EDC 営業日誌(過去のお客様)
2023年9月16日放送
本日のお客様は、中川家・剛様。
1970年、大阪府出身。
高校卒業後、一度就職したのち、1992年に弟の礼ニさんとNSC大阪校11期生として入学し、『中川家』を結成。2001年、『M-1グランプリ』第1回大会で優勝し、初代チャンピオンに輝きます!川島さんにとって“師匠の一人”だと言う剛さんと、思い出話から楽屋ノリまで…じっくり語り合うドライブです!
 
 
川島さんが師と仰ぐ剛さん。川島さんの芸人スタイルは、剛さんのある一言で決まったそうです。
2001年、第1回『M-1グランプリ』で、中川家、おぎやはぎ、キングコングといった当時勢いのあったメンバーとともに決勝に残った麒麟。当時の麒麟は無名の新人で、本番が終わった後、すでに吉本に所属しているにも関わらず、吉本の偉い方からスカウトされたというエピソードがある程でした。そのため、剛さんも当時は麒麟の存在を知らなかったと言います。
それでも、10組中、5位という結果を残すことができた麒麟。関西では注目を浴び、その日の夜にレギュラー番組が6本決まりました。しかし、まだ実力も無く、それまで週に1~2度舞台の出番がある程度だったスケジュールが、いきなり週に1日しか休みが無い状況になったことで、川島さんは心身ともにボロボロな状況に…。そんな時、M-1チャンピオンとなり、更に勢いをつけた中川家との共演機会は多く、「剛さんはずっと気に掛けてくださった」と川島さんは振り返ります。特に、飲み会で剛さんから言われた、「あのな、全部に本気出さんでええで。」というアドバイスは、忘れられないのだそう。
“取れもしないのに、全部100点を狙って一生懸命やってた”という川島さんにとって“全部100点を取らんでも今は大丈夫やで”というメッセージに聞こえました。そして、背伸びをやめて、“等身大の力で無理せず頑張ろう”と意識できるようになり、心がすごく楽になったそうです。しかし、力の抜き方を間違えたのか、1年後には6本のレギュラーが全て終わってしまったのだとか…笑
ただ、「その言葉が無かったら、僕はもしかしたら2002~3年で壊れていたかもしれない。」と振り返るように、川島さんにとっては最も感謝しているアドバイスになっています。
これに対し、「知らない人の前に出て、10分間笑わせると言う我々の仕事は、特殊なんですよ。」と話す剛さん。そのため、“一つ一つの仕事に本気を出していたらおかしくなってしまう”と、ある病院の先生に言われたことがあるそうで、川島さんも、自然界では1対3の状態でも精神的には壊れてもおかしくないという話を聞いたことがあると言います。ステージ上の2人に対して、観客が1000人もいることがあるお笑いの世界は、自然界をもとに考えてみると、無理をしている状況なのだとか。
また、「目を見たら、“こいつ病んでるな”というのがわかる」とも話す剛さん。そういう様子の若手芸人を見かけると、つい声を掛けたくなるそうです。先日も、ある芸人さんが病んでいる様子の中、お父様が亡くなったそう。当然、周りは皆、気を遣いますが…剛さんは“逆にこれは明るくいかなあかん”と思ったそうで、舞台の出番の合間にお葬式に行って、戻ってきたその芸人さんの背中に塩を思いきり投げつけたそうです!川島さんは「皆さん、異常だと思うけど…これ、愛なんですよね。」と、芸人の心境を代弁。その芸人さんも、その時は戸惑っていたそうですが、後日「あの時はありがとうございました。」と剛さんに感謝していたそうです。川島さん曰く“距離の詰め方が0か100”だと言う剛さんですが、こういった剛さんなりの“愛のあるボケ”が多くの後輩芸人さんを、ときに困惑させ、ときに救っているのです。
 
 
元々お笑い芸人になりたかったという剛さんですが、一度は就職し社会人としての日々を送ります。ただ、どうしても芸人の道を諦められず、同じく芸人を目指していたものの社会人になっていた弟の礼二さんとともに、“面接ぐらいは行ってもええんちゃうん。行くか行かないかはその後決めればいいや”という、軽い気持ちでNSC大阪校の面接を受けます。合格してNSC大阪11期生になった中川家の2人。同期には陣内智則さん、ケンドーコバヤシさん、たむらけんじさん、ハリウッドザコシショウさん…といった濃いメンバーがいました。しかし、その中でも、中川家は“売れたい!”“天下を取ってやる!”という野心はあまり無く、“このまま楽しくなんとかなればいいかな…”くらいに思っていたとか。
この雰囲気は今もあまり変わっておらず、ひな壇で力いっぱい張り切っている後輩芸人に対して、「出た。あーあ、倒れるね、あんなことやってたら。」などとボヤいているそう。笑
このボヤキはフジテレビ『さんまのお笑い向上委員会』などで共演している明石家さんまさんに対しても発せられるそうです!剛さん曰く、お笑い芸人さんが誇張して話すときには、通常“6割本当で、4割は盛る”だそうですが、さんまさんの場合は“1割が本当で、9割盛る”だそうで、文句を言いたくなる時があるのだとか!若手以上に貪欲なお笑い怪獣、恐るべしですね!
 
 
その後、上方漫才大賞新人賞やABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞を受賞し、テレビのレギュラー番組も決まった中川家。このまま順風満帆かと思われた中、1997年に剛さんがパニック障害になってしまいます。
最初は、何もしていないのに動悸や息切れしてしまうといった症状が出て、色々な病院に行ったそうですが、全て“異常なし”との診断。しかし、“一応もう1個病院行っておくか”と向かった病院でパニック障害と診断されました。元々、野心を持たずにお笑い芸人になった剛さん。売れ始めて、次のネタを常に期待され続ける状況は、精神的に負担があったのか、一気に限界が来てしまいました。
パニック障害の治療は簡単なものではありませんが、当時剛さんの復帰のきっかけとなったのは、明石家さんまさんだったそう。家に引きこもっていた時期に、少しずつ外出するようになる中で、さんまさんに会う機会が。周りの皆が気を遣い、パニック障害のことにはなかなか触れられない中で、「何やパニックって。どうすんねん?」と、踏み込んできたさんまさん。続けて、「パニックって頭文字がPやな。額にPつけて“パニックマン”っていうコントができるんじゃないか?」といった調子で、剛さんをイジり倒したのだとか。1週間後にはそのコントを実際にやったそうで、常にドキドキしているキャラクターを演じ、「パニック起こしてるじゃないか!」とツッコまれたのだそう。でも、そのコントで客席からは笑いが起こったそうで、その笑いにつられて剛さんもお笑い芸人として気持ちが乗るようになったと言います。剛さんも「本当はダメなんでしょうね。」と言いつつ、さんまさんの“荒療治”から“全部が笑いの武器になる”ということを教わったそうです。
 
 
こうして舞台やテレビに復帰したのち、2001年には第1回『M-1グランプリ』で優勝!
今でこそ年末の風物詩となった『M-1グランプリ』ですが、第1回大会は誰もその全容が掴めておらず、異様な雰囲気だったそうです。そんな第1回大会の決勝進出者の中で一番人気だった中川家。下馬評でも“優勝はやっぱり中川家だろう”という雰囲気でしたが、中川家のネタ順は、不利だと言われるトップバッター!本番でネタ順が決まり、CMに入った途端、審査員席から「可哀そうや…」「無理だね…」といった声が聞こえてきたそう。M-1グランプリにおいて、トップバッターで優勝したコンビは今のところ、中川家しかいません。
現在の『M-1グランプリ』の審査は95点が出て当たり前、低くても80点台といった水準ですが、第1回の時はそうではなく、中川家の点数は、松本人志さんが70点、西川きよし師匠が91点、青島幸男さんが90点、春風亭小朝師匠が90点、ラサール石井さんが90点、鴻上尚史さんが85点、島田紳助さんが80点の合計829点で優勝…と、今よりも得点の平均水準が低かったのです。
ここで、2人の話題は第1回『M-1グランプリ』でのおぎやはぎさんについて。第1回のみ、地方会場で観覧している観客の得点も加算されていたのですが、おぎやはぎのネタの大阪の得点がなんと100点満点中“9点”…!
川島さんは「決勝の舞台で新ネタを披露したおぎやはぎさんもおかしい」とも言いますが、剛さんによると、M-1の1週間後におぎやはぎが大阪でネタを披露した際、出てきて一言目で「どういうことですか!?」と言った瞬間、会場は大爆笑だったそうです!
川島さん曰く、優勝が決まった瞬間、“やったー!”という雰囲気ではなく、ホッとした表情だったと言う中川家の二人。最初は「出たくない」「戦うのめんどくさい」と言っていたこともあり、“これで賞レースはもう出なくていい”というような安堵があったのだとか。ちなみに、第1回大会はうす暗い照明で、まるでブルーノートのようだったそう。笑 川島さんは「あの大会より暗い大会は無かった」と言い、「あの空気でもう一回やってほしいわ」と冗談交じりに話していました。
 
 
お二人は普段、楽屋で声帯模写をして遊んでいるそう。川島さんがウォークマンの音漏れの音のモノマネをしていると、剛さんがそれに合わせてセッションしてくるそうで、この遊びを2時間もやっているのだとか。笑
そういったこともあり、定期的に好きな音を発表し合っているお二人。せっかくなので、今回のドライブではお二人の好きな音を流しながら、その音に聞き入る時間を用意しました!
まず、剛さんが大好きだと言う“木を切る電動ノコギリの音”。剛さんのお気に入りは、森林ではなく、家の近所の新築工事で鳴っている音だそう。「朝起きた時、聞こえてきたらすごく心地良いですよ。」とおっしゃいます。
また、もう一つ好きな音として挙げたのが“ヒグラシの鳴き声”。夏の終わりになると聞こえてくるこの音からは、比較的過ごしやすくなった季節を感じると川島さん。また、ヒグラシの鳴き声を聞きながら「人みたいな(リズムと抑揚の)アドリブをしている。」と指摘する川島さんに、剛さんも「これもう芸術だからね。楽器でもたぶん無理だと思う。」と共感。川島さん曰く、剛さんはこの鳴き声のモノマネを楽屋のみならず、舞台上でもやっているそうで、司会者に気づかれない程度の大きさの声でやるのだとか。笑
一方、川島さんの好きな音は“ビデオデッキにテープを入れる音”。最近では聞く機会もなかなか無いこの音ですが、テープが機械に吸い込まれた時の「ウワーン」という音が大好きだそうです。
今回のドライブでは、音楽の代わりに二人の好きな音をたっぷりお届けしましたが、川島さんとしては、音質の良いFMラジオで“お互いが半年程かけて録ってきた好きな音をオールナイトで発表し合う”という特番を組んでほしいとか。もしかしたら、いつの日かTOKYO
FMで実現するかも!?
 
 
剛さんには、双子のお子さんがいて、今年20歳になったそうです。家庭を大事にされ、子育てにも参加してきた剛さんですが、お子さんが思春期を迎えてからはあまり喋ってくれなくなったそうで、寂しく感じていると言います。
そんな二人のお子さんの将来について伺うと、なんとお笑いの世界に興味津々だとか!幼いころから公務員になるようにと都庁に連れて行ったりもしていたそうですが…笑 やはりお父さんの背中に憧れたのかもしれません。最近は、吉田たちやダイタクなど、双子の漫才師も多く活躍していますが、そういった活躍により“双子の漫才師”の道ができてしまうことを恐れているとか。笑
一方、川島さんにもお子さんがいますが、もしお笑い芸人に興味を持った場合じは、ひとまず4分のネタをチェックしたいそうです。ネタを見れば、“これでご飯食べようとしているな”、“これはただ今やりたいだけだな”というのがすぐに分かるそうで、これには剛さんも共感していました!
 
 
最後に、剛さんの今後の夢を伺うと、“頭を叩かれる(はたかれる)ような先輩”になりたいとお話しに。
20〜30歳も年下の後輩に思いきり頭をはたかれていた、池乃めだか師匠や坂田利夫師匠のような偉大な先輩たち。偉ぶらず、観客の前で笑いを優先していた姿に憧れており、少しずつ近づこうとしているそう。将来的には後輩に、舞台の上手袖から下手袖まで襟を掴んで引き摺ってほしいと言う剛さん。後輩にイジり倒され、逃げ回り、「どこ行くねん」と追いかけられながら、幕が下りるという公演を夢見ているそうです!
 
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