EDC 営業日誌(過去のお客様)
2023年5月27日放送
本日のお客様は、土屋アンナ様。
1984年、東京都出身。
1998年に、雑誌『セブンティーン』でモデルデビュー。2002年からはロックユニット『Spin
Aqua』のボーカルを務め、ミュージシャンとしても活動をスタート。さらに、2004年には映画『下妻物語』に出演し、日本アカデミー賞優秀新人賞、ブルーリボン賞新人賞など8部門を受賞され、人気俳優へ。一方、バラエティー番組では、『いきなり黄金伝説。』の人気企画『無人島0円生活』に参加されるなど、さまざまなジャンルでご活躍中です!
 
 
今回、川島さんのリクエストで番組に来ていただいた土屋さん。川島さんが土屋さんと話したかったその理由は・・・元気だから!笑 本当に裏表がなく、テレビで共演した際、本番中でもカメラが回っていないところでも周りの方々を楽しませる姿がとても印象的だったと言う川島さん。土屋さんと1対1でのドライブがついに実現しました!
 
 
土屋さんは、14歳のときに雑誌『セブンティーン』でモデルデビュー。
もともとモデルをやりたいとは思っていなかったそうですが、お姉さまがモデルをしていて、“綺麗な服を着て、メイクされて良いなぁ…”と思っていたとか。そんな中、事務所の方から“アンナちゃんも仮で名前入れる?”と誘いがあり、とりあえず入れてもらったところ、仕事が舞い込み、モデルとしてのキャリアが始まりました。
また、当時の土屋さんは“超スポーツマン”で、とにかく体を動かしていたいタイプ。イルカの調教師が夢だったものの、土屋さん曰く、高校生の頃は授業をサボったのが原因で、単位が足りなくなって諦めたのだとか。アスリートにもなりたかったそうですが、モデル活動が忙しくなってしまった為、こちらも断念することに。他にも、食べることが好きだけど、モデル活動のために痩せないといけない…といったこともあったそうですが、人気モデルとして活動の幅を広げていきます。
 
 
2002年には音楽活動もスタート。様々な分野で活躍されている土屋さんですが、ミュージシャン活動が一番楽しいそうです。その理由は、「嘘つかなくていいから」。「音楽に嘘はないから、自分の思っていることを言いたい、自分の思ったように表現したい。」と話します。モデルや俳優としてのお仕事では、監督がいて、その監督のイメージに沿って表現しますが、音楽は自分自身のままでいられる場所。土屋さん自身が音楽に救われたからこそ、音楽で人に喜んでもらうことが幸せだと言います。
幼少期には聖歌隊にも入っていた土屋さん。最初はメゾソプラノのような高い声を出していたそうですが、中学で声変わりして、現在の声になったとか。
ミュージシャン活動では一貫してロックなイメージ。モデル活動で、最初の頃は元気でハツラツとしたファッションをしていましたが、周りの人から「アンナちゃん、ロック似合うよね!」と言われるようになり、ロックなスタイリングをされることが多くなったそうです。同様に好きな音楽についても、もともとはWhitney
HoustonやDiana Rossなどを好んで聴いていましたが、中学の頃にBon
Joviなどを教えてもらって、一気にロックに傾倒。そんな中でも、土屋さんが最も衝撃を受けたのがQueenの『Bohemian
Rhapsody』。冒頭の歌詞を耳にした瞬間、“えっ…なんでこんなハッピーじゃないことを淡々と歌うんだろう…?”と思ったとか。「これ、なんなの?」とお母さまの友達に聞き、「これがロックで、Queenっていう人たちだよ。」と教えてもらったそうです。“人間の生々しさが出ていて好き。私もこっちの道に行こう!”と決意したのだとか。同じくQueen好きの川島さんも、嬉しそうに頷いていました!
 
 
2004年には映画『下妻物語』で深田恭子さんと共にダブル主演を務められ、土屋さんのヤンキー役はとても話題になりました。
が、もともと俳優業に興味はなかったと言う土屋さん。たまたまオーディションに呼ばれて、中島哲也監督に「ヤンキーどう思う?」と尋ねられ、「良いヤツじゃん。それぞれにタイプがあるから。(一概に)悪いヤツじゃないと思うよ。」と答えたところ、合格したのだそう。まさに劇中で土屋さんが演じるヤンキー少女・白百合イチゴそのままの回答ですが…「たぶん監督も“この子のまんま(素の性格)でいけるな”と思ったんじゃない?」と話します。笑 実際、演技指導もされなかったそうで、音楽活動をしていることを踏まえて“リズム感で行ってくれ。”とだけ、アドバイスを受けたのだとか。
セリフを音の感覚で捉え、自分の本能のままに演じていたそうですが、セリフを覚えるのは難しく、あまり得意ではなかったそうです。ただ、土屋さん自身と繋がる部分があるキャラクターだったため、比較的演技しやすく、楽しく演じることが出来たと言います。そして、『下妻物語』の反響は大きく、土屋さん自身も「これで売れると思わなかった。」と、当時を振り返りました。
また、『下妻物語』で共演した樹木希林さんとの出会いが、土屋さんの人生において大きな出来事だったそうです。土屋さん曰く、樹木さんは“誰に対してもフラット”。コミュニケーションにおいて壁を作らず、お仕事の現場に電車でいらっしゃったり、勘違いで撮影の途中で間違って電車で帰ってしまったり…と、とにかく人間味溢れる方だったとか。そんな樹木さんの姿を見て、“嘘の無い人って、こんなに綺麗なんだな…”と感じた土屋さん。みんなとの距離が近く、人を大事にする姿勢を学び、今でも道しるべにされているそうです。
 
 
土屋さんの人生の中での大きな出来事、『マイ大事件』にまつわるお話も伺いました。
一つ目は『イルカと泳いでいたらハンマーヘッドシャークが出て来た事件』。
これは、去年、御蔵島の海で泳いでいたときのこと。100頭近くのイルカの群れとともに遊んでいたところ、突然イルカたちが他のところへと行ってしまいます。“行っちゃったな…なんでだろう?”と思っていると、しばらくしてまた戻って来たように見えたのですが、よく見るとイルカとは少し動きが違います。その正体はハンマーヘッドシャーク!そのときは浅瀬にいたそうですが、ハンマーヘッドシャークが浅いところにいる時は、お腹が空いている場合が多いそうで…“やばい!”と思い、そのとき一緒に泳いでいた方と2人で体を寄せ合い、体を大きく見せることで、なんとかハンマーヘッドシャークは通り過ぎて行ったとか。「普段あまりびっくりしないんだけど、この時だけはちょっとヒヤッとした。」と振り返っていました。
そして二つ目は『子供を4人産んだ事件』。「子供を産んだことは私にとっての事件」と語ります。初めての出産では、看護師さんに「馬の出産と一緒ですね!」と言われたとか。
というのも、出産の際にベッドで寝るように言われたものの、陣痛の痛みがあまりにも激しく、仰向けになることができず…四つん這いになって、その体勢のまま無事出産。その姿を見て「すごい!本能に従っていて本当に素晴らしい!」と看護師さんに褒められたそうです。こうして現在、4人のお子さんがいらっしゃる土屋さんですが、長男の澄海(すかい)くんは最近本格的にモデルデビューしました。しかし一度、澄海くんが中学生の頃にモデルをやりたいと言ってきた時は却下したそう。モデルはジャッジされる仕事だからメンタルが強くないと壊れてしまうと思い、ご自身がやってきたことだからこそ“まだ経験しなくていいかな…”と考えたのだとか。また、“仕事が来た時に鼻が高くなっちゃったら嫌だな…”“自然なままで育ってほしい!”という思いもあったそうです。ですが、“高校を卒業してからは自分で人生を選ぶべき。”“お金を稼ぐ、お仕事を頂くということを学んだ方がいい。”という考えから、今は“モデルをやりたい!”という澄海くんの気持ちを尊重しているのだとか。「人と仕事をして、人に喜ばれることは何か、人から求められることは何かということを学んで、自分に持っている光を見つけてくれたらいいな。」と、母としての想いをお話しいただきました!
 
 
土屋さんがこれまで人に言われた言葉の中で最も印象的な言葉は、おじいさまの言葉。
おじいさまは優しく、寡黙で、人のために生きる方だったと言います。人を見た目で判断せず、土屋さんがモデルやロックをやり始め、髪の毛やファッションが奇抜に変わっても、何も言わなかったとか。ただ、土屋さんに会うたびに「元気か?」と声をかけ、「自分が元気じゃなくなったら、自分が壊れたら、人のために何もできないから、ちゃんと元気でいろよ。」と話してくれました。そんなおじいさまからの教えが“人間はみんな心臓”というもの。「人間は心臓で動いているけれど、その心臓は血管で動いている。血管が一本でも切れたらこの心臓は動かない。この血管っていうのは人脈だ。自分が動くのは人の繋がりによって動いているから、1本でも良い人脈を切ったら自分が動かなくなると思え。だから血管を大事にしろ。逆に相手にとっても自分は血管になる。相手の心臓を動かせ。」と言われたそうで、この言葉を聞いた土屋さんはおじいさまに対して“やっぱりこの人すごいな。”と思ったのだとか。
ちなみに…この言葉を言われたシチュエーションは、こたつでトランプをしていたときのこと。近くのテレビでは時代劇が流れていて、土屋さんが学校帰りにおせんべいを食べていた時、突然この話を聞かされたのだとか。笑
何気ないシチュエーションですが、当時すでにモデルとしてお仕事をされていた土屋さんに必要だと思って、おじいさまはこの言葉をかけられたのかもしれませんね。
 
 
土屋さんの『人生で思い出深い場所』は、パラオ。
パラオについて「最高だよ!」と話す土屋さん。海も綺麗で、欲望が無く、人が優しいと言います。日本語も英語も通じるそうで、“電気=でんき”や“扇風機=せんぷうき”など、日本語がそのまま残っている言葉もあるとか。昔ながらの日本の雰囲気があり、“モノが溢れている世界も面白いけれど、モノが無い所が一番居心地良いな…”と感じている土屋さんは、“もうここに住みたい!”とまで思っているそうです。また、土屋さん曰く、パラオは“自然のサイクルを守る国”。パラオの漁師さんはその日食べる分しか魚を獲らず、獲り過ぎないように注意しているそう。そんなパラオの魅力を語る土屋さん、「だからもう仕事辞めます!」と宣言。笑
「パラオで仕事をください!」と冗談交じりに語っていました。
パラオではダイビングもされるそうで、サンゴ礁が多くあるところでは素潜りもできると言います。昔から海がお好きな土屋さんですが、改めて泳ぎを習いたいと思ったきっかけは、『無人島0円生活』のロケ。こういった企画にも前のめりで参加する土屋さんは、「無人島行けるからめっちゃ楽しいですよ!」と話します。綺麗な星空の下、スタッフと一緒に海辺で寝たりするそうで、こういった過酷なロケほど、スタッフさんと仲良くなれるのだとか。このロケを通して、海の知識がもっと必要だと感じたそうで、それからフリーダイビングをやったり、潜水士の資格を取得したり…と様々なことに挑戦されてきたと言います。現在は、パラオに住むことも視野に入れて、ガイドの資格を取ろうとも考えているとか!
パラオ愛が止まらない土屋さん、「パラオ行きません?」と、ついに川島さんを誘い始めます。笑 川島さんも土屋さんの話を聞いて興味が出てきたようで…「僕が突然消えたら皆さん、パラオに行ったと思ってください。」と乗り気な様子。笑
「知らない景色が多すぎるから、ちょっとマジで行きたい!」と話し…どうやら川島さんに新たな夢ができたみたいです。
最後に土屋さんに『今後の夢・目標』を伺うと…「やっぱり海の側に住みたい。」「子供たちのために青い海を残したい。」とお話しに。これまで土屋さんがしてきた、イルカやクジラと泳いだり、綺麗なサンゴを見てきた経験を、子供たちにもさせてあげたいという想いが強くあるそうです。さらにいきなり…「あと、シックスパックになりたい。」と言い出す土屋さん。川島さんも「ええ?急に何!?」と驚いていましたが…今でもバレエを続けられており、体を鍛えたいのだとか。笑
このように、最後まで自由に夢を語る土屋さんとじっくりお話しできて、川島さんも「やっぱりお呼びしてよかった」と大満足の様子でした!
 
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