EDC 営業日誌(過去のお客様)
2022年5月21日放送
本日のお客様は、岡崎体育様。
1989年、兵庫県西宮市生まれで、京都府宇治市育ちのシンガーソングライター。2012年より地元のスーパーマーケットで働きながら「盆地テクノ(BASIN
TECHNO)」の伝道師として活動を開始。2016年にアルバム「BASIN TECHNO」でメジャーデビュー! “あるあるネタ”を組み込んだ「MUSIC
VIDEO」が話題を呼び、一躍人気アーティストになりました。現在は、楽曲提供や編曲、リミックスのほか、商品タイアップ企画、俳優業にも挑戦するなど、マルチな才能を発揮しているミュージシャンです!
 
 
岡崎さんと川島さんは京都府宇治市出身。さらには、同じ宇治市立宇治中学校の卒業生!そんなお二人ですが、これまで共演経験は無く、Twitter上のやり取りや、たまたま同じテレビ局にいた際に挨拶を交わす程度だったそうです。年齢は、岡崎さんがもうすぐ33歳、川島さんが43歳と10歳違い。もちろん、同じ時期に中学校に通ってはいませんが、“先生は重なっている可能性がある・・・!”と、さっそく、お二人は“宇治市立宇治中学校トーク”を開始!笑
岡崎「野球部の顧問の“タケチャンマン”っていう、タケダ先生。知ってますか?」
川島「ちょっと、タケチャンマンは存じ上げないですね・・・」
岡崎「あと陸上部の顧問で“ジャリ男”っていう先生がいましたね。名前がスナオだから。」
川島「ポケモンの話ですか・・・? 知らないですね・・・名前が“スナオ”なら覚てるもんな〜。逆に、厳しくて有名だった体育のミナミ先生っていました?」
岡崎「・・・ミナミ先生?分からないですね・・・」
と、10年違うとなかなか共通の先生は見つからず・・・笑
続いて、“宇治あるある”についてのお話し。
宇治といえば“お茶”が有名。やはり、異常に茶畑が多かったそうで、地元を離れてみて“茶畑ってこんなに無いものなんだ・・・”とお二人とも驚いたそうです。また、小学校には“お茶飲み場”という、蛇口をひねるとお茶が出てくる場所がありました。しかし、出てくるのは緑茶ではなく、番茶だったそうで・・・笑
さらにお茶はHOTのみ。休み時間に、温かいお茶を飲みながらくつろぐという、今思えば、渋い小学生だったと振り返ります。また、10円玉に描かれている“平等院鳳凰堂”が近所にあり、川島さんは子供の頃、10円玉をご当地コインだと勘違いしていたのだとか!
一方、岡崎さんは、上京してからコンビニなどで“宇治抹茶”や“宇治茶”と書かれているスイーツがたくさんあるのを見て、“宇治”というワードが全国でも使われていることに驚いたそうです。
宇治出身の芸能人は、清水圭さん、安田美沙子さん、坂下千里子さん、芸人の“もりやすバンバンビガロ”さんなどなど。アーティストだと、岡崎さんをはじめ、“ヤバイTシャツ屋さん”のこやまたくやさん、“夜の本気ダンス”のメンバー、さらには、若いシンガーソングライターも出てきており、最近、宇治出身者が増えているそうです!
 
 
(小学校時代の岡崎さん)
岡崎さんがミュージシャンを目指したのは、小学生時代に起きたある出来事がきっかけでした。小学6年生の時、課題曲ではなく、オリジナル曲を披露するリコーダーのテストがあり、リコーダーが得意だった岡崎さんは意気込んで、ご自身でも納得のいくオリジナル曲を作り上げました。テスト当日、岡崎さんの前に発表した女の子は、オリジナル曲が作れず、それを正直に謝ってから“とっとこハム太郎”のオープニング曲を演奏したそうです。そして次は、オリジナル曲を仕上げてきた岡崎さんの番。“一躍ヒーローになれるんじゃないか・・・!?”という期待に胸を膨らませながら、演奏されました。すると期待通り、周りの友達はとても褒めてくれました。ウキウキ気分の岡崎さんでしたが、その日の放課後、担任の先生に呼び出されます。すると先生から、「あなたの前に発表した子は、オリジナル曲が出来なかったことを正直に話して、ハム太郎の曲を演奏しました。なのに、何であなたは人の曲をパクッて、自分が作ったかのように演奏したのですか?」と怒られたそうです!本当に自分で作曲した岡崎さんにとって、理解できないお説教!悔しくて涙が止まらなかったそうです。先生に、「ここで正直に謝りなさい。」と言われますが、「本当に自分で作った。」と主張する岡崎さん。何度説明しても信じてもらえず、押し問答が続きます。しかし、友達と遊ぶ約束もあり早く帰宅したかった岡崎さんは、不本意ながら「パクリました。」と謝罪したそうです。帰る途中も悔しさから涙が溢れ出てきた岡崎さん。もしかしたら、メロディーラインが別の曲に似ていた部分はあったかもしれませんが、実際に岡崎さんが家で曲を作っている姿をお母様も見ており、お母様も“悔しいね・・・”と慰めてくれたと言います。その悔しさがずっと心の中に残り続けた岡崎さんは、卒業アルバムの将来の夢を書く欄に『作曲家になって、世界中の人に曲を聴いてもらう』と、力強く記したそうです。
そして月日は流れ、その先生とは後日談が・・・!デビュー後、自身の生い立ちを語る際、悔しかったリコーダーの話を様々なメディアで明かした岡崎さん。それを知った先生から、一度ライブに遊びに行きたいと連絡を受け、関係者として招待したそうです。しかし、悔しさから始まった岡崎さんの音楽人生。ここで先生と会ってしまったら、感情が“ほころぶのか、逆に固く結ばれるのか”は分かりませんが、当時の悔しさが作曲へのガソリンになっているのだとしたら、その悔しさが消えてしまうと今後、曲を作れなくなる可能性が・・・。それを危惧した岡崎さんは、終演後、関係者の中で先生だけは控え室に通さなかったそうです。川島さんもこの話を聞き、先生を通さなかった気持ちは、“何か分かる気がする!”と共感。続けて、「そこでもし先生から、“4曲目なんか聞いたことあるぞ?”とか言われたらね・・・笑」という川島さんの一言には、流石の岡崎さんも大笑いされていました!
 
 
(デビュー当時の岡崎さん)
大学時代はバンドを組んでいた岡崎さん。京都や奈良のライブハウスで活動されていましたが、当時の岡崎さんは熱く、ご自身の想いをバンドメンバーに強くぶつけることが多々あったそうです。次第に喧嘩も増え、メンバーは徐々に脱退。なかには、岡崎さんが嫌すぎて渡米された方もいるのだとか。笑
こうして、1人で活動していくことになり、ソロプロジェクトとして『岡崎体育』と名乗りはじめます。始めはライブはあまり行わず、インターネットに曲を投稿する活動がメイン。そして大学卒業後は、一般企業に就職しますが、やはり音楽への夢を捨てきれず、半年ほどで退社。「サラリーマンを辞めて音楽に集中したい」とご両親に伝え、4年間でデビューできなければ諦めるという約束のもと、音楽に専念しました。そして、3年11ヶ月ほど(ギリギリ・・!)でメジャーデビュー!ライブハウスで活動している姿が、ソニーミュージックの新人発掘の部署の方(現・岡崎さんのマネージャー)の目に留まり、デビューに至りました。
デビュー曲は、様々な楽曲の“ミュージックビデオの演出あるある”を歌詞にした、その名も「MUSIC VIDEO」。大きな話題を呼んだこの曲ですが、もともとはデビューアルバムに入れる予定はなく、それどころか制作もされていなかったそうです!デビューアルバムに収録する楽曲のラインナップが決まり、すでにレコード会社と合意していましたが、話題性のあるデビューをしたかった岡崎さんは、1週間ほど時間をもらい、もう1曲、“つかみ”となる曲を作りはじめます。“何か参考になるものはないかな?”と、YouTubeで色々なミュージックビデオを見漁り、ヒントを探し続けました。すると、岡崎さんの視点は違う方向に・・・ミュージックビデオの演出には共通点があることに気付いたのです。こうして、“演出のあるある”をリストアップしていき、それ自体を歌詞にして、「MUSIC VIDEO」を完成させたのでした!ちなみに、「MUSIC VIDEO」のミュージックビデオは、同じ宇治市立宇治中学校出身で岡崎さんの後輩である、ヤバイTシャツ屋さんのこやまさんが、“寿司くん”名義で映像監督を務めています。
 
「MUSIC VIDEO」をはじめ、岡崎さんの作る曲はコンセプトが面白く、笑いの要素が入った名曲がたくさんありますが、そのアイデアの源についてもお伺いしました。 同郷で盟友のこやまさんとも音楽についてよく話し合われるそうですが、お二人とも、オモシロ要素を曲に取り入れる源は、宇治市出身であることが一番大きいと考えています。洛中洛外の思想みたいなモノが京都にはあり、京都市民と比べて宇治市民は劣等感を感じることがあるそうです。この劣等感から生まれる“恥ずかしさと照れ”が曲にも表れると言います。例えば、すごいギターロックのカッコいい曲を作っても、一貫して頭から最後までカッコよく仕上げると、京都市民から「宇治市民が何カッコつけてんの?」と言われる不安が常にあり(実際に言われることはありませんが・・・)、どこかにオモシロ要素を入れてしまうそうです!川島さんは、『秘密のケンミンSHOW』に京都代表で出るたびに、「お前が京都を背負うな!あなたは宇治だから。」と言ってくる人が少数いたと明かしつつ・・・、宇治市民が持つ劣等感、それを笑いに変える市民性に頷いていました。
 
 
(日曜劇場「DCU」では、役作りのために17キロ減量された時の岡崎さん。)
これまでに最も影響を受けた人は、音楽家の澤野弘之さん。もともと同じレーベルに居た先輩であり、昨年は澤野さんのボーカルプロジェクトアルバム『iv』で、岡崎さんは「膏」という曲のボーカルを担当されました。澤野さんは、「進撃の巨人」や「機動戦士ガンダムUC」など数々の有名アニメの音楽や、ドラマ・映画の曲を手掛け、なんと、年間に200〜300曲も作られているそうです!もちろん、その1曲1曲のクオリティーは高く、その仕事の速さと質の高さに岡崎さんは驚愕したと言います。かつては、自分は仕事が速い方だと思っていた岡崎さんですが、澤野さんに出会ってから、“俺、激遅やな・・・”と感じ始めたそうです。笑
 
 
岡崎さんが曲のアイデアを生み出す場所は、ご自身の作業部屋の椅子。椅子に座り、“やるぞ!”と覚悟を決めないと集中できないそうです。ミュージシャンの中には、“歌詞が降ってくる”“夢の中でメロディーが浮ぶ”という方もいますが、岡崎さんは、「あれは本当に天才の所業なんで、僕みたいなタイプには全くない経験。マジで1回くらい降ってきて欲しいな〜、ほんまに。」と嘆いた後、なぜかスイッチが入り、“夕日を見てたら浮かんできた”と言う人に対しては「なにそれ・・・嘘付くなよ!机で書いてるやろ!」と嫉妬からの怒りが・・・。笑
続けて「夢なんて大体何かに追っかけられたり、高いところから落ちたり、歯がボロボロ抜けたり・・・そんな夢ばっかり見てんのよ!」と再び嘆きます・・・。笑
この嫉妬や嘆きも、“岡崎体育”の名曲へ繋がるエネルギーになるのですね!
 
 
これまで人に言われた言葉で一番印象深いものは、お祖父様のお言葉。
お祖母様が亡くなり、お葬式の後、親戚一同で食事をしながら話していた際、お祖父様が突然、「ちょっと聞いてくれ。」と、みんなの話を止めました。そして、「実は・・・ばあちゃんより、じいちゃんは4つ年下やったんや。」と言い出します!なんと、それまでお祖父様は“お祖母様より1つ年上”という、嘘の設定を守り続けていたのです!笑
このことは誰も知らず、親戚一同仰天!天国に旅立たれたお祖母様も知らないそうで、岡崎さんは、“年下というのが恥ずかしかったかな?”と、思いを察していましたが、お祖母様が亡くなった4年後、お祖父様も天国へ。つまり、同じ年齢で旅立たれたことになりますが、「天国で同い年で亡くなったってばあちゃんが聞いたら、嘘バレるやん!」と、岡崎さんは心の中でツッコんだそうです。笑
 
 
岡崎さんの人生で見つけたエウレカは、“学園部活ドラマに出てくる学校の教頭先生は、絶対その部活を廃部に追い込もうとしてる”ということ。校長先生や理事長は、主人公の味方であることが多いが、教頭先生はずっと悪役で、よくても最終話に“ニヤッ”とする程度だと語ります。
「本当に、これが人生で見つけたエウレカで大丈夫ですか?他の人は、周りの人への感謝などをおっしゃいますけど・・・。」と、中学の先輩として、川島さんはもう一度チャンスを与えようとしますが、「はい。大丈夫です、これで、、、はい!」と岡崎さん流のエウレカを貫きました。笑
そんな岡崎さんの今後の夢は、『NHK紅白歌合戦』に出演すること。
さらに、できれば地元・宇治の名所、“平等院鳳凰堂”からの中継で、ヤバイTシャツ屋さんと共演されたいそうです!日本の行事であり、ミュージシャンが目指す場所である紅白歌合戦。川島さんも同郷として、是非とも二組に出演して欲しいと願っていました。また、ドライブの最後には、宇治出身者で、“宇治フェス”をやろうというお話も!MCは川島さん、女性アシスタントは安田美沙子さんと坂下千里子さん。アーティストも、岡崎体育・ヤバイTシャツ屋さん・夜の本気ダンスなど豪華なラインナップ!さらに、有名シェフの鎧塚俊彦さんも宇治出身なので、フードもバッチリ!笑
『FUJI ROCK FESTIVAL』ならぬ、『UJI ROCK FESTIVAL』。是非実現して欲しいですね!
 
 
岡崎さんは、先月、新曲「レディキャップ!」と、「季節の報せ」の2曲を配信リリースされました。
「レディキャップ!」は、テレビ大阪・テレビ東京系列全国6局ネットにて毎週日曜放送のテレビアニメ『キャップ革命
ボトルマンDX』のオープニングテーマ。
「季節の報せ」は、4月から放送開始となった朝日放送テレビ『news
おかえり』オープニングテーマになっています。こちらも是非チェックしてみてくださいね!
 
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