PASSENGER DIARIES

EDC 営業日誌(過去のお客様)

2022年8月13日放送

Passenger

伊集院光

本日のお客様は、伊集院光様。
1967年生まれ、東京都出身。1984年、三遊亭楽太郎(現・6代目三遊亭円楽)に弟子入りし、落語家・三遊亭楽大として活動を開始。1987年頃より伊集院光としてラジオ番組に出演。1988年からは、『オールナイトニッポン』のパーソナリティに抜擢されます。その後、現在も続く、TBSラジオの深夜番組『伊集院光 深夜の馬鹿力』で、幅広い世代から圧倒的な支持を集めます。2003年には、『伊集院光 日曜日の秘密基地』(TBSラジオ)のパーソナリティとして「第40回 ギャラクシー賞」ラジオ部門のDJパーソナリティ賞を受賞!また、ラジオ以外でも、数多くのテレビ番組に出演されています。本日は、そんな伊集院さんのラジオ、テレビ、そして落語家時代のお話まで、幅広くお伺いしました!

 

 

 

〜裏回し〜

数多くの番組で共演しているものの、じっくり話すのは今回が初めてのお二人。早速ですが、伊集院さんは川島さんと話したいテーマがあるそうです!それは、近年のバラエティでよく使われ、一般の方も聞き馴染んできた“裏回し”というテレビ業界用語について。“裏回し”とは、メインのMCではなく、ひな壇芸人などが全体の展開や意図を汲み取りながら、進行をサポートすることを指します。伊集院さんは、このテーマについて、テレビではあまり喋りたくないそうで、また、“裏回し”についてテレビで語る芸人さんは好きじゃないそうですが・・・(笑) ラジオで、川島さんとならば、語り合いたいとのこと!実は、昨年放送された「人志松本の酒のツマミになる話」にて、川島さんの“裏回しが凄い!” と、ついテレビで喋った伊集院さん。“裏回し”という言葉が浸透して、若手は、自分は裏回し担当だという決意と気合いで番組に臨むようになり、“俺の裏回し凄いだろ!また使ってくれ!”という感じが前面に出てきていることに警鐘を鳴らし、その一方で「川島君の裏回しは自分を前面に出さない。意外とカメラに抜かれていないことが多い。」とおっしゃり、自分自身の為ではなく、裏に徹して声だけで成立させている川島さんを絶賛!川島さんこの番組をリアルタイムで観ていたようで、突然自分の名前が挙がり、さらには伊集院さんに褒めて頂けたことがとても嬉しかったそうです!また、「画面に映らない裏回しの方が、番組全体が面白いだろうって事は意識している。」と話します。伊集院さんも、ラジオ番組でジェスチャーをしながら説明するゲストに対して、「今、パーを出してますけど。」とさりげなく補足を入れたり、テレビ番組で、観た人によっては怒ってしまうような発言が出た際は、「個人差ありますけどね。」と隙間にフォローを入れることが習慣になっています。フォローされた芸人や番組ディレクターからあとで感謝されることは嬉しいそうですが、一方で、“タレントとしてそれでいいのか・・・?”という思いもあり、「54歳まで芸能界で生き延びてこれたのは、フォローを頑張ってきたからなのか?もしくは、もっと前へ前へ出ていたらもっと売れていたのか?という悩みはある。この年齢だからもう諦めた部分もあるけど。」と明かしてくださいました。伊集院さんの話を聞き、川島さんはある出来事を思い出します。それは、土田晃之さんに言われた一言。
10年数年前、相方の田村さんが『ホームレス中学生』を出版して大ブレークしたあと、“じゃない方芸人”だった川島さんは深夜番組によく出演していました。そこで一生懸命頑張っていると、スタッフの方から収録後、「今日は川島くんの裏回しがあって助かったよ。」と言われたそうです。そこで、“裏回し”という形で生き残る道があると気付いた川島さんは、その後1年間、その役割に徹したそうです。すると、ある番組の打ち上げで土田さんと初めてご一緒した際、「川島くん、裏回しすごく頑張ってるでしょ。でも、裏回しばっかりしてると表に出られなくなるから気をつけなよ。」と、アドバイスを受けたそうです。「もともとボケの人間なんで、“俺が!”っていう時もあるんですけど、その一言がなかったら、本当に便利屋で終わってたんだろうな。」と、土田さんに今でも感謝している川島さんは、“必要な時は表で活躍する”ということを心掛け、弾ける時は弾けるようにしました。今では、そんな川島さんを、理解している後輩芸人がしっかりとフォローしてくれるそうです!
そして、次に伊集院さんが川島さんを讃えたポイントは、吉本以外の共演者にも丁寧なところ。裏回しの話にも通じますが、吉本芸人は長年の付き合いから、結束が強く、贔屓している訳では無くともが “頑張って先輩をフォローしよう!”“後輩を頑張らせよう!”という想いがあるように感じるそうです。伊集院さんも、その関係性を羨ましく思うと同時に、“その吉本トライアングルに入れねーよ!”という時がたまにあると言います。笑 しかし、そんななか、川島さんとフットボールアワーの後藤さんは、他事務所の芸人やアイドルに対してもちゃんとしていると分析します。この分析に対して川島さんは、もともとの環境が影響していると話します。大阪を拠点に活動していた頃、人見知りの性格が影響してあまり先輩に可愛がってもらえず…そのため、吉本特有の団体芸に上手く溶け込めない時期があり、吉本所属ではありますが、他事務所の芸人と同じ感覚も持ち合わせていたそうです。この話に伊集院さんは納得。和歌山出身の奥様の実家でテレビを観ていた際、関西では吉本芸人のみが出演している番組が沢山放送されていることに驚き、“ここで、120点の立ち回りをしている芸人さんでも、吉本外の芸人や、芸人以外のタレントも多く出る東京の番組を難しく思うだろうな・・・”と、関西と関東の番組のテイストの違いを感じたと言います。これに川島さんも「大阪でブレイクした人こそ、形が決まっているため東京ではすごく難しい。大阪は出演者全員が芸人の番組も多いが、東京の番組は芸人1組に対して文化人やアイドルなど、1組ずつそこの代表が出る番組が多いですからね。」と言い、続けて「ただ、僕は関西の番組で上手くいかなかったという所がある。だから、東京の番組では、“私もそっちにいましたよ”という、中立な感覚があるため、他の方に優しいんだと思います。」と、自分なりの経験が生かされている事を伝えました。
ちなみに伊集院さんはかつてテレビ番組で、5分話してやっと“オチ”に持っていけるという所で、テレビに出始めた頃のローラさんに、「伊集院さん、おでこの所、“ポコッ”って膨らんでるのどうして?」と、突然ぶっ込まれたそうで・・・笑 “いやいや、違うんだって!今、話を5分組み立てて、ようやく最後のオチなんだけど・・・”と、内心焦ったそうですが、「伊集院さんさっきから思ってたんだけど、おでこがポコッて…」と、何度も聞いてくるローラさんを無視することが出来ず、「いや、中学の時からそうなんだけど・・・」と答え、結局、笑いをローラさんに持っていかれたことがあるそうです!笑

 

 


(幼少期の伊集院さん)

〜落語〜

ラジオスターの伊集院さんですが、芸能人生の始まりは落語家。高校2年の終わり頃、学校を中退して落語家の道へ進む事を決意されます。当時、世間は“漫才ブーム”。お笑い好きは漫才師を目指す人が多いなか、伊集院さんは少しひねくれていたらしく、あえて落語をやってみようとなったそうです!そして、親戚のおじさんの知り合いに『円楽一門』と繋がっている方がいて、相談してみると、「君みたいな若い人は、若い師匠の方が良い」と言われ、当時35〜36歳だった三遊亭楽太郎さん(現・6代目三遊亭円楽師匠)を紹介されました。弟子入りをお願いする際、伊集院さんは“これは、何度断られても毎日座り込んでお願いをするやつだ!”と、覚悟していましたが、まだ遊びたい気持ちも残っている年頃。時期が夏休みだったこともあり、多少エンジョイしたかった伊集院さんは、週に1回のペースで座り込むことを決意!笑 そして、夏休みの初日に、“最初だから確実に断られるだろうな・・・”と思いながら初めて弟子入り志願に。すると、早速弟子入りが許されたそうです!実はこれには裏話があり、伊集院さんもかなり後で知ったそうですが、紹介してくれた親戚の知り合いの方は、楽太郎さんの師匠の5代目三遊亭圓楽さんの“実弟”だったそうです!つまり、楽太郎さんには受け入れるしか選択肢はなく・・・!笑 こうして、まさかの“極太パイプ”で落語になった伊集院さんは、当時のことを、「嬉しさと、夏休み遊ぶ計画が全部無くなった悲しみとで、複雑な気持ちだった。」と振り返りました。笑

 

 

〜ラジオの道へ〜

通い弟子から始まり、三遊亭楽大という名前で修行することになった伊集院さん。しかし落語界は、廃業する人も多い厳しい世界。伊集院さんのことを一番良くしてくれた兄弟子も辞めて、放送作家に転身。その兄弟子は、新しく始まるラジオのオーディション番組を担当することになり、伊集院さんに出演オファーをしてきました。このラジオ番組は、当時『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』や『オレたちひょうきん族』など大人気テレビ番組と同時間帯(土曜・20時〜)の放送。お笑いファンはみんなテレビを観てしまうため、出場者がなかなか来ない状況でした。元兄弟子の力になりたい伊集院さんでしたが、落語界は強い掟があり、修行時代に弟子が勝手にメディアに出ることは許されません。兄弟子に一言説明をしてもらい師匠の許可を貰おうと思いましたが、兄弟子も辞めた手前、師匠のもとに行きづらい状況・・・。そこで2人が出した答えは、“ラジオだから、顔の想像のできない芸名を付け、師匠にバレないようにする”ということ!“二枚目の名前を付けよう!”と話し合い、生まれたのが『伊集院光』でした。そして、このオーディション番組で優勝した伊集院さんは、優勝特典として朝の番組のレポーターの仕事を頂きます。しかし、落語の世界で頑張りたいと思っていたため、“伊集院光”の仕事に関しては、“怒られてもいいから、デタラメなことをしよう!”と割り切っていました。例えば、動物園で働いてる人のレポートに行った時には、「いろいろ質問事項をディレクターがまとめてくれたんですけど、これをヤギに食べさせま〜す!」と、朝からかなり破天荒なレポートを!笑 しかし、いい意味で緊張感の無い伊集院さんのレポートは、ご自身の思いとは裏腹に認められいきます。そして、“深夜ラジオっぽいな!”という話になり、『オールナイトニッポン』に抜擢されるのです!一方、三遊亭楽大としても『新人演芸コンクール』の決勝に出場するなど、着実に実力を付けていた頃。昼は落語家、夜はラジオパーソナリティという二つの顔を持った伊集院さんは当時のことを、「本当に疲れました。師匠には毎週嘘をついてラジオに行っていた。」と、振り返ります。ネットが普及していない時代ということもあり、しばらくの間、“伊集院光=三遊亭楽大”だとは誰も気付きませんでしたが、ここである事件が!
ラジオでの活躍が認められ、ニッポン放送のステーションキャンペーンのメインパーソナリティを1ヶ月務めることになり、ラジオ局には、伊集院さんのポスターが大きく飾られました。時を同じくして、弟子として位が上がった三遊亭楽大を、楽太郎師匠は売り出すことにします。そして、まず向かったのが“伊集院光”のホームでもあるニッポン放送!局に着けば、真っ先にポスターが目に入ることが分かっていた伊集院さんは、到着寸前に師匠に自白。掟を破り、勝手にラジオ番組に出演していたことで破門すら覚悟していましたが、師匠は驚くほど寛大でした。「何でもやってみたほうが良い。」と許してくれたのです!一方で、楽太郎さんは師匠である5代目圓楽さんに怒られたと言います。伊集院さんが、三遊亭楽大を名乗らずにラジオに出ていることを、“三遊亭という屋号が恥ずかしいから”と、事実とは異なる伝わり方をしていたそうで、楽太郎さんは呼び出されてしまったのです。もちろん、この事は伊集院さんの耳にも届きます。しかし、5代目圓楽さんから「お前の弟子はどうなっている?」と、詰められた楽太郎さんは、「うちの弟子はやらなきゃ分からないバカなので、しばらくやらせようと思ってます。」とかばってくれたそうです。なぜそこまでしてかばってくれたのか・・・伊集院さんは分からなかったそうですが、だいぶ後になって知った事実が。実は楽太郎師匠が落語の世界に入った時は、落語界が様々な問題で揺れており、新しい弟子を取ることを禁止する令が出ていた時期。しかし、落語への想いが強かった楽太郎さんは、学生アルバイトというテイで、内弟子をされていたそうです。他の師匠の前では学生の姿で過ごし、裏では内弟子として落語を教わる日々。そんな、二面生活を送られてきた過去があるため、“隠し通す”大変さを身をもって知っていたのでした。だからこそ、楽太郎さんは弟子が二つの顔を持ち活動していたことに対しても、寛大だったのではないか、と伊集院さんは推測されます。

 


(三遊亭楽大時代の伊集院さん)

1990年ごろ、伊集院さんはラジオ出演の件もあり、自主廃業して落語界から離れることに。当時のことを、「(若さもあって)途中でやっぱりチヤホヤしてくれるラジオが楽しくなってくるんですよね。そして、今でも思いますけどやっぱり落語は難しいんですよ。」とお話に。“落語は難しい”という点では、落語界の巨匠・立川談志さんの影響も大きかったそうです。落語家として力を付けるため、談志師匠の落語も研究されていた伊集院さんでしたが、聞けば聞くほど段違いの上手さを感じていました。「談志師匠が60歳でやっている落語を聞いたらそりゃ敵わない。だけど、若い頃の落語だったらと思って談志師匠が自分と同い年くらいの、10〜20代の頃の落語を聞いたけど、段違いに上手いんですよ。もうノイローゼになるくらい上手い。勝てないどころではなく、考え方が違う。俺のやってることは落語ではないと思うぐらい。」とおっしゃいます。まだ若かった伊集院さんは様々なことが重なり、落語家としての心が折れてしまったのです。そして時を経て、伊集院さんのラジオ番組に談志師匠がゲスト出演されたことがありました。その際、褒めて貰おうと思い、心が折れた話を伝えると、「いい言い訳が見つかったってことだな。」と言われ、続けて「人間“嫌いになる”とか“好きになる”ってことに、そんなに細かい理屈はない。要するに落語は辞めたかった。でも、自分が学校を辞めてまで入った落語界を何となくでは辞められない。そこに“名人・談志の若い頃のテープを聞いたら心が折れました”は、何となく座りがいいじゃねえか。だから、お前自身は本当だと思って言ったはずだけど、嘘だな。」とおっしゃられたそうです。この言葉を聞いた伊集院さんは、“見抜かれた・・・。”と感じました。

 

 

〜師匠との関係〜

伊集院さんは現在、TBSラジオ『三遊亭円楽のおたよりください!』で、三遊亭円楽師匠と共演中!やはり師匠の前では自然と弟子の三遊亭楽大に戻ってしまうと言います。師匠がラジオ局に来られる時は、地下駐車場までお迎えにあがり、帰りは車が見えなくなるまで頭を下げ続けているそうです。しかし10年ほど前、テレビ朝日『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』に師匠と一緒に出演された時、ある芸人との珍事件が!円楽師匠は休憩中にタバコを吸うため喫煙所へ。伊集院さんは、師匠が次のタバコを出したら火付けるなど、今でも弟子としての対応を取られていたそうですが、同じ喫煙所にアンタッチャブルのザキヤマさんが!すると、ザキヤマさんは平気な顔で「師匠、一本いいっすか?」とタバコをおねだり。笑 円楽師匠は他の芸人さんが懐いてくれるのが嬉しく、「いいよ、いいよ。」と、快く1本あげます。しかし、それはラスト1本のタバコだったらしく、それを見た伊集院さんはダッシュでタバコを買いに売店へ!笑 間接的にザキヤマさんのタバコを買いに行っているような流れに戸惑いはありましたが、師匠のタバコを切らす訳にはいきません。そして、伊集院さんがタバコを買って戻ると、師匠はザキヤマさんに「無いんだったら1箱あげるよ。」と、そのタバコをプレゼント。伊集院さんは再びダッシュで売店へ!!後輩のザキヤマさんの登場により、2度もダッシュさせられてしまいました。笑
そして、脳梗塞のためリハビリを続けていた円楽師匠は、先日8月11日に『8月中席』へ出演され、約7か月ぶりに高座に復帰されました。現在休んでいる『笑点』をネタにしながら、変わらぬ毒舌で笑いをとるなど健在ぶりを見せてくださいました。「みっともなくてもいいから、死ぬまでやります」とも宣言してくれた円楽師匠の姿を、伊集院さんは心の底から喜んだに違いありませんね!

 

 

〜伊集院光さんのエウレカ!(発見・気付き)〜

これまでの人生で見つけたエウレカを聞かれた伊集院さんは、「売れたくて色んな事をしてきたけど、結局子供の頃に時間を忘れるほど楽しかったことの延長にしか、楽しいことはない。」とお答えに。若手芸人に“何をやったら売れますか?” と、相談を受けることもあるそうですが、売れるためにやりたくない事を努力できる人は、芸人の世界に流れ着いてないと考えています。「自分が好きで楽しいことに社会性を少しでも持たせることが出来れば食っていけるぞ。」というお言葉を、円楽師匠からも頂いたこともあるそうで、好きでもないことからネタを作る事は無理だと感じています。伊集院さん自身、学生時代に寄席を観に行ったことがきっかけで落語の世界に入り、その後ラジオの世界へ。当時は、落語からラジオへの転身について、180度違う世界に来た感覚があったそうですが、“1人喋り”という点では共通性がありました。さらに、昨年、約30年ぶりに高座に上がった際、師匠から「毎日ラジオをやってること以上の落語修行はないよ。」という言葉を掛けて頂き、“1人で喋り、人を笑わせたい”ということに関して、1本の線が通っていることを改めて感じたのでした。
そんな、伊集院さんの今後の目標は、“自分の喋りを必要としてくれる人がいてくれたらいい”ということ。例えば、”来週の、あの漫画の続きを見るまでは頑張ろう!”というように、嫌なことがあっても、“来週の伊集院のラジオを聞くまでは頑張ろう!”と、とりあえずの目標になれたらと思っています。“生きがい”にはして欲しくないけど、「今をやり過ごすのに、“あ、自分よりバカがいる!”って笑ってもらえる人になれれば良い。」と謙虚に語る伊集院さん。もう一つの夢として、いつかラヴィットにも出演されたいそうです!!

 

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