EDC 営業日誌(過去のお客様)
2022年7月2日放送
本日のお客様は、小泉今日子様。
1966年、神奈川県出身。1981年、オーディション番組「スター誕生!」に出場されグランプリを獲得。1982年に、『私の16才』にてアイドル歌手としてデビューされました。キョンキョンの愛称で親しまれ、80年代を代表するアイドルに。1991年には、ご自身で作詞も担当された「あなたに会えてよかった」が、約158万枚のセールスを記録し、「第33回日本レコード大賞」で作詞賞とゴールドディスク賞を受賞。その後も、歌手、俳優、文筆家、プロデューサー、株式会社明後日の代表取締役など、様々なジャンルでご活躍される小泉さんは、今年でデビュー40周年!そんな記念すべき年に、ご自身の40年を振り返り、未来を考えるドライブに出掛けました!
 
 
川島さんが小泉さんとお会いするのは本日で2度目。約10年前に一度共演して、“その時のことが忘れられない” と川島さんは思い出を語り始めます。お二人が共演したのは、小籔千豊さんが主催する音楽フェスティバル『コヤブソニック2011』。このイベントは、音楽のみならずお笑いにも重点を置き、アーティストと芸人が交互に出演。ここに“麒麟”も参加していました。小泉さんはもちろんアーティストとして参加されており、「学園天国」を披露された時の会場の盛り上がりは凄かったそうです。フェス終演後には出演者全員での打ち上げがあり、打ち上げ終了後は、各々のグループで2次会へ。小籔さんや川島さんは、別れ際、小泉さんに「本日はありがとうございました。」とお礼を伝えると、小泉さんは「私も2次会行きます!」とまさかの返答。「気を遣っていただかなくてもいいですよ」と話す小藪さんでしたが、小泉さんは本気!笑 個室がない大衆居酒屋を予約していた芸人グループは、“キョンキョンが行ける所じゃない!パニックになってしまう!”と焦り始め、小泉さんが来ても安全な所を探した結果、『なんばグランド花月』のロビーを確保!ロビーはボックスシートが並んでいるだけの空間で、“そんな所に連れて行くのは申し訳ないな・・・”と思いましたが、「行ってみたい!」とノリノリな小泉さん。笑 こうして、『なんばグランド花月』のロビーで2次会をすることになったそうです。小泉さんもこの出来事は覚えており、「楽しかった。小藪さんに劇場の楽屋も案内してもらいました」と振り返りました。気さくで、優しい小泉さんに芸人の皆さんもとても楽しくなり、2次会は朝まで続いたそうです!
 
 
(デビュー直前、15歳の小泉さん。)
小泉さんのデビューは1982年、16歳の時でした。きっかけは、数々のスターを輩出した日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』。当時、小泉さんが通っていた神奈川県の学校では、東京に近いということもあり、“誰が1番早くテレビに出られるか”を競い合うのが流行っていたそうです。友達からオーディション番組への応募を薦められた小泉さんもハガキを送ってみることに。(当時は、顔写真は必要なく、名前と住所と生年月日ぐらいで良かったそうです!) すると、ご自身も送ったことを忘れていた頃に通過のお手紙が届き、「2日後にオーディションがあるので来てください。」と書かれていました。日程が急なこともあり参加する気は無かったそうですが、“応募すると本当に返事が来るんだ!”と驚いた小泉さんはお姉様に報告。するとお姉様は、そのオーディションの日に大好きな“郷ひろみさん”が生放送に出演することに気付きます。同じ日本テレビということで、“もしかしたら郷ひろみに会えるかも!”と胸を膨らませたお姉様は「私が付いて行ってあげるよ!」と同伴を約束。そんな流れから小泉さんはオーディションに参加することになりました。1次審査には多くの参加者がいて、審査内容は1フレーズのみの歌唱。これに見事合格され、待っていたお姉様に報告。すると、お姉様は「知らないよ!」と、何故か不機嫌でした。続けて「この辺りは店も無いし、探したけど郷ひろみさんにも会えない。靴ズレして足も痛いから先に帰る!」と言って、小泉さんを置いて帰ってしまいました。実は当時、1人で電車も乗れないほど“末っ子気質”だったという小泉さんは、お姉様が帰ってしまったことで不安に・・・。しかし、すぐに2次審査に参加しなくてはならず、しかたなく会場に戻ります。そこで、だんだんと不安がお姉さまへの憤りに変わってきた小泉さん。笑 “なんて無責任なんだ!”と怒りを滲ませながら挑んだ2次審査は、気持ち(怒り)がお姉さまに向いており、大勢の審査員の前で歌を披露しましたが、全く緊張しなかったそうです。笑 2次審査では、イギリスで活動していたポップグループ・ノーランズの曲を、石野真子さんがカバーした曲「恋のハッピー・デート」を歌い、見事合格。こうして、小泉さんはスターへの階段を登っていくことになるのです。
 
 
(デビュー直前、15歳の小泉さん。)
小泉さんがデビューした1982年は「花の82年組」と言われ、中森明菜さんや早見優さん、シブがき隊など日本を代表するアイドルが勢揃いしていました。なかでも中森明菜さんとは同じ『スター誕生!』出身ということで、オーディションの頃からの顔見知りでした。また、お互いの事務所が赤坂にあり、駅前でバッタリ会った際にはお互いを励まし合っていたと言います。デビュー後に歌番組などで大部屋の楽屋が一緒の時は、「今日子ちゃ〜ん。横取っておいたよ!」と、中森さんが隣の席を確保してくれたこともあったそうです!また、2年早くデビューされた松田聖子さんのことは、アイドルとしても、人としても尊敬していて、「(アイドル像の)一つの形を完璧に作った人。」とおっしゃいます。世間からは、松田聖子さんや中森明菜さんと比べられることもあった小泉さん。ライバル意識は無かったそうですが、「お2人が完全なるアイドルとしていたから、“2人には出来ないことをしないといけないな”と思った。だから私が生まれたという所もある。」と、教えてくださいました。また、当時、“アイドルらしい”とか“アイドルらしくない”という言葉に疑問を持ち、“そもそもアイドルってどういう意味だっけ?”と、辞書で調べてみることに。すると、『偶像』という言葉が出てきました。「“偶像”はジャンルとは少し違う気がした。アイドルがジャンルだとするならば、可愛い格好や髪型をすると周りが思い込んでいるだけ。でも、ジャンルでは無く、偶像であるならば、今まで見た事なかった女の子像=新しい偶像を作ろうと思った。」と、その時の思いを語ってくださいました。
 
 
デビュー40周年を記念したホールツアー「小泉今日子 TOUR 2022
KKPP(Kyoko Koizumi Pop Party)」のお写真 撮影:田中聖太郎
キャリアにおいて大きかった出来事を伺うと、小泉さんはある3人の方との出会いを挙げてくれました。 1人目は、「なんてったってアイドル」「学園天国」「あなたに会えてよかった」など、小泉さんの代表曲を多数手掛けた、2代目レコーディング・ディレクターの田村充義さん。“アイドル・小泉今日子”のイメージチェンジをより具体的にしてくださった方だそうです。5枚目のシングル曲「まっ赤な女の子」から小泉さんを担当され、この頃からイメージを“ショートカットで元気な女の子”に変えていきます。デビュー当時の小泉さんはまだ16歳。周りから“おとなしい子”と思われていて、シングル4枚目までは王道路線の曲を頂いていましたが、田村さんは小泉さんの本質を捉え、「今までの曲はこの子に合ってなかったんじゃないか。この子は掘っていくと面白いぞ」と、方向転換を促し、よりポップな曲を制作するようになります。また田村さんは、趣味が多く、カルチャーに対して興味があった小泉さんに、作詞・アルバムプロデュース・MVの編集・コンサートの演出など、様々なことをチャレンジさせてくれました。小泉さんの個性を大事にしていた田村さん。ボーカルのレコーディングでは、笑っている箇所やクセのあったパートを、個性として、敢えてそのまま採用することもあったそうです!今までのアイドル像を壊し、独自のスタイルを築き上げることが出来た小泉さんには、陰で支えるスタッフの存在も大きかったのですね!
プロデュース業も行う小泉さん
2人目は、演出家の久世光彦さん。 出会う前から久世さんの作品に影響を受けていた小泉さんが、初めて久世さんにお会いしたのは17歳の頃。演技についてはもちろんのこと、役を通して“お行儀”を同時に教えて貰えたとおっしゃいます。久世さんのドラマは、小泉さんが経験していない時代の作品内容が多く、昔から伝わる作法を学ぶことが出来ました。例えば和室の作法として、カジュアルなシーンなら立ったままでも構いませんが、かしこまった席では襖・障子の前で一旦、正座をして、その状態で戸を開けて入室するなど、日常ではあまり経験していなかったことをドラマの役を通して沢山学ぶことができ、人として豊かになったと振り返ります。また、久世さんとFAXでやり取りをしている時には、小泉さんの文章に対して、正しい漢字や言い回しを添削して戻してくださり、まるで先生のような存在だったそうです。
3人目は、マガジンハウスの編集者・淀川美代子さん。 淀川さんは、雑誌「オリーブ」「an・an」「ギンザ」「クウネル」などの編集長を担当された名編集者。小泉さんにとっては、文筆家としての場所を与えてくれた方でもあります。淀川さんから、「an・an」でのエッセイのお話を頂いた小泉さんは、最初、書き方がよく分からないので引き受けるか悩んでいたそうです。すると淀川さんは、当時、すでに編集長という立場ではありましたが、「私が担当になってすべて責任を持つ。書き方が間違えていたら全部教えてあげる。」と、おっしゃってくださり、小泉さんはエッセイに挑戦することを決意します。当時の作業は、ワープロで書いた原稿をFAXで送り校了となります。しかし、小泉さんは、文章とともに自身の写真が丸く切り取られて載る“著者近影”が恥ずかしく・・・。自らの提案で、毎回テーマに合った写真をポラロイドで撮影をされていましたが、写真はFAXでは送ることができません。その為、原稿を書き終えた朝方に、写真を撮影し、ご自分で車を運転してマネージャーさんの自宅ポストに届ける作業を毎週行っていました。他のお仕事もあるなかで、連載にも力を注いでいた小泉さん。実は「an・an」を隔週誌だと思っており、週刊誌だと知ったのは引き受けてからだったそうです!笑 そんな苦労と楽しみが詰まったエッセイ「パンダのan an」は、その後、書籍化されてベストセラーに!小泉さんは、様々な方から才能を見出され、活躍の場を広げていきました。恩師とも言える御三方も、小泉さんの好奇心と素直な性格に惹かれたのかもしれませんね!
 
 
(横浜横須賀道路)
小泉さんは一時期、神奈川県の葉山に住み、東京でのお仕事は車で通勤されていました。帰路は、第三京浜道路〜横浜新道〜横浜横須賀道路〜逗葉新道を通るルート。その通勤がてらのドライブがとても楽しかったそうです。昔から第三京浜道路がお好きで、他の高速道路より空が広く感じるともおっしゃいます。また、ドライブしながら音楽を聴くのがお好きで、今回は、葉山にお住まいだった当時、よく聴いていた洋楽のなかから、映画『バグダッド・カフェ』の主題歌、Jevetta Steeleの「Calling You」をセレクトしていただき、オンエアしました!夕暮れから夜にかけて聴くと心が浄化されるそうです!
 
 
小泉さんは、今年9月から舞台『阿修羅のごとく』に出演されます。
こちらの作品は、昭和を代表する脚本家・向田邦子さんの代表作で、阿修羅のごとく業を持ち、右往左往しながらも正直に生きる四人姉妹を描いた内容となっています。
長女役に小泉さん、次女・小林聡美さん、三女・安藤玉恵さん、四女・夏帆さんと、豪華な俳優陣が四姉妹を演じます。演出は俳優でもある演出家の木野花さん。そして脚色は、劇作家の倉持裕さんです。
2022年9月9日(金)~10月2日(日)東京・シアタートラム、10月8日(土)~10日(月)兵庫・兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて上演されます。詳しくは各プレイガイドをご確認ください!
 
 
デビュー40周年を記念したホールツアー「小泉今日子 TOUR 2022
KKPP(Kyoko Koizumi Pop Party)」のお写真 撮影:田中聖太郎
小泉さんのエウレカは“老化は進化だ”ということ。現在、56歳の小泉さんは、40代の頃からご自身の心や体の変化を感じながら生活をされているそうです。そんななか気付いたことは、“自分が思っているよりも、ずっとずっと世界は広い。その広さが反比例のように、年を重ねるごとに広くなっているイメージがある。”ということ。歳を重ねることは成長であり進化だと考え始めたことで、人生を凄く楽しめるようになったとおっしゃいます。モノは捉えようで、例えば老眼になった時でも、“やっと老眼きた!”“みんなが言ってたのはコレか!”“やっとここまで来た!”と前向きに捉えると、老化は退化ではなく、進化になります。
哲学的な考えを巡らすことが元々お好きだという小泉さんは、40歳になった時に、周りから「人生の折り返しだね。」と言われ、まず、“折り返しって何?”と思ったそうです。言葉通りに捉えると、“まっすぐ前を向いて走ってきた所を折り返すなら、帰り道は1度経験した道なのだから怖くない。” “行きで見られなかった景色をゆっくり見て帰れば良い。”と、捉えることができます。そして今、ご自身の世界が広がりを見せる現状を、「折り返し」という言葉で表す必要も無い気がするとおっしゃいます。人生は常に進化であり、楽しいことが広がっている。来た道を帰るのではなく、段が違って、それより高いところにある道を進んでいるのかもしれない。そんな考えから、常にワクワクを求め、人生を楽しまれている小泉さんの今後の夢は、“老人のイメージや価値観を変えたい”ということ。歳を重ねることで待っている、楽しいコンテンツや価値観を探しています。例えば、「朝からクラブに集まるなど?」を想像するだけでも楽しいそうです!アイドルの既成概念を壊し、新しい価値観を生み出してきた小泉さんにはピッタリの夢ですね!
 
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