PASSENGER DIARIES

EDC 営業日誌(過去のお客様)

2022年6月18日放送

Passenger

陣内智則

本日のお客様は、陣内智則様。
1974年、兵庫県出身。NSC大阪校の11期生として入学し、1993年にお笑いコンビ「リミテッド」でデビュー。1995年に解散し、その後ピン芸人としてご活躍。『爆笑オンエアバトル』や『エンタの神様』といったネタ番組に出演して全国的に人気を博します。『ABCお笑いグランプリ』や『R-1グランプリ』といった賞レースでは審査員を務め、バラエティ番組ではMCとして仕事をこなす、万能型コント師・陣内さんと川島さんがドライブに出掛けました!

 

 

〜お二人の関係〜

川島さんにとって陣内さんは、9期上の先輩でお兄さんのような存在。しかし、陣内さんにとって昔の川島さんは、“独特な世界を持っている人”という印象があり、食事に誘いづらいところがあったそうです。人見知りの性格から先輩との壁があった川島さんですが、今ではその先輩の気持ちも分かるようになり、「なんか分かります。(ピース)又吉くんとかはちょっと誘いづらい。笑 “俺の悪口とかコラムに書けへん?”と気になってしまう。」と、独自の世界観を持つ後輩には気を遣ってしまうそうです。笑
そんな川島さんは今、テレビで引っ張りだこ。陣内さんは、川島さんが売れたのは“自分のおかげ”だと主張します!数年前、芸人が冠番組を持つなら誰をキャスティングするかを発表する『アメトーーク!』の人気企画「芸人ドラフト会議」で、陣内さんは1位に出川哲郎さん、2位に川島さんを選んでいました。当時の川島さんは、まだテレビにあまり出演しておらず、いわばサプライズ指名!しかし、実際のオンエアでは、おぎやはぎ・矢作さんが1位で川島さんを指名したため、陣内さんは発表することなく放送を終えました。当時の心境を陣内さんは、「本当は1位指名にしたかった。でも、1位にすると世間に川島の存在がバレて、動物の名前の朝番組を始めてしまうと思った。自分の仕事を守るためにも2位にした。」と、『ラヴィット!』の放送開始すら予測していたと説明!笑 「世間では、“矢作さんや有吉さんの嗅覚がすごい!”ってなったけど、実際に俺もそうやってん!」と、川島さんの才能にいちはやく気付いた先輩だと訴えていました。笑 川島さんもこの放送はもちろん観ていました。過去に放送された「芸人ドラフト会議」では1度も名前が呼ばれたことがなく、“嫌われてるのかな?”と思っていたほど。そんななか、矢作さんがいきなり1位指名してくれたことが、白目を剥いて倒れるほど嬉しく、自信に繋がったそうです。川島さんが売れたのは“陣内さんのおかげ”かどうかはさておき、ここで、川島さんは別のことを思い出します。
昔、芸能人の方とお付き合いしていた際、陣内さんと楽屋で2人きりになった川島さん。陣内さんも、芸能人の方との交際経験があるということで、食事の行き方などを相談しました。陣内さんは快く、あまり周りの目が気にならないお店などを紹介してくれたそうですが、その1週間後、それまで交際がバレていなかった川島さんでしたが、スポーツ新聞に熱愛報道が掲載されてしまいます!笑 「あれ、陣内さんが言いふらしましたよね?あれこそ、“陣内さんのおかげ”ですよね?」と、問い詰める川島さん!さらには、交際発覚以降、楽屋で2人きりなると、「・・・・あっ、そやそやそや、打ち合わせや!」と、陣内さんは三文芝居でその場から逃げようとしていたこともあったと告発!井上公造さんに1万円で情報を売ったと推測する川島さんに、陣内さんは「タイミング的には確かにそうやったけど、俺ちゃうわ!」と必死に弁明されていました。笑

 

 


(リミテッド時代の陣内さん)

〜芸人の道へ〜

芸人を目指した理由は、兵庫県出身ということで、やはり吉本興業の存在が大きかったそうです。関西の小学校では、『オモシロい』が人気者の条件。しかし陣内さんは、クラスの中心で笑いを取る人気者だったわけではなく、4人のグループを束ねるリーダー。笑 4人のなかではオモシロい存在だけど、他のグループが来ると怖くて話せなかったそうで・・・川島さんは「それ、オモロないやつじゃないですか?クラスの下から5番目でしょ。笑」と、ツッコんでいました。笑
陣内さんは、小学生時代から自分はお笑いを見る目があったと分析されており、とんねるずが『お笑いスター誕生!!』で出てきた時には、“この人たちは売れる!”と確信を持っていたと言います。そして、“お笑いが全てだ”と感じ始めた中学時代にダウンタウンに出会います。それまでは、明石家さんまさんやビートたけしさんなど、既に芸能界のスターになっている人達を見て面白いと感じていましたが、ダウンタウンはもっと身近な存在でした。陣内さんは、ダウンタウンが若手からスターに駆け上がる過程を見ていた世代。10歳ほど年上の近所のお兄さんがスターになっていくような感覚で、今までにない憧れを抱きました。その後、ダウンタウンと同じように同級生と一緒にNSCに入学。“リミテッド”というコンビで漫才をしていました。
しかし、現実は甘くなく、上手くいかない日々が続きます。同期の中川家が完成された漫才を披露するなか、ネタの評価が高くなかったリミテッドはオモシロくない例えとしてイジられることに・・・。上手くいかない状況や不幸なことが起こった時に、“リミってる”という造語が使われました。そんなイジリに対して、当時は上手く返すことも出来なかったと振り返る陣内さん。後輩に舞台の前説で「今日はリミテッドが出ますけど、皆さん不幸にならないようにね〜。笑」と、ネタにされたこともあったと言います。NSC入学当初に思い描いていたイメージとは程遠い状況になってしまった陣内さんは、一度すべてを変えるために、コンビ解散を決断。コンビとしても仕事がほとんどなかったので、解散しても状況は変わらず、事実上、芸人を辞めたような状態でした。しかし陣内さんは「俺はいつか売れる。今は時期尚早や」という自信だけはあったそうです。一旦休養期間を設けて何年後かに再び芸人として頑張ろうと考え、パチンコ屋に通う日々を送っていました。
そんな、芸人としての活動を休止していたこの時期、思わぬことが起こります。当時大人気だった『2丁目劇場』の芸人を中心としたテレビ番組で、千原ジュニアさんやメッセンジャーなど先輩方が、頻繁に陣内さんの名前を出してくれていました。「陣内っていう元リミテッドのやつがね〜。こいつは天然でね〜。」と、陣内さんのエピソードで笑いを取っており、その都度、陣内さんの宣材写真がテレビに映ります。すると、今まで貰ったことのなかったファンレターが届くように!自分はテレビに出てないにも関わらず、“陣内智則とは何者だ!”と芸人やお笑いファンの中で拡がっていきました。陣内さんは、「あの時、誰も何も言ってくれてなかったら辞めてたと思う。」と、気に掛けてくださった先輩に感謝していました。

 

 

〜ピン芸人〜

陣内さんは1998年、関西のお笑いの登竜門『ABCお笑い新人グランプリ』で優秀新人賞を受賞し、ピン芸人として活躍する大きなきっかけを掴みました。ABCお笑い新人グランプリに出場した際、“リミテッドの陣内だよね?”といった感じで、会場は少しナメた雰囲気があったと言います。そんななか、陣内さんは今の形式に近いネタ(まだ映像は使用していない)で、最終決戦まで勝ち進み、優秀新人賞を受賞。過去のイメージを払拭し、ピンとしての実力を示したことで、テレビの仕事も増えていきました。頻繁に名前を出してくれていたジュニアさんの番組に呼ばれる機会も多く、親交を深めたお二人。陣内さんにとってジュニアさんはやはり特別な存在だそうです。
今でもジュニアさんと2人きりになると緊張感があり、“ジュニアさんに面白くないと思われたくない・・・!”と勝手に萎縮してしまうのだとか。今、後輩がジュニアさんにガンガン責めているところを見ると、丸くなったとはいえ“ジャックナイフ”の異名を持っていた過去の姿を知っている立場からすると、ヒヤヒヤしてしまうそうです。笑

東京に拠点を移した陣内さんは、『爆笑オンエアバトル』や『エンタの神様』などのネタ番組で全国的にも知名度を上げていきます。陣内さんのネタは、映像や音声を駆使した緻密な1人コント。陣内さんのツッコむタイミングと、音出しや映像のタイミングが一致しないとネタは成立しません。本番中にミスしたことはあるか伺うと、生放送では無いそうですが、劇場ではよくトラブルがあったと言います。印象に残っている失敗は、「ラジオ体操」のネタ。当時、私物のMDに音声を録音し、音響さんに音出しをお願いしていましたが、本番中で突然、ネタとは全く関係ない、河村隆一さんの「Glass」が流れしまいました!笑 どうやら私物のMDに前に録音したものが残っていたようです・・・。突然の「Glass」にどうすることもできず、そのままお客さんと共に目を瞑りながら聴き続けたそうですが・・・お客さんもトラブルが起きていることにすぐ気付き、結果、大爆笑でネタを終えました。

陣内さんのネタは、日本だけでなく、世界でも評価を受けています。2011年には、『陣内智則 ワールドライブツアー 第1弾 In韓国 NETAJINマイベスト〜世界進出本気で狙ってます〜』を敢行。以降、ラスベガスやロサンゼルスでも公演を行いました。海外を目指した理由は、周りの芸人への劣等感から。大喜利が得意な人、絵を描ける人、映画を作る人、小説を執筆できる人など、芸人の中には様々な才能を持つ方がいます。そこで、他の人がやってない、自分に出来ることは何かを考えた陣内さんは、ご自身のネタ作りのコンセプトに回帰します。それは、老若男女が楽しめるコント。その延長線上にあったのが、全世界の人が楽しめるコントでした。海外在住の日本人の方に向けたコントではなく、現地の外国人を楽しませるため、語学も勉強。結果、世界でも陣内さんのコントは受け入れられました。コント終わりには受けたスタンディングオベーションは、忘れられない光景となっているそうです!

 

 

〜影響を受けた人〜

仕事で、最も影響を受け、カッコいいなと思う先輩は明石家さんまさん。一度、さんまさんに「ヘコむ時ってありますか?」と尋ねた際に、印象的な言葉が返ってきたと言います。「もう今はない、26歳の時にヘコむのをやめた。自分に期待するからヘコむねん。今日が100点やと思え、その日のベストを尽くしたらそれは100点やねん。」と言われたそうです。様々な番組で、“あのコメントは違ったな・・・”別のツッコミがあったな・・・”など、日々反省することがあるという陣内さんですが、さんまさんの言葉を受け、反省はしてもヘコむことなく、“これが今日のベストなんだから、また明日頑張ろう!”と、気持ちの切り替えが出来るようになったと言います。
また、印象に残っている言葉として月亭方正さんからの助言も!東京での仕事が増え始めた時、スベる度に落ち込んでいた陣内さんに、方正さんは「お前がスベったことなんて誰も覚えてない。スベったことでいちいちヘコむな!」と言ってくれたそうです。陣内さんは内心“方正さんのスベってるとこ、結構覚えてるけどな・・・”と思いましたが、この言葉で心が楽になったそうです!
陣内さんには天敵とも言える番組があります。それは、『ドリーム東西ネタ合戦』。毎年、元日に放送され、人気芸人が東西に分かれ、ネタで得点を競い合う企画。2020年、陣内さんはこの番組で歴史的スベりを喫したと話題になりました。一緒に出演していた川島さんが当時の状況を説明。陣内さんと麒麟は西軍の大トリのブロックで、お客さんも含め現場に疲れが出始めて、ウケづらい空気がややあったそうです。そして西軍の大トリを務めた陣内さんが披露した「ディアゴスティーニ」のネタ終了後、ダウンタウンの浜田さんが「スベってなかった?」と問い詰め、スタジオは陣内さんイジリがスタート!笑 「どえらい年明けやわ!もう『エンタの神様』にしか出えへん!」と、必死に跳ね返す陣内さんでしたが、周りからのイジリは止まらず・・・最終的には「麒麟もスベってた!」と、9期下の後輩を巻き込んだそうです。笑 川島さんは、全てを曝け出して笑いに変える先輩の姿に、“頼もしさ”を感じたのだとか。笑
また、川島さんにとって忘れられない先輩の言葉は、陣内さんのお言葉。2002年の大阪在住時代に、東京の番組に出演するために移動していた川島さん。新幹線を降りると陣内さんの姿が見え、同じ番組に出演するということで、一緒にタクシーでスタジオに向かうことに。しかし、スタジオの場所がハッキリ分からず、途中でタクシーを降りました。場所が分からず不安になる川島さんに対して陣内さんは「あっ、こっちやで!」と、自信満々に先導してくださったそうです。そして、陣内さんが案内してくれた先には、スタジオではなく小学校がありました。「あれ、陣内さんここ何処ですか?」と尋ねると「あれ、おかしいな?こっちからプールのニオイしてんけどな。」とおっしゃられたそうです。この発言から20年経ちましたが、未だに“何故、プールのニオイがする方にスタジオがあると思ったのか”、理解が出来ない川島さんは、改めて「あれは何だったんですか?」と質問。笑 いい話かと思ったらまさかの奇行エピソードに、陣内さんは、「他の番組で絶対言うなよ!笑」と釘を刺していました。ともかく、陣内さんの「プールのニオイしてんけどな。」は、川島さんにとっては忘れられない言葉となっています。笑

 

 

〜陣内智則さんのエウレカ!(発見・気付き)〜

陣内さんのエウレカは、“お笑い芸人で、性格の悪い人は残らない”ということ。人間同士の掛け合いで、笑いを生み出す芸人にとって、人への思いやりは大事。誰かがスベったらツッコんで笑いに変えるのも思いやりの1つ。本当なら無視をして自分に被害が来ないようにすることも出来るが、チームプレイで番組を成立させるため、時には厳しいツッコミを入れることもあると言います。世間からは“冷たい”とか“いじめてる”などと思われてしまうこともありますが、芸人同士でいえば有り難く、救いとなるツッコミが沢山あるそうです!
『ドリーム東西ネタ合戦』の浜田さんのツッコミも、陣内さんへの思いやりだったに違いありませんね!

 

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PLAYLIST
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    B'z
  • 「感電」
    米津玄師
  • 「僕が僕であるために」
    尾崎豊
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    河村隆一
  • 「笑顔のまんま」
    BEGIN with アホナスターズ
  • 「千両役者」
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