EDC 営業日誌(過去のお客様)
2023年2月4日放送
本日のお客様は、本並健治様。
1964年、大阪府出身。
1986年に松下電器産業サッカー部(現・ガンバ大阪)に入団。1993年のJリーグ発足後、鋭い反応と攻撃的なプレーをみせるゴールキーパーとしてガンバ大阪で活躍されます。翌年には日本代表に招集され、国際Aマッチに3試合出場。1997年にはヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)へ移籍し、再び日本代表候補に選出。2001年に現役を退いてからは海外サッカーの解説などメディアで活動される一方、京都産業大学、東海大仰星高校でコーチを歴任し、2012〜16年にかけては大阪を拠点とする“スペランツァFC大阪高槻”の監督を務められます。2020年に、元なでしこジャパンの丸山桂里奈さんとご結婚。現在はサッカー解説者、サッカー指導者、タレントとして幅広く活躍されています。そんな“浪速のイタリアーノ”こと、本並健治さんとドライブに出発しました!
 
 
川島さんがMCを務める『ラヴィット!』では、奥様の丸山桂里奈さんと月曜レギュラーを務めている本並さん(※現在、丸山さんは産休中)。バラエティー番組によく出演されるようになったのは、丸山桂里奈さんとの結婚後(2020年)ということもあり、あまりバラエティー慣れはしていなかったそうですが、川島さん曰く、一番ボケを連発しているそうで、ご自身も「関西人なので、出演するからにはウケないと物足りない。」とおっしゃいます。笑
夫婦でレギュラー出演のオファーが来た時の心境については、「奥さんもバラエティー慣れしていて、芸人さんも多くいるということで、イジってくれたり、フォローもしてくれると思った。」と振り返り、そこまで悩むことはなかったそうです。
また、本並さんから、「逆に、(芸人ではない)僕ら夫婦はどうですか?」という質問に対して、川島さんは「芸人でもないし・・もちろん俳優でもないし・・もっと言うとアスリートでもないんですよね。(※お二人とも元サッカー日本代表選手です。笑)」と思っているそうで・・・。笑 本並さんは「アスリートですよ!笑」とツッコんでいましたが、お二人のバラエティー力の高さを見ると、川島さんが錯覚するのも納得ですね!
そんな、どこにも属さない絶妙な存在の本並夫妻ですが、丸山さんに関しては、本並さんと結婚後、少しキャラが変わったと川島さんは分析します。以前は、完全にボケ担当だった丸山さんですが、本並さんとの共演時は、どこか“見守っている”ように感じているそうで、保護者のような一面も見え始めたのだとか!バラエティーの先輩として、そして妻として、丸山さんの心境にも変化が生まれているのかも知れませんね!
(『ラヴィット!』スタジオでの本並さん!)
 
 
日本のゴールマウスを守ってきた本並さんにサッカーを始めたキッカケを伺うと、「小学1年から中3ぐらいまでは野球をやっていたんですよ。」と意外なお答えが!なので、中学3年頃からサッカーを始めましたが、ボールをキャッチしたり、投げたりする能力は野球ですでに培われていました。ちなみに、野球を辞めた理由は、飽きたから。当時の野球チームは今以上に指導が厳しい時代で、“もうそろそろいいかな・・。”と思い、野球とは逆に“ちょっとチャラっとしていて自由だった”と感じたサッカーにシフトチェンジされたのでした。この決断が本並さんの人生を大きく変えることに。野球で培った身体能力と体格の大きさを活かし、ゴールキーパーとしてすぐに頭角を現していくことになるのです!
(中学時代の本並さん!)
こうして、サッカーを始めた本並さんは、すぐに選抜に選ばれるほどの選手に!その後、サッカー強豪高校〜大学を経て、ガンバ大阪の前身のチーム・松下電器産業サッカー部に入団されます。そして、1993年にJリーグが発足。それまでリーグ戦にほとんどお客さんが入っていなかった状況での開幕で「想像が付かなかった」と当時を振り返る本並さんですが、Jリーグは、開幕試合から超満員!日本中を興奮の渦に巻き込みました。三浦知良さん、ラモス瑠偉さん、武田修宏さんなどスター選手が注目を集め、当時のJリーガーは派手なイメージがありますが、本並さんは「それは関東だけでしょ。」と一刀両断。その頃のガンバ大阪は、まだ上位チームに食い込めておらず、外食しているところをサポーターに見つかると、「ご飯食べてないで練習しろ!」と檄を飛ばされることもしばしば・・・。そのため、あまり外に出歩かず、派手に遊んだ話も無いそうです。
ちなみに、ガンバ大阪の初代監督は、日本サッカー史上最高のストライカーとも言われている釜本邦茂さん!天才的なプレイヤーということもあり指導方法も独特で、「こうポンっとボールを止めて、ドンっと打つんや!」と、長嶋茂雄さんイズムのような、感覚的なアドバイスが多かったのだとか!笑
(現役時代の本並さん!)
 
 
Jリーグが開幕して数ヶ月経後、本並さんに悲劇が訪れます。1993年7月7日のサンフレッチェ広島戦、試合中に相手選手と接触し、腎臓破裂の大けがを負ってしまうのです。さらに、この日の試合前には、のちに“ドーハの悲劇”と呼ばれることとなる国際試合の日本代表メンバーに入る予定だと告げられており、気合も十二分に入っていた矢先でした。
同点で迎えた試合終盤、コーナーキックから蹴られたボールをキャッチした際、背中に相手の膝が接触。その瞬間、一歩も動けない程の痛みに襲われます。その後、すぐに後半終了のホイッスルが鳴りましたが、当時は延長戦まで行うルール。そして本並さんは交代せずに、延長戦にも出場したのです!「監督には伝えなかったのですか?」という問いには、「交代枠を使い切っていたか覚えていないが、キーパーはレギュラーの枠が1人だけのポジション。控えのキーパーとレベルが拮抗していたから、譲る訳にはいかなかった。また、次の試合がヴェルディ戦だったので、この試合では勝ち点を落とすことが出来なかった。」と、自ら監督に交代要請をしなかった理由を明かしてくださいました。試合は延長戦に入り、相手にゴールを決められ早めに試合終了。そして、ロッカールームに戻り、イスに座った瞬間から一歩も動けなくなった本並さん。その顔色の悪さから周囲が異変を感じとり、そのまま救急車で搬送されました。後に医者からは「早く試合が終わったから無事だったが、長引いていていたら危なかった。」と、命の危険もあったと言われたそうです。さらには、腎臓の破裂が原因で「もうサッカーが出来ないかもしれない。」とも告げられましたが、手術も無事成功され、本並さんは不屈の闘志で復帰を目指します。気持ちを支えたのは、怪我前に“代表に入る”と言われていたから。プロアスリートとして、日本代表に選ばれることは夢。それを直前に逃した悔しさもあり、代表選出を目標に、リハビリに励みました。そして、半年ほどで練習に復帰するという、驚異的な回復力を見せ、しばらくして日本代表にも選出!1年ほどは微熱が続くといった後遺症も残り、身体的にはキツい状況でしたが、夢であった日の丸を背負い、全身全霊で日本のゴールマウスを守ったのでした。
 
 
もともとのお二人の関係は、選手と監督。女子サッカーチーム・スペランツァFC大阪高槻(現・スペランツァ大阪高槻)で、本並さんは監督を務め、丸山桂里奈さんはチームのエースでした。当時の本並監督から見て、丸山選手は一人だけレベルがズバ抜けて高かったと言います。そのため、監督に就任してすぐ、“丸山選手をコントロールしていけば、チームが潤滑に回る”と感じ、お二人はよくコミュニケーションを取っていました。ただ、この時点ではあくまでサッカーについての話し合い。恋に発展していったのは丸山さんが選手を引退してからしばらく経った頃。丸山さんから本並さんのもとに“サッカースクールをやりたいが、どんな内容にすれば良いか分からない”という旨の連絡があり、相談に乗るために食事へ。そして、その後も打ち合わせは何回か続き、2人の距離は徐々に近づいていきます。次第に、丸山さんからの“好き好きアピール”を、だいぶ感じ取っていた本並さん。笑 と同時に、丸山さんの周りは常に明るく、勝手に人が集まってくる“天性の人柄”に、本並さん自身も惹かれていきました。(ちなみに、丸山さんは、“チーズを伸ばしてながらピザを食べている本並さんの姿(イタリア人に見えた!?)にグッときた。”と恋心を抱いた瞬間を、後に明かされています!笑)
こうして2人の関係は“監督と選手”から“恋人”へ。極秘に交際を続け、2020年の東京ガールズコレクションで結婚を電撃発表されました。この発表は本並さんの想像以上に反響があり、結婚後は“『徹子の部屋』『新婚さんいらっしゃい!』に出演できたら充分だな”、と思っていたそうですが・・・笑。 お二人は気付けばテレビに引っ張りだこの存在に!仲良し夫婦として多くの人に元気を与えています。
(幸せいっぱいな本並さんと丸山さん!)
 
 
今回、番組の事前アンケートで“周りから変わっていると言われる癖”を伺ったところ…“丸い形の物(球体)を見ると、その物が飛んで来たらキャッチできるかパンチングすべきかを考えてしまう”という気になるお答えが…!こちら、本並さんいわく“キーパーのあるある”だそうで、川島さんは「権田選手も同じこと言うかな?」と疑いつつも・・とりあえずテンポ良く聞いてみることに!笑
Q川島 A本並
Qミカンは?→A片手でキャッチ!
Qバランスボールは?→A頭の上でキャッチ!
Q逆に、パンチングするのは?→Aスイカ!割れると気持ち良いから!
Q新幹線の丸い先頭部分が吹っ飛んで来たら?→A避けますね!
と、聞けば聞くほど本並さんだけの“あるある”のような気がしますが・・・笑
そんな、日頃からキーパー意識が高い本並さんは、今でも試合の夢をよく見ると言います。しかし、内容はご自身が活躍する場面ではなく、“試合が始まるのに、キーパーグローブが無い!”“ユニフォームがない”“他の人が出場していて、試合には出られなかった”といったような悪夢ばかり・・・。これに対して川島さんは「一個のモノに命懸けてやってきた人の“あるある”かもしれませんね。」と、この“あるある”には共感!笑
川島さん自身も未だにM-1の夢を見ることがあるそうですが、“ネタがない状態で出囃子が流れ、アドリブで漫才をするけど、全くウケない・・・”など悪夢が多いのだとか!
さらに、キーパーには“全体を見たい”という特性も!“食事や打ち合わせなど、数人でいる時は常に全体が見える位置にいる”“ロケバスでは後ろの席にいる”“丸山さんが車を運転する時は後部座席に座る”など、本並さんの数多くの職業病が明らかになりました!
 
 
ここで話は一旦サッカーに戻ります。
昨年行われたカタールW杯で日本は、クロアチアにPK戦の末、惜退。国内では“PKは運なのか?技術なのか?”という話題が上がりましたが、本並さんに、キーパーならではの考察を伺うと、「運だけでは無いと思う。」というお答えが。
PKになった時、本並さんが参考にするのは、相手選手の試合中の動き。もし、右利きのパワー系の選手であれば、PKでも足を振り切る(思いっきり蹴る)可能性が高いので、真ん中かキーパーから見て右に飛ぶと言います。このように、試合中に相手を分析することで、セーブ率は上がるそうです。ボールを蹴った後に反応しても間に合わないので、キーパーは常に先にコースを読み、蹴る前にコースに飛んでおく必要があるのです。一方でキッカーは、そのタイミングをズラすために、様々な助走方法やステップで相手のキーパーの動きを確認します。このような緻密な駆け引きが、W杯を含めプロの世界では起こっているそうです!そのため、日本はW杯で“1・2・3・ハイ!と相手キーパーがテンポ良く飛べるようなタイミングで蹴ってしまったのも敗因ではないかと分析されていました。サッカーは奥深いスポーツですね!
 
 
本並さんがこれまで人に言われた言葉の中で一番印象深い言葉は、大学時代のサッカーチームの監督・上田亮三郎さんの“やらなあかんことは、どんなことがあってもやらなあかんねや”という言葉。実は上田監督こそ、高校の時、まだ無名だった本並さんを見出した人物。また、「この言葉でサッカー観が変わった。」というほど本並さんの心に響き、“やり切る”大切さを学んだと言います。「上田さんがいなかったら代表にも入ってないし、サッカーも続けてなかったと思う。」と、改めて恩師への想いを語っていただきました。
 
 
本並さんのエウレカは、“コミュニケーションの大事さ”。すなわち、「お互い知ることで潤滑に物事が進む。」といい、サッカーでもテレビでも大切にしていることなのだそう。そのため、『ラヴィット!』の生放送現場でも、初めて番組に出演する共演者にはなるべく本並さんから喋りかけるようにしており、リラックスさせるよう努めているそうです!サッカーでチームプレーを経験し、監督も務めていた本並さんならではのエウレカですね!
また、今後の目標については“もっと語彙力を高めたい”とお答えに。バラエティ番組に出演した際に突発的に言葉が上手く出てこなかったり、うまく返せなかったり…と反省することが多いという本並さん、「今後はもうちょっとボキャブラリーを増やしていきたい!」とおっしゃいます。そして、もうすぐ父親になる本並さん!一家を支える守護神の活躍に、今後も期待です!
 
radikoのタイムフリーで聴く