PASSENGER DIARIES

EDC 営業日誌(過去のお客様)

2023年4月8日放送

Passenger

春風亭一之輔

本日のお客様は、春風亭一之輔様。
1978年、千葉県出身。
2001年、春風亭一朝に入門したのち、2004年に二ツ目に昇進し『一之輔』を名乗り始めます。2010年には、NHK新人演芸大賞、文化庁芸術祭新人賞など数々の賞を総なめにし、頭角を現すと、2012年には21人抜きで真打に昇進!そして現在、年間で務める高座数はなんと900席以上!毎日寄席に出演し、さらには全国各地で独演会も行っています。
“今、最もチケットが取りにくい噺家”とも言われる一之輔さんの、噺家人生をたどるドライブに出発しました!

 

 

〜笑点新メンバー〜

一之輔さんは、今年2月から日本テレビ『笑点』のレギュラーメンバーに抜擢され、大きな話題となりました。『笑点』といえば、放送開始から50年以上続く大人気長寿番組ですが、一之輔さんからは「大人気っていうのをちょっと疑ってかかってた。僕、笑点観ないんで。」とまさかのお言葉が!というのも、日曜日の夕方は落語家にとっては最も仕事が忙しい、いわば“稼ぎ時”。楽屋のテレビで観ることはあっても、家で『笑点』を観ることはあまりないのだそう。
しかし、そんな一之輔さんも『笑点』にレギュラー出演するようになってから、番組の人気度を実感したと言います。地方での独演会では、今まで客席が“6~7割が埋まれば良い状態”という事もあったそうですが、『笑点』の出演し始めてからは満席続きなのだとか!
そんな、『笑点』レギュラーのオファーがあった時のエピソードもたっぷりと伺いました。ある日突然、日本テレビの偉い人に呼び出された一之輔さん。“なんだろうな、演芸コーナーの出演かな…”と思いつつ話を聞くと、その場で新レギュラーのオファーが!
『笑点』のレギュラーとなると、落語家としても、生活としても人生が変わる瞬間・・・突然のオファーに一之輔さんは戸惑いました。この事は誰にも話さないよう言われますが、そんな中で内密に相談したのは、奥さま。“家族にも話さないでくれ!”と言うほどの雰囲気でしたが、さすがにご家族には相談し、奥さまももちろん驚いていたそうです。
一之輔さんの師匠・春風亭一朝さんには、レギュラー出演を承諾し、番組からの公式発表の1週間ほど前に報告。一朝師匠は寄席一筋の落語家ということもあり、“落語もちゃんとやってくれよ!”と、仲間内からの視点で言われると一之輔さんは思っていました。しかし実際は、「良かったじゃない!若いうちにやった方が良いよ!」と優しい言葉を掛けて下さいました。一之輔さんが「バランスをとって本業の方はちゃんとやります。」と伝えると、「いや、そんなことなんで俺が心配しなきゃいけないんだよ。お前なら大丈夫だよ。」と師匠。この言葉を聞いた一之輔さんは、“もう迷うことなく、笑点に出演して大丈夫だな。”と感じたそうです。
『笑点』の大喜利コーナーに出演するようになって2ヶ月が経ち、感じるのは、“やっぱり団体競技。最終的に番組が盛り上がるのが一番で、それぞれが目立ってもしょうがない。”ということ。笑いのトスをしたり、それを受けたり…とチームプレーを意識されているそうですが、「トスを取り損ねるおじさん達が結構いる。」とも。笑 バックアップに入って、それを取って送球する、いわば野球のショートのような仕事の大切さを感じたとか。また、他の笑点メンバーについては“年上ですけども、あの舞台ではフラット”と話す一之輔さん。ツッコめばツッコむほど喜んでいるのだとか。笑 落語とは全く異なる“大喜利”のフィールドでのこれからのご活躍も楽しみですね!

 

 

〜師匠・春風亭一朝〜

高校時代に落語に出会った一之輔さんは、大学卒業後、春風亭一朝さんに弟子入り。一朝さんを選んだ理由は、“寄席に頻繁に出ていて、聞いていてとても耳心地の良い落語をやっていたから”。落語は音楽や歌に近く、言うなれば身体が楽器。一朝さんのリズム感と奏でるメロディに魅了されたと言います。また、一朝さんは当時50歳で、他の師匠方に比べると若く、感覚が似ていると思った点も選んだ理由の1つだったそうです。
弟子入り志願した瞬間のエピソードも伺いました。
一之輔さんが一朝師匠に弟子入りをお願いしたのは、新宿末廣亭の楽屋口でのこと。「2001年4月21日に行ったんです。」と、その日付を今も覚えておられました。10日間の興行の初日、末廣亭の楽屋口で待っていた一之輔さん。いざ、一朝師匠が出てくるとドキドキしてしまい、“今日はいいや…”と思って帰ってしまったのだとか。笑 しかし、翌日も同じ場所で師匠を待った一之輔さん。楽屋口から出てきて、昨日と同じ方向に来るかと思い、待ち構えていたところ…師匠は逆方向に行ってしまいました。“今日は縁がない”と追いかけずに一之輔さんも帰りました。3日目は雨が降ってきて、“4月とはいえちょっと寒い”と断念。ご自身でも「本当にチキンなんですよ」と当時を振り返っておられましたが…結局一朝さんに声をかけるまでに7日かかったのだとか。
7日目、一朝さんが出てきたところに駆けだして、「師匠、弟子にしてください」とついに言った一之輔さん。一朝師匠は「ちょっと待って、心臓に悪いから。急に暴漢に刺されるかと思ったから、穏やかに来てもらえないか」と言いつつ、「じゃあちょっと喫茶店に行って話聞くよ」と一之輔さんを新宿三丁目の喫茶店へと連れて行きます。4人掛けのテーブルに座って、1対1で話を聞いてもらいますが、結局そのときは「親と会わないと取るも何もないし…」と言われ、連絡先の書かれたメモを渡されます。すぐにご家族に電話すると、「じゃあ東京行くわ」と返事があり、今度は上野の喫茶店で一之輔さんとご家族と、一朝師匠とのちの兄弟子が会う場が設けられます。また断られるかと思っていたと言う一之輔さんですが、その予想とは裏腹に師匠の第一声は「じゃあお預かりしますよ」というもの。後で聞いたところによると、当時、兄弟子の方は入門してから7年が経ち、“新しい弟子もずっといないし、とってもいいかな”という状況だったそうです。また、一朝師匠は、会った瞬間に何となくインスピレーションで(弟子として相応しい人物か)分かる方だとも教えてくれました。


(一之輔さんが弟子入りをした、新宿末廣亭がこちら!)

 

 

〜弟子時代〜

こうして一朝師匠の弟子となった一之輔さん、早速5月1日から鞄持ちとしての生活が始まります。右も左もわからぬまま浅草演芸ホールに付いて行った一之輔さん。舞台裏では“見たことないやつがいるけど、まあ新入りなんだろうなあ”といった周囲からの視線が当時はイヤだったとか。“落語界の内側に入ったけれど、まだ完全によそ者”というその時間が今となっては思い出深いとおっしゃいます。
また、師匠からは“周りの人と口聞くな”と言われます。“向こうから話しかけたら答えてもいいけど、余計なことは言うな”“「はい」と頷くだけでいい”と。師匠がそう教えた理由は、緊張している見習いにいろいろ聞き出したりして、喋っている様子を師匠に見せてしくじらせる…といった罠を仕掛ける人がいるから。さらに、“褒められたら嘘だと思え”“笑うな”とも師匠から教えられたそうです。
そんな一朝師匠は、効率を重んじる考えがあり、一之輔さんが付き人になってからわずか1ヶ月ほどの早い段階で芸事を教え始めます。また、師匠の家の掃除や洗濯させることもなく、「お手伝いさんになるために落語家になったんじゃないから、その時間は映画見たり歌舞伎観たり、勉強したり落語覚えたり、そういうことに使いなさい。」と教えます。一之輔さんも「(当時としては)結構、先進的な考え方だと思いますよ。」と話しますが、実は一朝さんの師匠・春風亭柳朝さんも同じ育て方だったのだとか。一之輔さんも自分の弟子にはそういった育て方をしたいと考えているそう!ちなみに、一之輔さんに空いた時間はちゃんと勉強していたのか川島さんが聞いたところ、「酒飲んだり…」とユーモアたっぷりにお話しいただきました。笑

 

 

〜真打昇進〜

2004年には“二ツ目”になり、『春風亭一之輔』を名乗り始めます。2010 年にはNHK新人演芸大賞、文化庁芸術祭新人賞など数々の賞を総なめにし、入門11年目の2012年3月、21人抜きで“真打”に昇進します。この大抜擢は当時、大きな話題になりましたが、一之輔さんの心境はそれとは裏腹に「面倒なことになってしまった」というものだったとか。というのも、「21人の抜かれた気持ちになったらもう堪んない」という思いがあったから。
“香盤”と呼ばれる落語界の序列が前後することは、こういった“抜擢真打”ぐらいしかなく、先輩にも気を遣うと言います。また、前日までは二ツ目で、トップバッターとして出演していたのにもかかわらず、急に一人真打として翌日からトリを務め続けるという、あり得ない状況。トリを務めると、寄席の楽屋の料理や打ち上げ代を全部出さないというルールがあるそうで、メリットもあるけど大変なこともたくさん経験されました。
一之輔さんの真打昇進は、当時の落語協会の会長であった柳家小三治師匠が決めたそう。当時、小三治師匠から一朝師匠のもとに電話で「一之輔さんを真打にしようと思う。」というお話が。本来ならば、「ありがとうございます。」と返す場面ですが、一朝師匠は「当人と相談してみます。」と答えたのだとか!あくまで弟子の意思を尊重する姿勢の一朝師匠、“別に嫌だったら真打にならなくていいよ”くらいの雰囲気があったとか。しかしそう言われると、むしろ「やらしてください」としか言えなくなった一之輔さん。「笑点と一緒ですよ、まさに。」と当時を思い出していました。

 

 

〜寄席への想い〜

今や年間でつとめる高座数は900席以上にのぼる一之輔さん。「昼間、寄席2軒掛け持ちして、夜、独演会だと3席ぐらいある、そんな毎日。」とおっしゃいます。また、「独演会ばっかり毎日やっていると、感覚がおかしくなる」とも言う一之輔さん。来てもらえるのは嬉しい一方で、“同じところで笑うなよ”“俺を甘やかすな!”とお客さんに腹が立ってしまうこともあるとか。笑 独演会は一之輔さんを目当てにやって来たお客さんが多く、もちろん一生懸命落語を披露するのですが、その一方でバランスをとる場所を求めて寄席にも出ているのだとか。初めて落語を観る方や、一之輔さんを目当てに来ているわけではないお客さんがいる寄席では、うまくいかないことや、予想外の出来事もたくさん起こるそう。“やっぱり寄席にはお声がかかる以上は出させてもらいたい”という一之輔さんの思いが、年間高座数900以上という数字につながっています。

 

 

〜思い出の場所〜

今回、一之輔さんに「人生で思い出深い場所」を伺ったところ、先ほどもお話に出た、弟子入りを志願した場所『新宿末廣亭の楽屋口の通り』のほかに、『浅草演芸ホール~六区~新仲見世通り』もお答えいただきました。
これは、一之輔さんが高校生だった1995年頃、初めて寄席を見に行った帰りに通った道。昼夜通しで寄席を観た帰りの夜、当時はかなり寂しい雰囲気だったと言う浅草の新仲見世通りを歩きながら、“エラいもん見ちゃったなぁ。”“同級生や友達が知らないモノを知った。”という高揚感に包まれながら駅まで歩いたと言います。それまでとりわけ落語が好きだったという訳ではなかったですが、生で観た寄席は心に深く刺さり、寄席という空間の魅力をひしひしと感じたとか。電車に乗ってしまうと日常に帰ってしまうような気がして、電車に乗りたくないと思ったほどだったそうです。現在はオシャレになったこの通りですが、一之輔さんにとっては今でも思い出の道となっています。

 

 

〜師匠の印象深い言葉〜

また、“これまで人に言われた中で一番印象深い言葉”も伺いました。
それは、柳家権太楼師匠から言われた言葉。
真打になる直前の頃、一之輔さんが落語会に出た時のこと。一之輔さんが“あくび指南”という落語を終えて、舞台から降りてきたところ、次の出番の権太楼師匠がやって来て一言、「あんちゃんな、このままだとダメになるぞ。」とおっしゃいました。そのときの高座はウケていて、一之輔さん自身も手応えがあったそうですが、その一方で権太楼師匠の言うことにも心当たりがあり、「なんかイヤな落語をやってたんでしょうね。」とその時を振り返ります。結局、その真意は詳しく聞けなかったそうですが、4~5年ほど経ったあるとき、お仕事で権太楼師匠と一緒になった際、「良くなったな、あんちゃん。」と声を掛けてくれたのだとか!ここで、川島さんが「(ダメになるぞと言われて)変えた部分とか、意識した部分はあったんですか?」と聞くと…「それがあんまりないんですよ。とにかく目の前にいるお客さんに、今出来ることをぶつけるしかないんで。」とおっしゃり、ひたすら手探りで模索し続けてきたそうです。そのため、未だにどうして良くなったのかは分からず、「なんで良くなったんですか?」とも聞けないと言います。ただ、権太楼師匠から芸について言われたのは「ダメになるぞ。」と「良くなった。」だけ。シンプルなだけに重みのあるこの2つの言葉は、一之輔さんにとって深く印象に残っています。

また、入船亭扇辰師匠からも印象深い言葉を掛けられたそう。
それは、入門から8年ほど経った頃、独演会のゲストに扇辰師匠が来られた時のこと。
一之輔さんが披露した“青菜”と言う落語を、舞台袖で聞いていて、「あんちゃん。すごい面白いんだけど、欲張らないで後半のくすぐり(ギャグ)を、5つか6つぐらい抜いた方が良いんじゃないかな?」とおっしゃいました。扇辰師匠曰く、この“青菜”という噺は最後の「菜をお好きか?」「嫌いだよ!」というくだりが、面白さのピークでないとダメなのだそう。つまり、そこがウケるのがこの話の肝であって、そこに向けて流れを構築しないと、“この噺の醍醐味はなくなってしまうのでは…?”ということ。それ以来、一之輔さんは常にそのことを意識しているそうですが、あえて抜かずに、逆に新たなくすぐりなどを入れ込み、“その部分を立たせる為にはどうすれば良いか”を考え続けています。古典落語ではいろんな人が同じ脚本の噺を披露し、お客さんは内容を予め知ってても面白いという世界ですが、“自分なりのものを作っていく”ということが、扇辰師匠への恩返しでもあるという思いから、常に落語を追求されているのです。

 

 

〜一之輔さんのエウレカ!(発見・気付き)〜

一之輔さんのエウレカは、“囃されたら踊れ”ということ。
指令を与えられたり、真打に抜擢されたり、笑点メンバーのオファーを受けたり…と、想像を超えることが起こった際は、自分がどうしようか悩むのではなく、“そう言ってくれているんだったら、やっちゃうよ!”という姿勢で臨むのが一番良いと考えています。弟子入りの時のエピソードで“実はチキン”というお話もあった通り、一之輔さんは思い悩むと引いてしまう性格。『笑点』のオファーがあった際も、“寄席出て、普通に落語家としてやればいいよ”という気持ちもありましたが、“囃されたら踊れ”という言葉を胸に、“笑点メンバーのオファーが来る状況を面白がってやっちゃったら、その先はどうなるか分からない”という気持ちで、新たな世界に飛び込みました。また、自分の心のコントロールとしては、真打に抜擢された時も、“これ全部、小三治師匠のせいだな。”“人間国宝がやれ!って言ってるから、やってるんだ!”と、あくまで“僕が好き好んで真打になってないですからね。”というスタンスで臨めば、何があっても怖くはないとおっしゃいます。笑
そして、「最終的に落語があれば、お客さんがいて、目の前に笑ってくれる人がいれば、それで良いかな。」という思いも語って下さった一之輔さん。今後の夢・目標を伺うと…「最終的に、死ぬ間際まで落語家、みたいなのが一番良いですよね」というお答えが。“お客さんが入り切っていない、お昼過ぎののんびりした時間に、持ち時間15分のところを、8分しかやらずに帰っていくおじいさん落語家”が一之輔さんの理想だそうで、「なんで一之輔師匠は8分しかやらないんですか?」「出来ないんじゃないか?もう・・。」「なんで出てるの?」など、若者に後ろ指をさされながら・・・、夕方4時ぐらいには家に帰って、飲み始める。笑 「そういう人生が良いな!」と話す一之輔さんでした。“一生落語家”という夢、ぜひ叶えて頂きたいですね!

 

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PLAYLIST
  • 「Spring of Life」
    Perfume
  • 「愛のために」
    奥田民生
  • 「月光陽光」
    THE HIGH-LOWS
  • 「ギャグ」
    星野源
  • 「死神」
    米津玄師
  • 「春らんまん」
    never young beach