EDC 営業日誌(過去のお客様)
2023年7月1日放送
本日のお客様は、超新塾・アイクぬわら様。
1986年、アメリカ合衆国ニューヨーク州生まれ、シアトル育ち。
ワシントン州の私立工科大学を卒業したのち、日本でお笑い芸人になることを夢見て来日。外資大手証券会社ゴールドマン・サックスでデータセンターエンジニアとして勤務しつつ、2011年にオーディションを勝ち抜いて、お笑いグループ“超新塾”に加入!今年5月に行われた、結成から16年以上経過した漫才師による大会『THE
SECOND』では決勝に進出し、注目を集めました。また、個人の活動としては、2016年からはテレビ東京『おはスタ』のMCも務めています。そんな、異色の経歴を持ち、謎多きアイクさんの人生を辿るドライブです!
 
 
川島さんにとって、アイクさんは“2軒目の居酒屋に行くといる”というイメージ。日本のお笑いに憧れて来日したアイクさんは、お酒の付き合いを大切にされているそうで、川島さんが飲んでいると、実はアイクさんも同じ店で飲んでいて、急に挨拶にやって来る…ということもよくあるのだとか。
そんな中、川島さんには忘れられない出来事が!それは、川島さんが恵比寿のラーメン屋に一人で行った時のこと。電子マネーで会計しようとしたら、そのお店は現金しか対応していませんでした。そのとき川島さんは財布を持っておらず、どうしようもない状態…。素性を明かして「すぐに戻ります!」と伝え、お金を取りに自宅へ戻ることに。
そうして店を出て歩いていると、今まで見たこともない青い鳥を発見!“この鳥、珍しいなあ…”と思っていたところ、同じくその鳥を眺めている人がいて「川島さ〜ん」と声を掛けてきました。それがアイクさんでした!
2人は軽く挨拶して別れ、また家に向かって帰る道すがら、川島さんは“珍しい鳥を見ていたらアイクぬわらに会った”というこの出来事を、エピソードトークとしてどう面白く話せるか…と考え始めます。そして家に着き、お子さんと遊んで、一緒にお風呂に入って、2〜3時間経過した頃、奥さまが「今日の夜ご飯、ラーメンにしようと思ってるんだけど、どう?」と聞かれて、ようやく一大事に気付きます!“俺、食い逃げの途中じゃん!”と急いでお店に戻り、お会計を済ませたそうです。“珍しい鳥”と“アイクぬわら”という組み合わせのインパクトで脳がパンパンになってしまった川島さんは、危うく食い逃げで謹慎処分になるところだったとか!笑
(夜の献立がラーメンで良かったです・・!笑)
 
 
アイクさんと川島さんの共通点は「朝の帯番組に出演していること」!
2016年からテレビ東京の平日朝の番組『おはスタ』に出演されているアイクさん。生放送は7時5分からですが、毎朝だいたい5時半入りで、4時台には起きているそう。ただ、寝床に着くのは夜の12時~1時頃。ショートスリーパーで、3~4時間の睡眠で十分なのだとか。川島さんが「たまに飲みにも行ってるでしょ?」と質問すると、「もちろん、先輩に呼ばれたら行くしかないでしょ!」と言います。「朝の番組あったら普通遠慮するよ。」と川島さんは驚いていましたが、「もったいないんで、行くしかないですね。」と話し、アイクさんにとってはその生活は特にしんどくはないのだそう。
番組を担当する前は、そもそも『おはスタ』のことを知らず、「おはスタって何?」という状態だったと言います。しかし、番組のレギュラー、しかもMCのオファーということで、「いきなりMC!?」と驚きつつ、声優の花江夏樹さんとともにMCに就任することに!当初はカンペを読むことになかなか慣れず、生放送中のトラブルなど大変なこともあったそうですが、しばらくすると慣れてきて楽しめるようになったとか。街を歩いていると、子供たちに気づかれることも多いそうで、いわば“子供のヒーロー”のような憧れの存在!外国人との関わりがあまり無い日本の子供たちが、毎朝楽しくMCをするアイクさんを見て、“外国人ってそんなに怖くないんだ!”と思ってくれたら、とお話しいただきました。
(幼少期のアイクさん)
 
 
アメリカ・ニューヨーク生まれ、シアトル育ちのアイクさん。親戚に日本人がいたわけでもないのですが、“どうして日本でお笑い芸人をやっているのか?”お伺いしました。
アイクさんがお笑い芸人を目指すきっかけになったのは、高田純次さん!
大学生時代、シアトルにあった日本のアニメ・映画・テレビ番組のレンタルビデオ店にたまたま入ったアイクさん。その頃は日本のことは何も分からず、“ニンジャ”“サムライ”という典型的なイメージしかなかったそう。もちろん日本語を話したり、聞き取ったりも出来ませんでした。そんな中、アメリカでも有名な『ドラゴンボール』や『ポケットモンスター』のDVDあるかな…と暇つぶし程度でそのお店に入ったところ、店内のテレビモニターに、おじさんが寝ている人に向かってバズーカを放つ映像が流れており、衝撃を受けたと言います。その映像こそ、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』で高田純次さんが出演していた『早朝バズーカ』の企画。これが日本のお笑いの入口なのだとか。
ここから日本のお笑いに興味を持ち、日本人の店員さんに「もうちょっといろんな日本のコメディを見たい!」と相談したところ、オススメされたのが『ダウンタウンのごっつええ感じ』や、とんねるずの番組、おぎやはぎなどが出演していた『リチャードホール』だったそうです。それらのDVDには字幕はありませんでしたが、レンタルして視聴したところ、話していることの意味は分からないものの、“なんか面白い”と感じたのだそう。
また、日本の漫才という文化にも衝撃を受けたと言います。マイクを挟んで2人が立ち、
何か喋っていて、1人がもう1人の頭を殴り(ツッコミ)、お客さんがめちゃくちゃ笑っている光景を見て、“いや、殴り返さないのか?”“何この暴力的なお笑い!?”と衝撃を受けたとか。
アメリカにもバラエティ番組やコメディの文化はありますが、それらとは違った性質を持つ日本のお笑いに惹かれ、“自分も日本でお笑いをやりたい”と思い立ち、“大学を卒業したら日本に住もう”と決意します。川島さんは「いきなり!?」と驚いていましたが、当時20歳だったこともあり、“失敗すればアメリカに戻ればいい”という考えで、アイクさんは日本にやって来ました。
(大学時代のアイクさん!)
日本語を喋ることも、聞き取ることもできない状態で来日。出国前に、インターネットで「Japanese Comedy
Where?」と検索したところ「大阪」が出てきて、まずは大阪へと向かいます。
当時は20万円ほどの貯金しか無かったものの、それでも日本に住もうと思っていたアイクさん。労働ビザが無いと日本に住むことができないことを知らず、観光ビザで日本に来ていました。観光ビザだと3ヶ月しか日本に居られないことを知り、日本に住むために働く場所を探します。「どこでも良かった」と話すアイクさんですが、10社の面接を受けたところ6社の合格をもらい、その中から選んだのが…外資大手証券会社ゴールドマン・サックス!こうして、“日本のお笑い芸人になるためにゴールドマン・サックスに入る”という異例の人生を歩み始めます。
ゴールドマン・サックスにはITエンジニアとして入社。そのため、よくイメージされる株の営業などの仕事はしていなかったそう。ですが、ゴールドマン・サックスはもともとニューヨークの会社なので、そこで働いている人たちは英語が話せたため、アイクさんにとってはホームのような環境でした。
ゴールドマン・サックスで働きながら、少しずつ日本語を勉強し、日本の友達も作っていったアイクさん。その中で、俳優の渡部豪太さんとスケボー仲間として出会い、アイクさんがお笑い芸人を目指していることを話したところ、ザブングル(当時)の松尾さんを紹介してもらったのだとか。その後、松尾さんから「ちょっと俺のライブに出てくれない?」と頼まれ、一般の外国人としてゲスト出演します。アイクさん曰く「まあまあウケました。」とのことですが、アイクさん自身、どうして笑われているのかわかっていなかったそう。ただ、松尾さんに「本当良かったよ。また呼ぶよ!」と言われ、しばらくして再びライブに呼ばれます。するとそのライブに、超新塾がいたのだとか!アイクさんがステージの上で必死に頑張っている姿を見て、超新塾のリーダー・イーグル溝神さんから「今、新メンバー募集中だけど、もしよかったら参加すれば?」と誘われたそう。こうして新メンバーオーディションで優勝し、アイクさんは超新塾のメンバーに!“やっとゴールドマン・サックスを辞められる!”と思ったアイクさんですが、芸人の苦労を知るイーグルさんに「すぐに辞めない方がいいよ。お笑いって、そんな簡単なもんちゃうで。」とアドバイスされたのだとか…。
(アイクさんが加わった、5人組の超新塾!)
 
 
こうして超新塾に加入し、お笑いについてメンバー達に教えてもらったアイクさん。「これはツッコミだよ。」「これはボケだよ。」といった感じで日本のお笑いの基本的なところから教わりました。
メンバー以外にも、アイクさんにはもう1人お世話になった方が。それは、同じ事務所の先輩でもある、お笑いコンビ『ロッチ』の中岡さん。お笑い芸人になった当初、日本独特の気遣いや社交辞令、上下関係という慣習が全くわからず、そういったことを中岡さんに教えてもらったのだそう。
中岡さんには様々なことで怒られたと言うアイクさん。その中でも特に印象に残っている出来事は、映画『ゼロ・グラビティ』を観に行ったときのこと。映画の迫力あるシーンに興奮したアイクさんが「WoW!」「Amazing!」「So
crazy!」とリアクションしていたところ、「うるさい!」と怒られたそう。映画を黙って観る日本の文化になかなか馴染むことが出来なかったのだとか。また、映画の本編が終わってアイクさんが席を立とうとしたところ、中岡さんに「いや、エンドロールだから。最後まで座りましょう。」と言われたそう。エンドロールを観ながら、中岡さんに「英語ですけど…分かりますか?」と聞いたところ、さらに怒られてしまいました。笑
ですが、そんな中岡さんには、色々なことを教えてもらい感謝の気持ちでいっぱいだそうです!
ここで、川島さんが「日本人が面白いと思うことと、アイクが面白いと思うことがズレていると感じることはある?」と質問したところ…「結構ズレてますね。」とお答えに。アイクさんの憧れである高田純次さんの笑いも、高田純次さんの“テキトー紳士”というキャラを理解しているから成立しているけれど、アイクさんが同じことをやったら“この外国人、大丈夫かな?”とジョークだと受け取ってもらえないのでは…と感じることも多いそう。自分自身で、自分ならではの面白さを見つけなければならず、それが難しいと言います。ちなみに…高田純次さんとはまだお会いしたことは無いそうです。『じゅん散歩』の収録中にたまたま会えたらいいな…と話すアイクさんですが、川島さんからは「ちゃんと仕事で会おうよ。」という言葉が。いつかは高田さんにバズーカで起こしてもらえる日が来て欲しいですね!
また、勤めていたゴールドマン・サックスを辞めた時のことについて伺うと、やはり職場の人からは驚かれましたが、アイクさんの夢を皆が応援してくれたそう。ただ、ゴールドマン・サックスを辞めると、やはり収入的に厳しくなり、初めて貧乏な生活を経験することに。若手芸人は貧乏を経てからお金を稼げるようになるというのが通常のパターンですが、アイクさんは順番が逆でした。そんな中、ご飯を奢ってくれたのが中岡さん。まさに“命の恩人”とも言える存在の中岡さんですが、アイクさんがブレイクした現在も、恩返しはまだしていないのだとか。それを聞いた川島さんは、「一度くらい、今日は僕が奢ります。とか、食べさせてもらった恩があるんで、今日は僕が良い店を紹介します。と言ったら中岡さん喜ぶんじゃない?」と提案していました。
 
 
音楽が好きで、実は音楽活動もしているアイクさん。ストリーミングサービスで配信されている楽曲も2曲あるのだそう。
1曲は、現在、ともに『おはスタ』のMCを務めている声優の木村昴さん、さらに岡崎体育さんとの3人によるラップの楽曲『Insane』。この曲は今年のB.LEAGUEのテーマソングになっています。
もう1曲は、昨年“きつねダンス”で話題になった北海道日本ハムファイターズのファイターズガールの皆さんと武田真治さん、そしてアイクさんがコラボレーションしてリリースした『YMCA』のカバー。今年オープンした新球場・エスコンフィールドHOKKAIDOでもこの曲が流れているのだとか!
 
 
アイクさんのエウレカは、子供の頃から大切にしていると言う「自分らしく生きていくこと」。
ずっと猫を被っている人や変に気を遣う人、自分のキャラクターをなかなか出せずにいる人など…色々な人を見てきたアイクさん。そういった人を見ていると、“ストレス溜まっているんじゃないかな…”と思ってしまうとか。仕事ではなかなか難しいとしても、プライベートではやはり自分らしくしていった方が、その個性を受け入れてくれる人たちが必ず寄ってくると力強く話します。
また、今後については「最終的に、日本のエディ・マーフィになりたい。」とお話しに。
川島さんも「それこそ、日本のエディ・マーフィって、高田純次みたいなところあるからね。」と話していましたが、好き勝手にやるけれど、“決めるところは決める”姿に憧れているそう。そこを目指しつつ、音楽、スケボー、シネマカメラなどの趣味を広げて仕事にできたらとも。他にも、“Web3テクノロジーについてたくさんの人に教えたい!”という思いもあるそうで、「NFTや仮想通貨、ブロックチェーンテクノロジーなどの面白さを伝えたい」とおっしゃっていました。超新塾については、「みんな元気であればずっとやっていきたい!」とお話しいただきました。漫才はもちろん、それ以外のフィールドでも、アイクさんの幅広い活躍が期待されます!
 
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