第491話 自分だけを信じる
-【生誕100年のレジェンド篇】政治家 マーガレット・サッチャー-
[2025.01.25]
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©Jessica Girvan/Alamy/amanaimages
今年生誕100年を迎える、イギリスの政治家がいます。
マーガレット・サッチャー。
ヨーロッパおよび先進国初の女性首相であり、断固とした態度や発言から、『鉄の女』の異名を持っています。
2012年に公開された映画『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』では、名優メリル・ストリープがサッチャーを熱演。
この作品でアカデミー賞主演女優賞を受賞しました。
映画は、首相を引退し、認知能力がおぼつかなくなった、晩年のサッチャーが、過去を回想する構成で展開します。
庶民の家で育った少女が、いかにして、政界のトップにまで昇りつめたのか。
そこには、格差社会、男性社会という大きな壁が立ちはだかっていたのです。
映画は、ただの成功譚ではなく、生身の人間であるサッチャーの挫折や喪失を丁寧に描いていきます。
サッチャーは、自分の価値観や生きる指標を、全て父親から教わったと自伝に記しています。
父は、幼いころから優秀で勉強熱心でしたが、家が貧しく、学校に進学できず、13歳の時、食料品店で働き始めます。
でも、勉学を諦めず、日々努力を重ね、地元の市長にまでなったひとでした。
父はサッチャーに、絶えず言い聞かせました。
「いいかい、どんなことでも自分で決定しなさい。
誰かがそうしたから、みんながそう言うから、というのが、いちばん危険だ。何かあったとき、ひとのせいにしてしまう。
それでは人生はいつまで経っても、おまえのものにならない。
誰かをあてにしちゃいけないよ。自分だけだ。自分だけを頼りなさい」
優秀な娘と、教育熱心な父。
リビングで父に勉強を教わっているとき、サッチャーは、暗いキッチンでひとり食事の片付けをする、母の後ろ姿を見ていました。
父に何か意見を言うこともなく、ただ、黙々と家事をこなす母。
サッチャーは、女性としての生き方についても悩みました。
「私も母のように生きていくしかないんだろうか…」
彼女は、いかにして『鉄の女』になったのでしょうか。
どん底のイギリス経済に革命をもたらしたレジェンド、マーガレット・サッチャーが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
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第71代イギリス首相、マーガレット・サッチャーは、1925年10月13日、イギリス、ロンドン北部の街、グランサムに生まれた。
商店で賑わい、鉄道が街の中心部を通り、活気に満ちていた。
街の自慢は、高い塔がシンボルのウィルヘルム教会。
両親とも敬虔なクリスチャン。
特に父はメソディスト派で、説教師として、教会だけでなく、集会場や街中で伝道に心血を注いだ。
よく通るバリトンの声。説得力のある話術。
食糧雑貨店を営みながら、街をよくするために、人々を鼓舞した。
店の二階が住まい。
だから、幼いサッチャーは、四六時中、父と一緒にいた。
多くの家では、父親はロンドンまで働きに出かけ、夜中まで帰ってこない。
家族が食事を共にするのは、日曜日だけだった。
幼少期、父と多くの時間を費やしたこと。
それは、彼女の人格形成に多大な影響をもたらした。
父の選挙運動も手伝った。
ビラを配り、ポスターを貼り、父の演説を聴いた。
どんなときに聴衆が笑い、聴き入り、あるいは退屈に思うかを肌身で感じる。
父は、毎週木曜日に開催される、政治の勉強会に娘を連れていった。
サッチャーは10歳にして、人間がこの世に生を受けた「義務」について、考えるようになる。
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マーガレット・サッチャーは、10歳の時、ポエムのコンクールで優勝した。
父の影響で、詩を読んだり書いたりするのが好きだった。
担任の先生は、サッチャーに言った。
「まあ、あなた、いきなり優勝だなんて、運がよかったわねえ」
サッチャーは、すかさず、こう返した。
「いいえ、運なんかじゃありません。
賞に値することを、私がしただけのことです」
小学生の彼女は、誰からも愛される子どもではなかった。
成績は飛びぬけていい。規律も守り、悪ふざけなどしない。
でも、同級生たちからは嫌われ、時にはいじめられた。
雑巾をしぼったバケツの水を頭から浴びせられて帰宅したとき、父はバスタオルで彼女の頭を拭きながら、言った。
「みんな、一緒にバカなことをしないおまえが怖いんだ。ただ、それだけだ。
そのことでおまえが自分を省みたり、否定することなど、全く必要ない。胸をはりなさい」
彼女は、同級生たちを観察し、気持ちのうつろいやすさを知った。
簡単なことで、ひとの気持ちは寝返る。
そんないい加減な基準に、自分の人生をゆだねるわけにはいかない。
マーガレット・サッチャーは、孤独だった。
友だちはいない。話し相手は、ずっと父親だけだった。
それを淋しいとは思わなかった。
友だち同士でつるみ、ふざけあい、笑い合うのをうらやましいとは感じなかった。
それよりも、たくさんの裏切りや仕返しを見た。
高校生の時、演劇をやって、初めて友だちを得た。
真の友情は、共通の目標や、同じ仕事を達成したときに生まれる。
そう、悟った。
なれあいは、一見、優しさに似ている。
自分を殺して他人に合わせれば、ひとは喜ぶ。
でも、自分は幸せにはなれない。
オックスフォード大学に入学したとき、父は喜んでくれたが、母は、そこまで祝福してくれなかった。
娘が茨の道を歩くことがわかったから。
サッチャーには、わかっていた。
幼いころから、自分ひとりで考え、自分の道を切り開いてきた。
そのせいで、嫌な目にもたくさん遭ってきたけれど、そのおかげで、フツウは見えない美しい景色を見ることができた。
彼女は、自分の娘にも言った。
「自分だけを信じなさい」
「もしあなたが、ただ誰かに好かれようとしているだけなら、いつでもどんなときでも妥協しなくてはならない。
それを続けていると、あなたは、結局、何も達成しないだろう」
マーガレット・サッチャー
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