PASSENGER DIARIES

EDC 営業日誌(過去のお客様)

2022年4月9日放送

Passenger

土井善晴

本日のお客様は、土井善晴様。
1957年、大阪府出身。お父様は料理研究家の土井勝さん。大学卒業後、スイスとフランスでフランス料理を、大阪の名店「味吉兆」で日本料理を修行。その後、『土井勝料理学校』の講師を経て、1992年に『おいしいもの研究所』を設立。和食文化を未来につなぐために「和食の初期化」、持続可能な家庭料理のスタイルを提案されています。2016年に出版された『一汁一菜でよいという提案』は、20万部を超える大ベストセラーを記録し、家庭料理に革命をもたらしました。また、『おかずのクッキング』(テレビ朝日系)、『きょうの料理』(NHK Eテレ)など、テレビ番組にも多数出演。お父様から引き継いだ『おかずのクッキング』は今年3月、惜しまれつつ48年の歴史に幕を閉じました。その他、食育の講演会、大学講師、レストランプロデュースなど多岐にわたる活躍をみせる大人気料理研究家です。

 

 

〜料理の先生〜

土井先生との共演を熱望していた川島さん。理由は、奥様が“料理の先生”として崇拝しているから。付き合いたての頃、奥様の作る味噌汁が具沢山であることに気付いた川島さんが、「結構、具多いね!」と何気なく言うと、実は奥様の実家でも味噌汁は具沢山で、そのルーツは土井先生だと教えてもらいました。「味噌汁には何を入れても良い。」と唱える土井先生には、“料理は張り切り過ぎなくて良い”という考えが基本にあります。一般の家庭では献立を考える際、肉や魚などメイン料理をまず考えがちですが、メイン料理は調理に時間が取られるうえ、健康のことを考えると野菜も摂取しなくてはならず、付け合わせや副菜を作るのも大変です。そこで、“野菜料理は大変”と感じた土井先生が提案したのが、“一汁一菜”の考え。味噌汁の中に具材をたくさん入れれば、そこで野菜が取ることができます。土井先生は「ご飯を炊いて味噌汁を作れば、家庭の炊事係のノルマはまず達成。プラスのおかずは“楽しみな部分”。春が来たなら筍を食べよう!お肉を焼こう!コロッケを揚げよう!など自由に考えたら良い。」と、“一汁一菜”の考えを改めて教えてくださいました。この提案は、家庭料理に革命をもたらし、一大ブームを巻き起こしました。
ここで川島さんは、土井先生のLINEスタンプも愛用している奥様から、ある悩みを預かっており、先生に質問。
「子供が味噌汁をあんまり飲まないんですが、どうしたらいいですか?」
この悩みに土井先生は「昔ながらの良いお味噌を使ったら大丈夫。」とシンプルにお答えに。味噌は自然の景色みたいなもの。子供は純粋なものが好きだから、富士山を見て綺麗だと感じるように、自然の景色は、嫌いになったり、飽きたりすることはない。だから、昔ながらの良いお味噌を使えば良いとアドバイス。昔ながらの良い味噌とは、よく醸された味噌のこと。これをお湯に溶くだけで味噌汁は完成。具材は子供の好きな芋でも、とろろでも、何を入れてもOK。あとは、“余計なことをしないこと”、そして“美味しいものを作ろうと思わないこと”が大切だとおっしゃいます。ちゃんと引いた出汁を加えれば美味しさが増すこともありますが、合理的に顆粒状の出汁を入れてしまうと、味噌と出汁が喧嘩して“重い味”になってしまうそうです。重い味とは“ややこしい味”。水のように軽やかで、体に入れて“気持ちいい”と感じることが大事なんだそうです。だからこそ、味噌のそのままの味、“自然を信じること”が一番の解決策だと教えてくださいました。特別に何かを加えたりして足し算するのでは無く、引き算が答えだったのですね!

料理のアイデアを生み出す方法についてもお聞きすると、「何かしようと思わないこと。」というお答えが。「達人の意見ですけど・・・笑」と、川島さんは思わずツッコみますが、土井先生は丁寧に解説してくださいました。
献立を考える時は、まず始めに“季節に聞く”。自然を見ることで今の季節ならアスパラガス、ふきのとうなど旬な食材が浮かんできます。次に“家族を見る”。家族の体調や食べる時間など、その日の状況を把握することで、料理に工夫が生まれます。今日という日は2度とないから、その日の天気、家族の様子を見ながら、できるものを作ればよいとおっしゃいます。
また、食材にも食材の時間があり、例えば、芋を急いで強火で茹でると、身が崩れてしまいます。茹でている時、“芋が気持ちよくしていた”というプロセスが大事。結果ばかりを求めず、食材と向き合いながら、自分のできることをする。食材によって、熟し具合や油の乗り方も違うので、「もし、魚の煮付けや、野菜の煮込みに油が少ないなと感じたら、サラダ油を少し加えてあげても良い。」と、優しく語る土井先生は、自然と人間が共に無理なく、良い関係であり続ける料理作りを心掛けているのです。
さらに「料理には正解も間違いもない。失敗しても落ち込むことはないし、そもそも失敗なんてない」とおっしゃいます。どんなことでも最初から上手く出来る人はいません。スポーツや習字も繰り返しやることで上達していきます。しかし、“料理”に関してだけ、レシピを見れば最初から美味しく出来ると勘違いしている人が多いという現状が・・・。「繰り返し練習することで、その経験から美味しい料理に近づいていく。何故、料理だけ1回目から美味しく作くれると思うのですか?」「レシピばかりを見て調理をすると、自分の感性を使わなくなってしまう。そんなの面白いですか?」と土井先生は投げかけます。

 

 


(海外修行時の土井先生)

〜料理人への道〜

土井先生が料理人を志したのはご両親がきっかけ。お父様の勝さんと、お母様の信子さんは、『土井勝料理学校』を経営されていました。土井少年にとって料理は常に身近な存在で、中学を卒業する頃には、将来はこの道に進むことになるだろうと感じていたと言います。小さい頃からご両親に勉強を強制されることもなく、毎日“今日はよぅ〜遊んだ〜”と心ゆくまで遊び、お風呂に入り、“ご飯が美味しいな〜”と日々健やかな生活を送っていたのだとか!
お父様が有名な料理研究家ということで、「食卓にはどんな料理が並んでいたのですか?」と、思わず川島さんは尋ねますが、この質問は子供の頃から散々聞かれて、昔は聞かれる度に腹が立っていたそうですが・・・、とにかく普通の料理が並んでいたそうです。
そんな土井先生は、21歳でスイス、23歳の時にフランスへと修行に行かれます。海外へ出た理由は、中華・和食・フレンチなど世界中の料理を学ぶべきだと考えていたから。そのなかでも一番ハードルの高いフランス料理を選びました。この海外での経験は、ご自身の生きていく上での土台になっているそうで、ビザを取り、アパートを借り、学校への入学手続きなどを1人で行ったことは自立するきっかけになりました。
帰国後はお父様のアシスタントに。ですが、ここである転機が訪れます・・・。お父様から「善晴、漬物を盛りなさい。」と頼まれ、土井先生の頭の中は、“漬物!?”と軽くパニックに!パニックに陥った理由を伺うと、「だって漬物を盛るレシピなんてないでしょ?だから、どの器を選び、どういう切り方をして、どう並べて良いか、まったく手立てがなかった。」と、脂汗が出るほど、どうして良いか分からなかったそうです。日本料理の知識が足りないと自覚した土井先生は、次の日から名のある日本料理店へ連絡を取り、修行のお願いをされたそうです。
こうして、お父様のアシスタントを離れ、日本料理の名店「味吉兆」で働き始めることに。しかし、和食の世界は甘くはありませんでした。フレンチのシェフは、ナタのような包丁で食材を切りダイナミックに調理しますが、和食は繊細な包丁裁きが求められます。そのため、日本料理屋に修行に行ったものの、包丁裁きがままならないうちは何も切らせてもらえませんでした。“次、頼まれる時が来るまでに技術を磨かねば!”と必死に自主練されたそうです。この期間、お父様からアドバイスはなかったのか川島さんが尋ねると、「父は何も言わない人でしたからね。神戸のフレンチでバイトしている時は、父のレジピ本を買って賄いを作っていた。」と、お父様の本を自腹で購入されていたことを明かしてくださいました。笑
その後、料理研究家に転身された土井先生。きっかけは『土井勝料理学校』を守るためでした。『土井勝料理学校』が開校された時は、花嫁修行として料理を学んでから家庭に入る女性が多かった時代。全国には2万人ほどの生徒がいたそうです。しかし時代の変化とともに徐々に生徒数が減少・・・そこで、戻ってくるように声を掛けられた土井先生は、家族の危機を救うべく、お店を辞めて料理学校の講師となります。
家庭料理を専門にしていくなかで、家庭料理は教育だから、みんなに料理を好きになって欲しいと常日頃考えていました。しかし、当時は、“料理はめんどくさい”“食べる物は何でも売っている”といった風潮があり、“いずれ人間は料理をしなくなる”と考える人もいましたが、土井先生は“人間は料理をしないとアカンやろ!”とずっと思い続けていたと言います。そこで取った行動は、「土井善晴の勉強会」「大人の食育」「土井善晴のお稽古ごと」など、日本の未来を担う若者に持続可能な日本らしい食を伝えることを目的とした講座の開催。すると、若い女性の方が沢山来てくれたそうです。生徒の皆さんに話を聞くと、「良い家庭を持ちたいから料理を頑張りたい。でも、料理をしたことがない。」「自分の手料理で子供を育てたい。」という声が多数。この悩みに対して土井先生が導き出したのが、“一汁一菜”の考え。「料理なんて覚えなくて良い。ご飯が炊けて、味噌汁を作れればまずOK。だから、余裕がある時にコロッケを作ろうと思ったら、レシピを見て覚えていったら良い。」と、基本の枠組みを教えてあげることで、生徒の皆さんを料理のプレッシャーから解放しました。メインディッシュから作ろうと思わずに、基本となるご飯と味噌汁さえ作ることができれば、この基本を応用して、自然とメインディッシュへの道に繋がっていくのです。「色んなレシピを考えるのが料理研究家ではなく、料理を通じて暮らしの中でみんなに幸せになって貰うのが料理研究家だと思います。」とおっしゃる土井先生。多くの人に支持される理由が分かりますね!

 

 

〜マラソン〜

40歳を過ぎた頃、仕事で“レシピを試作して食べる”ことが増え、気付いたら体重が増えてしまった土井先生。当時、奥様と待ち合わせをしていた時、遅れて到着された奥様が近くの人に「ここに男性の方、来ませんでしたか?」と尋ねると、「あ!あの太った方ですか?」と言われたそうです・・・。この言葉に土井先生はかなりショックを受けたとか・・・笑 また、その頃から料理をする為に、立ち上がるのがキツくなっていたそうです。
「料理人が、料理するために立ち上がるのが“しんどい”というのはアウトでしょ!」と土井先生は危機感を覚え、まずはウォーキングから開始。その後、知人からマラソンに誘われ挑戦してみることに。すると、予想よりも自分が走れることに喜びを感じ、いつしかマラソンの虜に!順調に走る距離を伸ばしていき、フルマラソンにも挑戦!『東京マラソン』は過去10回ほど参加されているそうです。
さらに土井先生の勢いは止まらず、100kmのウルトラマラソンにエントリー!42.195kmのフルマラソンはタイムを競うので、日々追い込むトレーニングをしないとタイムを更新出来ません。一方、ウルトラマラソンは完走が目的。定説では、100kmを完走するのに必要な練習量は、大会前の3ヶ月間は月300kmを走ること。もちろん、いきなり月に300km走るのは不可能ですから、さらに前から月に100km〜200km走れる体を作る必要があります。土井先生は、仕事のスケジュールを調整して練習を重ね、2008年、北海道の『サロマ湖100kmウルトラマラソン』を完走!それ以降、5回も完走されています!
そんなマラソンの魅力について土井先生は、「基本的に走ることはストレスです。いくら楽しいといっても、走り始めたら早くゴールをしたいと思う。ですがゴールをすると、そのストレスがパッと消える。さらに、別の嫌な気持ちも体から抜けていく感覚になる。いわばアク取りみたいなモノ。」と分析されており、心の健康にも良い運動になっているそうです!ちなみに、走っている最中は、“大根を使ったレシピを5つ”といった、期限の迫っているレシピの考案をされているのだとか。笑 意外と思い付くらしいですよ!

 

 

〜影響を受けた人〜

これまで影響を受けた人物を三人挙げてくださいました。
「適当に事前アンケートに答えただけで・・・笑 そんなに深い意味は無いですからね・・・笑」と前置きしつつ、、、まず名前を挙げたのは、お父様の土井勝さん。やはり、人間性や仕事など多大な影響を受けているとおっしゃいます。次にお名前を挙げられたのは奥様。「みんなエエ格好して偉人の名前を挙げるけど、そりゃ、一番側にいる人間の影響を受けていますよ。」と素直に語る土井先生。最後に名前を挙げてくださったのは、陶芸作家の河井寛次郎さん。河井さんは、柳宗悦さんらと共に民藝運動(日常的な暮らしの中で使われてきた手仕事の日用品の中に「用の美」を見出し、活用する日本独自の運動)を行った1人です。土井先生は日本料理の名店「味吉兆」から「土井勝料理学校」に戻られた時を振り返り、「懐石料理から家庭料理に戻った。やはり、物の作り方から手法まで異なるプロの料理と家庭料理には一線を引く差がある。“フランスで日本料理店を開き、三つ星を取れたらかっこいいな”考えていた時期もあった自分からしたら、“家庭料理に、自分の一生捧げるモノがあるのか?”と悩む時期もあった。」とお話に。そんな時、訪れたのが京都にある『河井寛次郎記念館』でした。そこで民藝とは、“人が健全な暮らしを行うなかで、淡々と仕事をしていたら美しいものが後から生まれてくる。”という考えであり、“生活の道具や食べ物を作るということは、自然に過ごしているだけで生まれてくる。”と学びます。この思想は、土井先生が描く“家庭料理”のイメージと合致。“家庭料理は民藝だ”と、言葉として正しく理解することができ、土井先生の料理人生に多大な影響を与えました。

 

 

〜印象に残っている言葉〜

今までに人から言われて一番印象に残っている言葉は、解剖学者の養老孟司先生の言葉だそうです。
これまでに、たくさんの著書を出版されてきた土井先生。本の内容は、ご自身が感じたこと・気付いたことを文字にしてきました。しかし近年、世の中では“この言葉はどこから引用されたか?”など、エヴィデンスやソースを探す傾向があります。そんな状況に疑問を感じていた土井先生は、養老先生にお会いした時に、「自分で考えたことを話しても良いんですか?」と相談されたそうです。すると「自分で考えたことしか喋るな!」とはっきり言われ、「資料に頼って、受け入りの言葉を話しても面白くない。自分でしっかり考えて話す言葉が一番良い。」と、教えてくれたと言います。土井先生は、この言葉を受け“これで良いんだ!”と気が楽になったそうです。土井先生の食への提案は、長年の経験を踏まえて考え抜かれたものであるからこそ、多くの人に響くのかもしれません。

 

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PLAYLIST
  • 「ごはんができたよ」
    矢野顕子
  • 「大好物」
    スピッツ
  • 「湯気」
    星野源
  • 「夢の中へ」
    井上陽水