第489話 バトンを渡す
-【生誕100年のレジェンド篇】作家 三島由紀夫-
[2025.01.11]
Podcast
今年の1月14日、生誕100年を迎える、戦後の日本文学を代表する作家がいます。
三島由紀夫(みしま・ゆきお)。
三島は、19歳のとき、『花ざかりの森』を出版して以来、『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』など、数多くの小説や戯曲を発表し、1970年11月25日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で、自決しました。享年45歳。
亡くなってから55年が経った今も、その存在感は、色あせるどころか、さらに深みと濃さが増し、彼の作品が、今の私たちに鋭いメッセージを投げかけているように感じます。
2月8日まで開催されている『三島由紀夫生誕100年祭』という企画展にも、老齢なファンはもちろん、若い男女が、連日、足を運んでいます。
開催場所は、緑豊かな東京大学駒場キャンパス近くの、日本近代文学館。
この展覧会には、図録がありません。
初公開の貴重な資料、手紙、展示物との一期一会は、この場所でしか味わうことができないのです。
展示は、3つのコーナーに分かれています。
三島を愛するミシマニア、書物を愛するビブリオマニア、そして日本を愛するヤポノマニア。
この企画展の実行委員会委員のおひとり、白百合女子大教授で、三島研究のオーソリティとして知られている、井上隆史(いのうえ・たかし)先生は、雑誌『新潮』12月号に、「書簡や署名入り献本が物語る三島の篤い交友関係、美しい造本に懸けた三島の思い、21世紀の日本を生きる私たちに向けてのメッセージを主題として展示することを考えた」と書かれています。
孤高の作家のイメージが強い三島が、実は、遠藤周作をはじめとする同時代の小説家と献本し合っていた、そして、編集者としての顔も持っていた彼は、新進気鋭の画家と組んで本の装幀にも心血を注いでいた…。
数々の展示品から見えてくるのは、三島という作家が、文化や芸術というバトンを、時代を越え、国境を越えて、必死につなげようとした熱い思いです。
文豪・三島由紀夫が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
三島由紀夫は、1925年1月14日、東京市四谷区。現在の新宿区四谷四丁目に生まれた。
祖父も父も高級官僚。
家には女中さんが何人もいる裕福な家系の長男として、この世に生を受けた。
生まれながらに虚弱体質。体が弱かった。
そんな三島に、読書、文学の楽しみを教えたのは、父方の祖母、夏子こと、平岡なつだった。
彼女自身、幼い頃から体が弱く、文学少女。
泉鏡花にのめりこんだ経験があった。
祖母・夏子は、幼い三島を溺愛した。
男の子との遊びを禁じ、読書をすすめた。
祖母の影響で、学習院初等科に入ると、詩歌や俳句に興味を持ち、機関誌『小ざくら』に、毎号習作がのった。
中等科に入る頃、はじめて、祖母に連れていってもらった歌舞伎。
すごかった。舞台に惹きつけられる。
1939年、14歳になったばかりの冬。
祖母がこの世を去る。満62歳だった。
初めて強烈に「死」を意識した瞬間だった。
三島由紀夫は、20歳のとき、終戦を迎える。
赤紙をもらい、入隊検査を受けたが、医師の誤診で即日帰京。東京に戻る。
神奈川の勤労動員の寮に入りながらも、小説を書き、能楽、近松の世界に没頭していた。
世田谷区豪徳寺にある親戚の家で、8月15日を迎えた。
詔勅を聴いたときのことを、彼はNHKのインタビューでこう答えている。
不思議な感動をとおりこして、空白感しかなかった。
今まで自分の生きて来た世界が、このままどこへ向かって変わっていくのか、それが不思議でたまらなかった。
戦争に負けたら、この世界は崩壊するはずであるのに、まわりの夏の木々が、緑が、変わらず、濃い夏の光をあびている。
その強い日の光は、一生、自分の心から消えないだろう…。
三島は、限りある命の使い方について、深く考えた。
日本近代文学館で開催中の「三島由紀夫生誕100年祭」。
そこに、興味深いパネルがある。
三島の人生と、世界と国内の情勢を合わせた年表。
その年表を前にすると、彼がなぜ、後半生を賭けた大作『豊饒の海』を書いたのかが見えてくる。
夢と転生の物語の中で、日露戦争から太平洋戦争に向かう日本の命運が重なっていく。
三島は、この小説を通して、次世代にメッセージを送ったのかもしれない。
三島が生まれて、100年。そして、これからの100年。
3つの展示コーナーを回れば、詩人の高橋睦郎(たかはし・むつお)、美術家の横尾忠則(よこお・ただのり)、そして歌舞伎役者・坂東玉三郎に、三島が芸術、文化伝統のバトンを渡したことが想像できる。
「あとは、頼んだ」とでもいうように。
三島は、虚無や絶望の果てに、希望というバトンを未来に贈った。
「人生には濃い薄い、多い少ない、ということはありません。
誰にも一ぺんコッキリの人生しかないのです」
三島由紀夫
【ON AIR LIST】
◆BE MY LAST(映画『春の雪』主題歌) / 宇多田ヒカル
◆いそしぎ / アストラッド・ジルベルト
◆夜明け(バレエ音楽『ダフニスとクロエ』より) / ラヴェル(作曲)、ジャン・マルティノン(指揮)、パリ管弦楽団
◆MISHIMA(クロージング)(映画『MISHIMA』より) / フィリップ・グラス
★今回の撮影は、「『三島由紀夫生誕100年祭』実行委員会」様にご協力いただきました。ありがとうございました。
協力企画展「三島由紀夫生誕100年祭」は、日本近代文学館にて2025年2月8日(土)まで開催中です。
企画展の詳細など、詳しくは公式HPよりご確認ください。
三島由紀夫生誕100年祭 公式HP
三島由紀夫(みしま・ゆきお)。
三島は、19歳のとき、『花ざかりの森』を出版して以来、『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』など、数多くの小説や戯曲を発表し、1970年11月25日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で、自決しました。享年45歳。
亡くなってから55年が経った今も、その存在感は、色あせるどころか、さらに深みと濃さが増し、彼の作品が、今の私たちに鋭いメッセージを投げかけているように感じます。
2月8日まで開催されている『三島由紀夫生誕100年祭』という企画展にも、老齢なファンはもちろん、若い男女が、連日、足を運んでいます。
開催場所は、緑豊かな東京大学駒場キャンパス近くの、日本近代文学館。
この展覧会には、図録がありません。
初公開の貴重な資料、手紙、展示物との一期一会は、この場所でしか味わうことができないのです。
展示は、3つのコーナーに分かれています。
三島を愛するミシマニア、書物を愛するビブリオマニア、そして日本を愛するヤポノマニア。
この企画展の実行委員会委員のおひとり、白百合女子大教授で、三島研究のオーソリティとして知られている、井上隆史(いのうえ・たかし)先生は、雑誌『新潮』12月号に、「書簡や署名入り献本が物語る三島の篤い交友関係、美しい造本に懸けた三島の思い、21世紀の日本を生きる私たちに向けてのメッセージを主題として展示することを考えた」と書かれています。
孤高の作家のイメージが強い三島が、実は、遠藤周作をはじめとする同時代の小説家と献本し合っていた、そして、編集者としての顔も持っていた彼は、新進気鋭の画家と組んで本の装幀にも心血を注いでいた…。
数々の展示品から見えてくるのは、三島という作家が、文化や芸術というバトンを、時代を越え、国境を越えて、必死につなげようとした熱い思いです。
文豪・三島由紀夫が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
三島由紀夫は、1925年1月14日、東京市四谷区。現在の新宿区四谷四丁目に生まれた。
祖父も父も高級官僚。
家には女中さんが何人もいる裕福な家系の長男として、この世に生を受けた。
生まれながらに虚弱体質。体が弱かった。
そんな三島に、読書、文学の楽しみを教えたのは、父方の祖母、夏子こと、平岡なつだった。
彼女自身、幼い頃から体が弱く、文学少女。
泉鏡花にのめりこんだ経験があった。
祖母・夏子は、幼い三島を溺愛した。
男の子との遊びを禁じ、読書をすすめた。
祖母の影響で、学習院初等科に入ると、詩歌や俳句に興味を持ち、機関誌『小ざくら』に、毎号習作がのった。
中等科に入る頃、はじめて、祖母に連れていってもらった歌舞伎。
すごかった。舞台に惹きつけられる。
1939年、14歳になったばかりの冬。
祖母がこの世を去る。満62歳だった。
初めて強烈に「死」を意識した瞬間だった。
三島由紀夫は、20歳のとき、終戦を迎える。
赤紙をもらい、入隊検査を受けたが、医師の誤診で即日帰京。東京に戻る。
神奈川の勤労動員の寮に入りながらも、小説を書き、能楽、近松の世界に没頭していた。
世田谷区豪徳寺にある親戚の家で、8月15日を迎えた。
詔勅を聴いたときのことを、彼はNHKのインタビューでこう答えている。
不思議な感動をとおりこして、空白感しかなかった。
今まで自分の生きて来た世界が、このままどこへ向かって変わっていくのか、それが不思議でたまらなかった。
戦争に負けたら、この世界は崩壊するはずであるのに、まわりの夏の木々が、緑が、変わらず、濃い夏の光をあびている。
その強い日の光は、一生、自分の心から消えないだろう…。
三島は、限りある命の使い方について、深く考えた。
日本近代文学館で開催中の「三島由紀夫生誕100年祭」。
そこに、興味深いパネルがある。
三島の人生と、世界と国内の情勢を合わせた年表。
その年表を前にすると、彼がなぜ、後半生を賭けた大作『豊饒の海』を書いたのかが見えてくる。
夢と転生の物語の中で、日露戦争から太平洋戦争に向かう日本の命運が重なっていく。
三島は、この小説を通して、次世代にメッセージを送ったのかもしれない。
三島が生まれて、100年。そして、これからの100年。
3つの展示コーナーを回れば、詩人の高橋睦郎(たかはし・むつお)、美術家の横尾忠則(よこお・ただのり)、そして歌舞伎役者・坂東玉三郎に、三島が芸術、文化伝統のバトンを渡したことが想像できる。
「あとは、頼んだ」とでもいうように。
三島は、虚無や絶望の果てに、希望というバトンを未来に贈った。
「人生には濃い薄い、多い少ない、ということはありません。
誰にも一ぺんコッキリの人生しかないのです」
三島由紀夫
【ON AIR LIST】
◆BE MY LAST(映画『春の雪』主題歌) / 宇多田ヒカル
◆いそしぎ / アストラッド・ジルベルト
◆夜明け(バレエ音楽『ダフニスとクロエ』より) / ラヴェル(作曲)、ジャン・マルティノン(指揮)、パリ管弦楽団
◆MISHIMA(クロージング)(映画『MISHIMA』より) / フィリップ・グラス
★今回の撮影は、「『三島由紀夫生誕100年祭』実行委員会」様にご協力いただきました。ありがとうございました。
協力企画展「三島由紀夫生誕100年祭」は、日本近代文学館にて2025年2月8日(土)まで開催中です。
企画展の詳細など、詳しくは公式HPよりご確認ください。
三島由紀夫生誕100年祭 公式HP