第498話 容易な道を選んではならぬ
-【軽井沢にゆかりのある作家篇】有島武郎-
[2025.03.15]
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軽井沢にあった父親の別荘『浄月庵』で心中をはかった文豪がいます。
有島武郎(ありしま・たけお)。
『カインの末裔』『生まれ出づる悩み』『或る女』『一房の葡萄』など、今も読み継がれる傑作を世に送り出した作家の、あまりにセンセーショナルな心中事件は、新聞で大きく取り上げられました。
相手の女性は、波多野秋子(はたの・あきこ)。
雑誌『婦人公論』の記者でした。
有島は妻亡きあと、ずっと独身を通していましたが、波多野には夫と3人の子がありました。
享年、有島45歳。秋子30歳。
亡くなったとされる6月8日、有島にある決断が迫っていました。
秋子の夫から、不義を訴えられていたのです。
高額な慰謝料を払うか、姦通罪で監獄に入るか。
一説には、秋子の夫が、ブルジョアで流行作家だった有島に対し、金をとれるだけとろうと脅していた、と言われています。
有島は、そのどちらの選択も捨て、秋子と軽井沢行きの汽車に乗ったのです。
有島武郎にとって、由緒正しい有島家の長男に生まれたことは、想像を絶する重荷でした。
気が弱く、自己主張のできない武郎にとって、泰然自若な父は、大きな壁、決して越えられない山のような存在だったのです。
小説家としての才能を認められながら、彼が作家一本で世にうって出られなかったのは、有島家の呪縛に勝てなかったから。
人生が大きく動いたのは、38歳のときです。
妻を亡くし、父もまた、病で亡くします。
このとき初めて、文豪・有島武郎が誕生したのかもしれません。
彼の行きついた最期はともかく、彼が書いた優れた小説を裏打ちするのは、安易な道を選ばないという矜持でした。
今、自分が置かれている状況で、最もつらい道を選択する。
それは、多くの血や汗をともないます。
ですが、それを選ばなければ、この世に生まれて来た本来の仕事ができない、そう思うのなら、あえて、茨の道を進むしかないのです。
自ら地獄に飛び込んだ、大正時代の文豪、有島武郎が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?


作家・有島武郎は、1878年、明治11年3月4日、東京市小石川区、現在の文京区に生まれた。
父は鹿児島出身の官僚。大蔵省に勤めていた。
母は、岩手盛岡の南部藩の出身。
芸術を解することなく「男は男らしくあれ」という父と、文学を愛する心優しき母。
幸か不幸か、有島家を背負って立たねばならぬ長男・武郎は、母の血を多くもらった。
虚弱体質、引っ込み思案、気が弱い武郎を、父は叱った。
ときには、手をあげる。
怖かった。父が怖くて仕方ない。
父の叱責を、母も決して止めることはできなかった。
ただ、母方の祖母だけは、武郎をかばった。
蔵に隠れてこっそり本を読む孫に、おむすびを運んだ。
祖母は言った。
「いいかい、おそらく、おまえがこれから歩む道は、ふつうではないかもしれない。
でもねえ、ふつうじゃない道を歩いたひとだけが、見つけることができる宝物があるんだよ」
有島武郎は、父に逆らわなかった。
これからは、英語が大事。
そう言われれば、アメリカ人の牧師のもとに通い、英会話を学ぶ。
学習院予備科では、品行方正、眉目秀麗、成績優秀で、のちの大正天皇のご学友に選ばれた。
父に官僚の近道だと海軍を勧められたが、本心では嫌だった。
おりしも、文部大臣、森有礼(もり・ありのり)が暗殺され、ますます官僚が怖くなる。
漠然と、農業を夢見る。
晴耕雨読。畑を耕し、雨の日は、一日中、本を読む。
そんな生活を勝手に妄想していた。
15歳の頃には、父に黙って、小説を書き始める。
学習院中等科を優秀な成績で卒業。
誰もがそのあと、高等科に進学すると思った。
しかし、武郎は、初めて父に自ら申し出た。
「父上、僕は、札幌農学校に行きたく、お願い申し上げます」
実は、あらかじめ祖母に相談していた。
南部藩の重鎮、新渡戸稲造がいる札幌なら、父も許してくれるだろう。
祖母の想定どおり、新渡戸稲造の家に寄宿するのであれば、頼りない我が息子も少しは鍛えられるかもしれない、そう思った父は、武郎の北海道行きを許した。
北海道での一人暮らし。あえて選んだ厳しい選択。
しかし、その地で、有島武郎は、生まれて初めて自由を手にする。

有島武郎にとって、札幌農学校に入学したことは、大きな転機になった。
学習院から来た生徒、しかも教授の新渡戸稲造のつてで、いきなり上級に編入。
同級生も先生も、有島とどう接したらいいか、わからなかった。
孤独な毎日。彼に話しかける者はほとんどいなかった。
でも、有島の心は解き放たれていた。
父の脅威、父の叱責のない世界。
キリスト教に入信。
外国文学にも興味を持ち、ひたすら読み、小説を書いた。
北海道は、彼に人生への向き合い方を教えてくれた。
有島は、決めた。自分は作家になる。
どんなに困難が待ち受けていても、必ず、小説で名を成す。

のちに作家として大成し、父の別荘がある、軽井沢駅のホームに降り立ったとき、有島は感じた。
「この風、この匂い、ここは北海道に似ている…」
初めての地なのに、懐かしい。
自由を手に入れたときの清々しさを思い出した。
最期の場所に軽井沢を選んだのも、もしかしたら、18歳のときに感じた札幌の空気を、もう一度、吸いたかったのかもしれない。
「容易な道を選んではならぬ 近道を抜けてはならぬ」
有島武郎

【ON AIR LIST】
◆Prisoner Of Love / 宇多田ヒカル
◆前奏曲第24番ニ短調作品28の24 / ショパン(作曲)、マルタ・アルゲリッチ
◆いつまでも若く / ボブ・ディラン
有島武郎(ありしま・たけお)。
『カインの末裔』『生まれ出づる悩み』『或る女』『一房の葡萄』など、今も読み継がれる傑作を世に送り出した作家の、あまりにセンセーショナルな心中事件は、新聞で大きく取り上げられました。
相手の女性は、波多野秋子(はたの・あきこ)。
雑誌『婦人公論』の記者でした。
有島は妻亡きあと、ずっと独身を通していましたが、波多野には夫と3人の子がありました。
享年、有島45歳。秋子30歳。
亡くなったとされる6月8日、有島にある決断が迫っていました。
秋子の夫から、不義を訴えられていたのです。
高額な慰謝料を払うか、姦通罪で監獄に入るか。
一説には、秋子の夫が、ブルジョアで流行作家だった有島に対し、金をとれるだけとろうと脅していた、と言われています。
有島は、そのどちらの選択も捨て、秋子と軽井沢行きの汽車に乗ったのです。
有島武郎にとって、由緒正しい有島家の長男に生まれたことは、想像を絶する重荷でした。
気が弱く、自己主張のできない武郎にとって、泰然自若な父は、大きな壁、決して越えられない山のような存在だったのです。
小説家としての才能を認められながら、彼が作家一本で世にうって出られなかったのは、有島家の呪縛に勝てなかったから。
人生が大きく動いたのは、38歳のときです。
妻を亡くし、父もまた、病で亡くします。
このとき初めて、文豪・有島武郎が誕生したのかもしれません。
彼の行きついた最期はともかく、彼が書いた優れた小説を裏打ちするのは、安易な道を選ばないという矜持でした。
今、自分が置かれている状況で、最もつらい道を選択する。
それは、多くの血や汗をともないます。
ですが、それを選ばなければ、この世に生まれて来た本来の仕事ができない、そう思うのなら、あえて、茨の道を進むしかないのです。
自ら地獄に飛び込んだ、大正時代の文豪、有島武郎が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?


作家・有島武郎は、1878年、明治11年3月4日、東京市小石川区、現在の文京区に生まれた。
父は鹿児島出身の官僚。大蔵省に勤めていた。
母は、岩手盛岡の南部藩の出身。
芸術を解することなく「男は男らしくあれ」という父と、文学を愛する心優しき母。
幸か不幸か、有島家を背負って立たねばならぬ長男・武郎は、母の血を多くもらった。
虚弱体質、引っ込み思案、気が弱い武郎を、父は叱った。
ときには、手をあげる。
怖かった。父が怖くて仕方ない。
父の叱責を、母も決して止めることはできなかった。
ただ、母方の祖母だけは、武郎をかばった。
蔵に隠れてこっそり本を読む孫に、おむすびを運んだ。
祖母は言った。
「いいかい、おそらく、おまえがこれから歩む道は、ふつうではないかもしれない。
でもねえ、ふつうじゃない道を歩いたひとだけが、見つけることができる宝物があるんだよ」
有島武郎は、父に逆らわなかった。
これからは、英語が大事。
そう言われれば、アメリカ人の牧師のもとに通い、英会話を学ぶ。
学習院予備科では、品行方正、眉目秀麗、成績優秀で、のちの大正天皇のご学友に選ばれた。
父に官僚の近道だと海軍を勧められたが、本心では嫌だった。
おりしも、文部大臣、森有礼(もり・ありのり)が暗殺され、ますます官僚が怖くなる。
漠然と、農業を夢見る。
晴耕雨読。畑を耕し、雨の日は、一日中、本を読む。
そんな生活を勝手に妄想していた。
15歳の頃には、父に黙って、小説を書き始める。
学習院中等科を優秀な成績で卒業。
誰もがそのあと、高等科に進学すると思った。
しかし、武郎は、初めて父に自ら申し出た。
「父上、僕は、札幌農学校に行きたく、お願い申し上げます」
実は、あらかじめ祖母に相談していた。
南部藩の重鎮、新渡戸稲造がいる札幌なら、父も許してくれるだろう。
祖母の想定どおり、新渡戸稲造の家に寄宿するのであれば、頼りない我が息子も少しは鍛えられるかもしれない、そう思った父は、武郎の北海道行きを許した。
北海道での一人暮らし。あえて選んだ厳しい選択。
しかし、その地で、有島武郎は、生まれて初めて自由を手にする。

有島武郎にとって、札幌農学校に入学したことは、大きな転機になった。
学習院から来た生徒、しかも教授の新渡戸稲造のつてで、いきなり上級に編入。
同級生も先生も、有島とどう接したらいいか、わからなかった。
孤独な毎日。彼に話しかける者はほとんどいなかった。
でも、有島の心は解き放たれていた。
父の脅威、父の叱責のない世界。
キリスト教に入信。
外国文学にも興味を持ち、ひたすら読み、小説を書いた。
北海道は、彼に人生への向き合い方を教えてくれた。
有島は、決めた。自分は作家になる。
どんなに困難が待ち受けていても、必ず、小説で名を成す。

のちに作家として大成し、父の別荘がある、軽井沢駅のホームに降り立ったとき、有島は感じた。
「この風、この匂い、ここは北海道に似ている…」
初めての地なのに、懐かしい。
自由を手に入れたときの清々しさを思い出した。
最期の場所に軽井沢を選んだのも、もしかしたら、18歳のときに感じた札幌の空気を、もう一度、吸いたかったのかもしれない。
「容易な道を選んではならぬ 近道を抜けてはならぬ」
有島武郎

【ON AIR LIST】
◆Prisoner Of Love / 宇多田ヒカル
◆前奏曲第24番ニ短調作品28の24 / ショパン(作曲)、マルタ・アルゲリッチ
◆いつまでも若く / ボブ・ディラン