第490話 巨人の肩の上に立つ
-【生誕100年のレジェンド篇】物理学者 江崎玲於奈-
[2025.01.18]
Podcast
今年生誕100年を迎える、ノーベル物理学賞受賞者がいます。
江崎玲於奈(えさき・れおな)。
江崎がノーベル賞を受賞したのは、1973年、48歳の時ですが、受賞理由の論文を発表したのは、15年も前のことでした。
「固体中のトンネル効果に関する発見」。
トンネル効果とは、量子力学の「量子」の世界の話。
フツウは、壁にボールをぶつければ、ボールは跳ね返ってきますが、極めて小さな量子の世界では、ある確率で壁をすり抜ける。
これが、トンネル効果です。
32歳の江崎は、汗がしたたる暑い夏、研究室で実験を繰り返していました。
冷房はなし。むっとした空気は室内でよどむ。
半導体を流れる電流と電圧の特性を調べていたとき、彼は、温度によって特性が変わることに気づいたと言います。
ドライアイスで冷やすと、電流の値が変化。
この気づきこそが、のちのトンネル効果の発見につながったのです。
幼い頃、吃音に悩まされ、ひとと話すことを避けた少年は、自然界の不思議な現象に興味を持ちます。
ひとりで研究していれば、誰と話さなくてもかまわない。
彼はのちに述懐しています。
「もし私が吃音でなかったら、ノーベル賞をとることはできなかっただろう…」
江崎の口ぐせは、「巨人の肩の上に立つ」。
もともとは、万有引力を発見した、アイザック・ニュートンの言葉ですが、ことあるごとに、彼は口にしました。
その意味は、自分の発見や功績は全て、先人たちの血のにじむような苦難の上に立っているという、謙虚で冷静な視点です。
ある程度、仕事ができるようになると、時に、ひとは錯覚します。
全て自分の手柄であるかのように。
でも、多くの業績や成功は、決して自分だけのチカラでゼロからなしえたものではない。
江崎は、今では自分自身が巨人となり、その肩に多くの若き研究者がのれるように、心を砕き続けました。
実際に量子コンピューターの発展や、半導体超格子、その名がついたエサキダイオードなど、私たちの生活をより豊かにする科学の礎をつくり、後進にゆだねたのです。
半導体物理学のレジェンド、江崎玲於奈が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
物理学者のレジェンド・江崎玲於奈は、1925年3月12日、現在の大阪府東大阪市に生まれた。
父は旧制三高から東大を卒業した、建築家。
母も、教育熱心な才女だった。
世界で活躍できるようにと、当時としては珍しい、玲於奈という名前をつける。
長男の江崎には、特に期待をかけた。
母は、いつも言った。
「いいですか、あなたは他のひとと違って、特別なのです。そのことを忘れてはいけません」
両親の期待どおり、成績は常にトップ。
少年・江崎の心の中で、エリート意識が芽生えつつあった。
家にあった蓄音機。なぜ、音がでるのか不思議だった。
エジソンというひとが発明したという。
エジソンの伝記を夢中で読んだ。
小学校で、担任の先生が「みんな将来、何になりたい?」と聞いた。
ほとんどの生徒は、陸軍大臣、海軍元帥と答える。
江崎だけ、こう答えた。
「先生、ボクは、エジソンのようなひとになりたいです」
江崎玲於奈の小学生時代。
悩みがあった。言葉がうまく話せない。吃音。
さらに、痩せていて、虚弱体質。
ただ、成績はトップを維持した。
進学する中学は、優秀な生徒が行く、京都府立第一中学校しか考えていなかった。
親も先生も当然、合格だと思った。
しかし、大きな挫折が待っていた。
不合格。
首席で卒業したのに、京都一中に入れない。
落ち込んだ。母の期待に応えられない自分が情けない。
自分よりできない旧友が、合格に涙しているのを見た。
ここで母がとった選択は、一年、休ませる。
一拍置いて、同志社中学に入学。
その空白の時間こそが、江崎を変えたのかもしれない。
傲慢や不遜は、影をひそめた。
吃音の自分をようやく受け入れることができた。
同志社中学の友人、先生たちは、素晴らしかった。
江崎は、息を吹き返し、5年生での卒業を待たず、4年生で、難関の旧制三校に合格した。
同志社では、江崎にとって大きな「ギフト」が用意されていた。
それは、キリスト教主義の教育。
そのおかげで、西欧への扉が開いた。
アメリカ人の先生から直接学べる英語、そして西欧の文化や技術に触れることができた。
もしもあのとき、京都一中に合格していたら…。
受験の失敗は、飛躍へとつながった。
江崎玲於奈は、高校に入ってからも、真摯に丁寧に自分の道を進む。
自分を過信しない。
いらない自己顕示欲は心の目を濁らせてしまう。
学問もビジネスも、必ず、誰かの礎の上にある。
それを忘れてはいけない。
江崎は、69歳のとき、「ノーベル賞を取るために、してはいけない五か条」を発表した。
1 今までの行き掛かりにとらわれてはいけない。呪縛やしがらみに捉われると、洞察力は鈍り、創造力は発揮できない。
2 大先生を尊敬するのはよいが、のめり込んではいけない。
3 情報の大波の中で、自分に無用なものまでも抱え込んではいけない。
4 自分の主義を貫くため、戦う事を避けてはいけない。
5 いつまでも初々しい感性と飽くなき好奇心を失ってはいけない。
彼の信条には、いつも、幼い日の経験が生きている。
人生は、つまづいたときこそチャンスであると教えてくれる。
彼の謙虚な姿勢は、生涯、変わらない。
「私が他の誰よりも遠くの方を見ることができるとするならば、それは何としても、私が背の高い巨人の肩の上に立って視野を伸ばしているからに他ならない」
江崎玲於奈
【ON AIR LIST】
◆巨人 / The Chemical Brothers
◆ライオンズ・デン / Bruce Springsteen
◆東風(SPECIAL DJ COPY) / Yellow Magic Orchestra
◆創造 / 星野源
★今回の撮影は、「筑波大学」様にご協力いただきました。ありがとうございました。
筑波大学ギャラリーの開館日程など、詳しくは公式HPにてご確認ください。
筑波大学ギャラリー 公式HP
江崎玲於奈(えさき・れおな)。
江崎がノーベル賞を受賞したのは、1973年、48歳の時ですが、受賞理由の論文を発表したのは、15年も前のことでした。
「固体中のトンネル効果に関する発見」。
トンネル効果とは、量子力学の「量子」の世界の話。
フツウは、壁にボールをぶつければ、ボールは跳ね返ってきますが、極めて小さな量子の世界では、ある確率で壁をすり抜ける。
これが、トンネル効果です。
32歳の江崎は、汗がしたたる暑い夏、研究室で実験を繰り返していました。
冷房はなし。むっとした空気は室内でよどむ。
半導体を流れる電流と電圧の特性を調べていたとき、彼は、温度によって特性が変わることに気づいたと言います。
ドライアイスで冷やすと、電流の値が変化。
この気づきこそが、のちのトンネル効果の発見につながったのです。
幼い頃、吃音に悩まされ、ひとと話すことを避けた少年は、自然界の不思議な現象に興味を持ちます。
ひとりで研究していれば、誰と話さなくてもかまわない。
彼はのちに述懐しています。
「もし私が吃音でなかったら、ノーベル賞をとることはできなかっただろう…」
江崎の口ぐせは、「巨人の肩の上に立つ」。
もともとは、万有引力を発見した、アイザック・ニュートンの言葉ですが、ことあるごとに、彼は口にしました。
その意味は、自分の発見や功績は全て、先人たちの血のにじむような苦難の上に立っているという、謙虚で冷静な視点です。
ある程度、仕事ができるようになると、時に、ひとは錯覚します。
全て自分の手柄であるかのように。
でも、多くの業績や成功は、決して自分だけのチカラでゼロからなしえたものではない。
江崎は、今では自分自身が巨人となり、その肩に多くの若き研究者がのれるように、心を砕き続けました。
実際に量子コンピューターの発展や、半導体超格子、その名がついたエサキダイオードなど、私たちの生活をより豊かにする科学の礎をつくり、後進にゆだねたのです。
半導体物理学のレジェンド、江崎玲於奈が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
物理学者のレジェンド・江崎玲於奈は、1925年3月12日、現在の大阪府東大阪市に生まれた。
父は旧制三高から東大を卒業した、建築家。
母も、教育熱心な才女だった。
世界で活躍できるようにと、当時としては珍しい、玲於奈という名前をつける。
長男の江崎には、特に期待をかけた。
母は、いつも言った。
「いいですか、あなたは他のひとと違って、特別なのです。そのことを忘れてはいけません」
両親の期待どおり、成績は常にトップ。
少年・江崎の心の中で、エリート意識が芽生えつつあった。
家にあった蓄音機。なぜ、音がでるのか不思議だった。
エジソンというひとが発明したという。
エジソンの伝記を夢中で読んだ。
小学校で、担任の先生が「みんな将来、何になりたい?」と聞いた。
ほとんどの生徒は、陸軍大臣、海軍元帥と答える。
江崎だけ、こう答えた。
「先生、ボクは、エジソンのようなひとになりたいです」
江崎玲於奈の小学生時代。
悩みがあった。言葉がうまく話せない。吃音。
さらに、痩せていて、虚弱体質。
ただ、成績はトップを維持した。
進学する中学は、優秀な生徒が行く、京都府立第一中学校しか考えていなかった。
親も先生も当然、合格だと思った。
しかし、大きな挫折が待っていた。
不合格。
首席で卒業したのに、京都一中に入れない。
落ち込んだ。母の期待に応えられない自分が情けない。
自分よりできない旧友が、合格に涙しているのを見た。
ここで母がとった選択は、一年、休ませる。
一拍置いて、同志社中学に入学。
その空白の時間こそが、江崎を変えたのかもしれない。
傲慢や不遜は、影をひそめた。
吃音の自分をようやく受け入れることができた。
同志社中学の友人、先生たちは、素晴らしかった。
江崎は、息を吹き返し、5年生での卒業を待たず、4年生で、難関の旧制三校に合格した。
同志社では、江崎にとって大きな「ギフト」が用意されていた。
それは、キリスト教主義の教育。
そのおかげで、西欧への扉が開いた。
アメリカ人の先生から直接学べる英語、そして西欧の文化や技術に触れることができた。
もしもあのとき、京都一中に合格していたら…。
受験の失敗は、飛躍へとつながった。
江崎玲於奈は、高校に入ってからも、真摯に丁寧に自分の道を進む。
自分を過信しない。
いらない自己顕示欲は心の目を濁らせてしまう。
学問もビジネスも、必ず、誰かの礎の上にある。
それを忘れてはいけない。
江崎は、69歳のとき、「ノーベル賞を取るために、してはいけない五か条」を発表した。
1 今までの行き掛かりにとらわれてはいけない。呪縛やしがらみに捉われると、洞察力は鈍り、創造力は発揮できない。
2 大先生を尊敬するのはよいが、のめり込んではいけない。
3 情報の大波の中で、自分に無用なものまでも抱え込んではいけない。
4 自分の主義を貫くため、戦う事を避けてはいけない。
5 いつまでも初々しい感性と飽くなき好奇心を失ってはいけない。
彼の信条には、いつも、幼い日の経験が生きている。
人生は、つまづいたときこそチャンスであると教えてくれる。
彼の謙虚な姿勢は、生涯、変わらない。
「私が他の誰よりも遠くの方を見ることができるとするならば、それは何としても、私が背の高い巨人の肩の上に立って視野を伸ばしているからに他ならない」
江崎玲於奈
【ON AIR LIST】
◆巨人 / The Chemical Brothers
◆ライオンズ・デン / Bruce Springsteen
◆東風(SPECIAL DJ COPY) / Yellow Magic Orchestra
◆創造 / 星野源
★今回の撮影は、「筑波大学」様にご協力いただきました。ありがとうございました。
筑波大学ギャラリーの開館日程など、詳しくは公式HPにてご確認ください。
筑波大学ギャラリー 公式HP