PASSENGER DIARIES

EDC 営業日誌(過去のお客様)

2023年3月4日放送

Passenger

住吉美紀

本日のお客様は、住吉美紀様。
1973年、神奈川県出身。
小学校時代はアメリカのシアトル、高校時代はカナダのバンクーバーで暮らし、英語と日本語両方の文化で育ちます。帰国後、国際基督教大学(ICU)を卒業され、1996年、アナウンサーとしてNHKに入局。『プロフェッショナル 仕事の流儀』キャスター、『第58回NHK紅白歌合戦』総合司会などを務められます。2011年からフリーアナウンサーとして活動をスタートされ、翌年からはTOKYO FM朝のワイド番組『Blue Ocean』(平日9:00~11:00)のパーソナリティを担当。番組は、この春で12年目に突入!川島さんにとっては“朝の帯番組の先輩”ともいえる住吉さんの、これまでの道のりを辿るドライブに出発しました!

 

 

〜Blue Ocean〜

住吉さんは2012年4月からTOKYO FM朝のワイド番組『Blue Ocean』のパーソナリティを務められています。ラジオとテレビの違いはあれど、住吉さんと同じく毎朝生放送をしている川島さんからは、「局には何時に入る?」という質問が。住吉さんいわく、毎朝TOKYO FMに来るのは放送1時間前の8時過ぎだそう。“どんなに事前に準備していても、やっぱり生放送中に起きたことに反応できないとダメだ”という考えのもと、局に来るのは直前なのだとか。ちなみに…川島さんも同じ考えで、『ラヴィット!』の入り時間は放送1時間前だそうです。


(『Blue Ocean』の公式Twitterでは、住吉さんの様々な姿が見られます!)

『Blue Ocean』のパーソナリティ歴もこの春12年目に突入しますが、ご自身では“合っているから続いている”と思うそう。プライベートでは“トライ&エラー”の精神を持っており、“やってみてダメなら次に進もう”というタイプ。逆に考えると、長く続いていることは“本当に好きで、自分に合っていること”だとおっしゃいます。また、番組を作るスタッフの中核は同世代の方が多く、“同志として話し合える仲”でもあるそうです。
そして、「ラジオは毎年発見があり、やりがいもあり、面白みもある。すっかりライフワークみたいな感じ!」と語る住吉さん。リスナーにとっても、住吉さんの声がライフワークになっていますね!


(『Blue Ocean』をお送りしているスタジオでの住吉さん。笑顔が素敵ですね!)

 

 

〜ラジオパーソナリティへの憧れ〜

幼少期、FMラジオのDJに憧れていたという住吉さん。ご家族の仕事の都合でアメリカのシアトルで暮らしていた小学生時代には、お父様のアイデアで『シアトルからの便り』と題してラジオ番組風のボイスメッセージをカセットに録音し、日本にいるお祖母様に送っていたそうです!お父様がパーソナリティを務めていたこの番組では、住吉さんも「学校でこんな歌を習いました、歌います!」といった風に出演しており、時間が余るとお父様のカラオケで時間を埋めていたとか。笑


(シアトルでのクリスマス!『シアトルからの便り』パーソナリティのお父様、弟様、そして猫ちゃんと一緒に!)

中学時代は日本、高校時代はカナダのバンクーバーで過ごした住吉さん。カナダに移ってからは、中学時代の友達と会えないことが寂しくなり・・・住吉さんは再びFM風の番組をカセットに録音して送っていたと言います。お父様と作った『シアトルからのお便り』の経験が生き、今度は『バンクーバーからのお便り(!?)』をご自身で制作されました!学生時代から住吉さんにとってラジオは身近な存在だったのですね!


(バンクーバーで暮らしていた高校時代の住吉さん!)

時を経て、フリーアナウンサーとしてのキャリアをスタートさせた時、やはり“FM番組を担当したい”という気持ちが芽生えました。そんな時、今も一緒に『Blue Ocean』を作っているスタッフが、代打パーソナリティとして一度番組に呼んでくれたことが縁となり、住吉さんは『Blue Ocean』のパーソナリティを、前任者から引き継ぐ形で担当することになりました。
ちなみに、住吉さんのラジオの原点とも言える、『シアトルからのお便り』のテープは、お祖母様が保管しており、今も残っています。お父様を亡くされた後、ご家族みんなでテープを聞いた際には、みなさん泣き笑いで、お父様との素敵な思い出を共有されました。住吉家にとって、このテープは家族を繋ぐ大切な宝物となっています。

 

 

〜パーソナリティとしての成長〜

パーソナリティ1年目の頃は、慣れない一人喋りに苦戦されたという住吉さん。
猫好きということもあり、目の前に猫のぬいぐるみを置かれて、「これに向かって話すと思ってください。」と言われたこともあったのだとか。
それまでは放送局のアナウンサーとして、“自分が目立ち過ぎてはいけない。自分は絵を活かすための額縁であれ。”と先輩に教わっていました。しかし、『Blue Ocean』のパーソナリティになり、いざ自分が“絵”の立場になると、それまでと真逆のことをやることに。それゆえ、一人で話している時には“私の話聞きたい人いるの?”ともう一人の自分が常に話しかけてくる感覚になっていたのだとか。そのため、リスナーからのメッセージを紹介した後に、“私の経験で、リスナーのみなさんのお耳を汚すことがあってはならない!”という想いから、自分の話はせずに終わってしまい、“メールの朗読”のような状態に・・!笑 アナウンサーとパーソナリティとの違いに苦労をした時期でした。


(こちらが住吉さんの目の前に置かれていた、猫のぬいぐるみ!)

そこから住吉さんは試行錯誤を重ねます。スタッフから感想を聞き、ご自身でオンエアを聴き直し、『Blue Ocean』の放送以外の時間も番組のことを考え、取材に行ったり…と手間暇をかけ始めたところ、番組への気持ちに拍車がかかり、どんどん番組が自分にとって面白くなっていったそうです。「2~3年くらいで腹が決まった」と当時を振り返ります。
また、帯番組をやっていて難しいと感じたのが「体調や気持ちのコントロール」。
ラジオの生放送では、ご自身の体調や気分もリスナーに伝わってしまうことが・・。
そのため、放送時の集中力を高め、楽しい気分になれるよう、常にコンディションを考えるようになったそうです。

 

 

〜アナウンサーを目指したきっかけ〜

日本と海外を行き来して育ったこともあり、もともとは英語を活かした仕事に就きたいと考えていた住吉さん。しかし、英語がそれなりに話せるようになると“英語にばかり注目しても面白くない”と感じ、何をしたいのか困ってしまったのだとか。将来に悩んでいた大学時代、アメリカに行って平和について考える学生の研究旅行に参加する機会がありました。そこでは海外の環境活動家など、様々な方に話を聞くチャンスがあり、日本語も英語も話せる住吉さんが通訳のような役割を果たしました。その時、直接取材をしたり、いろんなことをされている方に話を聞くことの面白さを感じたと言います。
また、その研究旅行から帰ってきた後の発表会では住吉さんが司会を務めたそうで、いつも厳しい大学の先生が「司会してくれてありがとう。アナウンサーみたいだったよ。」と声をかけてくれたとか。それがきっかけで初めてアナウンサーという職業を意識し始め、ちょうど就職活動のマスコミセミナーが始まる時期だったこともあり参加したところ、“アナウンサーという職業が自分のやりたいことと合っているかも…”と考えるようになります。
取材をアナウンサー自身がするという環境もあり、住吉さんは1996年にNHKに入局されます。


(ハイビジョン生中継世界遺産の旅シリーズ、中継車前でのお写真。)

 

 

〜NHKアナウンサー時代〜

NHK入局後、住吉さんは福島放送局、仙台放送局勤務を経て、2001年からは東京アナウンス室所属となります。
NHKのアナウンサーは必ず地方転勤がありますが、その配属については人事の方が第3希望まで聞いてくれるのだとか。しかし、お父さまのお仕事の都合で、各地を転々とされていた住吉さんは“どこに行っても結局楽しいことも大変なこともある”と考えていたため、希望用紙に“運命に任せます!”と記入!笑 かなり攻めた文章ですが…配属が決まる日、人事の方に呼ばれて「住吉さんは“運命で”福島に決まりました!」と言われ、福島へ赴任することになりました。人事の方もユーモアがある方ですね!笑
その後、2007年にはNHK紅白歌合戦の総合司会を務められます!川島さんから「プレッシャーが凄いのでは?」と尋ねられると、住吉さんからは「意外と大丈夫でした」というお答えが!住吉さんはそれ以前にもラジオ中継や裏部隊を取材するロケチームなどで紅白の現場に参加し、その雰囲気を知っていたこともあり、プレッシャーはそこまで感じることなく“祭りだ祭りだ〜!”というテンションだったとか。笑
しかし、紅白の現場では、大晦日のステージにかける音楽業界の人々の強い想い、エネルギーをひしひしと感じ・・・12月30日のリハーサルの後、すぐ帰って休もうとしたところ、そのエネルギーに疲れ果てていたのか、紅白前日にもかかわらず14時間も寝てしまったのだそう!これには川島さんも「逆によく寝られましたね…!」と驚きの様子でしたが…ぐっすり寝て、大晦日はスッキリと起きられたのだとか!

また、番組の事前アンケートで住吉さんが「キャリアにおけるマイ大事件」として挙げていたものの1つが『プロフェッショナル 仕事の流儀』のキャスターを担当したこと。この番組で住吉さんの仕事ぶりを初めて観たという方も多く、ご友人からも「番組観たよ」というリアクションが多かったそうで、“すごく多くの方が観てくださっている番組なんだ”と感じたとか。また、最終的に143人もの一流のプロの方々にお話を伺うことができ、さながら人生道場のように、仕事についてどう考えているのか、実際どうしているのかを伺うことによって、ご自身を見つめ直し、NHKを辞め、それまでとは違う生き方や働き方を意識し始める第一歩に繋がったそうです。

昨年には、『プロフェッショナル 仕事の流儀』のスピンオフのPodcast番組『その後のプロフェッショナル仕事の流儀』がSpotifyで配信開始。こちらは、住吉さんが当時インタビューした方に15~16年ぶりにまたお話を伺う番組。 住吉さんも時を経て、NHKアナウンサーとして“額縁”に徹して話していた当時から、“絵の中にも移動する”現在の立場へと変化したことで、会話の内容も違ってくるのだそう。しかし改めて思うのは“15~16年経っても、すごい人はすごい”ということ。
プロフェッショナルな方々のその後の人生・・!気になる方は是非チェックしてみてくださいね!


(オンエアでは紹介しきれませんでしたが、他にもキャリアにおけるマイ大事件として「世界遺産のハイビジョン海外生中継のキャスターを4年間務めたこと」と、挙げてくださった住吉さん。こちらは、スペインから生中継する様子!)

 

 

〜住吉さんのエウレカ!(発見・気付き)〜

住吉さんのエウレカは、亡くなったお父様からの教え。
もともとお父様の影響を受けて育ってきたと言う住吉さん。しかし、そのお父様は、住吉さんが25歳のときに事故で亡くなってしまいます。まだまだ元気で、まだまだいっぱい話せると思っていたお父様が突然亡くなるという状況は、本当に大きなショックでした。しかし、しばらく経って“そこから父はまた教えてくれたのかも”と思うようになったと言います。“人生いつまであるかわからない、だからやるべきことややりたいことはできるうちにやらなきゃいけない”“もし急にお別れになってしまった時に、やり残したことがあれば、周りの家族も悲しいんだ”と考えるようになったと言い、住吉さん自身も楽しく、自分がやりたいと思うことを悔いのないようにやって有限の人生を生きようと強く思うきっかけになったのだとか。“私はこうしたいです!”“私はこっちを選びます!”といったようにちゃんと自分なりに優先順位を付け、行動しようと住吉さんに思わせてくれたのは紛れもなくお父様。“父が命をかけて教えてくれたギフト”だとお話しいただきました。

また、住吉さんの今後の夢を伺うと…「それこそ“運命に任せます!”のタイプの人間なので、やっぱりわからない」とお答えに。ただ、何が起こるか分からないのが人生。ある意味出たとこ勝負の中で“自分の気持ちが向く方に進むぞ”という思いがあるそうで、「書くことが好きなので、書くことにチャレンジしたい」とお話しに。また、海外との絆はやはり大切で、将来的な夢として、日本と海外を行き来する二拠点生活をやってみたいそうです。さらに、コロナ禍を経て“健康一番”という気持ちが強くなり、健康があってこそ、夢も語れるし、ラジオもできるし、海外にも行けるし、ご飯も美味しいと感じるのだとか。
この春、12年目を迎える『Blue Ocean』…これからも毎朝、“健康第一”で、皆さんの生活に彩りを与えてください!


(住吉さんと川島さんの2ショット!ご出演、ありがとうございました!)

 

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