PASSENGER DIARIES

EDC 営業日誌(過去のお客様)

2022年11月12日放送

Passenger

ビビる大木

本日のお客様は、ビビる大木様。
1974年、埼玉県出身。1995年、『渡辺プロダクション』に所属し、お笑いコンビ「ビビる」として活躍。「こんばんみ」などのギャグで注目を集め、人気コント番組『笑う犬の冒険』や『オールナイトニッポン』二部のパーソナリティに抜擢されます。2002年にコンビを解散してからは、「ビビる大木」としてピン芸人に。その後も、数多くのテレビにご出演され、現在は、朝の情報バラエティ番組『ラヴィット!』の火曜レギュラーとして、川島さんと共演しています。本日は、川島さん曰く、“ミステリアスな芸人(!?)”の、ビビる大木さんの源泉に迫るドライブに出かけました。

 

 

 

〜川島さんとの関係性〜

大木さんは、川島さんがMCを務める朝の情報バラエティ番組『ラヴィット!』に、火曜レギュラーとしてご出演中ですが、『ラヴィット!』が始まる前まで、お二人は仕事での接点があまり無かったそうです。川島さんにとって大木さんは、1つ上の世代にあたる先輩芸人で、年齢も5つ上。さらに、ずっと昔からテレビに出ているようなどっしりした印象で、何がキッカケでテレビに出るようになったのかも知らない、“ミステリアスな芸人(!?)”だと感じています。
この点に関して大木さんは、「ブレイクが無いまま、ずっと来てる感じ。」と明かします。
「デビュー2年目頃には、運良く仕事があった。」と振り返る大木さんは、関東ローカルのコント番組などで、当時はまだ“スープレックス”というコンビだった劇団ひとりさんなどと切磋琢磨していたそうです。その後、『ボキャブラ天国』が流行り、大木さんより上の世代の、ネプチューン・爆笑問題・くりぃむしちゅーさんなどがブレイクしました。関東の若手芸人にとって、『ボキャブラ天国』は売れるための登竜門的な存在でしたが、当時、コンビで活動していた大木さんは、オーディションに行かなかったそうです。「逆張りって訳ではないけど、“俺たちは受けなくていいよな、そこ以外にも道はあるよ”って感じで、まだ仕事は無かったけど、そんなに慌てて無かった。」と振り返ります。

『ラヴィット!』放送終了後のトイレで、必ず鉢合わせするお二人。その際、大木さんはいつも川島さんの体調を気遣い、「川島くん、ストレス大丈夫?倒れないでよ。」と、毎週優しい言葉を掛けてくれるそうです。それは、ご自身の経験から来る言葉でもありました。2010〜2018年、朝の情報番組『PON!』のMCを担当されており、朝の帯番組は経験済み。当時は、朝の番組MCを芸人が担当するケースがほとんどなく無く、慣れないことばかりで、精神的も体力的もキツかったと振り返ります。そんな経験があるからこそ、先輩として川島さんを優しく見守りつつ、フォローに徹しているそうです。「何となく、みんなには伝わんないかもしれないけど、“火曜日だけはストレス溜めないで欲しいな〜”と思って頑張ってるの。」とおっしゃっていました。パネラーとしても活躍ができ、MCの気持ちを理解できる大木さんは、本当に頼りになる存在ですね!

そんな優しくて平和なイメージの大木さんですが、20代の若手の頃は尖っていた時期も!『ボキャブラ天国』のオーディションには参加していませんが、芸人として上を目指すことを諦めた訳ではなく、別の道を探しただけ。そのため、『ボキャブラ天国』に出て“キャーキャー言われている先輩達には負けたくない!”という気持ちを強く持っていたそうです。そして、ウッチャンナンチャンとネプチューンのコント番組『笑う犬の生活』がゴールデンタイムへ進出し、『笑う犬の冒険』へと名前を変えた時、“ビビる”は新レギュラーとして選ばれたのでした。『笑う犬の冒険』で培った経験は大きく、「そこで、ちゃんと頭を叩かれた感じ。11時頃にテレビ局に入り、自分たちの出番が夕方に終わっても、深夜3〜5時頃まで続く収録に最後まで残って、見学していた。」とおっしゃいます。
座長として、ストイックにコントと向き合い続けた内村さんと、色々なところに目を光らせて気配りをしてくれた南原さん。ウッチャンナンチャンさんの凄さを近くで感じ、大木さん自身も成長する事が出来ました。しかし、コントの主役を得るためには、ウッチャンナンチャンさんやネプチューンさんと同等に渡り合う必要があり・・・「現実は厳しいなあと思いながらね、本当に。自分の行く道をちゃんと探さなきゃいけないなあと思ったね。」と、当時の心境を語ってくださいました。

 

 


(学生時代の大木さん)

〜芸人の道へ〜

芸人を目指したキッカケは、『オレたちひょうきん族』と『8時だョ!全員集合』の影響から。志村けんさん、加藤茶さん、ビートたけしさん、明石家さんまさんといったスターの姿に憧れ、将来の夢は自然と決まりました。高校の進路相談の時、“将来、テレビの世界でコントをやりたい!”と、担任の先生に伝えると、先生は大木さんの親に電話。「息子さんの話には現実感がないので、家族でよく話し合ってもらえませんか?」と言われ、後日、3者面談を行うことに。しかし、当時の大木さんは、毎日テレビで観ている、憧れの芸人達は存在しているのに、“その世界に行ってみたい!”という想いに対して、なぜ“現実感がない”と言われるのか、理解できなかったそうです。今では、“お笑いの世界”は厳しいということや、大木さんの将来を心配してくれた先生の気持ちも分かりますが、高校生の大木さんは夢へまっしぐらでした。その後、一旦、テレビの裏方の仕事を学ぶために、カメラなど技術系の専門学校へ入学。卒業後、現在も所属されている『ワタナベエンターテインメント』にネタを持っていき、お笑いの世界に入ることとなりました。
“ビビる”を結成したのは専門学生時代。NHKが、“将来お笑い芸人を目指している学生に密着する”というドキュメント番組に出演した大木さん。すると、番組を観ていた元相方の大内さんが“一緒にお笑いをやりたい!”という旨のハガキを出してきたそうです。そして実際に会い、同級生だったこともあり意気投合されたお二人は“ビビる”を結成することにしました。『笑う犬の冒険』にもコンビでレギュラー出演するなど、順風満帆な“ビビる”でしたが、7年間の活動を経て2002年に解散。大内さんから突然、「芸人を辞めたい」と相談を受けたそうです。結婚が決まり家族で話し合った結果、別の仕事へ進む道を選んだと言います。「引き止めなかったんですか?」という川島さんの問いに、大木さんは「仕事が全くない状況だったら止めてたかもしれない。でも、仕事もあり、給料もらっている状況で“辞めたい”って言うのは結構な決断だと思った。」と語り、大内さんの決断を尊重し、受け入れたそうです。そしてピン活動がスタートした大木さん。最初は、自分がボケても、ツッコむ人がいないことに戸惑いがあったと、こんなエピソードを教えてくれました。
モーニング娘。と共演した番組のオープニングで、「今日のゲストは、ビビる大木さんです!」と紹介された時、公園だったので、石につまずいてコケるというボケをしたそうです。「何やってるんですか!笑」というツッコミを期待していましたが、モーニング娘。のメンバーから、「あの、私たち、そういうツッコミとかありませんので・・・すいません。」と、リアルトーンで冷静に言われてしまったそうです。笑 現場には変な空気が流れ、ジーパンについた砂を一人で払いながら「いやいやいや、別に別に!大丈夫、大丈夫!(汗)」と言いながら、何事も無かったように起き上がったのだとか!笑
これには川島さんも、「“こんばんみ”と言っている人だから、“モーニング”と相性が悪かったんですかね?」と、フォローを入れていました。笑
そして、大木さんで忘れてはいけないのが、定番の挨拶「こんばんみ」!
この挨拶が生まれたのは、コンビを組んでいた若手時代。まだテレビの仕事は無く、夜な夜なお笑いライブに出演され、芸を磨いていた頃でした。ライブのエンディングでは、告知の時間が用意されていて、告知がない人も、最後にひと笑いを生むために、ギャグを行っていました。その時、ライブが夜の9時ぐらいに終わるので、“こんばんは”の“は”を、何か1文字ぐらい変えて、“とりあえず夜の挨拶ぐらいするか〜”ぐらいの気持ちで、大木さんが始めたのが「こんばんみ」だったそうです!他にも、「こんばんよ」、「こんばんや」 など最後の1文字を変えてみましたが、“み”以外はあんまりウケなかったそうです。そして、「こんばんみ」に定着。20年以上続けている、大木さんを代表するギャグが誕生したのでした。
また、“こんばんみ”に関してはこんなエピソードも!仕事で出会った国語の先生から、「“み”にして良かったね!」と言われ、理由を尋ねると、“み”は、人間の耳に残る音だと教えてくれました。耳に残り、誰でも使い易い「こんばんみ」は、若い人にも浸透しています。ある収録の時、みちょぱさんが、「昔、“こんばんみ”とか超使ってた。」と、おっしゃったので、「使ってたの?みちょぱ、ありがとね」と大木さんが返すと、「は?」っと言われます。笑 実は、この言葉を生み出したのが大木さんだとは知らずに使っていたそうです!笑 「俺が、20歳の時に開発したんだよ。」と伝えると、みちょぱさんは大変驚き、「大木さんのギャグなら恥ずかしくて使いたくない。笑」と、言われたのだとか。笑 この出来事に大木さんは、「ギャグは、一人歩きするくらいが良いなと思った。」と前を向いていました。

そして、“ビビる”がコンビ名だということを知らない若い人も多いのでは?という話の流れから、解散後も“ビビる”という名前を残したこだわりについて伺うと、「生意気にも、バンドみたいなシステムを取れないかなと思った。」とのお答えが。ヘヴィメタルなど、音楽好きでも知られる大木さんは、“新たなギターが加入しました!”というように、後に“ビビる”に加入してくる人がいても良いと考えたそうで、可能性を残したそうです。解散後に、『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに出演した際、タモリさんからも同じ質問をされ、この話をした大木さん。すると・・・放送終了後に事務所宛に、サラリーマンから、「メンバー募集してるって“笑っていいとも!”で見たんですけど・・・」と、本当に電話が掛かってきたそうです!笑 可能性は残していたとはいえ、まさか本当にバンドのように連絡がくるとは思っておらず、流石の大木さんも驚いたのだとか!笑


(お笑いコンビ“ビビる”)

 

 

〜3大マイ事件〜

大木さんにキャリアにおけるマイ事件をお伺いしました。
1つ目は、『笑う犬の冒険』のコント内で結成されたグループ「はっぱ隊」。
「はっぱ隊」は、素っ裸(実際は肌色のパンツを着用)で、股間に葉っぱ一枚の格好がトレードマークで、「YATTA!YATTA!(やった!やった!)」という掛け声とともに独特のダンスをする集団。メンバーは、南原清隆・ネプチューン・ビビるの6人で、若者の間で大流行しました!当時は、“1つのコントとしてやってるくらいだった”と振り返る大木さんですが、今でも反響があるそうです。『ラヴィット!』のVTRで「はっぱ隊」の曲がBGMで流れた後のCM中に、若槻千夏さんやミキのお二人が、「大木さんって、そう言えば“はっぱ隊”なんだよね〜。デカいことやってきてるよね〜。」と会話を始め、憧れの眼差しで見られたと言います。笑 また、日向坂46は、ライブで“はっぱ隊”の“YATTA!ダンス”を披露するなど、若い世代にも受け継がれているのです!芸人としての礎を築いた『笑う犬の冒険』は、大木さんに様々な経験を与えてくれたのでした。

2つ目は、ロケで背骨を骨折したこと。
コンビ時代に、スキー場のロケで、山の上からソリで滑りながら登場する際、下にあるレストハウスに突っ込み、背骨を折ってしまいました。そこから2ヶ月間の入院生活。寝たきりの状態で、お風呂にも入れず、トイレもベッドの上で行いました。そして大木さんは、その入院生活によって、“お笑いに対する考え方”が変わったと言います。病院ということで、他にも多数の入院患者さんがいて、時には、廊下から「○号室の、〇〇さんが危ないです!」という声を聞くことも。そんな事が日々起こる環境の中で、大木さんはあることに気付きます。それは、入院患者の皆さんの心の娯楽は、テレビやラジオだということ。闘病やリハビリを頑張る人は、日中はもちろんのこと、寝る時もベッドでラジオを聴いたり、テレビを観たりして心を癒していました。その様子を見て、大木さんの笑いへの考えが変わります。「みんな、テレビやラジオを楽しみしていたから、そのテレビやラジオでツッコミとは言え、“お前なんか死んじまえ!”といった言葉を病院で聞くとショックだなと思った。“笑いたくて観てるのに、傷付くって嫌だな”と思って、その辺りから“やっぱり笑いは人を傷つけないのがベストかも”と思い始めた。」と振り返ります。大木さんの“人を傷付けない笑い”の源泉は、辛い入院生活での気付きからだったのですね。

そして3つ目は『ジョン万次郎資料館』の名誉館長に就任したこと。
幕末の歴史が好きで、プライベートで何回も歴史に縁がある場所を訪れている大木さん。特に、高知県生まれのジョン万次郎が大好きで、高知県にある『ジョン万次郎資料館』を訪れた際、「そんなに好きなら、名誉館長になりませんか?」と打診されたそうです!資料館に関しては1度しか訪れていなかったので、“話が早過ぎるな・・・”と、少し戸惑いもあったそうですが、名誉館長に就任されました!笑 
そんな大木さんは、『ラヴィット!』内でも、ジョン万次郎の凄さを説明することが多々あります。放送後は反響が良いそうで、名誉館長として、川島さんにも感謝を伝えていました。

 

 

〜ビビる大木さんのエウレカ!(発見・気付き)〜

大木さんのエウレカは、“人間の1番の幸せは、早く帰ること”ということ。
独身の時から、仕事が終わったら早く帰りたいと思っていた大木さん。昔のテレビ業界は、出演者が“スタッフさんを朝まで連れ回す”なんていうことも多々ありましたが、スタッフさんにも“1人の時間が必要で、家族との時間が必要”と、感じていたそうです。大人な大木さんならではのエウレカですね!
最後に今後の目標を伺うと、ジョン万次郎のように、“人生、流された先で頑張る”とおっしゃいます。置かれた環境で、常に全力で頑張ることがモットーの大木さんは、最後に「立身出世もいいが、流された場所で花を咲かせるという人生もあるぞ。」という言葉を残してくれました。大木さんがおっしゃると説得力がありますね!

 

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PLAYLIST
  • 「J.BOY」
    浜田省吾
  • 「Venus」
    Shocking Blue
  • 「I WISH」
    モーニング娘。
  • 「YATTA!」
    はっぱ隊
  • 「花 ~すべての人の心に花を」
    喜納昌吉&チャンプルーズ
  • 「Bohemian Rhapsody」
    Queen