EDC 営業日誌(過去のお客様)
2022年9月24日放送
本日のお客様は、ハマ・オカモト様。
1991年、東京都生まれ。ロックバンド『OKAMOTO’S』として2010年にデビュー。バンド活動の傍ら、ベーシストとして様々なミュージシャンのサポートも行われています。2013年には日本人ベーシストとして初めて、アメリカの“フェンダー社”とエンドースメント契約を結び、その後、シグネイチャーモデルを発売!また、メディアでの活躍も幅広く、現在はTOKYO
FM『THE TRAD』やテレビ朝日の『ハマスカ放送部』などでMCを担当中。
本日は、実は一緒にバンドを組んだことがあるハマさんと川島さんがドライブに出掛けました!
 
 
 
川島さんがMCを務めていたNHKの音楽番組『シブヤノオト』にて、度々共演しているお二人。なかでも印象に残っているのは、特別番組として放送した『シブヤノオト and
more FES.2021』で、“SHOCK & RUN YO!”
という名のバンドを組んだこと!その際、披露したのは、マハラージャンさんが作詞・作曲された「貞☆子」という曲でした。マハラージャンさんは今年2月に、この「土曜日のエウレカ」にお越しくださっており、その事を知ったハマさんは、「何か余計なこと言ってました?笑」と、陰口が言ってなかったか川島さんに確認!川島さんは、「余計なことを言ってないというか・・・よく考えたら、全てが余計なことだったとも言えるような・・・楽しい方でした。笑」と、振り返りました。
(マハラージャンさん回の営業日誌)
そんなマハラージャンさんにとって「貞☆子」は、“SHOCK & RUN YO!”の為に書き下ろした、ご自身初の提供曲!そのため、とても気合は入っていましたが、根っからの人見知りタイプで、ご自身の曲のイメージを伝えなければならない合同練習でも、人見知りが発動してしまったそうです!笑 一方、川島さんと土屋さんもバンドの練習に立ち会うのは始めてで、受け身の状態。“誰がこの場を仕切るんだ・・・?”と皆が不安になり始めていた時、頼りになったのがハマさんでした。ミュージシャンと川島さん、土屋さんとを繋ぐ仲人のような立場で現場を盛り上げ、技術面でも精神面でも皆さんを支えていたそうです。こうして、バンド“SHOCK & RUN YO!”は仲を深めていき、ライブは大成功!川島さんも、ハマさんも、“もう1回やりたい!”と思うほど良い思い出となっています。まだバンドは解散はしていないので、またどこかで集結することを期待しましょう!
 
 
(幼少期のハマ・オカモトさん)
ハマさんは、ミュージシャンの活動のほか、TOKYO FM『THE TRAD』(水曜・木曜パーソナリティー)や、テレビ朝日の『ハマスカ放送部』など、音楽番組のMCも担当されています。もともと人と話すことが好きだったハマさんですが、OKAMOTO’Sに加入した頃は、あまり喋るキャラではなかったそうです。というのも、もともとソウルやファンクミュージックを好んでいたハマさんは、ロックバンドのベーシストという立場に馴染みがなく、先輩方の映像を見て、お手本を探すことに。すると、ベーシストは職人気質の方が多いことに気付きます!また、OKAMOTO’Sは、ヴォーカル・ギターのオカモトショウさんが、ステージでお客さんを盛り上げるMCが似合うということもあり、前に出る役目はショウさんに任せていました。デビューから3年ほどは、ハマさんはステージで喋るどころか、自分の前にマイクすら立っていなかったと言います。“OKAMOTO’Sの盛り上げ役はオカモトショウ”という役割分担の中で、徐々にハマさんはしっかりとしたトークを回す役目に。すると、その落ち着いたトーンと、豊富な音楽知識がテレビやラジオ関係者の目に止まり、メディアの仕事が増えていったそうです。デビュー当初は、あまり前に出て喋っていなかったというのは意外ですね!
 
 
ハマさんが音楽を始めたキッカケは、コミュニケーションツールの1つだったから。中学校に入学された時は野球部に入ろうとしていましたが、新入生に向けて行われる部活動紹介の際に、気持ちが変わってしまいます。理由は、野球部の先輩方が部活動紹介で物凄くスベっていたから!笑 野球部の練習内容を説明する訳ではなく、顧問の先生をイジったり、野球とは関係のない内輪ノリのパフォーマンスを行ったことで、その場の空気は悲惨なことに・・・。「普通に説明してくれていたら入部していた。」と、当時を振り返るハマさんは、目立とうとしてスベリ倒した野球部は“ちょっと違うな・・・”と感じ、その後1年間は帰宅部に。特にこれといった趣味は無かったそうですが、友達の影響で音楽に触れ始めます。一緒に下校する友達の多くが軽音楽部に入っており、帰り道の会話は音楽の話ばかり。当時、音楽に興味が無かったハマさんにとっては、知らない単語(バンド名など)が飛び交っており、“このままじゃ、会話に入れず友達がいなくなる・・・!”と危機感を抱き、軽音楽部に入部したと言います。ベースを選んだ理由は、人気が無かったから。「ベースはつまんないから誰もやってない。」と軽音楽部の友達から言われ、友達と競うことも嫌だったハマさんは、ベーシストになることを決意したそうです。そして、ご両親から「誕生日・クリスマス・お年玉は、もう貰えないと思え」と言われながら、ベースの入門セットを買ってもらいました。そして、“練習に励もう!”と意気込んだ時、あることに気付きます。それは、“ベースあるある”の最初に出てくる『重い!低い!弦4本!面白くない!・・・・どうしよう!?』ということ。笑 何故、友達がベースを選ばなかったのか、ベースを手に入れてから気付きました。ベースは、ギターのように“ジャ〜ン”と掻き鳴らすことことが出来ず、“ボンッボンッ”と低音が鳴り響く楽器で、家での自主練では、曲の全体が想像し辛く、エネルギッシュに向き合うのが難しかったそうです。“誰かを参考にしよう!”とベースを弾いている人をテレビで探すと、当時はお笑いタレントの“はなわ”さんが、「SAGA
さが〜」と歌っている映像しか無かったとも教えて下さいました!笑
そんなハマさんですが、幸運だったと話す思い出も。
それは、軽音楽部の先輩たちが、邦楽を演奏したらダメというルールを作っていたこと。60〜70年代の洋楽のロックバンドを本格的にコピーする先輩が多く、その影響もあって、邦楽の流行っているバンドではなく、海外の古いバンドの曲を練習していました。初めて演奏したのはビートルズだったそうですが、真剣に練習しないと弾けない曲だらけ。また、先輩方からの、“曲やバンドの背景を知ってこそ、演奏する意味がある”という教えのお陰で、自然と音楽の知識も増えていきました。1人で練習するのはつまらなかったハマさんですが、地道に練習を積み、初めて部室で他の楽器と合わせた時には、“自分が練習していたのは全体のココなんだ!”と、ベースの役割がハッキリと分かり、感動したと言います。
当時の感動を、「映画じゃないですけど、景色が広がった。」と語るハマさんは、その後、世界屈指の楽器メーカー“フェンダー社”と、日本人ベーシストとして初めて、エンドースメント契約を交わすまでに成長されるのです。
 
 
(2010年に参加された、アメリカの音楽祭・サウス・バイ・サウスウエストでのお写真)
ハマさんは大学在学中の19歳でロックバンド・OKAMOTO'Sに加入。実は、オリジナルメンバーではありませんでした。OKAMOTO'S自体は、中学3年生の時に結成されていますが、オリジナルメンバーのベースの方が大学進学をキッカケに脱退。そして、中学から高校まで同級生で、ベースが弾けるハマさんに声が掛かります。ハマさんも大学に進学していたという事で、サポート的な立ち位置で参加することを決めますが、実はこの時点でOKAMOTO'Sにはある動きが・・・!
「ちょっと騙されてまして、、、OKAMOTO'Sさんに。今でも訴えたら勝てると思うんですけど・・・。」とハマさんは語り始め、加入からデビューするまでのエピソードを教えてくださいました。もともと、OKAMOTO'Sの他のメンバーが本格的に音楽の道に進もうとしている気配は感じていましたが、ハマさんが初めてサポートメンバーとして参加したライブの場所は名古屋。地方公演ということもあり、改めて“本格的だな〜”と感心していたハマさんですが、そのあと、都内で行われたライブ終わりに、見知らぬ大人が2〜3人いることに気付きます。オリジナルメンバーに紹介されてハマさんも挨拶すると、なんと、その方々は今の事務所であるソニーミュージックアーティスツの人たちだったのです!“はぁ・・・?”と戸惑いつつも、一旦挨拶を済ませ、事務所の方が帰られた後、ハマさんはメンバーを集め、「聞いてない!君らはデビューするんですか?」と問い詰めます!
ここで、ようやく白状したオリジナルメンバーの3人。笑 実は、ハマさんを誘った段階で、OKAMOTO’Sは、ソニーミュージックアーティスツの育成レーベルと契約を結んでいたのです!まだ、大学に通っていたハマさんにとって、本格的に音楽の道で生きていく準備も覚悟も全くなかったそうです・・・。笑 ご両親は、“好きなことはしても良いけど、大学はしっかり卒業して欲しい。”という想いがあったそうですが、当時、髪も長く、同級生から勝手に“村長”というあだ名を付けられるなど、大学にあまり馴染めなかったハマさんは、次第に学校に足が向かなくなっていきます。また、いきなりレーベルとの契約を聞かされ戸惑いはありましたが、実際、バンド活動はとても楽しく、高揚している自分もいたと振り返ります。その後、OKAMOTO’Sとしてデビュー。「本当に契約書をあまり読まずに判を押しちゃったみたいな感じで・・・。メンバーからは“正式に加入して欲しい!”って、1回も言われてないので、今年で12年目なんですけど、今でも自分はサポートメンバーだと思ってます。笑」と、おっしゃっていました。笑
(2010年に参加された、アメリカの音楽祭・サウス・バイ・サウスウエストでのお写真)
 
 
OKAMOTO’Sの他に、様々なミュージシャンのレコーディングやライブにも参加されているハマさん。特に印象に残っている楽曲は、星野源さんの「恋」。星野さんとは、2012年のシングル「フィルム」から、長年の付き合い(サポート参加)があります。「恋」のレコーディングでは、録り始めた時に“これはすごい良い曲だね。”と、その場にいた皆さんが曲のパワーを感じていたそうです。また、ミュージックビデオの撮影時には、ダンサーの方が、後に大流行する“恋ダンス”の振り付けを練習している姿を見ており、演奏として参加されたミュージシャンの皆さんは、「あの時にダンスちょっと教えて貰えれば良かった〜」と、流行った時に後悔したそうです!笑
そして、後にご結婚される星野さんと新垣結衣さんが主演を務めたドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の主題歌となった「恋」は、空前の大ヒット!日本中の人が耳にする名曲となったのです。「何を話してもノーリアクションだったおばあちゃんとおじいちゃんも喜んでいました。笑」と語るハマさんにとっても、ご家族・ご親戚に自分の音楽活動を伝えることができた思い出の曲となっています。
 
 
ハマさんは好きな事ではなく、苦手な事の話に興味があるそうです。
「好きなモノに対して熱弁できるって言うのはあると思うんですけど、反対に、苦手なモノにもそれなりの理由がありますよね。なので、それをちょっと聞くようにしていまして。」と、川島さんの苦手な事に迫りました。
川島さんは回答するにあたり、まず、自分が日々の中で最も大事にしている“食事”について説明を始めます。お金が無かった若手時代から、一食一食を大事にしていて、“これを食べたい!”となったら、その食事にありつくまでに“どこで”食べるかという環境までも整えるという川島さん。例えば、松屋のカレーを、店ではなく楽屋で食べたいと思った場合、入り時間が14時とすると、“13時半に楽屋に着いて、14時までに美味しく食べる”という流れを逆算したうえで、その1日のスケジュールを組むそうです。しかし、13時半入りした川島さんに対して、スタッフさんが、「早く着いたなら打ち合わせを先にしちゃいましょう!」と提案してくることが・・・。良かれと思って言っていることは重々承知していますが、川島さんは、朝からこの食事に向けて調整を行ってきているため、心の中で一瞬、“はぁ!?”と、思ってしまうそうです。笑 しかし、「ご飯食べるから駄目です」と断る事もできず・・・。そして、その際に「あ、全然食べながらでもいいんで!」という言葉を投げ掛けられるのが一番苦手!“ええ訳ないやんっ!”と、心の中でツッコんでしまうそうです。笑 食べながらの打ち合わせだと、ご飯の味もせず、打ち合わせにも集中出来ないという、最悪の結果に・・・。この話を聞いたハマさんは、「僕も同じタイプなのでよく分かります。食事の時間が担保されてないと“不機嫌さ”がとんでもないですからね。」と、理解を示していました。
スタッフの皆さん!川島さんの前で「早く着いたなら打ち合わせをしちゃいましょう」「あ、全然食べながらでもいいんで」という言葉は要注意です!
 
 
(2010年に参加された、アメリカの音楽祭・サウス・バイ・サウスウエストでのお写真)
OKAMOTO'Sは来週9月27日から、神奈川・愛知・大阪・東京の4都市で対バンライブを開催されます。注目は、全公演に帯同するオーストラリアのバンド“Last
Dinosaurs”!今年6月に行われたLast DinosaursのアメリカツアーにOKAMOTO'Sが帯同したということもあり、今回は、Last
Dinosaursが来日してOKAMOTO'Sのライブに参加します。また、神奈川公演(9/27)には“DISH//”、名古屋公演(9/29)には“iri”、大阪公演(9/30)には“羊文学”、東京公演(10/2)には“ALI”と“AgeFactory”という、日本のアーティストも参加し、豪華な対バンライブとなっています。
皆さん是非チェックしてみてくださいね!
詳細は OKAMOTO’Sの公式HP をご確認下さい!
 
 
ハマさんのエウレカは、“焼きサバが一番美味しいかも”ということ。
ツアー中は車移動の際、サービスエリアで食事を取ることが多く、サービスエリアの料理のクオリティーもここ10年でもの凄い進化を見せているそうですが、結局、焼きサバ定食が一番美味しく、安定感があり、どこのサービスエリアで食べても美味しさのムラが無いと言います。また、OKAMOTO’Sのドラム・オカモトレイジさんのお父様もサバが大好物で、独自に生み出した『サバ旨』という美味しさを表す言葉を日頃から使っているそうです。例えば、ハンバーガーを食べて、とても美味しかったら「これ、サバ旨だね」=サバくらい旨い、と表現するのだとか!笑 そんなレイジさんのお父様の境地に、一歩だけ入れたのかもしれないと感じているハマさんは、サバと人生には通ずるモノがあると考えます。サバのように、美味しくて、お求めやすくて、どこで食べても安定感があるという事は、ミュージシャンに置き換えると、“演奏が上手くて、様々なミュージシャンとコラボして、どのライブでも安定感がある”ということ。
「サバになることは、べーシスト冥利に尽きるのでは?」と川島さんに尋ねられたハマさんも、「確かに。全てに通じてますね。」と納得。笑
バンドの中で目立つヴォーカルやギターを、マグロやサーモンと捉えるなら、ベーシストはサバのような存在なのかもしれません。
川島さんは、いつか『サバ・オカモト』に改名することを提案!笑 「確かに、(ハマとサバは)母音が一緒ですから、早口で言えば違和感ないかも。」と、ハマさんも乗り気になっていました!笑
 
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