EDC 営業日誌(過去のお客様)
2022年4月2日放送
本日のお客様は、スカート・澤部渡様。
1987年、東京都出身。高校時代から宅録活動を始め、2006年、『昭和音楽大学』在籍時にソロプロジェクト「スカート」として活動を開始。大学4年生の2010年には、自主制作で1stアルバム『エス・オー・エス』をリリース。2016年には『スピッツ』のシングル「みなと」に口笛とタンバリンで参加。ミュージックステーションにも出演されて話題に!翌年には、アルバム『20/20』をポニーキャニオンからリリースされメジャーデビュー。ギター、ベース、ドラム、サックス、タンバリンなど様々な楽器を演奏するマルチプレイヤーとしても活躍され、『ムーンライダーズ』『yes,
mama ok?』『川本真琴』など多数のアーティストのレコーディングやライブに参加。川島さんとも、実は交流があるそうです。
 
 
藤井隆さんのライブで初共演した、澤部さんと川島さん。川島さんから見た澤部さんの第一印象は“ハチミツが好きそうな、おっとりした優しそうな男性”だったそうです!笑
そしてライブを観ると、繊細で綺麗な歌声に魅了され、すっかり虜になりました。
藤井隆さんをはじめ、芸人との接点も多い澤部さん。最近の活動では、5月11日にリリースされるフットボールアワー・後藤輝基さんのカバーアルバム「マカロワ」にアレンジで参加されています。
また澤部さんといえば、昨年ラッパーのPUNPEEさんと『スカートとPUNPEE』名義で「ODDTAXI」という曲をリリースされました。TVアニメ『オッドタクシー』の主題歌として書き下ろした今作は、アニメ人気と相まって大ヒット!このヒットを受けて澤部さんは、「アニメーション作品の力も実感しましたし、単純に嬉しかったですね。」と語りました。オッドタクシーの絵柄は、ほのぼのとした動物アニメのようですが、主人公のタクシードライバー・小戸川を中心としたキャラクター達の心情が入り混じる群像劇サスペンス。事前に台本を見て、楽曲制作に取り組んだ澤部さんは、“回を重ねるごとにアニメにマッチすること”を意識され、よりアニメの世界観に引き込む曲を誕生させました。川島さんも好きなアニメ『オッドタクシー』はAmazonプライム・ビデオで今でも見ることができます。さらに、昨日から劇場版も公開されました!
 
 
澤部さんが昭和音楽大学4年生の時、世間はリーマンショックの影響もあり、就職氷河期時代。音楽関係の道に進みたくても求人が無い状況でした。それならばと、就職活動はせず、1度、自分のアルバムをリリースして世に問うてみることにしたそうです。そして、ほぼ1人多重録音で制作されたアルバム『エス・オー・エス』(2010)をリリース!ひっそりと発売したにも関わらず、最初の1週間で100枚ほど売れ、クチコミで“スカート”の噂は拡まっていきました。こうして“スカート”としてインディーズデビューした澤部さんは、“自分の曲を、聴いてくれる人がいないわけではなさそうだ!”と感じ、プロのミュージシャンの道へ進みます。
 
 
(幼少期の澤部さん)
幼い頃から音楽が好きだった澤部さん。ミュージシャンの方には、ご家族が音楽関係の仕事をしていたり、音楽が好きで、その影響から音楽に興味を持つ方も多いですが、澤部さんはそうではなく、自発的に興味を持ち始めたそうです。
最初に好きなになったアーティストは、“光GENJI”。楽器に触れ始めたのは、お兄さんが習っていたエレクトーン教室に付いて行ったのがきっかけ。ですが、譜面を読むのが苦手で真面目に習っていた訳ではなかったそうです。
そんななか、小学校5年生の頃にフォークデュオ“ゆず”が音楽シーンに現れ、世にギターブームが巻き起こります。澤部さんは、ブームが起こる1年ほど前から、ギターに興味を持っていましたが、まだギターを上手く扱えるほど手が大きくなく、挫折。1年後、世間のギターブームで澤部さんの興味も再燃し、久しぶりにギターを持ってみると、体の成長により手が届くようになっていました。そこからは、ギター漬けの日々。譜面を買い、独学でギターを覚え、ブームの火付け役である“ゆず”の「夏色」などをカバーされていたそうです。
中学校にはまず吹奏楽部に入部。しかし、中学2年生の時にロックをやりたいという理由で退部。その後、椎名林檎さんのコピーバンドを結成しバンド活動を始めます。オリジナル曲も作り始めた澤部さんのバンドですが、バンドメンバーがロックへの熱い思いを曲にしている頃、澤部さんの心にある迷いが生まれます・・・。
それは、“何故、自分はロックをしているのか?”ということ。
ロックといえば、自由の象徴。反抗の手段として使われることが多々ありますが、澤部さんには反抗する理由が特に無かったそうです。バンドの先輩が「マジで、今の学校のセンコー、クソだよ。」と不満をぶちまけるなか、澤部さんは“先生、だいたい良い人じゃん〜”と思っていました。
そんな日々が続くなかで、“過激な音楽がロックなのか?”
“カッコいい音楽=ロックなのか?”
“ロックとは何なんだ?”と、澤部さんは、音楽と向き合う自分自身を見失いかけそうになったのだとか・・・。
そんな悩みを抱いている中学3年生の時、“yes, mama ok?”というバンドに出会います。
俳優としても活躍している金剛地武志さん率いる“yes, mama
ok”は、澤部さんからみて、ポップでありながら、ロックより過激なことをしていました。そこで、自分自身がやりたい音楽はこの路線にあると気付きます。“過激なことをしてロックぶるのではなく、ポップさという上品な世界の中でどのように狂うのかが大事”という音楽スタイルを発見!
目指す道が定まった澤部さんは高校では、美術部に入部。美術部?と思うかもしれませんが、その美術部は活動が自由で、何を制作しても良かったそうです。笑
高校時代から1人多重録音で曲作りに励んでいた澤部さんは、年に1度の文化祭で、美術部として、周りの部員が絵や造形作品を展示するなか、自主制作した音楽のCD-Rを展示!30枚ほど置いていたCD-Rは全て無くなり、同級生から「2曲目良かったね!」など声を掛けてもらい、「エヘヘヘヘって感じで喜んでいました。」と、嬉しそうに当時を振り返りました。
(大学時代の澤部さん)
昭和音楽大学へ進学した澤部さんは、入学と同時にソロプロジェクト名の『スカート』と名乗り始めます。この特徴的な名前の由来について伺いました。
過去に同じ質問を何度も受けてきましたが、昔は「女性らしいモノへの憧れがあったから」と答えていたそうです。この理由も事実ではありますが、一番のこだわりは、“とにかく短いバンド名”にしたかったから。アメリカのロック&ポップバンド「Sparks」(スパークス)や、イギリスのロックバンド「The
Who」(ザ・フー)といった、よく使われる言葉を用いた、略されない短いバンド名が好きだった澤部さん。そこで、ご自身の中でしっくりきた名前が“スカート”だったそうです。
 
(“Sparks”のTシャツを着ている澤部さん)
 
 
ここで、マルチ音楽プレイヤーの澤部さんに、これまでのキャリアで起こった3大事件をお聞きしました。
1つ目は、『2010年に大好きなバンド“yes, mama ok?”のサポートバンドになったこと』
先ほどの話にもあった通り、澤部さんの人生を大きく変えた“yes, mama
ok?”。このバンドが存在しなかったら澤部さんはミュージシャンになっていないとおっしゃいます。そんな、憧れのバンドにサポートメンバーとして加入出来たことに対して、「人生って凄いなって思います!」と、感慨深くお話くださいました。
2つ目は、『スピッツの後ろで口笛を吹いたこと』
2016年に“スピッツ”が「みなと」という曲を作る際、口笛をやって欲しいというオファーがありました。何故、澤部さんにお声が掛かったかというと・・・それは、遡ること3年ほど前。ライブで“カーネション”というバンドと対バンを行っていた時、ご自身の出番で口笛を披露した澤部さん。すると、“カーネション”のボーカル・直枝政広さんが澤部さんの奏でる口笛を気に入り、その場でセッションすることに。そのライブをたまたま観に来ていたのが、スピッツのディレクター!3年後、ライブでの澤部さんの口笛を覚えていたディレクターから声が掛かり、「みなと」に参加することになりました。
スピッツの皆さんとの初対面は、レコーディングの時。収録場所も憧れの立派なスタジオだったということもあり、澤部さんは行く前からソワソワした状態・・・笑
さらには、口笛での参加という、心身が落ち着いていないと良い音が出せない特殊な状況!
川島さんから「緊張で震えたでしょ?」と聞かれた澤部さんは、「震えるなんてもんじゃ無いですよ〜笑」と即答されていました。笑 実は澤部さん、レコーディングにメンバーの皆さんは来ない(別撮りする)と思っていたそうで・・・
しかし、現場に着くと目の前にスピッツの4人が!緊張感が高まります!笑 ですが、澤部さんもプロ!無事に収録を終えました。
そして、澤部さんの口笛が入る「みなと」は、“スピッツ”の41作目のシングルとしてリリースされることになり、さらには『ミュージックステーション』で披露することが決定!!もちろん澤部さんにもお声が掛かります。当時はテレビにもほとんど出たことが無い頃。さらには、“生放送・生口笛・生タモリ”
という3大緊張要素が!笑 ですが、ここもさすがの澤部さん。口笛とタンバリンで、素晴らしい演奏を披露されました。ネットでは (スピッツが歌い出し間違って草。演奏中に口笛とタンバリやってた人の存在感やばかった)(後ろのおっきい人の存在感半端なかった)など多数の書き込みが!笑 書き込みの通り、この日の演奏ではボーカルの草野さんが歌い出しを間違ったことと、澤部さんの存在感がインパクトを残し、大きな反響を呼びました。
澤部さんの音楽キャリアの3大事件
3つ目は、『ムーンライダーズのサポートメンバーを始めたこと』
“ムーンライダーズ”といえば日本のロックレジェンドであり、音楽クリエイター集団。北野武監督映画『アウトレイジ』の音楽や、ゲーム『MOTHER』の音楽担当をされた鈴木慶一さん、かぐや姫の名曲「神田川」のバイオリンを担当されている武川雅寛さん、「プレイステーション」のコマーシャルのサウンドロゴを担当された岡田徹さんなどが所属するバンドです。
大学時代に“ムーンライダーズ”が好きな後輩が入学したことで、大学生活が一気に楽しくなったと語るほど、もともと大ファンだった澤部さんは、2021年からサポートメンバーに加わることに。さらには、その大学の後輩も一緒にサポートメンバーに呼ばれたそうです!
憧れの人と仕事をする、夢のような経験が続く澤部さんの人生。
これまでの音楽人生を振り返り、「“スピッツ”も“ムーンライダーズ”もロックの一言では言い切れない音楽をしている。学生時代に色々迷った自分が、求めていた音楽界隈のジャンルに今いることができて嬉しい。“ロックだけどロックじゃない”ということを説明するのは難しいけど、“色々なモノを内包しているロックと、ロックしか内包してないロックがある”。高校時代のロック好きは、“ロックはだけのロック”。それもカッコいいが、そこだと自分は息苦しかった。」と振り返り、様々な経験や人との出会いによって、追い求めたロックの場所で活躍出来ることの幸せを噛み締めていました。川島さんも「数奇な運命ですね。」と澤部さんが引き寄せる音楽キャリアに驚いていました。
(2021年・恵比寿LIQUIDROOMでのライブ)
 
 
ここ5〜6年で、お笑いにハマった澤部さん。最初、テレビ関係の友人から、“Aマッソ”や“ランジャタイ”などを教えてもらい、お笑いに夢中になっていったそうです。
最近のおすすめ芸人をお聞きすると、まず名前が挙がったのは、8人組コントユニットの“ダウ90000”。
存在は周りからよく聞いていましたが、最近はコロナ禍で、劇場でお笑いを見る回数が減った澤部さんは、現地で感じるお笑いブームを追えていなかったそうです。そんななか、久しぶりに行ったのが『サラリーマン川西の夏のボーナス50万円争奪ライブ』・・・こちらのライブは、ごくごく普通のサラリーマンとして働いている川西さんが、ボーナスを有意義なことに使いたいと考え、50万円を賞金として、好きな芸人さん方にネタバトルをして欲しいと考えた企画。このライブで初めて“ダウ90000”を観た澤部さんは、すっかり大ファンに。笑
「そこに行っているのが凄い・・・。」と川島さんも、澤部さんのお笑い嗅覚にびっくり。他にも、川島さんが名前すら知らなかったお笑いコンビ“ポンループ”を薦めるなど、マニアぶりを明かす澤部さん。「ルミネtheよしもと」や「なんばグランド花月」など、人気芸人が多く出る大規模会場にはあまり行かないそうで、「ヨシモト∞ホール」や「ヨシモト∞ドーム」に行く頻度が多いと伝えると、川島さんは「吉本の僕が言うことじゃないですけど・・・誰も行かないんですよ!普通は!笑」と思わずツッコんでいましたが、お笑い愛が伝わってくる澤部さんのお話を嬉しそうに聞いていました!
そんな、お笑いライブに通う澤部さんは、芸人さんの出囃子の音質が悪いとミュージシャンとして気になってしまうのだとか!“あれ?YouTubeからそのまま音をぶっこ抜いたのかな?”という風に、耳が反応してしまうそうです。笑
出囃子にはこだわりがある川島さんも、これには思うことがあるそうで・・・麒麟の出囃子は“電気グルーヴ”の「Shangri-La」を使用。学園祭などでは音質に差があるそうで、“カセットテープで録音したのかな?”と思うほど、低音質の時もあったのだとか!笑 また、川島さんには「Shangri-La」はシングルバージョンが良いというこだわりがあります。何故なら、アルバムバージョンは、前の曲から続いて始まるため、途切れる音が入ってしまうから。ですが、“そんなこだわりはいいから、ネタ作れよ!”といった顔で見られた過去もあり、芸人として音楽にこだわりすぎるのは少し葛藤もあるそうです。笑
 
 
毎回、お越しいただいているゲストにお聞きする“人生で見つけたエウレカ”ですが、澤部さんは以前からエウレカという言葉を使用しているようです!
2016年2月11日、ご自身のTwitterで・・・
〜〜『武道館で開催された雑誌「写楽」創刊イベントのタイトルが「写楽祭」だったの、「洒落臭い」とかかってるといま急に気づいて風呂場で「エウレカ!」と叫んでしまった』〜〜 と投稿。
急に何かを思いつく瞬間がよくあるそうで、「エウレカ!としか言い表せない時ありますよね〜、我慢できずにツイートしてしまった!」とおっしゃっていました。笑
また他にも、2020年7月15日には、
〜〜『限界しりとりで「ど」の5文字が出て瞬時に「ドッチーモ」が出てきたとき、完全にエウレカだった』〜〜 とツイート。
「限界しりとり」とは、(“ど”からはじまる7文字)など、指定されたルールでしりとりを行うアプリゲーム。「ドッチーモ」とは、1999年に発売されたドコモの携帯電話とPHS一体型端末のこと。一時期、異常に「限界しりとり」にハマっていた澤部さんは、その時、瞬時に「ドッチーモ」が浮かんたことが、人生で1番のエウレカだったと言います。笑 15年以上「ドッチーモ」という言葉を思い出していなかった澤部さんは、(“ど”の5文字)という指定に対して、「ドッチーモ」が突然、頭に浮かび、この凄さを皆さんと共有したいと考えた澤部さんは、たまらずツイート!
ご自身の中では、3万リツイートぐらいバズる感覚だったそうですが・・・・・“14いいね・1リツート”という何ともむなしい結果に・・・笑
「伝わってないな〜笑」と、川島さんも思わず大笑いしていましたが、今回のドライブで澤部さんは、“芯を食った事を言うほど、Twitterは“いいね”が付かない。”という新たなエウレカを発見したのでした!
 
 
(「海岸線再訪」)
澤部さんは、スカートとしてシングル「海岸線再訪」を昨年末にリリース。
また、所属するレーベル・カクバリズムが設立20周年を記念して『カクバリズム20周年記念SPECIAL
VOL.01』を日比谷野外大音楽堂で4月9日に開催!
スカートの他にも、“YOUR SONG IS GOOD” “キセル” “cero” “思い出野郎Aチーム”“在日ファンク”
など、所属アーティストが勢揃いするイベントです!
詳しくは、カクバリズムのHPをご覧ください!
https://kakubarhythm.com/live/post/9730
今後の目標は、年齢を重ねても音楽を作れるようになること。
サポートメンバーとして参加している“ムーンライダーズ”は平均年齢70歳ですが、音楽に対する集中力・瞬発力は、昔のまま。そんなレジェンドの横で、多くの事を学んでいる澤部さんはまずは体力を付けることを目標にしています。「運動していますか?」という質問には、「いや。全くしてないです!今後やっていこうという目標ですね!」と明るく言い切った澤部さん。笑
「典型的なさぼり癖の発言!笑」と、最後に川島さんにツッコまれていましたが、“スカート・澤部渡”の音楽を、齢を重ねても聞きたいのでサボらないでくださいね!笑
 
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