EDC 営業日誌(過去のお客様)
2022年8月27日放送
本日のお客様は、野田クリスタル様。
1986年生まれ、神奈川県出身。15歳の時に、バラエティ番組『学校へ行こう!』の「お笑いインターハイ」で優勝し、芸人の道へ。ピン芸人の活動を経て、2007年、村上さんと“マヂカルラブリー”を結成。2017年には、『M-1グランプリ』決勝進出。そして2020年、『R-1ぐらんぷり』、『M-1グランプリ』で見事優勝を果たしました。
独学でゲームプログラミングを習得し、「野田ゲー」と呼ばれる自作ゲームを開発。また、パーソナルジムを設立するほどのマッチョ芸人としても有名です。M-1、R-1チャンピオンであり、ゲーム・筋トレ・漫画・アニメなど幅広い分野で活躍される野田クリスタルさんと、川島さんが、記念すべき番組100回目のドライブに出掛けました!
 
 
 
テレビ番組では度々共演しているお二人ですが、1対1で話すのは初めて!川島さんから見た野田さんは、“ご飯に誘って良いか分からない存在・・・”。それもそのはずで、野田さんは1対1で誰かと喋るということがあまりないのだとか!?
劇場でも基本的には楽屋におらず、お酒を飲まないため打ち上げにも参加しない野田さん。しかし、以前から“川島さんとは話が合うのはないか”と、感じていたようで、ご自身と似た人生を歩んできた人だと推測しています。
野田さんは、近年ある特技を身に付けました。それは、芸能界で“小学校の時、めっちゃ楽しかったんだろうなって人”を見つけられるようになったこと。笑 野田さん自身も、小学生時代がとても良い思い出として残っているそうで、今でも小学校の頃の楽しかった記憶を引きずっていると言います。そして、自分と似たところを感じる人が、川島さんとバカリズムさん。笑 この推測に川島さんも「漫画やアニメ、ゲーム、競馬と、好きなモノは色々あるけど、結局、15歳の時までにインプットしたモノを揚げたり炒めたりして喋っているだけで、変わってないですよね。」と答え、体が大きくなっただけで好きなモノへの気持ちは子供の頃と変わらないそうです。ですが、好きなモノへの知識を公の場で明かすことにはリスクも・・・。好きなモノが仕事に繋がることもありますが、そういった番組に出ると、その業界のプロであったり、そのコンテンツに人生を捧げているような人と共演することになり、極みのレベルまで話を持っていける覚悟がないと、なかなか“〇〇好き!”と公言できない、と野田さんはおっしゃいます。「番組側のアンケートでは、“結構好きですか?”みたいなノリで聞いてきますが、現場に行ったら全国大会じゃないですか。笑 それが本当に嫌で。だからあまり、“〇〇が好き”と言えない部分もある。」という野田さんの言葉に、川島さんも「確かに」と納得。そんなお二人にとって、ちょうど良く、好きなモノへの愛や知識を語れて、楽しく参加できる番組が『アメトーーク!』。時間があっという間に過ぎてしまうほど楽しい収録で、仕事と趣味の架け橋になっています!
そんな野田さんですが、最近は趣味を生かした仕事が多く、ゲームや筋トレのほかにも、アニメ好きが高じて、声優さんが多く出演される現場も1人でMCを担当。「MCとか全然できないけど、意外と熱量でいけると感じた。逆にそういう仕事に囲まれたら幸せだなぁって思いますね。」と、おっしゃる一方、バラエティ番組のMCをする他の芸人さんの凄さを改めて感じたそうで、「技術が凄いじゃないですか、皆さん。興味が無いVTRとかも、まるで興味があるかのように回すことが出来る。それはお笑いの技術があるから。俺はそういう部分を捨ててきた人間だから、それを求められても無理ですよ。だから、熱量のあるものだけに、将来は囲まれたいですね。」と、今後のビジョンを語って下さいました。
 
 
(幼少期の野田さん)
野田さんといえば、ゲームクリエイターとしても有名!
これに関しても、やはり“小学校の時、めっちゃ楽しかった”という思い出が影響していると言います。誰しもが、オリジナルゲームやオリジナルキャラ作って遊んでいた小学生時代。“自分だけのゲームを作りたい!”というロマンは、みんなの心の中にあったはずだと野田さんは唱えます。大人になるにつれてその野望が消えていく人がほとんどのなか、野田さんは決してロマンを捨てませんでした。独学でゲームプログラミングを学び、何作も独自のゲーム作り始めた野田さんは、みるみるとゲームクリエイターとして成長。しかし、クオリティーが上がっていくにつれ、芸人仲間から“面白いね!”では無く、“すごいね!”と、尊敬の眼差しを向けられるようになりました。ゲーム制作は幼少期からの夢ではありましたが、野田さんにとっては、お笑いに生かすために取り組んだこと。周囲から感心されることに、“お笑い芸人”の野田さんは違和感を覚え、ゲーム作りを辞めてしまいます。しかし、それから3〜4年後に、転機が訪れます。劇場の出番の合間に、ほとんど絡みが無かった川島さんに、「最近ゲーム作ってへんの〜?」と突然声を掛けられます。実は、『ニッポン元気計画!眠れるスター目覚ましバラエティ“ハックツベリー”』という番組で、野田さんがゲームを作っていることを知った川島さんは、その時の印象が強く残っていたそうです。賞レースなどで結果が残せず焦りもあった野田さんは、この一言を聞いて“作った方が良いのかも!”と、自然と背中を押された気持ちになり、ゲーム制作を再開!面白さを全面に出したゲームを作り上げていきました。川島さんは当時のことを「俺らが叶えられなかった、ゲーム作りを一生懸命やってるんだなっていうのがまずあって、“もったいないな”と思っていた。」と、振り返りました。その後、2020年、次長課長・井上さんと川島さんとインパルス・板倉さんが『おしゃべり大喜利』というライブを開催し、ゲストに野田さんを呼びます。そこで野田さんが自作ゲームを紹介すると、メインの3人はもちろんのこと、会場も揺れるほどの大爆笑!この瞬間、野田さんは“会場もそうですが、この3人を笑わせるコンテンツを俺は持っている!”という自信を得たと言います。そして同年、野田さんはゲームネタで『R-1ぐらんぷり』を勝ち進みます。準決勝の時には、ネタで使うモニターをレンタルするのに40万円かかると言われます。その頃の月収15万円ほどでしたが、『おしゃべり大喜利』での爆笑を思い出し、“あのバカウケをやれる芸人は日本に俺しかいない。俺が日本一だ!”と、心を奮い立たせ、思い切ってレンタルされたそうです。そして、「R-1ぐらんぷり2020」優勝!オリジナルのゲームを作りたかった少年が、唯一無二の武器を身に付け、見事、日本一のピン芸人に輝いたのでした。
 
 
(学生時代の野田さん)
野田さんがお笑いに興味を持ったのは、幼稚園の頃。
「こぶとりじいさん」の劇を行なった時、主人公ではなく、“こぶをとる役”だったにも関わらず、ちょっとしたアドリブで大爆笑を巻き起こしたそうです!それ以降、笑いを取る快感を覚えた野田少年は、人前で何か行う時には常にアドリブを入れるようになりました。ご本人曰く、「関西では結構多いことかもしれないけど、神奈川の横浜ではそういう文化が無かったから、一人勝ち状態だった。」と、神奈川で唯一のボケ役を担っていたそうです。笑 そんな流れから、自然と“将来もこういうことを続けていくんだろうなぁ。”と、ご自身の未来を想像しており、小学校の卒業文集には『将来は、スポットライトを浴びたい。』と書いていたのだとか!ネタ作りを始めたのは中学校3年の時。深夜番組で観た、当時若手だった“おぎやはぎ”や“バナナマン”のコントに衝撃を受け、テレビの前で尻もちをついたそうです。笑
「まず、立って観てたんだ。笑」と、優しくツッコむ川島さんに対し、「立ってました。笑 足ガクガクでした。それまでゴールデンの時間帯のコント番組しか観たことなかったから、(深夜のネタ番組)は闇のショーみたいに感じて“お笑いやっべぇな!”ってなりました。」と、興奮した夜を振り返ります。そして、“明日にでもお笑い芸人になろう”と決意し、親にも相談せず、吉本興業宛に『願書希望』というタイトルだけ書き、本文は何も書かずにメールを送ります。自動で定型文が返ってくるものだと思っていた野田さんでしたが、吉本からの返信にびっくり!『何ですか、その頼み方は?』と、明らかに自動では無く、担当者からの怒りの返信が!笑 これによって、“吉本怖っ・・・!!”と、萎縮してしまった野田さん。ダウンタウン・松本さんに憧れて吉本を志望していましたが、一旦、諦めます。笑
高校に進学すると、当時、若者に絶大な人気を誇っていた番組『学校へ行こう!』が、「お笑いインターハイ」という大会を開催します。野田さんは、中学の同級生と“セールスコント”というコンビ名で出場し、見事優勝!「芸歴0年目が一番調子良かった。」と、野田さんは振り返ります。しかし、優勝後、学校ではそこまで野田フィーバーは巻き起こらなかったそうです。というのも、野田さんは、優勝したことで少し調子に乗っていたようで・・・「キャーキャー言われる前に、“キャーキャー言われるだろうなー”って妄想し過ぎていて、1歩、2歩考えが先に進んでいました。登校中や出掛ける時はサングラスと帽子を身に付けて、バレしないようにしていた。」と、心の中がスーパー芸能人になっており、周りからは“勘違いしている人”という、嫌な目立ち方をしていたようです・・・。
その後、学生でありながら地下ライブで芸人デビューした野田さん。“セールスコント”はすぐに解散してしまいますが、ピン芸人を経て、別のコンビを結成。そのコンビで改めて吉本のオーディションを受け直しました。一度は怖くて諦めた吉本ですが、『学校へ行こう!』の看板を背負った野田さんは怖いもの知らず。“取りこぼしていいのか?俺という男を。”といった強気で挑み、吉本に入りました。笑
しかし、入所後は苦難の日々。松本さんからの影響を受けたお笑いスタイルで勝負をしますが、ライブでは常に最下位。学生の中では面白くても、プロの世界では通用しなかったと言います。17歳で、挫折を味わった野田さん。また、周りの芸人は同期でも歳上の人ばかりで、仲良くなれず孤立していきました。「あんなに明るくて、目立ちたがり屋の野田少年が性格を捻じ曲げられたのがあの時ですね。」とおっしゃるほど悩んだ時期・・・。再びコンビも解散してしまいます。しかし、芸人を辞める選択は野田さんの頭にありませんでした。むしろ、辞められなかったそうです。「辞めたら馬鹿にされると思ってた。“学校へ行こう!”に出てたノリがあり、周りとは違うという思いがあったから、辞めるわけにはいかなかった。」と、当時の葛藤を語って下さいました。
 
 
(デビュー当時のお写真)
“野田クリスタル”として、ピン芸人で活動を始めた野田さん。オールバックにブリーフという出で立ちで、奇抜なネタを行っていました。なかなか日の目を浴びない日々に心が荒んでいき・・・“ウケている芸人はダサイ”と思い始め、アンケートで酷評される方が嬉しいと感じるようになったそうです・・・。そんなどん底状態のなか、村上さんと出会います。ピンで活動していた野田さんのことを面白いと思った村上さんが声をかけ、2007年に“マヂカルラブリー”を結成。すると、結成2年目で『M-1
グランプリ』の準決勝にまで進出。普段のライブでは、平成ノブシコブシ、ピース、パンサーなど、人気芸人に勝てませんでしたが、“M-1では勝てる”という自信が付きます。そこからは、M-1にしがみ付き、努力を続けました。
そして、2017年に、悲願の決勝に進出。決勝進出が決まった時の心境を「僕の中ではもうエンドロールが流れてました。コンビ結成して10年間、ずっとM-1にしがみ付いてやってきた人間からすると、決勝にまで行くまでが1つのストーリーであり、ゴールなんです。」と、教えてくださり、決勝の舞台はウイニングランとして楽しむ予定でした。しかし、野田さんのエンドロールには、まさかの急展開が!
ご存知の方も多いかもしれませんが、決勝のネタ終了後、得点が最下位になったマヂカルラブリーを上沼恵美子さんが酷評!今思えば愛のムチですが、その場では野田さんは上手く対応することが出来ず、最終的には生放送で服を脱ごうとするなどの奇行に走ります!笑 「色々ありましたね。」と、エンドロール後の悪夢を今では落ち着いて話す野田さん。その後、しっかりとリベンジを果たします。2020年、『R-1ぐらんぷり』で優勝した勢いそのままに、マヂカルラブリーとして『M-1
グランプリ』も優勝!
激動の芸人人生。どん底のなか“終わった”と思う瞬間は何度もあったそうですが、それでも辞めなかったのは、野田さんのなかに、ある考えがあったからでした。“芸人とは職業ではなく、種族”。途中で変えられるモノではないと考えています。芸人は芸人になった時点で、ずっと芸人。だからこそ、追い込まれてしまう時もありますが、続けるしか選択肢はありませんでした。“地下芸人のカリスマ”と呼ばれていた野田さんが、地上で大活躍し始めた裏側には、様々な想いと苦労が詰まっていたのですね!
 
 
野田さんがこれまでに衝撃を受けた言葉は、タモリさんからの一言。『タモリ倶楽部』に出演し、初めてタモリさんに会った時、タモリさんは野田さんのことを何も知らない状態でしたが、会ってすぐ、「君、真剣に生きてるね。」という言葉を掛けられたそうです!その一言で、ご自身の人生を振り返った野田さんは、筋トレやゲーム作り、もちろんお笑いも含め、“俺って真剣に生きてるな。真面目とか、頑張ってるじゃなくて、必死だな”と、改めて気付かせてくれたと言います。占い師のようなタモリさんの核心を突くお言葉。そして、この話を何故か羨ましそうに聞く川島さん・・・。実は、『笑っていいとも!』に初めて出演した際、川島さんはタモリさんからこんな言葉を頂いたそうです。「下駄みたいな顔してるね。」
これには、“皆の足を支える”といったような深い意味はなく・・・おそらく言葉通りの意味で、深掘りしてはいけません!笑
その後、『タモリ倶楽部』に初めて出演した際には、「いいとも!」での共演を忘れていたであろうタモリさんから、「台湾の獅子舞みたいな顔してるね。」と言われたそうです。笑
 
 
野田さんは、7月28日に、『スーパー野田ゲーWORLD』を発売。こちらは、野田さんが新しく開発された、『スーパー野田ゲーPARTY』以来のゲーム!ダウンロード版の発売で、お値段はなんと1600円!クラウドファンディング等で集めた資金を基に、3Dゲームやオンライン対戦も出来るミニゲームが20本入っています。開発時は、1ゲームあたり80円の換算になることに思い悩んだこともあったそうですが・・・(笑)、お求めやすいお値段によって、多くの人が楽しめる作品となっております!
Switchをお持ちの方は、是非購入してみてくださいね!
 
 
野田さんのエウレカは、“どうやらウケた方が良い”ということ。これは、マヂカルラブリーを結成した2007年頃の気付きだそうです。過去には、“ウケている芸人はダサい”と思っていた時期もありましたが、やはり芸人はウケてこその存在!芸人を始めた頃はもちろん分かっていた事ですが、時間が経ち、苦悩や葛藤のなかで、大事なことを忘れてしまう場合があります。だからこそ、今の若手の方々も色んな紆余曲折があり、ブレることもあると思いますが、このエウレカだけは忘れないで欲しいと、野田さんは最後に力説!16歳から芸人として闘い、ピンでもコンビでも頂点を極めた野田さんだからこそ、説得力がありますね!
 
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