EDC 営業日誌(過去のお客様)
2023年9月23日放送
本日のお客様は、アンガールズ 田中卓志様。
1976年、広島県出身。
1999年、広島大学工学部を卒業したのち、上京。大学時代に出会った山根良顕さんと、2000年にお笑いコンビ『アンガールズ』を結成され、2004年にTBS『爆笑問題のバク天!』に出演したことがきっかけで、ジャンガジャンガ”が大流行!“キモかわいい”キャラクターが人気を集めます。今年1月には、結婚を発表されたことでも話題になりました。
本日は、そんな田中さんのこれまでの道のりを辿っていくドライブです!
 
 
アンガールズと麒麟の2組は、お互い同じくらいの時期にテレビに出始めた関係性。
麒麟が『M-1グランプリ』で3回目の決勝進出を果たした2004年、アンガールズは“ジャンガジャンガ”のブームで一躍人気者になっていました。
そんな2組が共に出場していたのがこの年の『NHK新人演芸大賞』。2組共に決勝に進出し、結果は麒麟が優勝したのですが、田中さんには忘れられないエピソードがあるそうです。
2組の他にも千鳥やトータルテンボスなどの勢いのあるメンバーが揃っており、どのコンビのネタも盛り上がり、会場は爆笑の嵐だったそうですが、最終審査で講評を求められた審査員の方から「今年はもう本当にレベルが低かった。まぁ〜唯一、麒麟だけが何がやりたいか分かりました。」と言われてしまったそう。笑
お笑いの賞レースでは、「今年はレベル高すぎて、本当に審査に悩みました。」といったコメントはよく耳にしますが…予想だにしていなかった言葉に衝撃を受けたと言い、大会後の楽屋では、「何やあれ(あの審査員)!」と、逆に芸人同士の結束が高まったそうです。
ただ、その審査員の方は、その後楽屋に訪れてきました。川島さんは、「さっきはちょっと、言葉の綾で申し訳ない。」と、フォローのコメントを伝えに来たのかと思ったそうですが・・・「改めて言うけど、本当にレベルが低い。本当に何やってるか分からなかった。反省してください。」と、さらに追い討ちをかけられたたそうです。笑
しかし、今では麒麟・アンガールズなど、人気芸人になった出場芸人たち。この時のショックが飛躍のカギになったかもしれませんね!
 
 
田中さんと山根さんがアンガールズを結成したのは2000年のこと。二人とも広島出身ではありますが、上京した際はそれぞれ大学で出会った他の方とコンビを組んでいて、この時はまだ別々のコンビだったとか。その後、田中さんは、元相方が俳優のオーディションに隠れて行っていることに気づきコンビを解散。一方、山根さんは、上京して2回目のネタ見せの際に怖くなって膝が震え、会場から逃げてしまい・・・・その流れで、広島へと帰ってしまったそうです。広島ではバイト生活をしていたそうですが、ある日、こたつで寝ていたところ、“おねしょ”をしてしまった山根さん。その時、“俺もう体がおかしくなっている…”と感じ、だからこそ、もう一度夢を追いかけて上京することを決意!そのタイミングでちょうど田中さんもコンビを解散していたことで、アンガールズが結成されたのです!川島さんも「アンガールズって、“おねしょ”から生まれたの!?悲しい妖怪やな。笑」と驚かれていましたが、田中さんも「本当に奇跡。」と振り返っていました。
(大学時代の田中さん!)
結成当初のアンガールズはシュールなネタを披露していたと言います。そういったネタを引っ提げて、ネプチューンをはじめとする“華やかな人たち”が所属する“ポップな事務所”こと、ワタナベエンターテインメントのネタ見せオーディションを受けます。しかし、ネタがシュールすぎた影響もあり、「君たち、(ネタは)良いんだけど、ウチじゃなくてオフィス北野に行った方がいいよ。」と言われたそう。笑
当時は客観的に自分たちを見られておらず、自分たちが“どの事務所の社風に合っているか”が分かっていなかったと振り返ります。しかし、『ボキャブラ天国』で観たネプチューンさんに憧れて芸人になったということもあり、ワタナベエンターテインメントに入るという夢を諦めきれなかったそうです。
そして、“もう一回ネタ見せに行ってダメだったら、オフィス北野のオーディションも受けてみよう”と思い、再びワタナベエンターテインメントのオーディションを受けます。すると、たまたまその月から事務所の方針が変わり、「色々なお笑い芸人を獲ることになりました。」と言われ、ようやく合格!晴れて、憧れのネプチューンと同じワタナベエンターテインメントに所属することができたのです。
この時、アンガールズとともに合格したのが、現在のハリウッドザコシショウさんが組んでいたコンビ『G★MENS』。これには川島さんも「いきなり雑食になってる!」とツッコんでいました。笑
しかし、初舞台では2組にちょっとした洗礼が。
ネプチューンのようなポップでアイドル的な芸人さんを目当てに観に来ているお客さんが多いなか、暗転から、ひょろ長い2人(アンガールズ)が登場した途端、「ひゃぁーーーー!」と悲鳴が。笑 さらに、ネタが終わり暗転すると再び「ひゃぁーー!何、今の!?」と、会場はプチパニックに。そして、次の出番だったG★MENSが登場したところ、やはり会場は悲鳴に包まれたそうです。笑
ライブ後のアンケートでは、“面白くない芸人”の項目にアンガールズとG★MENSの2組の名前が多く書かれてしまったそうですが、それでもザコシショウさんは「ええねん、書かれた方がええねん。何も書かれない方があかんのやから。」という言葉をかけてくれたそう。田中さんも「あ、そうなんだ!」と勇気づけられたと話す一方で、内心では、“でも、そういうことかな…?お客さんは精神的ショックで書いたんじゃないかな?”と、あまりの悲鳴の大きさに半信半疑だったとか。笑
(デビュー当時のアンガールズさんの宣材写真!)
 
 
このように、キャリアのスタートはあまり順風満帆とは言えなかったアンガールズ。その風向きが変わったのは、やはり“ジャンガジャンガ”の誕生。
この“ジャンガジャンガ”が生まれた経緯についてもお聞きしました。
当時、ギャルソンズというコンビと、アンガールズは『ギャルガールズ』という合同ライブを開催していたそうです。そこでの定番ネタが、ショートコントなどで変な雰囲気になったら、プロレスラー・武藤敬司さんの決めポーズのモノマネを披露するというもの。このくだりをやる際に、ギャルソンズの吉良さんがギターで弾いていたメロディーが“ジャンガジャンガ”のもとになったと言います。
その後、ギャルソンズは解散。それを受けて、“アンガールズ二人でもできるネタはやっちゃおう!”ということになったのですが、吉良さんのようにギターを弾くことはできないので、そのメロディーを口で言うことに。こうして、吉良さんがギターをかき鳴らす音を口で、手の動きは武藤敬司さんを真似たのが、
“ジャンガジャンガ”の誕生だったのです!
当初はあまりウケなかったそうですが、2004年、TBS『爆笑問題のバク天!』で当時の地下芸人を集める企画があり、そのオーディションで“ジャンガジャンガ”を披露したところ、スタッフに「いいね!」と褒められたそう!さらに、スタジオでVTRを見ていた爆笑問題のお二人も大ウケ!早速、翌週にはスタッフから“ショートコントをどんどん作って!”と頼まれ、それまで3本程度しか無かったネタを増やしていったそうです。
こうして“ジャンガジャンガ”のネタが完成していき、それまでこのネタを披露してもウケていなかったライブでも、大ウケするようになりました。
ここで、川島さんから“ジャンガジャンガ”について「その…(ジャンガジャンガまでの流れは)何でもいいじゃないですか?」との質問が。これに対し、田中さんは「レギュレーションがありますから!」とキッパリ。田中さん曰く、“人間が不安定になった時の気持ち”が重要らしく、そういった状況下で“あぁーっ!”となった時に“ジャンガジャンガ”が発動するのだとか。笑
そのため、田中さん曰く、一日中考えても1個も“ジャンガジャンガ”のネタができない日もあったそうですが…川島さんは「ホンマ?10分で10個出来るやろ。笑」とツッコミつつ、続けて、「別に“日めくりカレンダーが上手くめくれなかった、ジャンガジャンガ~”でも良いわけでしょ?」と聞きますが、田中さんは「そんなもんで、ジャンガジャンガ行けないですよ!」と反論!
田中さんとしては、“日めくりカレンダーが上手くめくれない…2枚めくれてしまう…やっとめくれた!と思ったら、ナナメに切れちゃった・・!”ならば成立しているそう。笑 やはり、田中さんと山根さんの二人の気持ちがシンクロして、同時に“あぁーっ!”となった時にしか発動しないそうです。
これを聞いた川島さんは、“一人がストレスに思っていても、相方が思っていなかったら動けない”という点で、「エヴァンゲリオンみたいなもんだ!」と例えると、「山根は0号機みたいな顔してるんで。」と、受け入れていました。笑
 
 
田中さんは“ブーム以降ずっと売れている”というイメージだと言う川島さん。しかし、「それがそうでもない」と田中さんは言います。
“ジャンガジャンガ”がブームになっていた頃は、“キモかわいい”というキャラクターで人気を集めたアンガールズ。雑誌でも『MEN'S
NON-NO』や『Zipper』といった渋谷系のファッション誌で連載を持っていました。また、芸人同士のノリで田中さんをツッコむ時に叩くと、「キャー!」と悲鳴が上がり、叩いた方が悪く見えてしまう程だったそう。こういったファンからの反応を見て“俺もオシャレな可愛い人間なんだ”と思い込んでいたと言う田中さん。現在とは全く異なる芸風でした。
こういった時期は2~3年程続きましたが、その後、“キモかわいい”キャラクターにも限界が来てしまい、テレビの仕事が減っていきます。月に4本しかテレビに出演していないという月も出始めて、“俺らこのまま消えていくな…”とも思い始めていたとか。
そんな中、FUJIWARAの藤本敏史さんには常日頃から、楽屋で「どこがキモかわいいねん、キモいだけやん。」と言われ続けていたそうです。“いや、俺キモかわいいのにな。”“おかしいな、やっぱ関西の芸人は。”といった風に、当時は思っていたそうですが、ある時テレビ番組の収録中に「キモいだけやん!」と、とうとう楽屋ではなく本番中に言われてしまいます!“みんなにこれ知られちゃった…”と思った田中さんですが、咄嗟に「何でですか!気持ち悪くないですよ!!」と言い返します。すると、手を振りながら言い返す姿が気持ち悪く見えたのか、スタジオ中が大爆笑!「初めて“ジャンガジャンガ”以外でウケた瞬間だった。」と、おっしゃいます。
この日を境に、世の中での田中さんの評価は“やっぱキモいだけだよね”という方向に変わっていったそう。田中さん自身も、その方がウケることもあって、どんどんその方向にシフトしていき…気づけば、“もう世の中の人と恋愛はできなくなるけれど、お笑いの仕事はできるぞ”という悪魔の契約を結んだような状況に。笑
そして契約通り、テレビの仕事は再び増え、“抱かれたくない芸人ランキング”では、レジェンドでもある出川さんを抜き1位に!新たな立ち位置を確立させたのでした。
「やっぱり、キモかわいい人ってMCもどう扱っていいかわからないじゃないですか。でも、キモい人ってやっぱり扱いやすい。」と、過去のご自身を分析されていました!
 
 
近年は、お笑い賞レースの審査員を務めることも多くなった田中さん。
元々は、テレビ東京『にちようチャップリン』で年間チャンピオンを決めるという企画があり、その審査員をスピードワゴンの井戸田さんと共にオファーされたことがきっかけだと言います。当初は、“内村光良さんや千鳥の二人、土田晃之さんなど先輩方がいる中で、どうして俺と井戸田さんが審査員やるんだよ”と戸惑っていたものの、せっかくのオファーということで“まあ、やってみるか”と引き受けました。ただ、賞レースのチャンピオンというわけでもない田中さんは、“芸人のネタを否定することはできないけれど、良いところを褒めることはできる”というスタンスで臨むことに。するとそれが内村さんにハマり…「田中のお笑い分析ってめっちゃ面白いね。」と言ってくれたのだとか。ご自身でも、“確かに、俺がそういうのをやるのは(“ジャンガジャンガ”のネタなどの)イメージと乖離している部分があるんだ”と気づいたと言います。すると、その年の年末には『THE
W』の審査員のオファーもされたそうで、最初は“審査員芸”をしていたつもりが、いつしか“審査員”としてのイメージも定着していくことになりました。川島さんも、田中さんの審査については「本当に的を得ているから、すごく良いなと思います。」と認めていました!
 
 
そして今年1月、田中さんは結婚を発表!
お相手の方とは会ったことが無い川島さんは「実在するのかわからないですけど…」と言っていましたが…。笑
他の方からもこういったことをよく言われるそうで、「なんで俺だけそんなこと言われなきゃいけないんですか!」と反論しつつ、「川島さんが俺ん家に遊びに来て、奥さんの姿が見えなかったらどうするんですか!?空間を見ながら、“ほら、川島さんに挨拶して”とか言ってたら!」と尋ねると、川島さんは「否定はしない。応援する。“奥さんはいた”って周りには言う。田中くんが愛しているのが空間だっただけ。」とのこと。笑
あまりにも多様性に柔軟な川島さんの回答に、「それは止めて!“目を覚ませ”って言って!」とツッコむ田中さんでした。笑
まだ結婚式は挙げていないそうですが、したいとは思っているそう!すると、川島さんからは「挙げた方が良いですよ。」とアドバイスが。というのも、先輩から「奥さんの単独ライブやと思え。奥さんが人生で一番輝く瞬間は一個作ってあげろ。」と言われたことがあったそうです。そのため、川島さんの結婚式では奥様にアンケートをとって、理想の結婚式を創り上げたと言います。奥様が希望する会場は広いところだったものの、奥様が呼びたい方は5人だったそうで、川島さんがお世話になった芸人さんを95人程呼んで開催!こうして結局、芸人さんのライブと化しましたが、奥様からは「それが見たかった」と、喜んでもらえたそうです。
一方、田中さんの奥様は他のお笑い芸人に緊張してしまうらしく、結婚式に呼ぶとしても相方の山根さんくらいだと話していました。奥様もお笑いを観るのは好きだそうですが、元々田中さんのファンというわけではなく、どちらかと言えば演劇好き。交際のきっかけも、一度食事をした後に、劇団☆新感線の公演でたまたま再会した(別々で来ていた)ことだったとも明かしてくれました!
 
 
8月31日(木)、田中さんの初エッセイ集『ちょっと不運なほうが生活は楽しい』が発売されました!
こちらは『小説新潮』で連載していたエッセイが一冊の本になったもの。書き下ろしのエッセイも2本収録されています!田中さんの人生では“ブサイククソ人間でないと遭わないような出来事”が色々と起こっているそうで…そういったことについてもたっぷりと書かれており、田中さんの人生が疑似体験できる一冊になっています。
アンガールズ田中卓志さんの初エッセイ集『ちょっと不運なほうが生活は楽しい』は、新潮社より刊行されています!ぜひ、チェックしてみてくださいね◎
https://www.shinchosha.co.jp/book/355281/
 
 
こちらのエッセイ集にも通じる、田中さんのエウレカは“女性という存在は優しくて、素敵な人しかいないとずっと思ってきたけれど…結構ヒドい女性がいっぱいいる”というもの。
田中さん曰く、イケメンであれば遭遇しないような体験も多くしているそう。大学生の頃、電車に乗っていたら、女子高生の5~6人のグループが田中さんを見て「なんかあそこに気持ち悪い人がいる…。」と話しているのが聞こえてきて、ケタケタ笑い始め、しまいには“じゃんけんで負けた人が田中さんにタッチしてくる”というゲームをやり始めたそう…。「クソ人間だな!ヒドいでしょ!アイツら!」と嘆く田中さん。そこからも、じゃんけんで負けた人がタッチしてきて、「キャーッ!」と叫ぶ…という地獄のような状況だったと話していました。
 
 
最後に、田中さんの今後の夢を伺うと、「またこうやって川島さんと二人で喋りたい!」とお話しに。お互い売れっ子芸人となり、忙しい日々を過ごす中で、たまに昔の新人演芸大賞の頃の思い出を遡って話す、“人生のサービスエリア”のような時間を大切にしたいと言います。川島さんも「今年はレベルが低かった」と怒られたエピソードは一生言っていくと話していましたが…これからも、お二人ならではの素敵な関係性で、時々こういった思い出話を聞かせて欲しいですね!
(最近の田中さんのお写真!ご出演、ありがとうございました◎)
 
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