PASSENGER DIARIES

EDC 営業日誌(過去のお客様)

2022年11月5日放送

Passenger

酒井一圭

本日のお客様は、純烈・酒井一圭様。
1975年、大阪府出身。9歳の時にドラマ『逆転あばれはっちゃく』で主人公を務め、芸能界デビュー。以降、『百獣戦隊ガオレンジャー』や、映画『シン・レッド・ライン』など数多くの作品に出演。その後、2005年にはプロレスラーとしてリングに上がり、2006年にはトークイベントスタジオ『新宿ロフトプラスワン』のプロデューサーに就任するなど、多岐に渡りご活躍。その後、2007年に負った足の怪我をきっかけに、スーパー銭湯アイドル『純烈』を結成し、リーダー兼プロデューサーを担当されています。そして、「親孝行、紅白歌合戦出場、全国47都道府県で唄うこと」を目標に掲げ活動を続け、2018年に第69回NHK紅白歌合戦にて念願の初出場を果たし、昨年まで4年連続で出場中です!

 

 

 

〜純烈・新メンバー〜

バラエティ番組で何度も共演したことのあるお二人。川島さんは、酒井さんを同じ芸人仲間(!?)と思っているそうで、リラックスした状態でドライブをスタート!酒井さんがリーダーを務める、スーパー銭湯アイドル・純烈はNHK紅白歌合戦に4年連続出場中。素晴らしいキャリアを積んでいますが、今年グループ内に動きが・・・!4月に、メンバーの小田井涼平さんが年内で卒業することを発表。そして9月には、岩永洋昭さんが来年から新メンバーとして加入することを、映画『スーパー戦闘 純烈ジャー 追い焚き☆御免』の舞台挨拶で公表しました。
岩永さんは、酒井さんと同じ事務所(G-STAR.PRO)の俳優部に所属されており、さらには、奥様や娘さんが純烈ファンということもあり、以前から家族で健康センターにライブを見に来てくれていたそうです。さらには、過去のライブで既に純烈のメンバーとして舞台に立ったことがあるのだとか!ある日のライブ、酒井さんは、“純烈メンバー1人増えているドッキリ!”を思いつき、ライブ中に客席に降り、お客様と握手をして回る演出の際に、しれっとメンバーを1人加えることを計画。“ファンの方が握手した時に、パッと顔を見たら全然知らない人だったらどんなリアクションになるんだろう?”という、酒井さんならではの悪巧み。笑 そして、その際の仕掛け人として選ばれたのが岩永さんでした。同じ衣装を着て、曲の途中でバレないように参加して、ドッキリを成功させました。笑 その時、“意外とコイツ馴染んでるなぁ〜”と、感じた酒井さん。酒井さんのマネージャーも岩永さんと親しく、その後、「純烈に入る気はないんか?」と、冗談込みで何年もイジり続けたそうです。すると、最初は冗談として受け流していた岩永さんの気持ちにも徐々に変化が。“チャレンジ出来るならやってみたい!”と、本気で加入を検討し始めたそうです!そんなタイミングで、小田井さんが卒業を決断されたということもあり、正式に加入が決定。新生・純烈が誕生する流れになったのです。
そして、奇遇にも、お二人は『百獣戦隊ガオレンジャー』と『仮面ライダーオーズ/OOO』出身の、戦隊モノ出身同士!純烈は更なるパワーアップを目指していくことになるのです。


(酒井さんと岩永さん)

そして今年、純烈としてもう1つニュースになったのが、ダチョウ倶楽部とのコラボ!
日本中が悲しんだ上島竜兵さんの訃報。その少し前の時期に、純烈は小田井さんがグループを卒業することを発表し、新メンバーを加えることを示唆すると、募集していないのに応募が殺到します。そして、ダチョウ倶楽部・肥後さんは、上島さんの訃報後のコメントで、「ダチョウ倶楽部は解散しません。二人で、純烈のオーディションを受けます。ヤーッ!どんな悲しい事があっても、みんなでクルリンッパ!」と、悲しみの中にユーモアを入れたコメントを出されたのです。これに対して酒井さんは、「太田プロでも、竜兵会でも、芸人でもないし、でも寂しくて悲しくて。。泣くの我慢してたけど、肥後さん、勘弁してくださいよ 合格ですよ!推すなって?絶対推すなって?純烈は推しますよ♨」と、Twitterで反応。これがコラボのキッカケとなりました。その後、肥後さんがTwitterで反応してくれた酒井さんにお礼がしたいということで、ジモンさんを加え、雑誌『Flash』で3人の対談が実現。酒井さんは、「何故、あのタイミングで“純烈”という言葉が浮かんだんですか?」と質問すると、「なんか純烈だったら楽しそうだし、みんな元気になる。“一緒に入って歌ったりしたいな!”って、本当に思ったんです。」とお答えが。この言葉を聞いた酒井さんはある決断をされます。実は対談に臨むにあたり酒井さんは、お二人が憔悴されていて、まだ時間が必要な状況なら、対談後すぐに帰ろうと思っていました。しかし、もし“まだまだ頑張るぞ!”とファイティングポーズを取ったら、本当にコラボを提案するつもりで、メンバーとレコード会社の方には先に承諾を得ていたのです。対談中の純烈に対する前向な発言、そして対談後にお二人の笑顔を見た酒井さんは、「差し出がましいんですけど、Twitterのやり取りを本当のことにして、一緒に歌いませんか?」と、声を掛けます。すると、肥後さんとジモンさんは「僕らはデビューから誘われた仕事を断ったことないんです。たけし軍団さんが“キツい”と断った仕事も全部拾って、今のダチョウ倶楽部にまでなりました。もし純烈のリーダーさんが“一緒にやろうよ!”って誘ってくれるのであれば、僕らは断りません。」と、快諾してくれたのでした。
こうして、“熱湯風呂のダチョウ倶楽部”と“スーパー銭湯アイドルの純烈”は、『純烈♨ダチョウ』名義で合体。お湯のご縁でコラボが実現したのでした。

 

 

〜純烈の誕生〜

酒井さんに純烈を結成した経緯を伺いました。
9歳の時にドラマ『逆転あばれはっちゃく』で主人公を務め、芸能界デビューされた酒井さんは、その後も様々な作品に出演。俳優業の傍ら、その才能は多岐に渡り、2005年にはプロレスラーとしてリングに上がり、2006年にはトークイベント会場『新宿ロフトプラスワン』のプロデューサーに就任されました。しかし、2007年にある事件が・・・。 自主映画を撮影されていた際、右足首を複雑骨折してしまいます。
医者からは「入院が必要で、手術もするんですけど、リハビリを頑張っても今までのイメージ通りに歩けるかは保証できないです。」と言われるほどの大怪我。2人目のお子さんが産まれたばかり、33歳という俳優人生もまだまだこれからというタイミングで、苦しい状況に追い込まれます。さらに、運動部の学生から有名アスリートまでが通う有名な病院ということもあり、なかなか手術部屋が空かず、1週間も折れた状態でアイシングをしながら手術を待っていたそうです。


(レスラーとしても活動していた酒井さん)

その入院生活中に見た夢が酒井さんの人生を大きく変えることになります。ほぼ毎日、夜のヒットスタジオのようなステージで「長崎は今日も雨だった」を直立不動で歌う前川清さんが夢に現れたのです!家族やお見舞いに来た人に「夢に前川清さんが出てくるんだけど、そういう経験ある?」と尋ねますが、もちろんあるはずは無く・・・。笑
最初に現れた時は、“あっ!前川清だ!”と、単純に捉えていましたが、1週間ほど連続で出てくると、“これは何かのお告げかな?”と思い始めます。そこで、医者から「歩けないかもしれない」と言われた時の気持ちと、一歩も動かず歌っている前川さんが絶妙にリンクしたそうで、“歌えってことかな・・・?”と、自分なりに解釈。そして、夢を改めて思い返すと前川さんの周りにはコーラスの人たちがいたことを思い出し・・・“グループで歌えばいいんだ!” “メインは誰かに任せて、自分はワワワワーだけ歌えばいいんだ!”と気付いたそうです!歌にあまり自信がなく、さらには動きにも制限がある状況の酒井さんにとっては、光が見えた瞬間でした。こうして、前川さんの夢に人生を預け、純烈を結成することにしたのです。


(26歳時の酒井さん)

スイッチが入ったら行動が早い酒井さん。笑 退院後、まず同じ事務所の後輩・白川裕二郎さんをファミレスに呼び出します。ドリンクバーを奢り、「好きなだけ飲んでいいぞ!」と恩を売り(笑)、ご自身の足の状態を説明。そして、「お前の声、絶対おばさん喜ぶから歌え!」といきなりオファー! 「嫌な言い方・・・」と、川島さんにツッコまれていましたが(笑)、当時の白川さんは、俳優として思い悩んでいた時期。また、白川さんは幼い頃にお父様を亡くされており、お母様へ“親孝行をしたい。”と、常日頃からおっしゃっていたのを酒井さんは覚えていました。そして、白川さんへ「お母さんに親孝行したいやろ。もし紅白出れたら絶対喜ぶと思えへん?」と、まるで弱みを握っているかのように口説きます!笑
この段階だと、酒井さんが“いやらしい人”に感じてしまいますが・・・笑
白川さんは2002年放送の『忍風戦隊ハリケンジャー』に出演しており、酒井さんが出演した『百獣戦隊ガオレンジャー』(2001年)の1年後輩。お互いに気を許した兄弟のようなご関係。よくご飯も行かれており、一緒にカラオケに行った際に、白川さんの歌が上手だったのも覚えているほどの良い関係です!
話は戻り、酒井さんの熱い想いを聞いた白川さんもやる気が出てきます。そして、お母様への親孝行を実現するために加入を決意。こうして、まずメインボーカルを確保(!?)した酒井さんは、メンバー1人1人を口説き周り、純烈を結成させたのでした。
なぜ、歌謡曲に的を絞ったのかも伺いました。
『新宿ロフトプランワン』でプロデューサーをしていた時、向かいにあった演歌の殿堂としても知られる『新宿コマ劇場』が老朽化で閉館することになりました。その時に、酒井さんは、親世代が歳を重ねていくなかで、北島三郎さんなど“往年のスターが活躍していた場所がなくなることに寂しさを感じます。また、場所だけでなく、歌謡曲や演歌を歌い継ぐ人が少ないことも危惧していました。そして、“両親の世代が青春時代に聞いていた曲を、その歌手本人でなくとも生で聴ける機会を作りたい!”と思い、「下手でも一生懸命歌う、僕らみたいな世代が出てきたら応援してくれるのではないかと思った。」と、歌謡曲にこだわった理由を教えてくださいました。

 

 


(幼少期の酒井さん)

〜スーパー銭湯アイドル〜

スーパー銭湯アイドルとして人気を高めていった純烈。
往年のスターが時を経てスーパー銭湯で歌うことはありますが、これから売り出していくグループがスーパー銭湯でイベントを行うことは異例。当初は先輩方から止められたと言います。しかし、酒井さんは銭湯や健康センターが大好き!イベントに呼んで頂いた時に、[銭湯入り放題+食堂で好きなメニューを食べて良い]という銭湯好きには堪らない待遇を受け、“こんな仕事はない!お風呂とご飯が付いて、さらにギャラもちょっと貰える!”と、スーパー銭湯の仕事に力を入れていったそうです。笑 お風呂に入っていると、お客さんと一緒になることもしばしば。「良かったね!」「まだ下手やな〜」「嫁の付き添いで来たけど面白かった!」など、様々な感想を頂き、ライブ前には「今日、クールファイブ歌って!」とお願いされ、急遽セットリストを変更したこともあったのだとか!こうして、本当に裸同士の付き合いで、お客さんを魅了していった純烈は、徐々に人気を確立。テレビ番組の取材も受け、健康センターライブの模様がテレビが放送された時、酒井さんは純粋に“面白い”と思い、手応えを感じました。「面白かったですね。自分が出ていて面白く感じるって、なかなか無いですから。これはたぶん他の人も見たら楽しいと思った。」と振り返ります。放送終了後、他の番組からも取材依頼があり、健康センターライブは毎回、どこかしらの番組が取材に来てくれるようになりました。そして、知名度も全国に拡がり、遂には『NHK歌謡コンサート』に出演することが出来たのです。
そして、純烈の魅力は、ファンだけではなくスタッフ陣にも伝わります。“おっさんなのに、めっちゃ頑張るんやん!”って思ってくれたのかなと酒井さんは謙遜されますが、現場の若いスタッフさんは、“ちょっとでも純烈の名前を売ってあげよう!”と、「郷ひろみさんの後ろで踊るだけなんですけど、出演されませんか?」と、出演機会を与えてくれました。しかし、郷さんのバックで踊った後に、ファンの反応を見ると想定外のコトが・・・“郷さんの後ろで踊ってるだけで、全然歌ってない!”“いつになったらNHKは純烈をメインで歌わせるんだ!”と、軽く暴動気味に。笑 この一件について酒井さんはファンの方に「ちょっと待て。若いスタッフが少しでも俺らの出番を作ろうと頑張ってくれたこと。だから“ふざけんなNHK!”とか、ネットで変なことを書くのではなく、“逆に、ありがとうNHK!”とハガキを送って欲しい。俺らが力不足なだけで、絶対に歌えるように頑張るから待っといてくれ。」と伝え、出演機会をくれたスタッフの方への感謝を忘れず、そして夢の『NHK紅白歌合戦』への出場を心に誓ったのでした。
ファンの方と二人三脚で歩んできた純烈。2017年発売の8枚目シングル「愛でしばりたい」がオリコンデイリーCDシングルチャート1位を獲得。続く、9枚目シングル「プロポーズ」もオリコン演歌・歌謡曲ウィークリーチャート1位を獲得。総合チャートでも2作品続けてのTOP10入りを果たします。そして、2018年、結成から10年後、目標に掲げていたNHK紅白歌合戦に出場することが決まったのです!
衣装合わせとして呼ばれ、ドッキリ形式で出場を発表された時、白川さんは“ヒィヒィ”言いながら号泣。「それ見て引いてもうて。笑」と語る酒井さんですが、盟友・白川さんの、お母様への想いが爆発した姿には、グッとくるものがあったそうです。

 

 

〜純烈の母〜

メンバー内で喧嘩はあったか伺うと、「めっちゃありました。」とおっしゃいます。
なかなか売れない時期には、将来を心配した白川さんに胸ぐらを掴まれて、「お前ええかげんにしろ!」と詰め寄られたこともあったそうです。そんな時、白川さんをなだめていたのは小田井さん。酒井さん曰く、純烈の父=酒井さん、母=小田井さん、長男=白川さん、だそうです。白川さんは、酒井さんに文句を言っても、「お前何言うとんねん。男が一回やると言ったら貫けや!」と、跳ね返されることが分かっているので、小田井さんに相談をしていました。しかし、実はこの時、本当にグループを辞めたかったのは小田井さんの方。最年長ということもあり、体力的に厳しく、白川さんよりも将来を心配していましたが、優しさから白川さんの愚痴を受け止めて、励まし続けていました。しかし、そうすることでご自身も辞めづらい環境になっていったそうです。笑 小田井さんは年内でグループを卒業することにはなりますが、母として、いつまでも見守っていただきたいですね!

 

 

〜川島さんへの質問〜

酒井さんから川島さんに質問があるそうです。
それは、朝の帯番組『ラヴィット!』など、忙しい日々が続く今の状況で、“失ったモノは何か?”ということ。 川島さんが1つ目に挙げたのは、“ギャンブルのドキドキ感”。若手の頃は、お金がなく、家賃を払うと残るお金は1000〜2000円ほど。それを握りしめパチンコ屋に行っていたそうです。パチンコ台の前で1回も瞬きは出来なかったそうですが(笑)、その時の、辛さと楽しさが入り混じるドキドキ感は、今ではもう味わうことはできません。
2つ目は、“打ち上げに行けない”こと。
特に辛かったのは、今年6月に放送された『アメトーーク!』の“baseよしもと芸人 その後…”の回。2006年に“baseよしもと芸人”として出演した、笑い飯・麒麟・千鳥・とろサーモンの4組が16年ぶりに集まり、当時のOAを反省するという内容でした。当時のオンエアではボロボロだった4組が実力を付けた今、再び集結するという同窓会のような企画。そして、収録後はもちろん全員で打ち上げに行く流れに。しかし収録は木曜日!川島さんは翌朝8時に生放送が待っています。「後ろ髪をハゲるほど引かれる思いでした。」と語る川島さんは、打ち上げを断り、しっかり帰宅!朝を任せられているという責任が勝ったそうです。しかし、「いやぁ〜〜〜〜〜、辛いですねぇ。。。」と、つい心の声が漏れていました。笑

 

 

〜前川清さん〜

前述の通り、純烈を結成するきっかけとなったのは、前川清さん。
酒井さんは、前川さんに実際にお会いした時、「夢に出て来て頂いたおかげで、ほんまにありがとうございます!」と感謝を伝えると、「お邪魔しました。」と、粋な返答を頂いたそうです。そして現在、酒井さんは、前川さんと共同所有という形で、競走馬を購入されています。大の競馬好きで有名な酒井さんは、「僕は馬主になりたくて俳優をやっていて、府中競馬場があるから府中に住んで、府中の女性と結婚して、府中競馬場内で子供を遊ばせ・・・、ずっと競馬なんですよ。あの骨折は、俳優の夢が絶たれだけでなく、馬主の夢も終わったと思った。でも、その時に夢に出てきたのは、サブちゃんじゃなくて前川さんだった。」と語り、前川さんのおかげで純烈が生まれ、今は前川さんと馬を所有している不思議なご縁に改めて感謝されていました。

 

 

〜酒井一圭さんのエウレカ!(発見・気付き)〜

酒井さんのエウレカは、“最後までふざけ続ける”ということ。
「自分はふざけ倒すしかできず、純烈もふざけているつもりでやっている」と話し、続けて「自分みたいなものが歌を歌ったり踊ったり、その一流ではない変なモノをお見せすることで、元気になってくれる人がいる限り、続けていきたい。ちっちゃい頃から親戚の前でふざけると、笑ってくれた。その延長に芸能界がある。最後までふざけるのは怖いですけど、でもやっぱりふざけ続けていこうと思う。」と酒井さんの源泉を教えてくださいました。そして、最後には「純烈の後輩グループを作るかも!」と発言!小田井さんが卒業を発表された後のように、応募が殺到しそうですね!

 

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PLAYLIST
  • 「愛をください ~ Don't you cry ~」
    純烈
  • 「白い雲のように」
    純烈♨ダチョウ倶楽部
  • 「ラブユー東京」
    純烈
  • 「プロポーズ」
    純烈
  • 「長崎は今日も雨だった」
    内山田洋とクール・ファイブ
  • 「君を奪い去りたい」
    純烈