yes!~明日への便り~presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

SPECIAL

ホクト presents 長塚圭史の~自分にyes!を言う時間~

僕らが今日、語り合う理由

3/17 yes~明日への便り~サンスぺ 長塚圭史さん 北阪昌人さん

  • 北阪昌人さん
  • こんばんは。本日はエフエム東京本社ビルの11階にある、ジェットストリームラウンジにお邪魔しています。
  • 長塚圭史さん
  • いやぁ、素晴らしい景色ですね。
  • 北阪昌人さん
  • スカイツリーも見えますし、夜景のなかに皇居のお堀が浮かび上がる眺めも素敵です。そして、目の前には……美味しそうなキノコ!
  • 長塚圭史さん
  • ホクトさんの「霜降りひらたけ」ですね。美味しそうだ。
  • 北阪昌人さん
  • 最高ですね。さて、こうして長塚圭史さんと二人でゆっくりお話しできるのを楽しみにしていました。僕は、長塚さんがMCを務められているラジオ番組「yes!~明日への便り~ presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ」(TOKYO FM、土曜日18時〜)で、脚本家として参加させていただいています。2015年に放送開始してから、今年で9年。もうすぐ500話が見えてくる、息の長い番組となりましたね。
  • 長塚圭史さん
  • 長く続けさせていただいて、ありがたい限りです。
  • 北阪昌人さん
  • この番組では毎週、賢人・偉人を一人、取り上げて、僕の書いた彼・彼女らのストーリーを長塚さんに朗読していただいています。彼らは偉業を成し遂げる過程で、きっとどこかで自分に「yes!」と言った瞬間があったはず。レジェンドとなった人物の人生を紐解くことで、リスナーの方に自分を肯定するための活力を感じ取ってもらえればいいな、と思いながらいつも脚本を書いています。長塚さんは彼らの物語を読んでいて、いつも何を感じられていますか?
  • 長塚圭史さん
  • とにかく学ぶことが多いですね。もちろん既に知っている偉人もいるんですが、お名前さえ存じ上げなかった方もいます。そんな人たちが驚くような偉業を成し遂げていたことを知るのも嬉しいし、彼らがどんな精神で戦っていたのかを発見することもスリリングです。北阪さんは毎回、セリフも書いてくれるじゃないですか。あれを読むのも緊張感があっていいんですよね。
  • 北阪昌人さん
  • すみません。いつも悩ましいと思いながら書いているんですが。
  • 長塚圭史さん
  • いえいえ。どうやって演じようか考えるのが楽しんですよ。
  • 北阪昌人さん
  • 僕は長塚さんが女性のセリフを朗読されるのが好きなんです。特に偉人のお母さんが出てくると、嬉しくなっちゃって(笑)。
  • 長塚圭史さん
  • 以前にも北阪さんにそのことを言ってもらったんですが、それ以降、お母さんの出番の多いこと多いこと(笑)。いつもいい意味でプレッシャーを感じながら挑んでいます。朗読もこれだけ長いことやらせてもらっていると、得るものがたくさんあるんですよね。正確に伝えるためにはどうすればいいのか。どれくらいの抑揚で読めばいいのか。いろいろ試しながら実演できるので、とても勉強になっています。
  • 北阪昌人さん
  • 僕も、長塚さんの声で語られるとこんなにも物語の雰囲気が変わるんだって毎回驚くことができて、すごく幸せです。

高まる期待への不安、
そして留学へ

  • 北阪昌人さん
  • 今日は演劇のこと、昔のお話などを聞かせてください。その前に、簡単に長塚さんのプロフィールをご紹介いたしますね。長塚さんは1975年生まれ。1996年に劇団、阿佐ヶ谷スパイダースを旗揚げし、2008年にはロンドンに一年間留学されています。2011年にソロプロジェクト、葛河思潮社を始動し、さらに2017年、演劇ユニット、新ロイヤル大衆舎を結成。これまでに読売演劇大賞優秀作品賞や同賞優秀演出家賞などを受賞されています。そして、2021年の4月からはKAAT神奈川芸術劇場の芸術監督を務められています。お伺いしたいことはたくさんあるんですが、まずはロンドンの留学時代のお話をお聞きしても良いでしょうか。どういう経緯で留学されることになったのでしょうか?
  • 長塚圭史さん
  • 北阪さんがご紹介してくださったように、僕は21歳のときに阿佐ヶ谷スパイダースというチームを作って演劇を始めたんですね。幸いなことにとても優れたスタッフや俳優陣を集めることができて、最初、200人くらいだった観客動員数も5年、6年と経つにつれどんどん増えていきました。
  • 北阪昌人さん
  • 人気だったんですね。
  • 長塚圭史さん
  • それほど莫大な人気ってわけじゃないんですが、注目はされました。で、27歳の頃に渋谷のパルコ劇場やBunkamuraのシアターコクーンといった大きな舞台で新作を上演する機会を得たり、深夜ドラマの脚本を書かせてもらったりもしました。とっても楽しかったし、今、振り返っても素晴らしい思い出です。毎日、ワクワクするようなことばかりだったのですが、同時にプレッシャーもありました。次から次に新しい作品を作らなければならない。そして、それを必ずヒットさせなければならない。すると、だんだん不安になってしまって。自分はそもそも演劇が面白いから学生演劇を始めただけで、何か特別なことを学んだわけでもない。それなのに、こんなところまで来てしまった。そう考えると、恐ろしいというか……。
  • 北阪昌人さん
  • 恐ろしいというのはどういう感覚でしたか?
  • 長塚圭史さん
  • 30歳過ぎて、自分がこの先どうやって演劇を続けていくのか想像がつかない。新作を書き続けながら翻訳劇もやる、そんな情熱をいつまで持ち続けていられるのかまったくわからなかったんです。毎日毎日、目の前で任された仕事だけでいっぱいいっぱいで、疲弊してしまってて。もちろん仕事は楽しいのですが、でも、この後、何も生み出せないんじゃないかと不安に駆られていました。このまま続けていると、仕事をぜんぶ放棄しちゃうんじゃないかと思ったりもしてましたね。
  • 北阪昌人さん
  • そのときに留学のお話がちょうど来たわけですね。
  • 長塚圭史さん
  • そうなんです。じつはその前に、一年間休もうと思ったんですよ。休んで、充電をして、それから自分の身の振り方を決めようと思っていて。だからもう仕事はひとまず一切受けないと決めていました。当時の仲間にもそれは伝えていました。そうしたら、ちょうどそのタイミングで文化庁の申請が通ったんです。ロンドンへの留学を決意しました。
  • 北阪昌人さん
  • 毎日の仕事が忙し過ぎて辞めたくなることって、多くの人が経験することだと思います。でも、みんな辞めようと思ってもなかなかふんぎりがつかないわけですよね。でも、長塚さんは辞める決意ができたんですね。それくらい逼迫していたということですか?
  • 長塚圭史さん
  • あの頃は、もう辛かったんですよ。もちろん仲間もいるし、仕事を依頼してくださる方々もいるので、全力でがんばっていました。ただ、その先のことを考えるのが、とにかくしんどくて。当時、僕が書いていた作品はスプラッター劇でした。人間のなかに潜んでいる鬱屈した感情が溜まり、ある瞬間に爆発する。それによって周りの関係性が変化したり、事件が起きたりする。そういう芝居を作っていました。僕はアメリカン・ニューシネマに影響を受けていて、物語が最後、唐突にプチッと終わる、その先はお客さんの想像に委ねる、そんな作品が多かったんです。暴力表現も少し過剰に演出していたから、お客さんは刺激を受けるために見に来ていたんだと思います。みんなの期待がどんどん高まっているのがよくわかりました。
  • 北阪昌人さん
  • 長塚さんとしても、もっともっとエスカレートさせないと……って気持ちになりますよね。
  • 長塚圭史さん
  • そうですね。長塚、次は何をやってくれるんだ? どんな怖い目に遭わせてくれるんだ?っていう雰囲気がすごく伝わってくるんですよ。ちょっと甘いことをすると、なんだよ、がっかりだって空気が蔓延してたんです。
  • 北阪昌人さん
  • 肌感覚でわかるんですね。
  • 長塚圭史さん
  • はい。だから、わざと裏切ったり、不条理な芝居にしたりもしました。でも、それがギリギリでしたね。2008年前後は社会が大きく変質しつつある時代でもあって。ニュースで報道される事件を見ても、僕が想像もつかないくらいの過激なことが起きていたりしました。そういう時代的な気分のなかでこのまま作品を作り続けるのはちょっと難しいぞという不安に襲われていたんです。

鬱屈としたロンドン留学

  • 北阪昌人さん
  • じゃあ、ロンドンに留学したばかりの頃は、もうすでにヘトヘトだったんですね。
  • 長塚圭史さん
  • もう、疲弊し切ってました。もちろんロンドンに着いたばかりの頃は何もかもが楽しかったんです。外国ですからね。でも、2、3ヶ月経った頃に次第に鬱気味になってしまって。
  • 北阪昌人さん
  • 以前お話を聞いたときも、そのことに驚きました。普通は環境が変わればイキイキするものじゃないですか。毎日劇場通いをして刺激を得ていたのかなと思ったら、留学してしばらくして、家から出なくなってしまったって。
  • 長塚圭史さん
  • 焦りましたね。またロンドンって暗いんですよ、街が。日も短いし。あと、滞在先は素敵なところだったんですが、ベッドが柔らかくて、腰も痛くなってくるし、布団で眠りたかった。調子がどんどん悪くなっていきましたね。
  • 北阪昌人さん
  • そこからどうやってご自分で「yes!」を取り戻すことができたのでしょうか?
  • 長塚圭史さん
  • トーゴ・イガワ(伊川東吾)さんという、日本ではずっと黒テントという劇団でお芝居されていた俳優の方が親身になって面倒を見てくれたんです。そんな調子でロンドンにいてもしょうがないから、うちへ来いって言ってくれて。それで、バンブリーという市内から離れた郊外にあるイガワさんのお宅にお邪魔することになりました。イガワさんは僕の父親くらいの年齢なんですが、彼の奥さんに美味しいご飯を食べさせてもらったり、犬と一緒に森のなかをただ散歩したりして過ごしていました。
  • 北阪昌人さん
  • のんびりした場所だったんですね。
  • 長塚圭史さん
  • ええ、ロンドンとは打って変わって田舎町でした。そういうのんびりした日常を過ごしていたある日、井上ひさしさんの『父と暮せば』の英訳本を見つけたんです。みんなが寝静まった時間だったのですが、その本を手に取って読んでみました。この戯曲はいわゆる原爆ものなんですね。父親を原爆で亡くした娘が、自分だけ幸せを追いかけることは罪なんじゃないかと考えてしまい幸福を掴めずにいる。そこへお父さんの幽霊が現れ、自分の分まで生きてくれ、と娘を応援する。つまり、サバイバーズギルトの物語です。生き残った人が罪を背負った気持ちになってしまうことを突き詰めて考えた戯曲だったわけですね。僕はこの作品を読み、これをイギリスで上演したらどうなるだろうかと思ったんです。
  • 北阪昌人さん
  • もう一度、演劇に向き合ったんですね。
  • 長塚圭史さん
  • はい。僕が当時留学していた機関の一つに、ナショナル・シアター・スタジオというワークショップやディベロップメント(稽古)専用の施設がありました。そこは、一週間とか決められた期間に、アーティストや俳優、それからスタッフを呼んで、彼らがやりたいことを試行錯誤する機会を与える。面白かったらもう一度できるし、うまくいかなければそれでおしまい。だけど、その間の対価はちゃんと用意してくれる。アーティストが考えて試すことに国がお金を支払う。そんな機関なんです。
  • 北阪昌人さん
  • ワークショップのための国立機関というのはすごいですね。
  • 長塚圭史さん
  • 一つの大きな建物になっているんですが、そこに世界中からすごいアーティストがたくさんやってきて、やりたいことを試してるんです。イギリスの俳優たちも、そのスタジオに呼ばれることをみんな誇りに思っている。たまたま僕もそこにいたものですから、何かできないだろうかと考えていました。ただ、そのときに大事なのは、日本の文化を表現するのに着物とか侍とかそういうのに頼らないことだとも思っていました。もっと裸一貫で、イギリスの俳優の方が日本人を演じても違和感がないものを作れないか。そういう気持ちが湧いていたときにあの本を見つけ、これでやってみたらどうだろうと思い立ったわけです。

そして再び演劇へ。
長塚圭史の、yes!の瞬間。

  • 北阪昌人さん
  • まさに自分に「yes!」を言えた瞬間ですね。そこから一歩を踏み出せたというか。
  • 長塚圭史さん
  • はい。踏み出せましたね。じつは僕のなかにはずっと前から原爆に対する恐怖心があったんです。小学生の頃、学校で原爆の資料をたくさん見させられたことがあって。今思えばありがたい機会だったのですが、当時はなんだかわからないから、ただただ恐ろしいだけでした。その経験がきっと僕のなかに反原爆という心情を芽生えさせたんでしょうけれど、それを芝居で扱うことはなかなかできずにいました。でも、異国の地に来たときに、そのテーマと新しく向き合う方法を見つけられたような気がしたんです。
  • 北阪昌人さん
  • ワークショップはどのように行ったのでしょうか?
  • 長塚圭史さん
  • 日本にいた頃、僕はワークショップというものをほぼやったことがありませんでした。だから、スタジオでいろんなアーティストがやっているのを覗き見したり、リサーチしたりしてやり方をいろいろ考えました。何より難しいのは、日本の暮らしを知らないイギリスの俳優たちに、僕ですらよくわからない当時の日本人の生活を理解してもらうことでした。日本の住居はこうなってて、襖や障子はここら辺にあって……といった具合に日本の風景を説明するところから始めて。靴を脱がない習慣の人たちに、日本の生活様式を教えることもしなきゃならなかった。彼らはすぐにお茶で乾杯したり、親子同士でハグしちゃったりするんですよ(笑)。だから日本人の持っている適正な距離感や文化とかもしっかりレクチャーしました。襖や畳もトラックに積んで借りてきたりしましたね。ただ、最終日にそういった日本風の舞台装飾を全部イギリス様式のものに変えたんです。テーブルと椅子に変えて、お茶もティーにした。一回だけそれでやってみようということになったんですが、そのときは非常に素晴らしかったですね。
  • 北阪昌人さん
  • 今、当時のことを思い出しながらお話しされている長塚さんのお顔、すごくいい表情が浮かんでいます。
  • 長塚圭史さん
  • あのときはとにかく最高だったんです。窓の向こうのロンドンの空に、あの恐ろしいきのこ雲の影が見えるような気がしたほどでした。人間の抱える問題は世界共通なんだなということがわかったというか。文化を知ってもらうためにいろいろと試行錯誤したんですが、最終的に何も要らないのではないかと気づくこともできました。舞台って自分が考えていたよりももっとすごいものかもしれない、と。これまで、血だなんだと小道具をいっぱい使っていましたが、そんなことじゃなかったんですね。一つの物、例えば、紙切れ一枚を舞台の上に出すところからドラマが始まるんだとわかったら、急にやる気が湧いてきたんです。もっともっと自分にはやれることがいっぱいあるじゃないかと、そう思うようになりました。

yes!~明日への便り~」に
かける想い

  • 北阪昌人さん
  • 「yes!~明日への便り~」の話をもう少ししましょう。この番組は、土曜日の夕方に一息つきながら、自分に小さく「yes!」と言えるようなラジオをやりたいねってエフエム東京の方とお話ししているなかでできた番組でした。ただ、朗読系のラジオ番組って実現するのは普通は難しいんです。そもそもスポンサーさんが企画にOKしてくれなければ、番組会議すらできません。でも、当時ホクトの常務取締役だった森正博さんがこころよく企画を通してくれました。それから10年近くもの間、ホクトさんに支え続けてもらっていて、感謝しかありません。
  • 長塚圭史さん
  • 本当にありがたいことです。
  • 北阪昌人さん
  • 朗読の番組をやることが決まってからは、ホクトのマーケティング担当の神戸勝さんとエフエム東京の藤岡泰弘さんと三人でじっくりと番組会議をしました。企画も通ったことだし、いい番組を作ろう、と。そのときに神戸さんがおっしゃったのが、身体の健康はきのこでホクトがなんとかするから、心の健康をぜひラジオでケアしてくれないか、ということでした。リスナーが一週間がんばった自分を肯定できるような番組にするにはどうしたらいいか。そのことを考えながら、ふと、当時ホクトさんから番組開始の時のキーワードとしてもらっていた「軽井沢」という場所と、ホクトさんが売り出しているシリーズ「ホクトプレミアム」の「プレミアム」という単語を見たときに、なぜか僕の頭にジョン・レノンが思い浮かんだんです。じつはジョン・レノンにも鬱屈とした部分がありました。そんな彼がロンドンのギャラリーでオノ・ヨーコの個展を見に行ったときに、脚立を登って虫眼鏡で天井に描かれた絵を見るアートを見つけたんです。気になって脚立を登り、天井を見ると、そこには小さく「yes」と書かれていた。ジョン・レノンは後年、あそこで「no」と書かれていたら、自分は会場から去っていただろうと言っています。あのとき「yes」をもらえたことで、これからもがんばろうと思えたんだ、と。僕はそのエピソードを思い出して、お二人に伝えたんです。すると、お二人も、「じゃあ、番組名は『yes』でいこう!」と言ってくれて、番組の方向性が決まったわけです。ただ、単なる偉人伝にはしたくありませんでした。リスナーが共感できるような内容じゃなきゃダメだと思ったんです。それで、偉人たちが自分で自分に「yes」と言えた瞬間を朗読で伝える番組を作れば、聴いてくれる人も自分を肯定できるんじゃないかと考えるに至ったわけです。そんなふうにしてこの番組はスタートしたのですが、まさかこんなに大変なことになるとは思いませんでした(笑)。なにせ、一週間に3冊、4冊と偉人に関する本を読まなければなりませんから。
  • 長塚圭史さん
  • いやぁ、とんでもないお仕事ですね。想像を絶する大変さだ。
  • 北阪昌人さん
  • いえいえ、自分でもちゃんと知識を構築しなきゃダメだとわかっていますから。かなり気持ちを入れてやらせていただいています。また、ディレクターの氏家美佳さんが音楽を使って盛り上げてくれるんですが、それがとても素敵なんですよ。もちろん長塚さんに読んでいただくのもこの上ない幸せです。
  • 長塚圭史さん
  • いえいえ、こちらこそいつもありがとうございます。でも、確かにいつも「yes!~明日への便り~」ってどんな番組なのかなって立ち返るとき、ジョン・レノンのことが自然と思い出されますね。自分を肯定することで前に進めるんだってことを再認識させてもらえるっていうか。だから、何か思い悩んだときはそのことを考えることが多かったりします。番組のなかでも何度かジョン・レノンを取り上げていますが、そのたびに気合を入れ直される気がしますね。
  • 北阪昌人さん
  • 確かに最多回数かもしれませんね、ジョン・レノンは。
  • 長塚圭史さん
  • それと、今、ホクトさんのお話がありましたけど、じつは僕は個人的にとても支えられているんです。コロナ禍の初期って演劇をするのがすごく難しかったんですよ。上演が中止になったところがたくさんありました。僕らも2020年の6月に下北沢で公演があったんですが、あの時期は緊急事態宣言が解除したばかりで通常開催するのが難しかった。だけど、何かやらなきゃと思って、朗読劇をやることにしたんです。自分たちはできると信じて、最良のメンバーで読み語りをすることに決めました。
  • 北阪昌人さん
  • そのときも朗読だったわけですね。
  • 長塚圭史さん
  • ええ。あのとき朗読劇を選んだのも、きっと僕がこの番組のおかげで朗読を信じる力が強くなっていたおかげだと思います。ただ、やっぱりそこに至るまではすごく大変でした。そんなときにホクトさんがきのこを送ってくれて、支援までしてくれたんです。めちゃくちゃ嬉しかったですね。こんなことあり得るのかって。また、その頃にラジオでは演劇に関する偉人の方をたくさん取り上げてくださって。あの頃は個人的にすごく助けられました。胸がいっぱいだったんです。ホクトさんにはそんな感謝の気持ちがあるものですから、実際に長野県のホクトさんの工場を訪れることができたときは感無量でしたね。
  • 北阪昌人さん
  • 先日、番組で特別編として小諸きのこセンターにお邪魔したんですよね。
  • 長塚圭史さん
  • はい。あれはかけがえのない時間でしたね。だって、この番組で何度も読み上げている「一番採り生どんこ」と「霜降りひらたけ」が作られている現場を見ることができたわけですから。また、きのこの研究・開発に携わっている小林さんと石川さんのお話を聞けたのも良かった。消費者のためにすごくいろんなことを考えながら作ってるんだということを知ることができて、この番組をこれからも長く続けていこうと改めて思うことができました。
  • 北阪昌人さん
  • 本当に素敵な回でしたね。あの特別編のアーカイブは「yes!~明日への便り~」の公式ホームページにありますので、ぜひご視聴ください。インタビュー記事も掲載されています。

これからも挑戦は続く

  • 北阪昌人さん
  • さて、長塚さんの今後のお仕事のお話を聞かせてください。今、お稽古されているのはどのようなお芝居ですか?
  • 長塚圭史さん
  • 今、稽古しているのは『GOOD』(公演日:2024/04/06(土)~ 2024/04/21(日) 会場:世田谷パブリックシアター)というC.Pテイラーというイギリスの劇作家が書いた戯曲で、ホロコーストがテーマの作品です。1933年、ドイツが少しずつナチスに傾倒していく。そういう状況を描いた本作が焦点を当てるのは、庶民の人たち。彼らがどういう心理でナチスに飲み込まれていったのかを作家は問うているわけです。多くの人が自分は関わりがないと思っていても、知らず知らずのうちにホロコーストに加担してしまったわけですよね。一般の人たちが自分の身を守るために、いつの間にか迫害してしまったり、多くの命が犠牲になっていることを見ないようにしてしまったりする。この作品は副題が「善き人」というタイトルなんですが、どこまでが善で、何が悪なのか、そのことを描いた芝居です。このご時世にあって、この作品は非常に訴えかけるものがあると思います。人間そのもののなかに眠っている弱い部分について考えさせてくれるはずです。生活を守るために何かを犠牲にしなきゃいけない、そんな人間の弱さ、というか。あと、音楽劇でもあるんですよ。
  • 北阪昌人さん
  • 生演奏が入ると聞きました。
  • 長塚圭史さん
  • はい。ミュージシャンの方々による演奏もあります。
  • 北阪昌人さん
  • いやぁ、演出家としてもなかなか大変ですね。
  • 長塚圭史さん
  • そうなんです。俳優が突然歌い出したり、コミカルな部分もあったりしますから。ディープな内容だけじゃなくて、どこか喜劇的な要素も含まれた芝居なんです。なかなか見応えのある作品になるんじゃないかな。この時代にあって本当に胸に迫るものがあると思いますので、ぜひ多くの方に見ていただきたいですね。
  • 北阪昌人さん
  • もう一つ、最初にお伝えした通り、長塚さんはKAAT神奈川芸術劇場で芸術監督をされているわけですが、毎年、メインシーズンのタイトルを決められていますよね。今年のタイトルは「某」。僕はいいなと思って、キュンとしちゃいました。個人のレンズから世界を見るとどうなるかといった、視点の切り替えが自分のなかに生まれるようなテーマ選びだと思いました。世界の見方を変える一つのきっかけになる言葉なのかな、と。
  • 長塚圭史さん
  • そうおっしゃってくださって嬉しいです。9月から始まるKAATのメインシーズンは半年近くあるので、あまり見る側の視点を狭めるのも良くないかなと思っています。芝居は好きに見ていいものですしね。その上で「某」(なにがし)というタイトルを掲げたのは、大きな社会から見ると見えなくなる個人の視点から逆に世界を捉えると、全然違うものに映るからなんです。「某」はあなたでもあり、私でもあるわけです。この社会のあちこちに隠れているたくさんの「某」のレンズを通すと何が見えるのか。見終わったあとにでも、あるいは始まる前にでも、ちらっとそのことを考えてもらえたら嬉しいなと思って付けたタイトルです。
  • 北阪昌人さん
  • ぜひ、みなさんもKAAT神奈川芸術劇場に足を運んでください。今日は長塚さん、どうもありがとうございました。これからもいいものを書きますので、読んでください。
  • 長塚圭史さん
  • ありがとうございました。これからも喜んで読ませていただきます。
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