EDC 営業日誌(過去のお客様)
2022年12月10日放送
本日のお客様は、プロレスラーの武藤敬司さん。
1962年、山梨県富士吉田市出身。1984年に『新日本プロレス』に入団。
1990年からは、蝶野正洋・橋本真也と共に“闘魂三銃士”と呼ばれ、トップレスラーとして新日本プロレスを牽引します。その後、2002年に『全日本プロレス』へ移籍し、2013年には新団体『WRESTLE-1』を設立。そして、2021年から『プロレスリング・ノア』に正式入団されました。また、ノアでGHCタッグ王座を獲得され、高山善廣選手に続く史上2人目となるメジャー3団体(新日本、全日本、ノア)のシングルとタッグ王座の完全制覇を達成されます!さらには、同年の「年間最高試合賞」には、潮崎豪選手とのGHCヘビー選手権試合が選ばれ、今尚プロレス界に多大な影響を与え続ける存在です!来年2月21日で現役を引退することを発表され、現在は引退ロードとして多くの夢カードを実現中!そんな、“プロレスリング・マスター”武藤さんと、プロレス大好き川島さんがドライブに出掛けました!
 
 
 
川島さんがプロレスファンになったのは、武藤さんがきっかけ!
学生時代、テレビで観たプロレス番組で、アントニオ猪木さんの闘魂の意思を継ぐ若手ユニットとして活躍していた“闘魂三銃士”に釘付けとなりました。(※闘魂三銃士=将来有望な若手だった武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也の同期からなるユニット。)
川島さんにとって武藤さんは、永遠のスーパースターなのです!そして、武藤さんに憧れを抱いた人は川島さんの後輩にも。それは、ニューヨークの嶋佐さん。嶋佐さんも大のプロレス・格闘技好きで、さらには武藤さんと同じ、山梨県富士吉田市出身!学生時代には、地元に帰ってきた武藤さんの情報を聞きつけ、飲食店で出待ちしていたこともあるのだとか!笑
同郷ということもあり、嶋佐さんとは仕事でも絡みがある武藤さんは、川島さんに「嶋佐って、お笑い芸人として才能どうなんですか?出世できそうですか?」と唐突に質問!答え次第では今後の付き合いを考えるとおっしゃいます。笑 川島さんは、「僕としては希望を込めて、売れるとは思います。」と伝え、続けて「武藤さんにも(嶋佐を)引っ張って頂きたい。」と、バックアップをお願いしますが、「ちょっと荷が重そう・・・。」と武藤さんは嫌がっていました。笑 ですが、同郷の人気芸人で、さらにはご自身に憧れがある嶋佐さんの存在は、やはり嬉しいそうで、武藤さんが務める富士吉田市の観光大使も、いずれは嶋佐さんが後釜となり、より盛り上げて欲しいと期待していました!続いて川島さんは、ニューヨークの漫才について、武藤さんの評価を伺うと、「見たことない・・・」と、まさかの返答が!笑 「失礼なコト言ってるよな・・・」と、焦る武藤さんでしたが、嶋佐さんのロケでの印象については「ちょっと・・アドリブが足りねぇかな。笑」と、愛のある武藤節を炸裂していました!
 
 
(山梨県・富士吉田市)
武藤さんは、来年2月21日の東京ドーム大会『KEIJI MUTO GRAND FINAL PRO-WRESTLING “LAST” LOVE~HOLD
OUT~』にて、プロレスラーを引退されます。
理由はドクターストップ。40年近くレスラーとしてご活躍されてきた武藤さんは、2018年に膝の関節を人工関節にする手術を行いました。その後復帰はされましたが、次に、膝の負担を補っていた股関節が摩耗してしまいます。このままでは、股関節も人工関節にする必要があり、さらに、股関節を人工関節にする手術を行うと、「プロレスは確実に出来なくなる。」と医者から告げられたそうです。こうして、近い将来にはプロレスが出来なくなると知った武藤さんは、引退を決断されたのです。
そして、武藤さんの第二の人格で、魔界の住人であるグレート・ムタの試合も年明けに組まれています。2023年1月1日『ABEMA presents NOAH "THE
NEW YEAR" 2023』では、現在WWEのスーパースター・SHINSUKE
NAKAMURA選手とのスペシャルシングルマッチ。中邑選手は、新日本プロレス時代には“新闘魂三銃士”と呼ばれ、その後、独自のカリスマ性を生かし世界のスーパースターにまで上り詰めた超一流選手。WWE所属のレスラーが他団体のリングに上がるという超異例でミラクルなビッグマッチとなっています!しかし、グレート・ムタの代理人も務めている正直者の武藤さんは、「1月1日に興行組むなよ・・・。気の抜けた正月送りたいじゃん。」と、日程には不満を漏らしていました。笑
そして、グレート・ムタの引退試合は、1月22日横浜アリーナで開催されます。
『ABEMA presents GREAT MUTA FINAL "
BYE-BYE"』と銘打たれたグレート・ムタの引退試合には、かつてのライバルで、米国マット界の超大物・スティング選手がパートナーとして参戦することが発表されています!スティング選手をブッキングするにあたり、武藤さんは今年の9月にアメリカのプロレス団体『AEW』に交渉へ。さらには、AEWの試合中にスティングがピンチになった時、グレート・ムタを召喚させ救出。アメリカの会場は割れんばかりの声援に包まれました。そんな友情もあり、スティングが来日することが決定。しかし、ここで問題が!なんと、日本の経済不況は魔界にも影響を与えているらしく・・・円安の問題で、スティングのギャラが高騰しているのだとか!笑 あまりにも正直に話す武藤さんに、川島さんは「ムタがそんなこと言わないでください。」と、流石にツッコんでいました。笑
(グレート・ムタ)
 
 
武藤さんはプロレスラーになる前、地元・山梨で柔道整復師をされていました。そんな時、先輩が働いていた世田谷区の病院の院長に呼ばれ、プロレスに興味があるか聞かれます。当時、整復師の仕事が向いていないと感じていた武藤さんは、“治すより、壊す方が良いな〜”と思い、(笑)
興味がある旨を伝えると、新日本プロレスを紹介してくれたそうです。実はここの病院、新日本プロレスの選手が怪我をしたら必ず通う病院で、院長には関係者とのコネクションがあったのです!
一方、武藤さん自身は、学生時代にプロレスをゴールデンタイムにテレビで観ていた程度で、熱狂的なファンという訳では無かったと言います。「やっぱりプロレスも面白い日、面白くない日があったりするじゃないですか。そういう時は、金曜日は“太陽にほえろ!”を見たり、土曜日は“8時だョ!全員集合”観ていました。笑」と、当時を振り返りましたが、ハルク・ホーガン選手など、筋肉質な選手を推していたことも教えてくれました。
武藤さんは持ち前の身体能力の高さで実技試験に合格。続いての面接はとても緊張されたそうですが、それもそのはず!面接官はなんと、世界の荒鷲・坂口征二さん(身長196cm)と、鬼軍曹・山本小鉄さん!「坂口さんの指なんてすごい太いんだから!坂口さんの骨格は普通の人間じゃないよ。あの人は1000年後に化石で見つかったら“なんだ、この人類は!”って言われるぐらい。笑 山本さんもめちゃ厳つくて、当時は怖かったね。」とおっしゃり、合格したものの、“とんでもない所に来てしまったな・・・”という感情が一番大きかったそうです。
そして1984年、21歳で新日本プロレスに入門。ですが、入門3日目にして、練習がキツすぎて辞めることを決意します。当時はまだ非合理的な練習を行う時代で、ヒンズースクワットを昼に1000回、夜に2000回など、とてつもない練習量が課されていました。そして、道場のコーチだった山本小鉄さんに「山梨に帰ります。」と伝えると、“鬼軍曹”と周りから恐れられていた山本さんが、「武藤、ちょっと待て。もう少し頑張ってみろ」と引き止めてくれたそうです。他の道場生が辞める時は「おぉ、そうか。」としか言わなかった山本さんからの意外な言葉に、武藤さんは“もしかしたら俺には才能があるのかな?”と嬉しくなり、その一言でプロレスの道を諦めずに済んだと、山本さんに感謝していました。こうして、厳しい練習を耐えた武藤さんは半年後にデビュー戦を迎えます。対戦相手は、同期の蝶野正洋さん。蝶野さんは、この番組に昨年ご出演頂いた時、武藤さんのデビュー戦の相手が試合直前まで決まっていなかったというお話をしてくださり、その話について川島さんが確認すると、「俺は分かってたよ。」と回答が。予想していなかった返答に驚いた川島さんが、「急遽、蝶野さんが対戦相手になったんじゃないのですか?」ともう一度聞くと、「それは覚えてない。」と答える武藤さん。笑
しかし、最後に武藤さんは、「やっぱりデビュー戦を蝶野と戦っているから、引退試合も蝶野と出来たらいいなっていうのはある。未だかつてプロレス業界で、デビュー戦と引退試合の相手が一緒なんてない。」と、引退試合の夢を明かしてくださいました。現在、蝶野さんも腰を治療中ですが、お二人がリングで向かい合う姿を、ファンなら望んでしまいますね!
 
 
“出来るなぁ〜”と思って使い始めたと言う得意技・ムーンサルトプレス(リングの四方に存在するコーナーポストの上から、バック転をしながらリング上に横たわっている対戦相手めがけてボディ・プレスを仕掛ける技)。ムーンサルトプレスをはじめ、シャイニング・ウィザード(相手の片足を踏み台にした、変形の膝蹴り)など、武藤さんは時代に応じて様々な得意技を披露されてきました。昔ながらのプロレス技を、得意技にまで昇華させた、ドラゴンスクリューから足4の字固めへのムーブ。このムーブで一番有名なのは、1995年10月9日に東京ドームで行われた『新日本プロレスvs.UWFインターナショナル全面対抗戦』のメインイベントで、高田延彦選手と対戦した試合です。団体の対抗戦ということもあり、世間から注目を集めたこの試合で、武藤さんはクラシックなプロレス技である“足4の字固め”でギブアップ勝ちを収め、技に説得力と人気を与えました。
武藤さんご自身も、思い出深い試合として、高田延彦戦を挙げます。
プロレスラーとして、“どれだけ多くの人に影響を与えたか”という点で考えると、この試合は外せないそうで、両団体ファンが固唾を吞んで試合を見守り、試合後にはファン同士が暴動を起こすほど、多くの人が熱狂した10月9日。また、プロレス雑誌『週刊プロレス』の歴代最高売り上げも、この週の号だと言われています!
さらに、天龍源一郎さんとの試合も思い出深いそうです。
天龍さんのプロレスの考え方に敬意を示す武藤さん。天龍さんは、お客さんがあまり入っていない会場でも、盛り上げるために派手なコトをする人。あえてプランチャー(リング内のトップロープを飛び越え、場外へボディプレスを行う技)などを行い、お客さんを盛り上げ続けたと言います。一方、武藤さんは、お客さんがいない寒い体育館だったら、“ちょっと早めに終わろうよ!”と考えてしまうタイプだそうで・・・(実際にはそんなことはありません。笑)、様々なことを“ミスター・プロレス”天龍源一郎から学びました。また、天龍さんとの試合で、グレート・ムタはトラウマを植え付けられたのだとか・・・!なんと、得意技にの毒霧攻撃(口から毒霧を噴射する攻撃)をしようとしたら、いきなりキスをされ、毒霧を吸い取られてしまったそうです。笑
これには、武藤さんも「キスだよ?大の大人同士がリング上で。」と、笑いながら天龍さんの大胆な行動を振り返ってくださいました。笑
ちなみに過去には、先輩レスラーの潔癖症で真面目な木戸修さんに毒霧攻撃を見舞うと、試合後、木戸さんが激怒!3日間ぐらい口を聞いてもらえなかったそうです・・・笑
 
 
1つ目は、2002年に新日本プロレスから全日本プロレスに移籍したこと。
アントニオ猪木さんが創立した新日本プロレスと、ジャイアント馬場さんが創立した全日本プロレスは、ライバル団体として厚い壁がありました。
しかし、2000年に全日本プロレスの主力選手が大量離脱したことをきっかけに、新日本プロレスの選手が参戦することが増えます。また、プロレス界全体も“K-1”や“PRIDE”といった格闘技ブームにのまれ、人気が低迷していた頃。新日本プロレスも打開策として、レスラーが総合格闘技に参戦するなど、格闘路線に進み始めます。当時のことを武藤さんは「その時の新日本プロレスリングは、試合をしててすごい嫌だった。だけど、全日本プロレスは、純粋なプロレスだけで凄い盛り上がっていて、良い形で俺を迎え入れてくれた。それが、すごい居心地が良かった。」と振り返り、移籍に至った経緯を教えてくださいました。
2つ目は、2018年に膝を人工関節にしたこと。
前述の通り、武藤さんは得意技・ムーンサルトプレスの代償もあり、膝を痛めて手術を決意。一大決心だった当時の心情を改めて伺うと、「俺は子供の頃に仮面ライダーに憧れていて、親戚のおばさんに“仮面ライダーになりたい!”って伝えると、“仮面ライダーは改造人間だから、病院で手術してもらったらなれるぞ!”って言われから、本当に手術しようか悩んだ。だけど、なんだかんだ言って、57〜58歳の時に(膝の人工関節手術をして)、仮面ライダーになれた。」と、憧れの仮面ライダーに(一部は)なる夢が叶ったとおっしゃいます。笑
実際には、膝を人工関節にすることは40歳頃から医者には勧められていたそうですが、手術をすると「プロレスは出来ない。」と宣告されていた為、先延ばしにしていたそうです。ですが2018年に、「手術をしてもプロレスが出来る」と言ってくれた先生に出会い、手術を決心しました。レスラー生活を続けるにあたり主治医との約束は、手術に成功しても膝に全体重が掛かってしまう得意技・ムーンサルトプレスは封印すること。そのため、武藤さんは手術前の2018年3月14日のW-1(レッスル・ワン)での興行で、最後のムーンサルトを披露。長年のファンは、その芸銃的なムーンサルトのラストを見届けたのでした。・・・・・・しかし!昨年6月「CyberFight
Festival
2021」でのGHCヘビー選手権試合で、なんと約束を破り、3年3ヶ月ぶりにムーンサルトを披露されたのです!意図的な部分と、試合のテンションが合わさり繰り出してしまったそうで、“気持ちが良かった”と振り返る武藤さん。笑 試合後に、主治医とご家族からはもの凄く怒られましたが、実はまだ懲りていません!
引退試合で、最後にもう1回ムーンサルトを飛ばせて欲しいと、現在主治医の先生に交渉中!歩けなくなる恐れがあり、ご家族のことを考えると100%の賛同は出来ませんが・・・2月21日の東京ドームで、天才は最後に宙を舞うのか、会場に目撃しに行きましょう!
そして最後の大事件は、2020年に開催したプロレスリング・マスターズで、アントニオ猪木さんを招聘したこと。プロレスリングマスターズとは、武藤さんが行なっている、レジェンドレスラーを集めて試合をする興行。全日本プロレスに移籍してから、17年ほど疎遠だったという猪木さんにもいずれ出て頂きたいと思い、2年前ようやく実現しました。そして、この日は猪木さんをはじめ、長州力さん、藤波辰爾さん、前田日明さんなど懐かしい顔ぶれが一同に集結。武藤さんも初めて“闘魂ビンタ”を喰らうなど、大盛況で幕を閉じました。
そして、アントニオ猪木さんは今年の10月に逝去。
改めて、武藤さんにとって猪木さんとはどういう存在か伺うと、「やっぱり師匠ですね。特に新日本を飛び出て全日本プロレスになった時には、やっぱり俺の考え方が猪木さん的っていうか、逆にもしかしたら似てるんじゃないかなぁなんて思ったよ。背中を追ってるんじゃねえかなって。」とお話くださいました。
武藤さんの引退試合が行われる2月21日の前日は、猪木さんの誕生日。引退試合の時、武藤さんは猪木さんからビデオメッセージを頂こうと考えていましたが、猪木さんも生前、周りの人に「俺の80歳の誕生日の後、1発目の仕事は武藤の仕事か。」という風に話していたそうです。武藤さんはこの話を最近聞いて、弟子として心にグッとくるモノがあったとおっしゃいます。武藤さんの引退試合、猪木さんは天国から試合を観戦しているに違いありませんね。
武藤敬司さん引退試合
『KEIJI MUTO GRAND FINAL PRO-WRESTLING “LAST” LOVE~HOLD OUT~』の詳細は、下記HPをご確認ください!
https://www.noah.co.jp/schedule/418/
 
 
武藤さんのエウレカは、“生きていくには膝が大事”ということ。健康を保っていくにはやはり運動しなければなりませんが、膝が悪いとその運動することも難しくなってしまいます。引退後も人工関節の周りの骨を丈夫に保つために運動は続けるそうです!まずは、来年の引退試合まで、怪我なく邁進してくださいね!
 
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