EDC 営業日誌(過去のお客様)
2022年3月5日放送
本日のお客様は、平成ノブシコブシ・徳井健太様。
1980年、千葉県生まれ。中学時代に北海道へ。NSC東京校5期生。2000年、NSC同期の吉村崇さんとお笑いコンビ『平成ノブシコブシ』を結成。2010年、海外ロケで物怖じしないキャラクターが注目を集め、フジテレビのバラエティ番組『ピカルの定理』のレギュラーに抜擢されます。2018年には『ゴッドタン』の腐り芸人で再ブレイク。バラエティ番組を観るのも大好きで、近年は、芸人やお笑い番組を的確に「分析・考察」することが話題に。先日2月28日に、人気のネット連載を書籍化した本『敗北からの芸人論』を発売されました。
 
 
人口より牛の数の方が多い酪農王国・北海道別海町で学生時代を過ごした徳井さん。そんな自然豊かな所から、お笑い芸人を目指したきっかけは、ご友人からの一言でした。
高校2年の3月頃、クラスメイトの明るい女子生徒から、将来について尋ねられた徳井さん。当時は、料理人になろうと思っており、「東京の料理専門学校に行こうと思ってる。」と伝えると、「徳井君は面白いから、絶対に芸人になった方が良いよ!」と、突然その女子生徒から言われたそうです。学生時代、自分から“笑い”を取りにいくタイプでは無かった徳井さんは、「それだったら、クラスの人気者の男子とかの方が向いてるんじゃないの?」と言い返しますが、その子は「所詮、クラスの人気者はクラスの人気者止まり。徳井君みたいな人が天下を取るんだ!」と力説されたそうです。実はこの女子生徒、ダウンタウンの特に浜田さんの大ファン!(徳井さん曰く、全道一。笑)
浜田さんのVTRや切り抜き写真は全て持っていると言われるほどのお笑い好きだったそうです。そんな、お笑い好きのクラスメイトから後押しを受けたことで、徳井さんの進路は料理人から“芸人”に変わります!
1999年、東京NSCに入った徳井さん。履歴書には“松本さんを倒すのは俺だ!”など、尖ったことを書いていたそうですが、無事に入学。同期には、ピース・渡辺隆(現・錦鯉)・大西ライオンさんなどがいました。同期のなかでも飛び抜けていたのは、後にピースを結成する又吉さんと綾部さん。当時はそれぞれが別の人と組んでおり、又吉さんは“線香花火”というコンビで漫才に定評があり、綾部さんは“スキルトリック”というコンビでコントに定評がありました。徳井さんはそれまでネタを作ったこともなく、コンビも組んでない自分と、既に同級生とコンビを組んでネタも仕上がっている2組を比べて、“もうダメだ・・・”と感じ、入学早々に芸人として上を目指すことを諦めたと言います。違うことで生計を立てようと決意し、その後、NSCではネタ見せなどを一切行わず、卒業を迎えたそうです。現在の相方、吉村さんとの出会いはNSC卒業後。吉村さんは当時から、“いつか帯番組でMCをやりたい”など、大きな夢と野望を持っていました。誰かとコンビを組みたいと思っていましたが、卒業時には大半の人がすでにコンビを結成しており、吉村さんはまだコンビを組んでいない人に片っ端から電話を掛けます。十数名に断られ続けたあと、ようやく繋がったのが徳井さん。
吉村「Bクラスの吉村ですけど、僕とコンビを組んでくれませんか?」
徳井「あ、いいですよ。」
この会話のみで、“平成ノブシコブシ”は結成!夢を諦めてお笑いに対しては無気力の徳井さんと、夢に燃えている吉村さんが組むという特殊なコンビとなりました。
それまで一度も会話したことが無かったお二人。電話の後、初めて会った時も、吉村さんから「僕がボケをやりたいです。ネタも書きたいです。良いですか?」と聞かれた徳井さんは、「はい。」のみで会話は終了・・・。笑 その後も、吉村さんが作ったネタに対して何も言わずに黙々と従っていたと言います。しばらくすると徳井さんの中にお笑いへのこだわりが芽生えてきます。“面白いことを言わないんだったら、やめた方がいい”というスタンスで取り組んでおり、軽い笑いでお客さんから黄色い声援をもらう芸人なんてダメだと考えていました。しかし、お笑いの夢はすでに諦めているという、なんともややこしい立ち位置。笑 ご本人曰く、この時期が一番の“腐り芸人”だったそうです・・・。「何の前振りもなく、大喜利の答えを出して爆笑を取るのが芸人でしょ!」と自分の理想とする芸人像がありつつも、自分から答えを発表する気はなく、終わった後に「俺の方が面白い!」と豪語していた徳井さん・・・。「激ヤバですね。笑」と、流石に川島さんにもツッコまれていました!笑
当時、コンビとしてのコミュニケーションは基本ゼロ。また、M-1グランプリに対する志の違いからコンビ仲も悪化していました。“M-1で売れるためのネタではなく、芸人の中で通用するネタ”をやりたい徳井さんと、“売れるためにM-1に出たい”吉村さん。結成9〜10年目の頃に、売れるために吉村さんが作った“テンポの良い漫才”に対して、自分達らしさをもっと出して“玄人ウケするネタ”をした方が良いのでは?と提案した時には大喧嘩になったそうです。そんなコンビ仲が最悪の時期、吉村さんは突然、脇を鳴らす芸を始めます!笑 この脇鳴らし芸でテレビ出演も増え始め、脇を鳴らすたびにチャリンチャリンとお金の音が聞こえていた吉村さんは“脇で家を建てよう!”と本気で考えていたそうです。そんな、“脇御殿”を夢見る吉村さんに対して徳井さんは、“そんなんじゃ売れないよ。”と思いつつも、汗を拭く係として役目を全うされました!笑
平成ノブシコブシの独特な関係性は続きますが、2010年、フジテレビの人気バラエティ番組『ピカルの定理』のレギュラーに抜擢されます!このレギュラーの座を掴んだ経緯は・・・当時、徳井さんがあまりにも売れる努力をしないことを周りに相談していた吉村さん。ある時、『(株)世界衝撃映像社』という番組のスタッフと食事に行く機会がありました。海外ロケということで、スケジュール的に売れっ子芸人は起用できない状況のなか、若手芸人を探していたスタッフに対して、吉村さんは是非自分たちを使って欲しいと懇願。そこでスタッフから、「お前は良いけど、徳井はどうなんだ?」と、ロケに向いている芸人なのか確認されたそうです。玄人ウケするネタをしたい徳井さんが、ロケ番組にやる気があるとは思えなかったそうですが、吉村さんは、徳井さんを“クレイジーキャラ”にすることで番組を成立させることを計画します。そのクレイジーキャラというのは、「物怖じせず、現地(インドネシア)の部族の人とすぐに仲良くなり、ゲテモノ料理を美味しそうに食べる」「10メートルの高さから平然とプールに飛び込み、上がってきた後に水質についての感想を言う」など、本来は嫌がるリアクションを求められる番組で、逆のことをしまくった徳井さん。すると、嫌がるリアクションを行う吉村さんとの対比が見事にハマり、爪痕を残すことに成功しました。それを見たテレビ局員の目に留まり、平成ノブシコブシは『ピカルの定理』のレギュラーに抜擢されることに!『ダウンタウンのごっつええ感じ』を見て育った徳井さんにとって、フジテレビのコント番組は憧れの場所。また、NSC時代に圧倒されたピースのお二人とも肩を並べる形となったのです。
(学生時代の徳井さん)
 
 
徳井さんが芸能生活で印象に残っている出来事もお聞きしました。
1つ目は、テレビ東京『ゴッドタン』に出演した時。
ある若手芸人の人生を紐解くという企画に参加された徳井さん。その後輩芸人さんは役者業もやっていて、以前、ある大物俳優から陰湿なイジメを受けていたと明かします。この話を聞いて徳井さんは、その大物俳優に怒りを覚えましたが、後輩は“面白おかしく”話しているし、過去の話だからと、怒りを抑えて話を聞き続けます。また、俳優の名前がビッグネーム過ぎたこともあり、“どうせカットだな。”と心の中で思っていました。収録時間の1時間半のうち、30分ほどその話になりましたが、『ゴッドタン』の現場では、オンエアには使いづらいけど、現場だけで盛り上がる時間もよくあるのだとか。そして、収録は終了。30分番組の『ゴッドタン』なら、他の話で尺は埋まると思っていた徳井さんがスタジオを出ようとすると、劇団ひとりさんとプロデューサーの佐久間さんが険しい顔をして何やら話していました。耳を傾けてみると・・・「何とか、実名で使えないですかね?」という劇団ひとりさんの声が。「無理だよ。正直、ピー音を入れても厳しい。」と説得する佐久間さんでしたが、劇団ひとりさんは続けて「俺が頭下げに行ってもいいですよ。」と、さらに食い下がっていました。笑いのためなのか、後輩のためなのか、ひとりさんがそこまで食い下がる理由は分かりませんでしたが、徳井さんはその姿に感銘を受けたそうです。「天才・劇団ひとりは、諦めていなかった。俺ごときが、“使える”とか、“使えない”とか考えてちゃダメなんだと気付いた。」と言います。結果、その話は全カットになっていましたが、先輩のテレビに懸ける情熱を見た瞬間でした。
2つ目は、小籔千豊さんとの出来事。
普段から小籔さんにお世話になっている徳井さん。「僕が人間になったのは、小籔さんと千鳥さんのおかげ。」と言うほど、恩を感じている先輩だそうです。そんな小籔さんと、恵比寿の高級和食店で食事をされていた時のこと。芸人なら“この感覚分かるよね”といったお笑いの話を二人でしていました。しかし、徳井さんが「それは、こういうことですね。」と確認すると、「いや、違う。」と即答する小籔さん。そんなやりとりが何回か続いたところで・・・「何で分からへんねん!」と小籔さんに机を叩かれ、大きい声で怒鳴られたそうです。笑 普段は仏の様に優しく、お店でのマナーも非常に大切にされている小籔さんに、我を忘れるほど怒鳴らせてしまったことが、徳井さんはとても恥ずかしかったそうです。この話を聞いた川島さんは、「二択を10回ぐらい連続で間違えたんじゃない?笑」と、普段温厚な小籔さんの珍しいエピソードに驚いていました。ちなみに徳井さん曰く、小藪さんと川島さんは頭が良すぎて、会話についていけないことがあるそうです。
3つ目は、相方・吉村さんに言われた一言。
『はねるのトびら』に、若手芸人として出演した平成ノブシコブシ。そこで初めて、フジテレビのゴールデンでよく使用される巨大装置を使ったゲームに挑戦した徳井さん。内容は、でっかい滑り台から落ちないようにモノをゲットすればクリア、落ちたら熱湯風呂に直行という企画。憧れの巨大装置でしたが、ゲーム形式のバラエティに参加するのが初めてだったこともあり、徳井さんは上手く笑いに変えることが出来ず、途中で心が折れてしまいます。熱湯風呂に落ちた後、急いで脱出する素振りもせず、熱湯風呂の中にポツンと佇み、芸人として“やってはいけない”立ち振る舞いをしてしまう結果に・・・。そして収録後、吉村さんから「分かるけど、諦めちゃダメだよね。プロじゃなくない?」と、怒っているトーンではなく、呆れた感じで言われ、それが心に突き刺さったそうです。当時、2人の仲はあまり良くない時期。「怒りながら言われたらムッとしたかもしれないが、軽蔑されたことでハッとした。」と振り返る徳井さん。スベった後でも全力で笑いを取りに行くことは大事だなと、吉村さんの言葉で気付かされたそうです。
最後は10年前ほどに行われた4時間特番での出来事。
収録時間は6時間という長回しの番組で、MCはフットボールアワーの後藤さん。ひな壇には若手から中堅まで50名ほどの芸人がひしめき合い、MC席の一番近くのひな壇には千原ジュニアさんが居ました。番組では、当時再ブレイクしていた森脇健児さんがイジられる展開が続き、森脇さんは話を振られると、お決まりの「素直・謙虚・感謝やで!」と言いながらボクシングのワン・ツー・スリーのポーズで答えていました。スタジオは盛り上がった状態で番組はエンディングを迎えます。この時、徳井さんは心の中で、“4時間番組で6時間も収録したんだからエンディング・トークはもういらないでしょ。”と生意気ながら思っていたそうです・・・。エンディングでも後藤さんは、その日、大活躍していた森脇さんに最後の感想を求めます。それに対して、森脇さんは「素直・謙虚・感謝やで!」とお決まりのワン・ツー・スリーで締めて、スタジオ中が大団円を迎えたと感じていました。しかし、ここでジュニアさんが「ちょっと、待ってくださいよ〜。」と切り込みます!続けて、「素直・謙虚・感謝って言ってる人間が、ワン・ツー・スリーで相手をボコボコにしますか?」とツッコミます。このツッコミでスタジオは、もう一段階上の爆笑に包まれます!この時、徳井さんはジュニアさんに対して、“もう終わるじゃん。ジュニアさんほどレベルのすごい人が、エンディングで森脇さんの締めに被せてさらに笑いを取っていくの!?”と驚愕。面白いし、既に売れていて、誰からも舐められてないジュニアさんが最後の最後まで貪欲に笑いを取りにいく姿を目の当たりにして、徳井さんは、“俺なんかが笑いを取ることに対して最後まで諦めたらダメだ”と改めて気付かされたそうです。
 
 
半分記憶が失われているお話らしいのですが・・・笑
徳井さんの思い出の場所は、地元の北海道にある西別川。徳井さんが高校生卒業時は、川でしてはいけない禁止事項が特に無かったそうで、でっかいゴミ箱を持っていき、服や写真、卒業文集など思い出の品を全て燃やして、灰を家に持ち帰りました。何故そんなことをしたかは、ご自分でも覚えていないそうですが・・・思い出を燃やした場所が今では思い出の場所になっています・・・。芸人生活では、番組で過去の写真を求められたりすることもありますが、徳井さんはわずか3枚の写真を使い回しているそうです・・・笑 その貴重なお写真を今回はお借りしました!
(貴重な過去のお写真!笑)
 
 
徳井さんは、先日2月28日に、人気のネット連載を書籍化した本『敗北からの芸人論』を発売されました。内容はお笑いが大好きで、考察が得意な徳井さんが、今をときめく芸人の凄さを改めて解説した1冊。若手がもがく過程、先輩たちからの金言、スターが生まれる瞬間、お笑いと時代の変化など、共に舞台に立ち、誰よりも間近で芸人を見てきた徳井さんにしか書けないエピソード満載です。気になる方は是非チェックしてみてくださいね!
 
 
徳井さんの今後の目標は「歌を出すこと」。
徳井さんの世代は、ダウンタウンに魅せられた芸人人生。この度、本を出版できて、自分なりの『遺書』(著:松本人志)を書けたと感じている徳井さん。次は、徳井さんなりの『WOW
WAR
TONIGHT~時には起こせよムーヴメント~』を発売したいそうです!自分で作る訳ではなく、“小室哲哉さんが作った、浜田さんの曲”というような形で、“一流アーティストが作る徳井の曲”が欲しいそうです。笑(たとえばKing
Gnuとか!?)
大の浜田さんファンのクラスメイトに背中を押されて芸能界に飛び込んだ徳井さん。そのクラスメイトとは卒業以来、一度も連絡を取っていないそうですが、「徳井君みたいな人が天下を取るんだ!」というクラスメイトの言葉は、どのような形で実現するのでしょうか?徳井さんの今後に期待しましょう!
 
radikoのタイムフリーで聴く