EDC 営業日誌(過去のお客様)
2023年4月1日放送
本日のお客様は、太田光代様。
1964年、東京都出身。雑誌モデルを経てものまねタレントとして活動。1990年、爆笑問題の太田光さんと結婚し、1993年には爆笑問題が所属する芸能事務所「タイタン」を設立し社長に就任。タイタンは今年設立30周年を迎える一方で、ハーブ専門店やフラワーショップなども経営し、新たな事業にも挑戦し続けています。川島さんと1対1で話すのは初めてだと言う光代さんに、社長になったきっかけ、太田光さんとの関係などなど、気になるお話をたっぷり伺うドライブです!
 
 
光代さんが社長を務める芸能事務所「タイタン」は今年で設立30周年!
先日、タイタン設立30周年を特集したテレビ番組が放送され、光代さんは夫である爆笑問題の太田光さんと共演されていました。夫婦共演の機会は数年に1回程度とそこまで多くはないそう。“どうしても夫婦で出演してほしい!”と頼まれた際は、番組プロデューサーの方に直接、太田光さんを説得してもらうことになっており、夫婦共演の最終決定権は光さんにあるのだとか。また、2人だけで共演すると、光さんが何も喋らなくなってしまうため、共演時は相方の田中さんも出演することになっているそうです!
光代さんいわく、光さんは「オン・オフがすごくハッキリしている人」。川島さんは光さんに対して、“楽屋からオン”のイメージを持っており、オフの光さんをあまり見たことがないそう。太田光さんといえば、楽屋挨拶に来た若手芸人をモデルガンで撃ったフリをするというエピソードがよく知られていますが・・・モデルガンはもともと光代さんの趣味。光代さんからすると、若手芸人のことが大好きな光さんがなんとかコミュニケーションを図るため取った行動なんだとか。ただ、やっぱり危険だということで、最近はモデルガンを取り上げたそうで、そんな光代さんのことを川島さんは「お母さんみたい。」と表現していました。笑
タイタンが設立30周年という節目を迎えたことについては、「そんなに経っちゃったんだな、もう。」と感慨深げに語る光代さん。30周年は設立時から目指してきた一つのゴール。設立当初は“3年もつか、5年もつか、10年は無理だろう。”などと常に言われ続けていましたが、次第にそういった声は聞こえてこなくなっていき、いつしかタレント事務所として形になっていきました。ただ、光代さんには記憶にない10年間があるとか。それは、30代から42歳くらいにかけての約10年間。とにかく忙しくて、その間に何が起こっていたのかよく覚えていなのだとか!
そして、昨年末には、タイタン所属のお笑いコンビ“ウエストランド”がM-1グランプリで見事優勝!他事務所の芸人さんからも「良かったね!」と声を掛けられることが多いそう。川島さんもウエストランドが伸び悩んでいた時期を見ていただけに、心から嬉しかったらしく、“爆笑問題の事務所”として始まったタイタンが“チャンピオンが出る事務所”になったことにも感動したのだとか。また、キュウ、まんじゅう大帝国、ダニエルズといった次に活躍が期待されるコンビも続々と現れてきて、「もうちょっと頑張んないといけない!」と話す光代さんでした。
(ウエストランドと光代さん!※太田光代さんのTwitterより)
 
 
ここからは、光代さんがタイタンの社長になった経緯についてのお話を。光代さんは社長業について「しょうがないからやっている。」と言います。
もともと、爆笑問題と同じ事務所・太田プロに、ものまねタレントとして所属していた光代さん。ちなみにその前にはモデルや役者、『アッコにおまかせ』のアシスタントなど、様々な活動をされていたのだとか。太田プロに入ってからは事務所のライブを毎回見に行っていたそうで、そこに出ていた爆笑問題がすごく面白かったと言います。漫才師のイメージが強い爆笑問題ですが、当時は社会風刺のコントを披露しており、テレビで放送できないような過激なコントをしていたとか。
しかしその後、爆笑問題はデビュー数年でマネージャーと一緒に太田プロを独立することになります。当時、光さんと同棲されていた光代さんにも、事前にそういった相談はあり、光代さんは、マネージャーの方に(独立を)やめるよう言っていたのですが、光代さんが何日か家を空けたタイミングを狙って、光さんと一緒に独立を決めてしまったのだとか。今では事務所を円満に退社するケースも多いですが、当時の業界ではそういったケースはほとんどなく、爆笑問題は一旦、仕事がゼロになってしまいました。
仕事がなかった時期は、田中さんはコンビニでアルバイト。光代さんも田中さんから紹介してもらい、一緒に並んでレジに立っていたとか。一方、太田さんはバイトをせず、ひたすらテレビゲーム。ただ、勝手にゲームのストーリーを進めると、ストーリーを楽しんでいる光代さんが困るため、ストーリーとは関係ないレベル上げなどをしていたのだとか。そのため、当時の光代さんと田中さんの職業はコンビニ店員、太田さんの職業は“勇者”だったそうです。笑
ここで川島さんから「太田(光)さんの才能に惚れてるっていうことですか?」と問われると、光代さんは「当時は、そんなにまだ(才能を)発揮してないので。」とお答えに。センスがあるのは分かっているものの、クセもある太田さんを“どういう風にテレビにパッケージすれば良いのか…”を考えるのは難しそうだと思っていたとか。
さらに、川島さんから「光代さん自身はタレント活動をされていて、芸能界で売れてやろうという意識はあったのか?」という質問が。これに対して光代さんは「そういう時期もやっぱりあった。」と言います。しかし、爆笑問題が前の事務所を離れるにあたり、自分のことを考える余裕もなく、“この人達(爆笑問題)をなんとかしないと!”という気持ちでいっぱいだったとか。そして、爆笑問題のファンの存在を感じ、“待っている人”のために再起をかけて、光代さんは太田プロの社長、副社長に「私がやります。」と言って事務所を退所されたのです。
(タイタン設立時のお写真!光代さんと爆笑問題!)
しかし、当然社長業の経験はない光代さん。株式会社と有限会社の違いすら知らなかったと言います。HOW
TO本を20冊ほど買って会社の立ち上げ方などを勉強し、タイタンを設立されます。当時のタイタンのメンバーは光代さんと太田さん、田中さんの3人のみ。光代さんが営業やスケジュール管理などをすべて担当していました。
こうして、イチから事務所を作っていく中で、爆笑問題が再び売れ始めたきっかけは、光代さんが計画した、2回の単独ライブ。2回目のライブは4月の改編期に合わせて行い、テレビマンに見に来てもらって、次のシーズンのテレビ出演を狙いました。会場は銀座のソニービルにあった「SOMIDOホール」。支配人の方は爆笑問題のことをすごく気に入っていて、“本当は貸さないんだけど、爆笑問題なら…”と会場を使わせてもらったのだとか。しかし、こうして光代さんがライブを決めたことに対して、爆笑問題の2人はさぞかし喜ぶかと思いきや…その反応は冷ややかなもの。当時の爆笑問題はテレビに出演したくて、テレビには多くの視聴者がいる中でライブをやる意味がよく分からず、ライブには乗り気ではなかったと言います。しかし、“そういうわけにはいかない!”と思った光代さんは、最終的に机をバン!と叩き、「いいからやるんだよ!」と説得したのだとか。笑 結果として、このライブをきっかけにテレビのレギュラーが5本決まった爆笑問題。オファーはもっとあったものの、光さんの執筆活動があるなどの理由でいくつかは実現しませんでしたが、ここから爆笑問題は再びブレイクしていくのです。
タレント事務所として変貌していった理由は、光さんが他のタレントを連れてきて、「ウチで預かってくれないかな。」とお願いしてくることが度々あったから。傍から見ていると“上手くいっている”というイメージを持たれはじめていたタイタンですが、もともと3人でやっていくつもりだった光代さんにとっては予定がどんどん狂っていく感覚だったのだそう。笑 光代さんからみて、太田さんは“お願いを断れない人”。“入れるしかないんだな”という感じで、仕方なく受け入れていったことで、タイタンは王道のタレント事務所を目指さざるを得なくなったと言います。タイタン社長としての苦労話は話すとキリがありませんが、時間の限りたっぷりとお話しくださいました!
 
 
光さんと2人でいるときはどのように過ごされているのか?というお話も。
「家の作り方を間違えた。」と振り返る光代さん。というのも、今の家は、玄関のすぐ近くに太田さんの部屋があるそうで、すぐに自分の部屋に閉じこもってしまうのだとか。笑 自宅を“顔を合わせなくてもいい間取り”にしてしまったことを後悔しており、実際にはこんなエピソードも・・!
ある日、光代さんがリビングのテレビでドラマを観ていた時のこと。夕飯の時間になり、お手伝いの方に「ご主人もご一緒ですよね?」と聞かれ、「あれ?主人はまだ帰ってきてないですよね。」と光代さんが答えたところ、「ずっといらっしゃいますよ。」とまさかの返しが!
光代さん、光さんがずっと家にいたことに気付かなかったのです。笑 ちなみにその時、光さんはご自身の部屋で、光代さんと同じドラマを観ていたそうで…“同じの観てるんだったらリビング来ればいいじゃん…!”と思ったとか。笑
また、光代さんのお誕生日には太田さんからお花のプレゼントがあるそうなのですが、「お誕生日おめでとうございます。 太田光代様」と劇場に出すお花のような札が立っていたのだとか。笑
お誕生日、結婚記念日、クリスマスには必ずプレゼントをくれる優しい光さんですが、光代さんとしては“一緒に買い物や食事をして2人の時間を過ごしたい!”と明かしてくれました。
光代さんが光さんとレストランに行った際のエピソードも!
個室が取れず、周りに他のお客さんもいる席で食事をされていたそうですが、ずっと光代さんが話す一方で、光さんはただ黙々と食べているだけ。笑
光さんは早々に食べ終わり、早く帰りたそうにしています。お店の方にも気を遣わせる雰囲気を出し始め、最終的には見かねた隣の席のお客さんが「いつもテレビ拝見してます。」と声を掛けてきて、続けて「もう少し奥さまとお話してあげて頂けますか?」と注意を受けたのだとか。笑 太田夫妻ならではの、独特の夫婦関係がうかがえるエピソードですね。
 
 
太田光さんの新刊『笑って人類!』が3月8日(水)に幻冬舎から出版されました。
執筆中、まだ完成していない段階で作品を他の人に見せるのがイヤだと言う光さん。そのため、光代さんはどんな作品が出来るのか分からず、ずーっとモヤモヤしていたそう。そして、出来上がった作品は原稿用紙1200枚以上にものぼったそうで、光代さんも困惑。笑
この大長編をなんとか1冊にまとめるのは大変だったそうですが、光代さんも「本当に面白いです!」と太鼓判を押す内容。みなさんもぜひ、チェックしてみてください◎
 
 
光代さんのエウレカは“ちょっと前に戻ってみると、そこに答えがある”ということ。
人生の中で、思ってもみなかったようないろんな出来事が起こると言う光代さん。一つずつクリアしていくと、次に大変なことが起きたときにもその経験が役に立つことがあるそうで、それにまた何かを足してクリアしていく…という繰り返しなのだとか。
また、光代さんに今後の夢・目標も伺いました。もともと、レストランシアターを作りたかったと言う光代さん。アメリカなどではよくありますが、日本ではあまり成功していない文化。しかし、光代さんはお笑いやジャズ、映画など日によって様々な内容の公演を行うレストランシアターをタイタンとして作りたいそうです!そこには爆笑問題が立つ日も想定。最初の頃と変わってライブやお客さんの前に立つのが大好きになった爆笑問題の居場所をずっと守ってあげたいと思っており、他にもボキャブラ世代の芸人さんなどが出る場所があるといいかな…とも思うのだとか。大人が出て、大人が楽しむ「タイタンシアター」の完成…とっても楽しみですね!川島さんも「麒麟で出てみたい」と言っていました!
 
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