EDC 営業日誌(過去のお客様)
2022年9月10日放送
本日のお客様は、石井竜也様。
1959年、茨城県出身。1982年に大学のサークル仲間だったジェームス小野田さん、BONさんらと『米米CLUB』を結成し、85年にデビュー。「KOME KOME
WAR」、「FUNK
FUJIYAMA」「浪漫飛行」「君がいるだけで」など多くのヒット曲をリリースされます。1997年の米米CLUB解散後(2006年再始動)からは、“カールスモーキー石井”ではなく、本名の“石井竜也”としてソロ活動を開始。また、音楽活動に加えて、映画監督、インダストリアル・デザイナー、芸術家として、多方面でご活躍!そんな才能あふれる石井さんの世界観に、川島さんは冒頭から翻弄されつつも・・・(!?)、楽しいドライブに出掛けました!
 
 
 
本日、6年ぶりに再開したお二人。川島さんは“米米CLUB”世代で、音楽バラエティー『鬼奴&RGの歌謡スナック想ひ出』に出演した際は、カラオケ企画で「愛
Knowマジック」を熱唱するほど。米米CLUBは今年で結成40周年。そして、石井さんは、ソロデビュー25周年の節目の年でもあります。米米CLUBは石井さんにとって、家族のような存在。妹のMINAKOさんも在籍し、さらに、MINAKOさんはキーボードのフラッシュ金子さんとご結婚されているので、“家族のような存在”というより本当の家族なのです!米米CLUBは、1997年に一度解散しましたが、解散の仕方もユーモアに溢れていました。最後のアルバム名は『PUSHED
RICE』。タイトルの経緯は、ファンが米米CLUBを推してくれていたので、“推す米”→“押す米”→“押米”→“おしまい”と文字っていき、誕生したのだとか!常にエンターテイメントを提供する石井さんならではの発想ですね!
米米CLUBと、ソロ名義の“石井竜也”としてのパフォーマンスで共通しているのは、ライブセットが豪華なところ。その費用はとてつもないそうで・・・。常に負債は1億4千万円あるとおっしゃいます!「えっ!?ずっと赤字ですか?」と驚く川島さんに対し、「俺、赤でしか字を書いたことがない。」と、とぼける石井さん。笑 どこまでが真実なのか分からない“石井ワールド”が炸裂していましたが、ライブセットが豪華な理由は、“差し引きゼロ”という石井さんの考えから。「チケット代を貰ったなら、チケット代を返すよって気持ちだけ。」と、おっしゃっられ、お客さんに満足してもらうライブを追求されています。
また、米米CLUBは、多い時には約20名のメンバーが在籍。ギャラの配分は多少の差し引きがあっても基本平等。“作詞・作曲”の名義も、米米CLUBと名記しています。「みんな大変なんですよ。人を楽しませる仕事は体力が掛かる。お金を掛けないんだったら体力を掛けるしかない。体力掛けないんだったら血流すしかないしね。本当にそういう世界。まぁ、芸事ですからね。」と語る石井さん。常にファンのこと、そして家族(メンバー)のことを思いやるからこそ、長年愛されているのですね!
 
 
(デビュー当時の米米CLUB)
石井さんがミュージシャンになられたキッカケも伺いました。
「6歳頃からなりたかった。」と切り出した石井さんは、続けてこんなエピソードを教えて下さいました。「夢の中で神に言われたんですよ。ピカピカ光った神が夢に入ってきて、“ミュージシャンになりなさい。”って言ってきた。だけど、6歳だから(ミュージシャンという言葉が)分からなかった。そして気付いたら26歳でデビューしていたんですよね。だから、20年間の記憶が一切ないんです」と。これに対して川島さんは、「・・・というのと、本当の話も頂きたいんですけど。」と、冷静に返します。笑 途中、泳がすかのように相槌を入れていましたが、“石井ワールド”の攻略方法をドライブ中に習得してきました!笑
『神のお告げを受けた・・(!?)
石井さんの幼少期時代』
話は戻り、米米CLUB結成のキッカケについて。米米CLUBは自然発生で生まれたとおっしゃる石井さん。1980年代中盤、『劇団☆新感線』(古田新太さんなどが在籍することで有名な劇団)が、面白いムーブメントを起こしており、演劇に興味を持ったそうです。そこで、後に米米CLUBとなるメンバーの皆さんと映画を撮影したり、いろんな創作活動をしながら楽しい大学生活を過ごしました。もともと、米米CLUBの皆さんは芸術肌。石井さんは大学で油絵を専攻されていて、リーダーのBONさんは建築士。他にもデザイン科のメンバーがいるなど、様々な才能を持つメンバーが“楽しいことをやろう!”と集まったのが、米米CLUBの起源なのです。そして、大学卒業後の1982年に8人組のアマチュアバンドとして、『米米CLUB』を正式に結成。その3年後にメジャーデビューを果たします。メンバーにダンサーがいるなど、当時では珍しいバンド編成で異彩を放ちます。さらに、楽曲はファンクミュージックで、歌詞はやたらと“米”のことを歌います。この他に類を見ない編成と世界観、石井さんの甘く色気のあるヴォーカルが絶妙なハーモニーを魅せ、稀代のエンターテインメント・バンドとして人々の心を掴んだのです。
 
 
名曲、「君がいるだけで」の誕生秘話についてもお聞きすると、「30分で作った曲ね。」というお答えが!これは事実だそうで、その経緯について詳しく伺いました。まず、月9ドラマ『素顔のままで』の主題歌の依頼を受けた米米CLUB。与えられた制作時間に余裕はなく、さらには「お前らやってみろ!」と、上から目線で頼まれたと言います。失礼な態度に腹が立っている状態からのスタートでしたが、まずドラマの3話目までの内容を読ませてもらい、ただの純愛ドラマではないことを感じ取ります。そこで、“大人のラブソング”を作ろう、と最初はなりますが、石井さんから、“ラブソングはやめよう。”と提案したそうです。石井さんが提案したのは、サビだけラブソングっぽく作り、全体は人生歌にするということ。こうして、恋愛をしていない人も共感できる楽曲を作り上げました。
さらに、“たとえば〜”から歌い始めるということに関してもある狙いが!会話の最初に、「実はさ・・・」「ここだけの話・・・」と言われると、人はつい耳が傾けたくなるから、同様に、「たとえば〜」と歌い出すと、多くの人が聴いてくれるんじゃないかと単純に思ったそうです!笑 思いつきのため、特に深い理由はなかったそうですが、その後の取材では深読みした質問に対して適当に頷いていたため、“狙い”なのか、“偶然”なのか人々を戸惑わせます!笑 そんな、「君がいるだけで」は、米米CLUBの代表曲となり、289万枚の大ヒットを記録しました!
米米CLUBといえば「浪漫飛行」も有名ですが、この曲は発表当初からヒットしたものではありませんでした。もともと、1987年発売された3枚目のアルバム『KOMEGUNY』の3曲目に収録されていたこの楽曲。アルバムタイトルは、アメリカでレコーディングをしたため、“アメリカ”→“米国”→“KOMEGUNY”と名付けたと言います。「浪漫飛行」はそれまでの米米CLUBの音楽スタイルとは異なる路線で、石井さんがこの曲を提案した時、他のメンバーの反応はイマイチでした。アメリカでのレコーディング時、スタジオにいたメンバーは石井さんのみ。なんと、ほかのメンバーの皆さんは、外でバスケットボールをしていたそうです。笑 なので、「浪漫飛行」はほぼコンピューターで制作!ドラムの音だけは生音の方が良いとなり、ドラムのRYO-Jさんを、なんとかスタジオに連れてきて、ワンポイントだけ演奏してもらったのだとか!こうして、それまでの米米CLUBにはなかった楽曲として生まれた「浪漫飛行」。最初はアルバムの中の1曲に過ぎませんでしたが、3年後の1990年に大手航空会社のCMソングに起用されて注目を集め、シングルカット。そして107万枚の大ヒットを記録しました。
 
 
(ソロデビューされた頃の石井さん)
石井さんは、米米CLUBが一旦解散した1997年にソロデビュー。米米CLUBの中でもシリアスな部分を表現しようと思い、同じくシリアスな曲が好きなメンバーに一緒にやろうと声を掛けますが、「米米CLUB以外はやらない。」と、すぐに断られたそうです・・・。しかし、断られたことに関して、石井さんご自身も結果的には良かったと感じています。「“ソロデビューします!”と宣言して、バックバンドに米米CLUBのメンバーがいると、誰も認めてくれない。また、“米米CLUBという楽しいバンドのイメージを崩す”と思い、本名での活動に踏み切った。」と、“石井竜也”としての始まりを教えてくださいました。ですが、“カールスモーキー石井”という名前の印象も色濃く残っていたため、和田アキ子さんに楽曲提供した時には、「凄い良い曲をありがとう。こういう曲を書けるなら、カール君はこっちの方向でやれば良いのに。」と言われたそうで・・・笑。 「いや、本名でソロ活動やってるんですよ!」と反論したそうですが、「(石井竜也名義では)それじゃ誰も分かんねぇよ!」と言い返され、ショックを受けたのだとか!笑
そして月日は流れ、2006年に米米CLUBは再結成。最初は1年間だけという期間限定の復活だったそうです。再結成前、石井さんの元にはファンの方から、“20周年を記念して、もう1回やってください!”と、復活を求める声が多く届いたと言います。そこで、石井さんはメンバーに相談してみると、「興味ねぇ。」と即答されたそうです。笑 ですが、米米CLUBが長年お世話になっているギタリスト・Charさんが50歳の誕生日を迎えられた時、Charさんの息子・JESSEさん(RIZE)から、「米米CLUBで、何かやってくれない?」と頼まれます。“JESSEが言うなら、やるしかないな!”となったメンバーは、期間限定で再結成することに。最初は、渋々だったメンバーも次第に楽しくなっていき、最終的には皆さん汗をかきながら笑顔で演奏されていたそうです!そして、コンサートツアーの最終日に、期間限定の撤回を宣言。米米CLUBは完全復活したのです!
石井さん自身は、ソロ活動とグループ活動を並行して活動する日々。米米CLUBでは従来の楽しい音楽を、そして“石井竜也”としてはシリアスで深みのある部分を大切に素晴らしい人生歌を作り続けています。
 
 
車の移動時は、常にご自身の曲を大音量で流しているという石井さん。これには大事な理由があり、今まで700曲以上の曲を制作しているため、次のライブでどの曲を歌うかを車内で考えているそうです。大音量で流すのは、ライブに来てくれるお客さんの立場になるため。小さい音量で聴いても“お客さんの耳”にはなれないと言います。そのため、石井さんは普段、ヘッドフォンで音楽を聴かないそうで、「空気を通して聞かないとやっぱりダメ。感動できないから。」と語り、音へのこだわりとライブへの想いを明かしてくれました。ライブというのは生き物だからこそ、ご自身が納得され、自信をもって披露することにプロとしての意義を感じている石井さん。普段からライブのイメージを膨らませることによって、多くの人々を感動させるパフォーマンスが出来るのですね!
 
 
石井さんは、9月7日にソロ名義では2年半振りとなるニューアルバム 『LOST
MESSAGE』を発売されました。コロナ禍を通して完成した今作は、“忘れ去られた教え”というコンセプトを元に制作され、時代感を大切にした、メッセージ性溢れる新曲が12曲収録されています。日々生きていく中で、ふと大切な人や物を想うきっかけとなるような言葉がいくつも紡がれており、全世代に深く刺さる作品となっています。
また、米米CLUBとしては、先月、ライブ映像作品「a K2C ENTERTAINMENT TOUR 2021
~大芸術祭~」を発売されました。芸術性の高いメンバーが織りなす映像作品も併せてチェックしてみてくださいね!
 
 
石井さんの今後の夢は、“今までに無かったようなジャンルを絵の中でも作ること。”
「僕は絵描きなので、絵を描きたいですよね」と、即答された石井さん。大学時代から楽しいことを追い求めて活動してきた40年。やはり原点にあるのは、大学でも専攻されていた油絵だそうです。もちろん、ミュージシャンとしての活動も続きます。「歌は好きなんでやってきます。聞いてくださる人が1人でもいれば、それで僕はいいと思うので。」と最後に語った石井さんは、生涯エンターテイナーであり続けるのです。
 
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