PASSENGER DIARIES

EDC 営業日誌(過去のお客様)

2022年6月11日放送

Passenger

藤井フミヤ

本日のお客様は、藤井フミヤ様。
1962年、福岡県久留米市出身。チェッカーズのボーカルとして、1983年にデビュー。数多くのヒット曲を世に送り出し、1980年代を代表するバンドに。また、チェッカーズ解散後の1993年、ソロとして「TRUE LOVE」をリリース。フジテレビ系ドラマ『あすなろ白書』の主題歌となったこの曲は200万枚を超える大ヒットに!以降、「タイムマシーン」、「Another Orion」などヒット曲を多数発表。
また、画家としての一面を持ち、1993年には初個展「FUMIYART‒Take a break-」 を開催。2005年の愛知万博では、名古屋市のパビリオンの総合プロデューサーを務めました。
マルチな才能を持ち、来月60歳の誕生日を迎えるレジェンド・ミュージシャンと川島さんがドライブに出掛けました!

 

 

〜初対面のお二人〜

川島さんは、藤井フミヤさんのご長男、フジテレビアナウンサー藤井弘輝さんとはレギュラー番組で共演していますが、フミヤさんとは初対面!
川島さんの世代としては、『とんねるずのみなさんのおかげです。』にチェッカーズが準レギュラーとして出演していたのが印象的!この番組では、チェッカーズのメンバーがコントに参加し、なかでもコント『ノリ男』では、チェッカーズの名曲「ONE NIGHT GIGOLO」が使用されて、ノリ男(木梨憲武)が「あ~っ!僕の歌だ~っ!!」のセリフとともにイントロで踊った後、歌い出しの「Kill you」を歌った直後に同級生役のチェッカルズ(チェッカーズ)、あるいは教師役の石橋貴明に頭をスリッパで叩かれるというギャグは、お茶の間で大人気となりました。

 

 

〜今年60歳!〜

来月の7月11日で、還暦を迎えるフミヤさん。
見た目が変わらないフミヤさんに若さの秘訣をお伺いすると、ジムに通うなどの運動は一切されてないと言います。
「筋肉いらないんですよね。松本さん(ダウンタウン)みたいに。笑 自分のステージ上でのパフォーマンスを考えると筋肉は邪魔に感じる。軽い方が好きなんだよね。」と教えてくださいました。
体型が真逆なフミヤさんと松本さんですが、(笑)
今年4月に放送された『キングオブコントの会 2022』(TBS系)で、松本さんは新作コントのなかで、チェッカーズの名曲「俺たちのロカビリーナイト」を使用!その反響は大きく、YouTubeなどの視聴数が一気に増えたそうです。チェッカーズ関連の動画はネットにたくさん上がっているそうですが、その理由は売れた時代。大ブレイクを果たした1980年代は家庭にビデオデッキが普及し始めた頃で、歌番組に引っ張りだこだったチェッカーズの映像は録画されて、それが今、ネット上にアップロードされていることが多いと言います。その映像を観た若い世代の人の中には、チェッカーズのカッコ良さに引き込まれ、当時のフミヤさんを今、推し始める人もいるのだとか!この状況にフミヤさんご自身も「あの頃のフミヤくんが独り歩きしている。笑」とおっしゃっていました。

 

 

〜最近のライブ〜

チェッカーズが解散した1992年以降、チェッカーズ時代の曲をあまり歌ってこなかったフミヤさんですが、近年は、披露されることが増えています。その理由をお伺いしました。
チェッカーズの有名曲は作詞家・売野雅勇さんと作曲家・芹澤廣明さんが作られた曲が多く(涙のリクエスト、星屑のステージ、・ジュリアに傷心、など)、解散後に先生方がチェッカーズに書いた曲を1人で歌うのは、“何かちょっと違うかな。”と感じていたフミヤさん。また、ソロ曲と雰囲気の違いもあり、ライブ全体を一つの作品と考えると、混ざり合わない部分があったそうです。そんななか、再び歌い始めたのは、コロナ禍による心境の変化。“ファンの方々に喜んでもらえるなら歌うべきだ”と思い、再び披露するようになりました。
また、30〜40代で歌わずに寝かしていた分、逆に今、いい味が出ていると感じるそうです。2020年からのコンサート・ツアー『ACTION』では、「星屑のステージ」「ジュリアに傷心」「I Love you,SAYONARA」を披露。コロナ禍でのツアーということで、声援は無しというルールでしたが、「星屑のステージ」のイントロの一拍が鳴った瞬間、ファンの方々の涙腺は崩壊し、号泣している姿がステージから見えたそうです。

 

 

〜芸能界、そしてスターへ〜

デビューのキッカケは、1981年の『ヤマハ・ライトミュージック・コンテスト』。チェッカーズとして参加され、九州大会、続けて全国大会でも優勝されました。その優勝特典としてチェッカーズは1983年にメジャーデビュー。
もともとフミヤさんは、“音楽で食べていくぞ”というよりも、“東京に住みたい!”という気持ちの方が強く、デビューを機に上京できることが嬉しかったそうです。当時のフミヤさんは、50〜60年代の洋楽を好んで聴いており、その影響もあってか、もともとチェッカーズは“ドゥーワップ・バンド”で、黒の大きめのスーツを着て演奏されていました。“チェッカーズ”という名前はデビュー前から変わっていませんが、チェック柄の衣装を着始めたのは、デビュー以降。「チェックを着たことによってアイドルになった」とフミヤさんは振り返ります。メンバーのなかにはチェック柄を着るというプロデュースに抵抗を感じる人もいたそうですが、フミヤさんは「いいじゃん!」と乗り気でした。
デビュー曲は、「ギザギザハートの子守唄」。意外にもこの曲は、発売当初はヒットしなかったそうです!しばらく売れないまま翌年を迎えますが、セカンドシングル「涙のリクエスト」が大ヒット!すると、“ファーストシングルもあるらしいよ!”と噂になり、「ギザギザハートの子守唄」も一年越しでヒットします。また、「涙のリクエスト」の約4ヶ月後に、サードシングル「哀しくてジェラシー」が発売され、ファーストからサードシングルの3曲がヒットチャートにランクイン!ファッションも相まって、世の中にチェッカーズ旋風が巻き起こりました。

 

 

〜「TRUE LOVE」〜

チェッカーズ解散後、1993年にリリースしたソロ曲「TRUE LOVE」は、200万枚を超える大ヒットになりました。この曲がご自身にとって作詞作曲をされた始めての曲だそうです。そんな「TRUE LOVE」の誕生秘話も伺いました。
解散後、“イギリスにでも行こうかな〜”と話していた時、チェッカーズ時代に所属していたキャニオン・レコードの知り合いから、「“あすなろ白書”っていうドラマをフジテレビでやるんだけど、その主題歌をプロデューサーがやらないかって言ってるんだけど、どう?」と、気軽に聞かれたそうです。笑 『あすなろ白書』の原作者・柴門ふみさんとは以前から交流があったこともあり、フミヤさんは、このオファーを引き受けることに。そして、「TRUE LOVE」を制作されましたが、“あすなろ白書”の番組プロデューサーで、その後フジテレビの社長となる亀山千広さんに「ちょっと、この曲弱いな。」と言われたそうです!当時は、ビーイングに所属するアーティストのような(ZARD・WANDS・大黒摩季・DEEN・T-BOLANなど)、ロック調の音の厚みのある曲が流行っていて、フォーク調の「TRUE LOVE」はその流行とは違いました。ですが、フミヤさんもソロになりたてで「TRUE LOVE」しか制作していなかったため、「これしか書いてないから、これでよろしく。」と突き通したそうです。笑 すると、「TRUE LOVE」は大ヒット!
しかし、大ヒットの裏で想定外のことが起こっていて、フミヤさんから正直な告白が・・・!実は当時、“ソニーミュージックに所属したいな〜”と思っていたそうで、「TRUE LOVE」がポニーキャニオンからリリースされる時は、“仕方ないか・・・”という気持ちがあったそうです!さらに大ヒットを受け、レコード会社からアルバムの制作を促され、ツアーも決定!次々に事が進み、気付いたらステージの上で歌っていたそうです。
「TRUE LOVE」は世代を超えて愛される名曲。その名曲を生み出した使命として、フミヤさんはライブで必ず披露されています。「ヒットソングってのはそのいうもの。一生やらなきゃいけない。だからファンも一生聴かなければならない。」と教えてくださいました。

 

 

〜フミヤさんの職業病!?〜

フミヤさんの職業病は、あらゆる“チェンジ”が出来ないこと。
例えば、食事に行って頼んだメニューと違うものが出てきても「あ、良いですよ。違うけど食べます。」と言ってしまい、“チェンジ”や“NO”を言わないそうです。その理由は、芸能人として“誰かが見てるかも・・・!”“悪い人と思われたくない”という気持ちが少なからずあるから、とご自身で分析されています。料理に髪の毛が入っていたとしても、よっぽどのことがない限りは文句を言わないのだとか!
断れない性格は、食事以外でも・・・。本日のドライブ前日に、ご友人とカラオケに行かれたというフミヤさん。カラオケに行くこと自体は少ないそうですが、昨日は友人から「歌って〜」と頼まれ、“俺が歌ってみんなが喜ぶなら良いか。”と、「TRUE LOVE」「Go the Distance」「Another Orion」「I Love you, SAYONARA」を歌ったそうです!
ちなみに、ご子息のフジテレビアナウンサー藤井弘輝さんも、度々「TRUE LOVE」を歌われているそうで、川島さんも参加した番組の打ち上げでは、「なんで俺が親父の曲をこんなに歌わなければいけないんだ・・・」と嘆いていたのだとか。親子揃って断れない性格なのかもしれませんね!

 

 

〜印象的な言葉〜

今までで一番印象深い言葉は、映画監督の中野裕之さんに言われた「俺は泣かせる(感動させる)のに2時間かかるけど、フミヤは3分でできるだろ。」というお言葉。この言葉を聞いたフミヤさんは、音楽の持つ力を再認識したと言います。当時、プロデューサー業や、俳優業、アート展などマルチにご活躍されていたフミヤさん。様々なことに挑戦する中で、ご自身の柱である“歌”への比重が減り、自分が何者か分からなくなっていたそうです。そこで、“原点にかえらなければならない。”と感じたフミヤさんは、他のことは辞め、音楽1本に絞る決断をされたと言います。音楽の力について、「アートは観ても家にはなかなか持ち返らない。映画や小説は1回見たらしばらくは見ない。だけど、音楽は今じゃポケットに入っていつでも聴ける。」とおっしゃり、あらゆる芸術作品の中でも音楽は、繰り返し楽しみ、さらには聞いた人が歌い出す、という特異な力を持っていると考えています。また、映画や小説には、見終わった後に気分が暗くなる作品も多く存在しますが、音楽は昔から“愛”が根底にあるため、安全性が伴っているともおっしゃいます。しかし、歌は人間を扇動する力も持っているため、間違った方向に導く危険性もあると指摘します。そういった、両極の力を持つ音楽だからこそ、3〜4分の世界の中に極めるべきモノがあるなと感じているフミヤさんは、今もなお、音楽を極め続けているのです。

 

 

〜「水色と空色」をリリース〜

今週6月8日に、ニューシングル「水色と空色」をリリースされました。作詞をフミヤさん自身が、作曲はピアニストの岸田勇気さんが手掛けており、編曲は亀田誠治さんが担当されています。“短編小説のような歌”とフミヤさんがおっしゃる今作は、永山瑛太さんと川栄李奈さんが主演を務める短編映画『半透明なふたり』の主題歌となっています。こちらは、YouTubeで公開されているので、皆さん、新曲と併せてチェックしてみてくださいね!

 

 

〜FUMIYA FUJII 60th BIRTHDAY RED PARTY〜

そして来月7月11日に60歳を迎える藤井フミヤさんは、誕生日当日に日本武道館で「FUMIYA FUJII 60th BIRTHDAY RED PARTY」を開催されます。
還暦ということで、RED PARTY!当日は、WOWOWで生中継もあります。チェッカーズ時代から今に至るまでの曲を堪能できる一夜限りの還暦ライブ!当日は、ファッションのどこかに赤を取り入れ、フミヤさんの還暦をお祝いしましょう!(下着が赤でもOKだそうですよ!笑) 
詳しくはHPをご覧ください。
https://www.fumiyafujii.net/live/2022/04/07/5950

そんな、藤井フミヤさんの今後の目標は、健康でいること。
健康でないと、ステージで歌うことも出来ません。一生音楽に携わっていくため、音楽を追求するため、フミヤさんは体調管理も大切にされています。フミヤさんより上の世代のミュージシャンもまだまだ現役で活躍されている方が多いので、フミヤさんはその方々の動向もチェックされているとか。また、フミヤさん曰く、先輩方は、ポール・マッカートニーやミック・ジャガーの動きを見ているそうです!
フミヤさんはこの先も末長く、私たちに素晴らしい音楽を届けてくれそうですね!

 

radikoのタイムフリーで聴く
PLAYLIST
  • 「ギザギザハートの子守唄」
    チェッカーズ
  • 「星屑のステージ」
    チェッカーズ
  • 「涙のリクエスト」
    チェッカーズ
  • 「TRUE LOVE」
    藤井フミヤ
  • 「水色と空色」
    藤井フミヤ
  • 「(I Can't Get No) Satisfaction」
    The Rolling Stones
  • 「I Love you, SAYONARA」
    チェッカーズ