EDC 営業日誌(過去のお客様)
2023年1月21日放送
本日のお客様は、松村邦洋様。
1967年、山口県出身。
大学生の頃、アルバイト先のテレビ局で片岡鶴太郎さんに認められ、芸能界デビュー。ビートたけしさんや掛布雅之さんをはじめ、従来にないモノマネで一躍人気に!特に、放送作家・高田文夫さんのモノマネ「バウバウ」は、モノマネの域を超えた定番ギャグとして若者の間でブームを巻き起こします。また、1992年からは松本明子さんとともに日本テレビ『進め!電波少年』で司会を務め、それまでのテレビの常識を覆す、挑戦的な企画の数々で人気を博します。一方、芸能界きっての歴史通としても知られており、NHKの大河ドラマにまつわる知識は特に豊富!著書には『松村邦洋「鎌倉殿の13人」を語る』『松村邦洋
今度は「どうする家康」を語る』『武将のボヤキ』『愛しの虎』があります。今回は、そんな松村さんのモノマネ、そして大ベテランならではの金言も盛りだくさんのドライブとなりました!
 
 
様々な番組で松村さんと共演している川島さんですが、その中でも特に忘れられない収録が、2020年に放送された特別番組『麒麟がくるまでお待ちください』。大河ドラマ『麒麟がくる』の撮影が、コロナ禍のために休止せざるを得なくなった期間に放送されたこちらの番組は、川島さんと高橋英樹さんが司会を務め、松村さんはゲストとして出演。コロナ禍ということもあり、収録はリモートで行われたのですが、機材トラブルのために収録が40分ほど中断することに。“オンラインミーティングを抜けて、機材が復活したらもう一回集まりましょうか…”となりかけた時、松村さんが一人でひたすらモノマネを披露し続け、40分ほど現場を繋いでくれたそうです!もちろん、カメラが回っていない時間なので、オンエアには使われませんが、裏でも演者やスタッフを盛り上げる姿に、川島さんは“これが芸人だ!”と感動したそうです。松村さんに当時のことを伺うと「ただ(モノマネを)やりたかっただけだったんですけどね。」と振り返ります。機材が復旧してからも松村さんのモノマネは全く終わる気配が無かったそうで・・・、最後にはマネージャーさんから「静かにしろ!」と注意されてしまったのだとか。笑
 
 
松村さんのモノマネの根底にあるのは、“人が大好きで、人を愛することが大事”という想い。学生時代から“憧れの人になりたい”という気持ちで真似をしていたそうです。“学ぶは全部真似(まね)ぶ”という言葉も飛び出しました。
(小学5年生の松村さん!もちろんタイガースの帽子です!笑)
また、モノマネの中で遺憾なく発揮されている松村さんの“異常な記憶力”について伺ったところ、“今の時代と照らし合わせて歴史を見るのが好き”というお話に。昨年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を観ている時も、今の芸能界と重ねながら見ていたそうで、松村さんいわく、源頼朝は爆笑問題・太田光さんに重なると言います。太田さんが事務所を退社され、光代さんと結婚、そして2人で“タイタン”という事務所を発展させていく姿は、まるで平家の時代に平家を倒すべく奔走する源頼朝のように見えました。さらに、昨年の『M-1グランプリ』で優勝したウエストランドはタイタン所属。爆笑問題の前説を何度も務めており、太田さんを源頼朝とするなら、ウエストランドはまさに北条義時!…と、芸能界を日本史で例えるトークが止まらない松村さん!笑
一方で、「ご自身は歴史上の人物で言うとどのような存在なのか?」という川島さんの質問には「琵琶法師」と答えられます。すなわち、松村さんは歴史を伝えていく存在で、「山田雅人さんの“かたり”みたいなもの。」とおっしゃり、そこからは山田雅人さんのモノマネをたっぷりと披露してくださいました。笑
ここで話題は、ビートたけしさんのモノマネについて。たけしさんのモノマネは、松村さん以前にも真似されている方がいらっしゃったものの、圧倒的なクオリティーの高さから、今では松村さんが“たけしさんのモノマネのパイオニア”といえる存在になりました。「誰かがやった後だと、意外にマネしやすい。」と謙遜する松村さん。ですが、ここから再び“最近のたけしさん”“若い頃のたけしさん”など、モノマネを尽きることなく披露してくださいました!
笑
「土曜日のエウレカに、ビートたけしさんが出ている!」と、聴き間違えるほどのクオリティーですので、是非radikoタイムフリーで、チェックしてみてくださいね!笑
 
 
松村さんの芸能界デビューに深く関係している人物は、片岡鶴太郎さん!
松村さんは大学2年のときに素人参加型のモノマネ番組『発表!日本ものまね大賞』に出場し、チャンピオンとなります。その後、松村さんは福岡のテレビ局・テレビ西日本でケーブル捌きのアルバイトをされるのですが、ある日、アルバイト中に片岡鶴太郎さんがテレビ局にやってきます。先輩に「せっかくだから、会いに行けよ!」と言われ、鶴太郎さんの前でたけしさんのモノマネを披露したところ、鶴太郎さんは「この前の素人モノマネ番組に出てたヤツだろ!」と、松村さんのことを覚えていらっしゃいました!そして、芸能界入りを目指していた松村さんを、鶴太郎さんが事務所に繋げてくださり、同じ太田プロダクションに入ることになりました。
(デビュー当時の松村さん!)
 
 
松村さんがビートたけしさんのモノマネをするようになったきっかけについてのお話も。
中学生の頃、坊主頭だった松村さんは、映画『戦場のメリークリスマス』のビートたけしさんの坊主姿と似ていると周囲から言われたことで、“たけしさんに顔が似ているのかな”と思い、モノマネを始めたそうです。そんな松村さんがたけしさんと初めて会ったのは、フジテレビ『オレたちひょうきん族』の収録現場でのこと。『ひょうきん族』に出演していた鶴太郎さんのもとへ松村さんが挨拶に訪れたところ、鶴太郎さんから「たけしさんのモノマネやってみろ。」と言われ、いきなりご本人の前でモノマネを披露!気になるたけしさんの反応は…「俺、そんなか。俺、面白いな。」と、温かく受け入れてくれたと言います。
それから、たけしさんには可愛がってもらい、マンションに招かれて、服を200~300着ほどもらったこともあるのだとか!また、いわゆる“たけし軍団”には入っていない松村さんですが、あるときにはリアクションについて細かくアドバイスを頂いたこともあるそうです!たけしさんの愛を感じるエピソードですね。
 
 
1992年7月からは松本明子さんとともに、後に大人気番組となる日本テレビ『進め!電波少年』で司会を務めます。ただ、意外にも当初は3ヶ月限定のつなぎ番組だったのだとか。番組スタートのタイミングも7月という中途半端なタイミング(改編期は4月か10月が通常)ということもあり、松村さんは謙遜しながら“そんなに良いタレントじゃない2人(松村さんと松本さん。笑)”や“上と揉めて扱いにくいディレクター”などなど、“野武士”ともいえる荒々しい人たちが番組に集まったと言います。そのため、とにかく言うことを聞かず、むちゃくちゃなことをやる番組になったと振り返りました。
(『進め!電波少年』放送当時の松村さん!)
電波少年の数々の企画の中でも川島さんが忘れられないというのが、松村さんが挑んだ“ゴリラは本当に強いのか”を検証する企画。この時、松村さんはアフリカで野性のマウンテンゴリラと対峙し、帽子を触られるほどの距離にまで接近されました!(※下記写真参考)
この企画をはじめ、何回も命の危機ともいえる状況に遭っている松村さんですが、「仕事があるうちはありがたい」と、おっしゃいます。
(ゴリラと対峙する松村さん!)
そんな『進め!電波少年』を制作していたスタッフは、かつて『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』でADを務めていたメンバーが中心。そういった背景もあり、同番組では過激な企画にたくさん挑戦させられた松村さんは、川島さんがMCを務める『ラヴィット!』を見ていると“ほのぼのとしていて本当に良い。”と思うのだとか。笑
ただその一方で、最近のバラエティを見ていて“もっと身体を張りたい”“言っちゃいけないことがちょっと多い”とも感じる松村さん。「もっと配慮しなくてもいい時代こそ、本当の自由のような気がします。」というお話くださいました。
 
 
松村さんは“運の方程式”という考え方を大切にされています。
愚痴を言ったら運気は逃げてしまうけど、耐えて耐えて、運のマイレージを貯めていけば、いつか何か良いコトがあると信じており、“理不尽は運のマイレージ”と松村さんは考えています。また、“忙しくても良い人は、本物の良い人”など、ドライブ中には様々な金言を教えてくださいました!松村さんのお人柄、本当に素敵ですよね!
 
 
実は、中野区に30年も住んでいるという松村さん。上京して最初は、太田プロダクションのある、四谷に住んでいたそうですが、3年ほどで水道橋博士さんの紹介で中野へ移ったと言います。当時の中野はお笑い芸人が多く住んでいたそうですが、今は松村さんとダンカンさんぐらいなのだとか。笑
松村さんが中野に住み続ける理由は、ズバリ“中野が好きだから”。引っ越してしまうと、せっかく作ったご近所付き合いのコミュニケーションも全部失われてしまうのが悲しく・・これからも中野に住みたいと考えているそうです!
 
 
松村さんの“人生で思い出深い場所”は、鎌倉の『鶴岡八幡宮』。
鶴岡八幡宮と聞くと、大銀杏をイメージする方も多いと思います。源実朝を暗殺した公暁が隠れていた場所としても知られるこの大銀杏ですが、2010年、台風被害により倒れてしまいました。しかし、その倒れた銀杏の木からまた新たな芽が成長しています。この新たな息吹を目の当たりにするたびに松村さんは嬉しくなるそうです。
これまでのお話の通り、松村さんは鎌倉時代が大好き!
松村さんが鎌倉時代に興味を持つきっかけとなったのは、1979年のNHK大河ドラマ『草燃える』。当時小学6年生だった松村さんは、この作品を見て衝撃を受けたと言います。当時、民放で放送されていた他の時代劇は“正義が悪を倒して終わる”というものが多かったそうですが、それに対し大河ドラマは“勝てば官軍。負けた方は裁かれる”という民放の時代劇とは一線を画すもの。松村少年は『草燃える』を観て、“これが日本の歴史なんだ”ということを教わったのです。
 
 
松村さんの現在の目標は“現状維持”で、そのためには、人の話を聞きながらちゃんとコツコツやっていくことが、人生のエウレカだと言います。「日々好きなことを一生懸命勉強しているのが楽しい」と話す松村さん。今後もモノマネのレパートリーが、益々増えていきそうですね!
 
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