PASSENGER DIARIES

EDC 営業日誌(過去のお客様)

2022年10月22日放送

Passenger

関根勤

本日のお客様は、関根勤様。
1953年、東京都出身。大学時代、TBS『ぎんざNOW』の「しろうとコメディアン道場」で初代チャンピオンとなり、21歳で芸能界入り。“ラビット関根”という芸名で、ジャイアント馬場さん、千葉真一さん、長嶋茂雄さんなどのモノマネの他、『カックラキン大放送!!』では“カマキリ拳法”を披露し注目を集めます。その後、テレビ朝日系列『欽ちゃんのどこまでやるの』のレギュラーとなり、同じ事務所の小堺一機さんとコンビを組み人気を獲得。お二人の名をとった『コサキン』の愛称で親しまれます。 『笑っていいとも!』には、司会のタモリさんを除いた全レギュラーの中で歴代最長の 29年間出演。「身内自慢コンテスト」で披露していた、推薦者に一言添える名人芸は、近年、バラエティ番組で再注目されています!

 

 

 

〜関根さんと川島さん〜

川島さんが関根さんに初めて会ったのは、『関根&優香の笑うお正月』というネタ番組。 当時まだ若手だった川島さんは「関根さんには本当に助けられました。」と振り返ります。東京のテレビという慣れない環境のなか“第一声でどうやって笑いを取ろうか?”と緊張していた時、関根さんが「はい、次はゾウさんです!」とフリをくださり、「いえ、麒麟です!笑」とツッコむことで、ひと笑いを起こしてくれました。そんな関根さんのボケは麒麟だけではなく、“U字工事”に対しては「T字路!」など、出演していた20組以上の全芸人に対して行っていたのだとか!笑

関根さんは大のテレビ好き。「結局テレビっ子なのよね、小さい時から。“三丁目の夕日”の世界と同じで、テレビが高級で、一番の楽しみだった。だから、自分がテレビに出る立場になっても、視聴者としての気持ちがまだ残っている」とおっしゃいます。
テレビで頑張っている人を見るとファンになってしまう関根さんは、共演する多くタレントさんに「あの番組良かったよ!」と感想を伝えていますが、川島さんが驚いたのは、熊田陽子さんに「あの袋とじ良かったね!」と伝えていたこと!笑 いつまでも中2の思春期の気持ちで探究心を失わず、バラエティ番組やグラビアをチェックされています!
そんな関根さんが今好きな芸人は“ランジャタイ”。国崎さんの奇想天外なボケと、伊藤さんの“ツッコマない”ツッコミがツボなんだそうです。他にも、レイザーラモンRGさんやハリウッドザコシショウさんなど、何をするか分からないドキドキ感を与えてくれる芸人が好みだと教えてくれました。

 

 

〜人を傷付けないお笑い〜

川島さんは、今年8月に放送された『水曜日のダウンタウン』の企画「2代目関根勤選手権」に出場。こちらの企画は、『笑っていいとも!』の「身内自慢コンテスト」が元になっています。有名人に似ている身内や知り合いを自慢するという恒例企画で、関根さんは、その推薦者の方に対して一言で添える、という名人芸を披露されていました。元々、こういう流れは無かったそうですが、とある回で独り言のように“ボソッ”と言ったところ、共演者の藤井隆さんが笑ってくれました。それが嬉しかった関根さんは、芸人の性もあり、その日は全推薦者に一言添え続けたと言います。笑 すると、それをスタッフも気に入り、定番化したそうです!
改めて凄いのがその瞬発力!事前に推薦者と会うことなく、本番の生放送で、郷ひろみさんの「お嫁サンバ」の(恋する女は綺麗さ~♪ジャジャジャジャン♪)で登場してきた推薦者の特徴を、瞬時に一言で表します。
『水曜日のダウンタウン』でこれにチャレンジした川島さんは「天才の所業ですよ。一生懸命、頭尖らせて考えたから、頭が痛くなった。」と、関根さんの凄さを身を持って感じたそうです。実際にその収録に立ち会い、出場者の採点を行っていた関根さんですが、そこには関根さんならではの採点基準がありました。それは、“人が傷付くことを言ってはいけない”ということ。
「出てくるのは一般の人だから、最初で最後のテレビ出演になる可能性がある。そこで“あなた暗いですね。”とか言ったら可哀想じゃない。でもそれを少しだけ匂わせたい時は、“3冊目の詩集書き終わりました。”と表現すると、そういう感じが伝わるし、言われた人も嫌な気分はしない」と語る関根さんは、一般の方への配慮を行ったうえで、芸人としてのセンスを爆発させていたのです。

『笑っていいとも!』に出演され始めた頃、関根さんは30歳を過ぎていて、すでにお子さんもいらっしゃいました。“優しい芸風”は、お子さんができて親になった頃から芽生えたそうです。
「僕らが見た“東京の笑い”って言うのは関根さんが最初じゃないかなと思うんですよね。」と語る川島さん。関西の笑いで育ち、『笑っていいとも!』で初めて関根さんやタモリさんを見た時、東京の“品の良い笑い”に驚いたと言います。
関根さんが初めてタモリさんと出会ったのは、21〜2歳の頃。『前武のヤングアップ』という生放送でデビューしたてのタモリさんと共演しました。その時、タモリさんは“四ヶ国語麻雀”や“中洲産業大学の教授”などのネタをやっていたそうです。年齢はタモリさんが8歳上ですが、関根さんの方がデビューは早く、収録後、電車で一緒に帰っていたそうですが、タモリさんは瞬く間にスターに!その後、『笑っていいとも!』で共演することになりますが、お二人は50年近くのお付き合いになるそうです。 ここで、関根さんの経歴を振り返ります。初めてテレビに出たのは21歳、大学3年生の時。TBSの『ぎんざNOW!』という番組の人気コーナー「しろうとコメディアン道場」に出場されました。大学の頃からご友人と、「目黒五人衆」というユニットで活動するなど、お笑いに対して興味があった関根さん。番組オーディションでは、千葉真一さんや、プロレス中継“ジャイアント馬場VSフリッツ・フォン・エリック3本勝負”などの細かいモノマネを盛り込み、オンエアは2〜3分にも関わらず、45分もネタを披露!笑 これを見ていたプロデューサーが、ネタ数が多い関根さんを1回きりのオンエアにするのはもったいないと考え、ルールを勝ち抜き戦に変更したと言います。そして、5週連続で勝ち抜いた関根さんは「しろうとコメディアン道場」の初代チャンピオンに輝きました。そして、審査員だった浅井企画の社長からスカウトを受け、芸能界入り。翌週から、『ぎんざNOW!』のアシスタントとしてレギュラー出演することになります。
その後、“ラビット関根”という芸名で活動されますが、名付け親は、当時大人気でレギュラー番組が27本もあったと噂される桂三枝さん(現・桂文枝さん)。関根さんが三枝さんの生放送の前説を担当していた頃、“関根勤”という本名は硬いから芸名を募集しましたが、良い案が来ませんでした。すると、それを聞きつけた三枝さんが「1975年(その時の年)はうさぎ年や。君は前歯が2本出てて、ちょっとうさぎにも似てるから、“ラビット関根”はどうや?うさぎは後ろ足が長いから上り坂が得意なんだ。」と、縁起の良い意味も含めて提案してくださいました。「もし、名も無い一般の中学生に提案されていたら断っていたと思う・・・」と振り返る関根さんですが、提案してくれたのは当時のスパースター三枝さん!“ラビット関根”がとても良い名前に思えたそうです。さらに三枝さんは「ラビット関根で1年ダメだったら、次は辰年の“ドラゴン関根”、そのあと“スネーク関根”“シープ関根”“ホース関根”・・・と、十二支やってダメだったらこの世界を諦めなさいと。」と、粋な言葉も添えてくださったそうです。しかし、もし1年経っても“ラビット関根”が定着せず、“ドラゴン関根”になっていたら、同い年のプロレスラー藤波辰爾さん(“ドラゴン藤波”)と被ってしまうところだったそうです・・・。

 

 


(ラビット関根時代)

〜カマキリ拳法〜

関根さんのキャリアにおける大事件は、坂上二郎さん、野口五郎さん、研ナオコさんをメインに据えたバラエティ番組『カックラキン大放送!!』で披露した“カマキリ拳法”の誕生!
その頃、ドラマ『刑事コロンボ』が流行しており、そのパロディを『カックラキン大放送!!』のコントで行うことに。野口五郎さんが“ゴロンボ刑事”、そして関根さんが犯人役でした。関根さん扮する犯人が、車だん吉さん(被害者役)を殺害し、最終的にはゴロンボに負けるという流れのコントですが、何度も同じパターンをやるうちに、関根さんはどこか“物足りなさ”を感じ始めます。そんな時、『県警対組織暴力』という映画を鑑賞します。その中で、県警役の菅原文太さんに、敵対役の川谷拓三さんが食って掛かりますが、その後、逆にボコボコにされてしまい全裸で泣いて土下座するというシーンがあり、それを見た関根さんは“あんなに息巻いてた人が全裸で泣いてるよ・・・なんだ、この高低差は!”と衝撃を受けたそうです!そして次の瞬間には“あれ?この高低差は何かに使いたいな・・・!”と、川谷さんの迫真の演技をヒントに笑いを作ることを閃めきました。
そこで、同時期に放送されていたアニメ『空手バカ一代』に出てきた“カマキリ拳法の使い手”をミックスさせ、“威嚇してあっさりやられる”関根流のカマキリ拳法を考案!そして、「刑事ゴロンボ」の中で披露することを決意します。リハーサルで行うとバレてやめさせられるため、いきなり本番で「おい、ゴロンボ!俺のカマキリ拳法に勝てるかな?」と披露したところ、野口五郎さんは“何言ってるの・・・?関根君・・・。”といった顔をして動揺します。笑 その後、関根さんはボディーブローで終わるいつものコントの流れを成立させるため、カマキリで暴れながらもお腹を野口さんにアピールします。すると、勘の良い野口さんもすぐに理解してボディーブローを入れ、コントを完結させたのでした。“威嚇してあっさりやられる”関根流のカマキリ拳法が誕生した瞬間でした。これがウケて、カマキリ拳法は定着しますが、だんだんエスカレートして、関根さんは緑のコスチュームを着た“カマキリ男”になり、視聴者から「気持ち悪い」という印象をもたれてしまうようになります・・・。

 

 

〜萩本欽一さんとの出会い〜

浅井企画の先輩である萩本欽一さんとの出会いは、関根さんが27歳ぐらいの時。小堺一機さんと一緒に、「ライブで経験を積みなさい。」と修行を命じられました。そして一年後、ライブハウスでの努力を認められた二人は、ホームドラマのような設定のバラエティ番組『欽ちゃんのどこまでやるの!』(以下:欽どこ)に出演することに。しかし、萩本さんの考えで、先に小堺さんを出演させ、すでにテレビで“カマキリ男”のイメージがあった関根さんは、その10ヶ月後に出演することになります。最初、関根さんに与えられた役は、「わらべ」の“かなえちゃん”の恋人の高校生役。詰襟の制服を着て、初めて欽どこに出演すると・・・“なんでカマキリ男が制服を着てるんだ!かなえに何をするんだ!”という空気になり、何をやってもウケなかったそうです。この違和感を萩本さんも感じ取り、関根さんを学生役から黒子役にチェンジ!そして、小堺さんと一緒に、“クロ子とグレ子”を結成します。


(クロ子とグレ子)

『欽どこ』出演を機に、芸名を“ラビット関根”から本名の“関根勤”に戻します。当時のことを、「“ラビット関根”っていう、ちょっとユニークな名前の殺人者をやっているカマキリ男。しかも殺人者だからキワモノだった。それから関根勤って普通の名前で、欽ちゃんファミリーの中で一番下の層の黒子をやって、小堺君と普通の会話を普通のトーンで行う。すると、“あの人って、普通の芸もできるのね!”と、世間の評価が変わった。」と振り返り、名前を戻したことで、カマキリ男のような奇想天外な芸風だけでなく、本当の関根さんを評価してもらうことができたそうです。
そして、この時期に言われた欽ちゃんからのアドバイスも教えてくれました。
『欽どこ』に出演しはじめた時、10ヶ月早く出演していた小堺さんは、すでに番組に馴染んでいましたが、前述通り、関根さんはカマキリ男のイメージを払拭出来ずにいました。また、お二人で出演していたライブハウスでは、関根さんがボケ担当だったので、『欽どこ』でも自ら笑いを取りに行きますが、なかなか受け入れてもらえません。次第に関根さんのボケはオーバーアクトになっていきますが、それでもウケない日々が続きます。そんな時、欽ちゃんから「関根、お前は100万円持っていたら、100万円を目の前にかざすような芸をしている。そんなことはするな!5万円だけ見せて、残りの95万は“このポケットに入ってますよ”っていう芸をしろ!」と、アドバイスを受けたそうです。言われた時は、その意味を理解できませんでしたが、関根さんは、オーバーアクトをやめて、極端に動かない芸風に変えてみます。それから少しずつ動きを加えていき、2ヶ月ほどかけて普通に戻していくと、お客さんが普通の自分を認めてくれて、ウケるようになったそうです。そこで、関根さんは欽ちゃんの言葉の意味を理解します。「例えば、仲間内で面白いって言われてる素人の人が、いきなりテレビに出てきて思いっきりギャグをやっても、“あなたのことをよく知らないのに、そんなこと急にやられても・・・”ってなる。結局、その人がどういう人かが分からなければ笑えないもんね。」と、自分の笑いを見せるよりも先に、人を伝えることが大事だと学びました。

 

 

〜若さの秘訣〜

仕事の中で、一番影響を受けたのは、小堺一機さん。
「小堺君に会わなかったら今の僕はないですよね。1人だったら気持ち悪い男で終わってた。」と振り返ります。小堺さんとは今でも会うたび中学2年生に戻って一緒にはしゃぐような関係で、ソウルメイトだそうです!
そして、今後の目標を伺うと、「朝ドラの準レギュラーをやりたい!」とお答えが。
川島さんも出演していた『なつぞら』に1話だけ出演した関根さん。主人公の広瀬すずさんの婚約者のお父さん役で、一緒に食事をした際に、考古学と歴史学の違いを延々と述べる教授の役でした。そして、1週間かけて専門用語を覚え、無事に撮影を終えて、オンエアを確認すると・・・「本当に優しいご両親で、私の過去にもこだわらず、とっても良くしてくれました。」という広瀬さんのナレーションが被って、一週間かけて覚えた関根さんのセリフがほとんど聞こえなかったそうです。笑 なので、次は自分のセリフがしっかり聞こえるように、準レギュラーを目指しています!ちなみに、世間から良い評価がもらえるような、主人公を励ます近所の優しいおじいさん役が希望だそうです!(逆カマキリ?笑)
「まだまだ売れたい!評価が欲しい!」と力強く語る関根さんの今後の活躍にも目が離せませんね!

 

 


(3歳の頃の関根さん。)

〜関根勤さんのエウレカ!(発見・気付き)〜

関根さんのエウレカは“父親に感謝の言葉を述べればよかった。もっと母親に優しくすればよかった。”ということ。 ご自身が父となり、“親のありがたさ”や“どれだけ愛してもらっていたか”を改めて感じた関根さん。自分が子や孫にかける愛情を、自分も親から受けてきたことに気づき、もっと感謝を伝えたかったと痛感されています。「両親がいなくなってからではもう遅いですよ。ただね、僕が元気に芸能活動を行い、結婚して、娘を見せられたことが、唯一の親孝行だったかなと思う。ただ、言葉に出して親父に“ありがとう!”って言いたかった。今言いたい!」と、ご両親への想いを語ってくださいました。 そして最後に奥様への想いも。
「感謝しているんです。だって僕と付き合ってくれて、結婚して、それで子供産んでね、一緒にちゃんと育ててくれた。」とおっしゃり、今でも唐突に「ありがとう〜」と伝え続けていると教えてくださいました。関根さんは、過去のインタビューでこんなことも・・・。

「綾瀬はるかさんは大好きだけど、僕は綾瀬はるかさんとは思い出が1つもないんです。妻とはデートした。結婚式を挙げた。子供を育てた。だから綾瀬さんは妻には勝てない。」

関根さんの“人を傷付けないお笑い”は、このエウレカを聞くとより納得ですね。

 

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PLAYLIST
  • 「マツケンサンバⅡ」
    松平健
  • 「Soul」
    星野源
  • 「やさしさに包まれたなら」
    荒井由実
  • 「いとしのエリー」
    サザンオールスターズ
  • 「優しい手 ~ Gentle Hands」
    Original Love & TENDRE