EDC 営業日誌(過去のお客様)
2022年7月16日放送
本日のお客様は、FUJIWARAの藤本敏史様。
1970年、大阪府出身。相方の原西孝幸さんと1989年にお笑いコンビ「FUJIWARA」を結成。1991年からは、雨上がり決死隊、ナインティナインなどとともに、「吉本印天然素材」のメンバーとして活躍。また、“ガヤ芸人”のパイオニア的存在の藤本さんは、“フジモン”の愛称で親しまれ、現在も数多くのバラエティ番組に出演されています!川島さんにとっては、8歳年上の先輩。実は、スタイリストさんが一緒という共通点を持つお二人が、ドライブに出掛けました!
 
 
藤本さんはドライブ中、よく『TOKYO FM』を聴いてらっしゃるそうです。『土曜日のエウレカ』も聴いてくださっていて、今回ご自身が出演された喜びを、「ギザウレシス。いや、ギザの上のギガントウレシスって感じかな〜。」と、しょこたん語で伝えますが、「ウレシすな〜・・・いや、フジモンは〜」と、軽く受け流す川島さん。笑 あまりのスルーっぷりに驚いた藤本さんは、慌てて「何かツッコめや!笑」と指摘しますが、川島さんもツッコまない理由があったそうで、「“そんなの要らんねん!”ってツッコんでも聞かないでしょ? “ウケたい”というより、自分の言いたい欲を満たしたいだけでしょ。」と藤本さんの特性を把握しているようです。藤本さんは、“俺は強くツッコまれた方が自分の良さが出るとこあるやん・・・”とモジモジしていましたが、しっかりと車線変更された川島さん。ここからは、お二人の関係性について!
 
 
数多くの番組で共演しているお二人ですが、1対1でじっくり話す機会はあまりないそうです。ですがつい最近、楽しかった思い出が!コロナ禍が落ち着きを見せていた時期に、お二人は共演後に食事へ。そしてその後、川島さんからの提案でカラオケに行ったそうです。メンバーは、お二人に加え“銀シャリ”の橋本さん、途中から“ライス”の関町さんも加わりました。普段は落ち着いた印象のある川島さんですが、この日は久しぶりの飲み会ということもあり、テンション高め!そして、藤本さんと二人で“モーニング娘。”の曲のみを3時間熱唱!笑 藤本さんは元々、“モーニング娘。”が大好きで、ダンスを完コピ出来ます。川島さんは「あんな楽しいカラオケ今までに無かった。“モーニング娘。”と歌ってるぐらい楽しかった。」と振り返ります。一方で藤本さんは、そんなご機嫌過ぎる川島さんを見て、逆に、“普段多忙すぎて、ストレス溜まってんのかな〜”と、一瞬思ったのだとか。笑
話は一転、こんな楽しいカラオケでしたが、途中参加だった関町さんは最後にこんな言葉を残したそうです。「藤本と川島には、もう一生敬語は使わないからな!お前たちは尊敬する価値がない!」
なぜこんな言葉を残したのか・・・実は、この言葉には納得の理由が!
藤本さんから「カラオケで飲んでるからおいで〜」と、誘われた関町さん。“熱いお笑いの話でも出来るのかな?”と、少し緊張気味にカラオケにやってきたそうですが、この時すでに、藤本さん・川島さんの“モーニング娘。Live”は、最高潮の盛り上がりをみせていました。ひとりだけお酒も入っていない関町さんに対して、川島さんは熱唱しながらマイクを向けて“合いの手”を求めるなどノリノリ!笑 横で全力でダンスをしていた藤本さんは、当時の現場を「川島が大喜利っぽくマイクを向けたから、関町がスベった。」「夜中の1時にシラフの状態で来たら、テンション追いつくの大変。」と、関町さんが怒った理由を川島さんの責任にしていました。笑
ですが、川島さんがはしゃぎ過ぎたのには“ある想い”があったそうで、話は20年ほど前に遡ります。
(FUJIWARAのYouTubeチャンネル「FUJIWARA超合キーン」で、ダンスを踊る藤本さん)
1999年3月に、ダウンタウン・今田耕司・千原兄弟などを輩出した『2丁目劇場』が閉館。そして、次の若手芸人の拠点として同年9月に開館されたのが、『baseよしもと』でした。1999年に結成した“麒麟”は、『baseよしもと』が初舞台で、劇場の中では一番下っ端の存在。その時、トップを張っていたのがFUJIWARAさんでした。川島さんにとって藤本さんは憧れの存在であり、スーパースター。(今は、親しみも込めてナメているそうですが・・・。笑) 当時、FUJIWARAさんは、二丁拳銃さんとともに「吉本超合金」というバラエティ番組で、若い世代から絶大な人気を誇っていた時期。そして、FUJIWARAさんを筆頭とする“baseよしもと”の勢いは物凄く、2002年と2003年、『base SUMMER SMILE』というイベントを開催し、3万人ものお客さんを集めました。芸人だけが出演して3万人を集める、前代未聞のイベント。しかし、2〜3時間のイベントで漫才やコントをするだけでは時間が持たないということで、モーニング娘。・浜崎あゆみ・SMAP・V6などの当時流行りの曲を芸人が歌唱するパートも用意されていました。しかし、20年前の若手芸人は尖っている時期。“俺たちは漫才やコントで天下取るためにこの世界に入ったんだ!”という想いが強く、アイドルの格好をして歌やダンスの練習を行うことに徐々に不満が・・・。そんな芸人達が不満を漏らすなか、ただ1人、堂々と全力でモーニング娘。のダンスを練習していたのが藤本さん!笑 イベントのリーダーでもあった藤本さんは、“俺が「なっち役」を担当する!”と、深夜までやる気満々で練習されていたのだとか!一方、川島さんは、まだエキストラのような役割しかなく、テンダラーの浜本さんがマイケル・ジャクソンの「スリラー」を歌うときに、バックで踊るゾンビ役などを担当・・・。様々な想いはありますが、3万人を前に、ステージの中心でモーニング娘。を披露して、黄色い歓声を受けていた藤本さんを袖で見ていた川島さん。だからこそ、20年の時を経て一緒にカラオケで“モーニング娘。”を歌えるようになったことが、嬉しくもあり感慨深いモノでした。運悪く(!?)、そんなタイミングに鉢合わせてしまった関町さん!是非、川島さんを許してあげてください!笑
 
 
とにかくお仕事が楽しいと話す藤本さん。特に楽屋で誰かとお喋りするのが大好きで、入り時間より早く来て、喋り相手を探し、自分の出番が終わっても帰らないそうです!笑 千原ジュニアさんのYouTubeチャンネルで舞台裏が公開されていますが、ジュニアさんとケンドーコバヤシさんのトーク番組『にけつッ!!』に、ケンドーコバヤシさんの代役として出演することになった藤本さんは、3本録りの1本目でゲスト出演。2本目にサバンナ高橋さん、3本目に陣内智則さんがご出演されました。そして、3本目の収録を終えたジュニアさんと陣内さんが廊下で談笑していると、楽屋の扉が開き藤本さんが登場!笑 2〜3時間前に収録を終えている藤本さんがまだ楽屋にいたことに、陣内さんも「まだ居んのかい!」と、驚きのあまりツッコんでいました!笑
 
 
ガヤ芸人としても知られる藤本さんは、情報収集を常に行っています。また、この情報量は、バラエティで活躍する鍵なのだとか!有吉さんや川島さん、ケンドーコバヤシさんなど、バラエティで活躍する芸人は物知りな人が多いと分析している藤本さん。川島さんはこの事について、「これはもう確変に入っているというか、いろんな番組に出させて頂き、プロが作ったVTRを見ているから、そこから吸収することが出来る。」と話し、お金を頂きながら授業を受けている感覚なのだとか。ここで川島さんは、情報量も大事だが、藤本さんの情報には“覚えていなくても良いものがあるのでは?”と指摘します。笑 例えば、相原勇さんが、“ピーター・パンを演じるために芸能界に入った”という情報や、サンプラザ中野くんが、“腰痛のため、フローリングにそのまま寝る健康法を実施している”など、他の方があまり覚えていない(覚えていてももう使わない・・・)情報を、藤本さんはたくさん記憶しています。使い所が難しそうな情報ですが、誰かがフローリングで寝てたら「いや、サンプラザ中野くんか!」とツッコむ日を待ち望んでいるそうです。笑 そんな、幅広い情報を集めている藤本さんは、最近、楽屋でお菓子を食べながらTikTokを見て情報収取するのが日課なのだとか!笑
 
 
(デビュー当時のFUJIWARA)
幼少期からお笑いが大好きだった藤本さんは、ドリフターズ、ひょうきん族を通り、そしてダウンタウンに夢中になりました。「2丁目劇場」にも足繁く通い、出待ちしているファンの方から声援を受けているダウンタウンさんを見て、“お笑いってこんなに黄色い声を浴びるんだ!”と、憧れを抱いたと言います。その後、1989年に高校の同級生だった原西孝幸さんと大阪NSC8期生として吉本興業へ。同期には、千原兄弟・なだぎ武・バッファロー五郎など実力者が揃っていました。そしてFUJIWARAのお二人は、1991年に若手ユニット「吉本印天然素材(以下、天素)」のメンバーに選ばれます。ナインティナインと雨上がり決死隊を中心とした天素は全国で大人気に!ライブチケットは即完、有名芸能人もよく観に来ていたそうです。拠点も東京に移し、さらに人気を広げていき、“これは売れるエレベーターに乗れた!”と、藤本さん自身も思っていましたが、天素の人気にも衰えが・・・そして1999年に解散。そこからは苦労の日々が続きました。中心メンバーだったナインティナインや雨上がり決死隊は、東京での仕事がありましたが、他のメンバーは2ヶ月ほど休みという時期もあったそうですFUJIWARAは、大阪に戻り活動することを決断しましたが、それまでの拠点が東京だったということもあり、大阪には相談するスタッフがおらず、居場所を失ってしまったそうです。また、天素の人気が衰え始めたころ、大阪では2丁目劇場を主戦場にしていた千原兄弟や中川家が人気を博しており、関西のバラエティを席巻し、大阪城ホールで大規模なイベントを行うほど。その勢いは凄く、悔しさが込み上げる藤本さんでしたが、当時、芸人を引退せずに、今まで続けられているモチベーションとなった事件が起こります!それは、大阪城ホールのイベントで、千原兄弟・せいじさんが歌った、クレヨンしんちゃんの主題歌「オラは人気者」が物凄くスベっていたのを観たこと。笑 性格が卑屈になっていた時期に、人気者がスベった様子を観た藤本さんは嬉しくなり、「あれがあったから、辞めずに芸人を続けることができた。」と振り返りました。笑
 
 
(吉本印天然素材の時のFUJIWARAさん)
天素解散後、辛い日々が続きましたが、FUJIWARAと二丁拳銃の番組「吉本超合金」が人気となり、改めて実力を評価されます。しかし、番組の終わりと同時にまた仕事が無くなってしまったFUJIWARAのお二人。大阪での仕事が全く無い状況が続き、東京に行くしか選択肢がなかったと言います。今の関西芸人は、大阪で人気者になり、東京の仕事にも呼ばれるようになってから上京するケースがほとんどですが、FUJIWARAはゼロからのスタートとして、2度目の上京をすることに。ちょくちょくと仕事は頂けたそうですが、困ったこともあったそうです。それは、くりぃむしちゅーやナインティナインなど、MCを含め共演者がだいたい後輩だということ。これについては、後輩と共演するのが苦手という訳ではなく、“番組を作っているスタッフの方々が、FUJIWARAの扱い方に気を遣ってしまう点”に、苦労されたそうです。今では、FUJIWARAのお二人の芸風は誰もが知っていますが、当時は、“MCより先輩だから、あんまりイジらない方が良いのかな?”といった制作側の配慮をひしひしと感じ、自分たちのキャラを理解してもらうのに時間がかかったそうです。“それについて、コンビで話し合ったりしたんですか?”という川島さんの質問には、「してない。俺が外交係のような役割があったから、俺がするべきだと思った」とおっしゃり、藤本さんが積極的にFUJIWARAの芸風をスタッフさんに広めていったそうです。相方の原西さんについて、「原西さんは職人じゃないですか。楽屋でも朝から晩まで跡が付くほどずっと座っている。一歩も動かず、何も食べず、全身黄色いタイツを着て。笑」と川島さんが話すと、藤本さんは反射的に“黄色いタイツ”に反応!「やめろって、ちょくちょく俺らのヒーローショーのコント(原西さんが黄色いタイツでヒーローを演じるコント)をイジるの!笑 何回やってると思ってんねん!もう2000回くらいやってるからな、営業でも舞台でもヒーローショーのコントしかやってないからな!」と、ツッコみ、“劇団四季の「ライオンキング」の公演回数より超えるのでは?”と、密かに思っているそうです。笑 話は逸れましたが、原西さんは職人気質な人見知りタイプ。ですが、一緒にカラオケを楽しんだ藤本さんですら知らない川島さんの連絡先を原西さんは知っているそうです!「えっ!?」と驚く藤本さんに、川島さんは交換した経緯を説明。
通っている美容室が一緒だったことがあるお二人。川島さんが美容院に行くと、前髪を切っている原西さんが居たそうで、挨拶を交わしたところ、原西さんの方から“一緒に写真を撮ろう!”と急に提案が。川島さんは、もちろん快諾して撮影した後、「この写真送るから、LINE教えて。」と言われ、交換したそうです。しかし、その写真が1枚が送られてきただけで、その後、ご飯の誘いなどの連絡は無いそうで・・・本当に写真を送るためだけの交換だったのか・・・原西さんの不可解な行動に、“ホンマにゴリラやな。”と、川島さんは思ったそうです。笑
しかし、この話を聞いた藤本さんは、原西さんになぜか嫉妬!笑 「連絡先消して!そこから何か交流あるの嫌やし。俺の方がお前を笑顔に出来る!川島は俺と居る方がイキイキするって!」と、熱弁されていました。
 
 
宮藤本さんのこれまでの人生の中で見つけた一番のエウレカは、“色々な知識を身に付けておくことは大事だ”ということ。藤本さんは、テレビやスマホだけでなく本などあらゆる所から情報を得ており、飛行機の座席にある、雑誌からでも得れるモノはあると言います。特定の事を学ぼうと思って勉強する訳ではなく、情報を得る事自体を楽しいと思うことで、自然と情報が入り、その知識は人生においても仕事にもおいても役に立つことが!
例えば、女性のタレントが、両頬に手を当てて驚いた表情をしていた時、大抵の人は「ローラみたいになってる!」「ムンクの叫びみたいになってる!」とツッコみますが、知識のある藤本さんは、「(映画)ホーム・アローンのマコーレー・カルキンか!」と、ツッコむことが出来るそうです。笑 ちょっと目線をずらし、皆がギリギリ思い出せる範囲で例えるのが好きな藤本さんは、続いてプライベートで発した絶妙なツッコミも教えてくれました。
競馬をしていた時、楽屋で芸人仲間とレースを観戦。すると、藤本さんが買った馬は、スタートでゲートが開いた瞬間に前足を高く上げ、立ち上がってしまったそうです。そこで、藤本さんは即座に「ナポレオンの有名な絵みたいになってるやないか!」とツッコんだそうです。笑 自分の言葉に、思い出して笑ってしまうほど嬉しそうな藤本さんに対抗するように、川島さんも最近上手く言えたツッコミの話を始めます。
先日の『ラヴィット!』で、“ぼる塾”の三人が、メレンゲを食べられるスイーツ店にロケに行っていました。そこで、ぼる塾の田辺さんがメレンゲを食べながら、「美味しいですね〜。でも、私あれも気になっています!」と、食べている際中に違うスイーツに興味を示します。すると、相方のあんりさんが、「えっ、もう次のこと考えてるの?メレンゲを食べながら。」と言い、そのVTRを観ていた川島さんは即座に、「“オリビアを聴きながら”みたいに言うな!」とツッコミ!笑
「収録番組なら、太字のテロップとか入れてくれるけど、生放送だったから、思ったほどの反応がなかった・・・」と、悔しがる川島さんでしたが、藤本さんは笑いながら、川島さんのスピードとその場の状況に合ったツッコミが好きだと評価。まだまだ、うまいツッコミ選手権をしたそうな藤本さんでしたが、本日のドライブはここまで!続きは是非、連絡先を交換してプライベートでお願いいます!
 
radikoのタイムフリーで聴く