今夜のお客様は先週に引き続き…気象予報士の森朗さま。
2012/3/10
今夜のお客様は先週に引き続き…気象予報士の森朗さま。
明日、東日本大震災から1年が経ちます。森さんに震災後の様々なお話をお伺いしました…
「私自身は、まだそれほど活動することは出来ていないのですが…私が働いている会社『ウェザーマップ』の仲間が、学校を流されて授業のできない子供たちの所に出前授業に行ったり、それから…【津波防災の日】という日が定められ、その時、トークイベントがありまして、そこに気象予報士の人達が集まってイベントに参加したりと…まだ、その程度しか活動できていないんです。
私は震災当日は引っ越しを控えていて、引っ越す先の家でインターネットをつなごうとしていたり…テレビをつなごうとしていたり…そうした作業をしていたんです。そこで揺れたんです。
それで、揺れたとたんに停電してしまったんです。その時の揺れ方で、遠くで大きい地震があったというのは分かったのですが、その後の情報が全くなかったんです。外では町の防災無線が「大津波警報が出てます…」とアナウンスされていたのですが…
だから“これは大変なことが起きている”と言うことしかわからなくって、その自分が置かれている状況がサッパリわからなかったんです。それで、翌日引っ越しだったため、自宅に戻ったんですが…その時“そうだ!車のラジオがあった”と思って車のラジオを捻ったら…“東北地方で大きな地震があり、津波が発生して大変なことになっている…”と、いうことは分かったんですけど、神奈川県にいる自分がどういう状況か、やはりさっぱり分からなかったんです。
ただその時、実は私、生まれは東京なんですが、育ったのは兵庫県西宮市だったので、阪神大震災の時、東京にいたんですけど、すぐ友達に連絡しますよね? 中々つながらなくて、やっとつながった時、その友達の第一声が…「どないなってんの?」と言うんです。 つまり現地では何が起こっているか、わかっていないんです。 それで “あぁ、その時の事が今か…” と、思ったんです。
それで、こういうテレビの仕事などをしている事に対して、それからものすごく考えて “たぶんあの時も、一生懸命伝えていたアナウンサーの人がいたけど、その人の声というのは、実は被災している人には伝わらないんだな…それが聞こえている人は、ある程度電気が通じている、それほどでもない人に伝わっているだけであって…” これはチョット、考え方を変えなければいけないと、考えてみれば当たり前の事なんですけど。
また…去年は、地震だけではなくて台風も多かったですし、集中豪雨もいくつかありました。すごく災害の多い年だったんです、地震以外にも。 だから、その後の災害の時にも、その災害が起きてから一生懸命喋っても “本当に伝えなきゃいけない人に、実は伝わらないかもしれない…” と、言うことをすごく考えてしまって…そんな事をいまさら「いまさらかよ!」って、言われるかもしれないけれど、すごくこの1年は考えました。
たぶん僕達、気象予報士は、立場的に唯一 “先の事を言える仕事” じゃないですか…起きた事をしゃべるのではなくて「こんな事が起きますよ!」という話だったならば、前もって伝えられるので、本当にそこはキチンと伝えなければいけない。「こんな事が、起こります…」って、起こってからではもう、あなたには情報が行かないかもしれないから、今のうちに聞いておいてほしい…という気持ちで、ちゃんと言わなければいけない。 でも、その時に、予報ですから「危ない!危ない!!」ばかり言っていて、オオカミ少年みたいに思われて、「結局何も起こらなかったじゃないか!」って言われちゃうと、情報の信頼度も無くなってしまう…その言い方が難しいし、さっきの話ではないですけど、ただ煽るのではなくて、事が起こった時に「あっ!あの人、言ってた言ってた。そういう時は、こういう風にすれば良いんだよね?」って、ちゃんと冷静に行動できるような情報の伝え方が出来ているのかと常に考えていたんです。」
“震災から1年が経ちますが、改めて私たちが意識すべきこと、そして考える事とは…”
「私は “決してまず他人ごとではない。” と言うことです。皆さんも感じていらっしゃるとは思うんですけれども…
もう一つは、今 たとえば、津波ひとつにしても、津波があまりにも大きかったものですから“1メートルの津波は大丈夫だろう?” なんて言っている人が、逆に増えてしまっているんです。 大変なことが起こってしまたので、逆に東日本大震災程ではないから、実は、とても危険なことに対して注意力が弱くなっているという事もあると思うんです。 そこをキチンとやっぱり知っていて欲しいし、そういう所をまず、まずは立ち返ってみることが良いのかなと思います。
それから、気象庁のOBの方とお話をした時に、やはり災害現場と直接向き合ってきた方なので、とても勉強になったんですが…例えば「避難訓練」ありますよね?それを、避難訓練としてやってしまうと面白くないから、だんだん皆さん参加しなくなって訓練にならなくなってしまう。だから“イベント化” するんだそうです。例えば、避難した先で、避難訓練が終わったらそこでバーベキューをやりましょうとか、そういう風にイベント化することで参加する人が増える、だから、そういうことをするといいよといったアドバイスを頂きました。
他にも、元国土交通省の方が言っていたのですが、避難所もただ体育館があるだけではなく、食料があるだけでもなく、そこにお酒とカラオケ・セットがあるとか…そういう風に、娯楽も用意しておかないと人は行かないっていうんです、いざと言う時に。
ですから、避難というものは、訓練も楽しくイベント化して、実際に避難する時にも気楽に行けるように、ちょっと楽しみがあるようにしないと避難しないから、そう言うことが大事だって結構みなさん仰ってました。
逃げるということは難しいんです。“まだ大丈夫” “ココは大丈夫”と、どうしてもそういう気持ちが働いてしまうので…「大丈夫だけど…ちょっと飲むつもりで行ってみる?」みたいな感じで行くのが良いらしいです。
あと、お祭りの事も言っていました。今これだけ大きな災害が起こって、色々な記録に残りますが、それが何年残るかな?って言うと、だんだん薄れて行ってしまうことにもなりかねないですよね? それで「祇園祭」ありますよね、京都の…あのお祭りは1200年ぐらい続いていますよね…何をキッカケに始まったかと言うと、貞観時代なんです。貞観地震の頃なんです。その大きな地震、疫病も流行ったらしいんですけれども、それを鎮めるために、あのお祭りを始めたそうなんです。それから1200年…今になって、毎年行われているこの祇園祭、これはいつ始まったんだろう?と、調べる人が出てくると、その貞観地震に行きわたるわけです。そうすると、1200年経ってもまだその「こんなに大きい地震が日本のココであった…」っていう記憶が、お祭りを通して1000年以上、伝わるんです。これが大事だと言われてました。だから、苦しい事とか、嫌なことは、どうしても忘れる方に働いてしまうんですけど、お祭りとか、イベントとか楽しい方向にカタチを変えて繋いでいくと意外とそうした方が残る。と言うことを、おっしゃっていました。
最後に…気象予報士の間で、震災後、新たな変化もありました。伝え方を、みんなそれぞれ考えています。災害に敏感になっていますから…例えば、今年の冬、すごく大雪になったじゃないですか?その時に、新潟県の方で地震がありました、佐渡の方で震度5の…その時に、すごく雪が積もった所で地震が起きると“雪はどうなっているんだ?” “ひょっとしたら、ゆるんで崩れて、雪崩が起きるのでは?” と、言うように、気象予報士の皆さんのピンとカンが働くようになってきているんです。 世の中で何か自然的なことが起きると、すぐその事が、他につながるのではないか?と、言うように、気象予報士の感度がみんな良くなっていると感じています。」
明日、東日本大震災から1年が経ちます。森さんに震災後の様々なお話をお伺いしました…
「私自身は、まだそれほど活動することは出来ていないのですが…私が働いている会社『ウェザーマップ』の仲間が、学校を流されて授業のできない子供たちの所に出前授業に行ったり、それから…【津波防災の日】という日が定められ、その時、トークイベントがありまして、そこに気象予報士の人達が集まってイベントに参加したりと…まだ、その程度しか活動できていないんです。
私は震災当日は引っ越しを控えていて、引っ越す先の家でインターネットをつなごうとしていたり…テレビをつなごうとしていたり…そうした作業をしていたんです。そこで揺れたんです。
それで、揺れたとたんに停電してしまったんです。その時の揺れ方で、遠くで大きい地震があったというのは分かったのですが、その後の情報が全くなかったんです。外では町の防災無線が「大津波警報が出てます…」とアナウンスされていたのですが…
だから“これは大変なことが起きている”と言うことしかわからなくって、その自分が置かれている状況がサッパリわからなかったんです。それで、翌日引っ越しだったため、自宅に戻ったんですが…その時“そうだ!車のラジオがあった”と思って車のラジオを捻ったら…“東北地方で大きな地震があり、津波が発生して大変なことになっている…”と、いうことは分かったんですけど、神奈川県にいる自分がどういう状況か、やはりさっぱり分からなかったんです。
ただその時、実は私、生まれは東京なんですが、育ったのは兵庫県西宮市だったので、阪神大震災の時、東京にいたんですけど、すぐ友達に連絡しますよね? 中々つながらなくて、やっとつながった時、その友達の第一声が…「どないなってんの?」と言うんです。 つまり現地では何が起こっているか、わかっていないんです。 それで “あぁ、その時の事が今か…” と、思ったんです。
それで、こういうテレビの仕事などをしている事に対して、それからものすごく考えて “たぶんあの時も、一生懸命伝えていたアナウンサーの人がいたけど、その人の声というのは、実は被災している人には伝わらないんだな…それが聞こえている人は、ある程度電気が通じている、それほどでもない人に伝わっているだけであって…” これはチョット、考え方を変えなければいけないと、考えてみれば当たり前の事なんですけど。
また…去年は、地震だけではなくて台風も多かったですし、集中豪雨もいくつかありました。すごく災害の多い年だったんです、地震以外にも。 だから、その後の災害の時にも、その災害が起きてから一生懸命喋っても “本当に伝えなきゃいけない人に、実は伝わらないかもしれない…” と、言うことをすごく考えてしまって…そんな事をいまさら「いまさらかよ!」って、言われるかもしれないけれど、すごくこの1年は考えました。
たぶん僕達、気象予報士は、立場的に唯一 “先の事を言える仕事” じゃないですか…起きた事をしゃべるのではなくて「こんな事が起きますよ!」という話だったならば、前もって伝えられるので、本当にそこはキチンと伝えなければいけない。「こんな事が、起こります…」って、起こってからではもう、あなたには情報が行かないかもしれないから、今のうちに聞いておいてほしい…という気持ちで、ちゃんと言わなければいけない。 でも、その時に、予報ですから「危ない!危ない!!」ばかり言っていて、オオカミ少年みたいに思われて、「結局何も起こらなかったじゃないか!」って言われちゃうと、情報の信頼度も無くなってしまう…その言い方が難しいし、さっきの話ではないですけど、ただ煽るのではなくて、事が起こった時に「あっ!あの人、言ってた言ってた。そういう時は、こういう風にすれば良いんだよね?」って、ちゃんと冷静に行動できるような情報の伝え方が出来ているのかと常に考えていたんです。」
“震災から1年が経ちますが、改めて私たちが意識すべきこと、そして考える事とは…”
「私は “決してまず他人ごとではない。” と言うことです。皆さんも感じていらっしゃるとは思うんですけれども…
もう一つは、今 たとえば、津波ひとつにしても、津波があまりにも大きかったものですから“1メートルの津波は大丈夫だろう?” なんて言っている人が、逆に増えてしまっているんです。 大変なことが起こってしまたので、逆に東日本大震災程ではないから、実は、とても危険なことに対して注意力が弱くなっているという事もあると思うんです。 そこをキチンとやっぱり知っていて欲しいし、そういう所をまず、まずは立ち返ってみることが良いのかなと思います。
それから、気象庁のOBの方とお話をした時に、やはり災害現場と直接向き合ってきた方なので、とても勉強になったんですが…例えば「避難訓練」ありますよね?それを、避難訓練としてやってしまうと面白くないから、だんだん皆さん参加しなくなって訓練にならなくなってしまう。だから“イベント化” するんだそうです。例えば、避難した先で、避難訓練が終わったらそこでバーベキューをやりましょうとか、そういう風にイベント化することで参加する人が増える、だから、そういうことをするといいよといったアドバイスを頂きました。
他にも、元国土交通省の方が言っていたのですが、避難所もただ体育館があるだけではなく、食料があるだけでもなく、そこにお酒とカラオケ・セットがあるとか…そういう風に、娯楽も用意しておかないと人は行かないっていうんです、いざと言う時に。
ですから、避難というものは、訓練も楽しくイベント化して、実際に避難する時にも気楽に行けるように、ちょっと楽しみがあるようにしないと避難しないから、そう言うことが大事だって結構みなさん仰ってました。
逃げるということは難しいんです。“まだ大丈夫” “ココは大丈夫”と、どうしてもそういう気持ちが働いてしまうので…「大丈夫だけど…ちょっと飲むつもりで行ってみる?」みたいな感じで行くのが良いらしいです。
あと、お祭りの事も言っていました。今これだけ大きな災害が起こって、色々な記録に残りますが、それが何年残るかな?って言うと、だんだん薄れて行ってしまうことにもなりかねないですよね? それで「祇園祭」ありますよね、京都の…あのお祭りは1200年ぐらい続いていますよね…何をキッカケに始まったかと言うと、貞観時代なんです。貞観地震の頃なんです。その大きな地震、疫病も流行ったらしいんですけれども、それを鎮めるために、あのお祭りを始めたそうなんです。それから1200年…今になって、毎年行われているこの祇園祭、これはいつ始まったんだろう?と、調べる人が出てくると、その貞観地震に行きわたるわけです。そうすると、1200年経ってもまだその「こんなに大きい地震が日本のココであった…」っていう記憶が、お祭りを通して1000年以上、伝わるんです。これが大事だと言われてました。だから、苦しい事とか、嫌なことは、どうしても忘れる方に働いてしまうんですけど、お祭りとか、イベントとか楽しい方向にカタチを変えて繋いでいくと意外とそうした方が残る。と言うことを、おっしゃっていました。
最後に…気象予報士の間で、震災後、新たな変化もありました。伝え方を、みんなそれぞれ考えています。災害に敏感になっていますから…例えば、今年の冬、すごく大雪になったじゃないですか?その時に、新潟県の方で地震がありました、佐渡の方で震度5の…その時に、すごく雪が積もった所で地震が起きると“雪はどうなっているんだ?” “ひょっとしたら、ゆるんで崩れて、雪崩が起きるのでは?” と、言うように、気象予報士の皆さんのピンとカンが働くようになってきているんです。 世の中で何か自然的なことが起きると、すぐその事が、他につながるのではないか?と、言うように、気象予報士の感度がみんな良くなっていると感じています。」