第四百十一話無欲に学び続ける
ヴィルヘルム・コンラッド・レントゲン。
第一次世界大戦によって傷ついた多くの兵士たちは、いわゆるレントゲン写真のおかげで、死をまぬがれました。
そして、発見から130年近く経った今も、X線によって救われている命があるのです。
医療の現場にここまでX線が広まった理由には、レントゲンの「無欲」があります。
彼は、X線を発見したとき、新聞記者に聞かれました。
「特許を申請されますよね? あなたは、大富豪になれます!」
しかし、彼はこう答えたのです。
「いいえ、特許など必要ありません。
そもそも、私がX線を発明したわけではないのです。
X線は、ただただ、そこにあったのですから。
これから、X線を研究したいと思う科学者、X線装置を作りたいと思う学者には、喜んで、私の実験資料を提供いたします。
私は、自分の研究を独占したいなどとはいっさい思わないのです」
そんなレントゲンの言葉に、嘘はありません。
彼は、ひたすら実験し、探究し、おのれの仮説を確かめたかったのです。
大金持ちになるより、名誉を得るより、自分がやった仕事に誇りと充実感を持つことができるか。
そこに幸せの秘密があると、レントゲンは知っていたのです。
また彼は、こんな言葉も残しています。
「いいですか、若い学生たちよ。
その仕事があなたに向いているかどうかは、人生の後半になってみないとわかりません。
だから、どんどん試せばいい。探せばいい。
必ず、見つかります。あなたにふさわしい仕事が」
若い頃に苦難を味わった彼だからこそ、そう言えたのです。
「無欲のひと」と称えられた伝説の物理学者、ヴィルヘルム・コンラッド・レントゲンが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
ドイツの物理学者、ヴィルヘルム・コンラッド・レントゲンは、1845年3月27日、プロイセン王国に生まれた。
父は織物工場を経営する資産家。母もオランダの商家の出身。裕福だった。
父44歳、母39歳で生まれた、待望の男の子。
両親から溺愛されて育つ。
プロイセンでは革命運動が激化。
一家は、母のふるさと、オランダに逃れた。
大きな屋敷には、細かい細工を配した調度品や高価な工芸品が、所狭しと並んでいた。
レントゲンは、自然豊かな環境の中、伸び伸びと育つ。
父は手先が器用で、工作が趣味。
ミニチュアの模型やジオラマを作っては、レントゲンを喜ばせた。
お父さんを真似て、工作に夢中になるレントゲン。
手先の器用さは、のちに、実験道具を作ることに生かされるが、このときはまだ知る由もない。
レントゲンに最初の挫折が待ち受けていたのは、全寮制の工芸高校2年生、17歳の冬のことだった。
天真爛漫で自由奔放にふるまうレントゲンを、ふだんから気に食わないと思っている教授がいた。
ある日、同級生が黒板にその教授の落書きを書いた。
落書きを見つけた教授は、激怒する。
「これを画いたのは、誰だ! おまえか、レントゲン!」
「いえ、ボクではありません」
「じゃあ、誰だ?」
「言いたくありません」
同級生をかばったレントゲンは、さらに教授の怒りを買った。
結局、退学に追い込まれる。
それでも、彼は、同級生の名前を口にしなかった。
彼を待っていたのは、長く、暗い、苦難のトンネルだった。
X線を発見した科学者、レントゲンは、同級生をかばい、工芸高校を退学になる。
大学進学の道を断たれたと、失意の中にいたが、「大学入学資格試験」があることを知る。
独学で、必死に学ぶ。もともと成績は優秀だった。
1年間、勉強漬けの毎日。
ようやく試験を受け、一次の筆記は、ほぼ満点の成績だった。
あとは、口頭試験を受けるのみ…しかし。
面接官を見て、レントゲンは、驚きで体が震えた。
そこに、彼を退学に追い込んだ教授がいた。
教授は、いじわるな質問を繰り返し、レントゲンは、不合格。
運命を呪った。
「どうして、こんなことになるんだ。
神はボクに、勉強の機会を与えない、おつもりか!」
それでも彼は、勉強を諦めなかった。
オランダの大学で、授業を聴講。
機会を奪われれば奪われるほど、学ぶことが好きになる。
やがて、スイスのポリテクニウムという、工科大学の前身となる専門学校の存在を知る。
そこに入れば、もっと高度な理系の勉強ができる。
必死で受験勉強をする。
受験日をひかえたある日、彼の目を異変が襲う。
重度の角膜炎。
オランダからスイスに行けば失明すると、医者に宣告を受ける。
道は、再び閉ざされた。
再び、進学の道を断たれたレントゲンは、どうしても諦めきれず、ポリテクニウムに嘆願書を送った。
医師の診断書、これまでの成績表や、学問への思いをつづった手紙、再試験を実施してもらえないかという叫びにも似た願いを封筒に詰めた。
合格の知らせが届いたとき、レントゲンは、泣いた。
苦難が襲っても、決して涙を見せなかった彼が、泣いた。
「これで、思い切り科学に向き合うことができる。
もう、後戻りはしたくない」
1895年、50歳のレントゲンは、ドイツのヴュルツブルク大学の総長になっていた。
しかし彼は、毎日実験室に通い、日々の勉強を休むことはなかった。
11月8日、夕食の時間になり、実験室の電気を消した。
ガラス管の近くにある蛍光板が青く光っている。
実験装置のスイッチを切り忘れていたからだが、ガラス管は黒い紙で覆ってある。
いったい、何の光なのか。
ガラス管と蛍光板の間に、そっと手を入れた瞬間、とんでもないものが映った。
それは、手の骨…。
こうして、レントゲンは新種の放射線の存在を発見した。
それは偶然のようで、偶然ではない。
たゆまぬ努力の証。
彼は苦難の日々を体験したからこそ、無欲に学問に向き合うことができた。
「私は、何も考えなかった。ただ実験し、ただ、探究した」
ヴィルヘルム・コンラッド・レントゲン
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X線もおどろく恋 / あがた森魚
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