灰となり、しかし、私は不死鳥のごとく蘇ってきた。
私は生ある限り謎と論理の結合に、執念の火を燃やしつづけるであろう。
嗤(わら)わば嗤(わら)え。
私は探偵小説一代男なのである」
横溝正史

【ON AIR LIST】
◆青空に問いかけて / 小室等
映画『八つ墓村』主題歌 (1996年)
◆メインタイトル(八つ墓村) / 芥川也寸志 (1977年)
◆ハンガリア田園幻想曲 / ドップラー(作曲)、吉田雅夫(フルート)
(『悪魔が来りて笛を吹く』の想像力の源となった曲)
◆何度でも立ち上がれ / エレファントカシマシ