EDC 営業日誌(過去のお客様)
2022年2月5日放送
本日のお客様は、錦鯉の長谷川雅紀様・渡辺隆様。
長谷川さんは、1971年、北海道出身の50歳。渡辺さんは、1978年、東京都出身の43歳。長谷川さんは札幌、渡辺さんは東京の吉本興業で、それぞれ芸人人生をスタートさせます。
その後、SMA(ソニー・ミュージックアーティスツ)へ移籍、お互いピン芸人として活動されていましたが、渡辺さんが33歳のとき、40歳の長谷川さんを誘って、2012年に“錦鯉”を結成。
『M-1グランプリ2020』では、初の決勝進出で4位に!その後、よりネタに磨きをかけるため『漫才協会』にも入会されます。
そして昨年行われた『M-1グランプリ2021』で、2年連続決勝進出を果たし、見事優勝に輝きました。長谷川さんは50歳でのM-1チャンピオンとなり、史上最年長王者としても話題に。
そんな、現在、最も旬なお二人と共に川島さんがドライブに出掛けました!
 
 
昨年行われた、『M-1グランプリ2021』で優勝した錦鯉。一昨年からバラエティ番組等、活躍の場を広げていましたが、現在は今まで以上に多忙を極めています。
優勝後の環境の変化を伺うと、渡辺さんは“マネージャーに間違えられなくなった”と言います。過去に何度も間違えられていたそうですが、なんと、昨年のM-1決勝当日も警備員の方に「マネージャーの方ですか?」と、尋ねられたそうです。過去には、長谷川さんを見つけた一般の方に「写真撮って!」とカメラを渡されたことも・・・笑
徐々に、“錦鯉の渡辺さん”として、認識されるようになってきましたが、まだ、お一人で行動している時に顔を指されたことはないそうです。周りの芸人さんからは、“顧問弁護士” “張り込み中の刑事”
“やらかしそうな市議会議員”など、様々な人に例えられています・・・笑
一方、長谷川さんはマスクと帽子を着用していても、街で顔を指されます。目力が強いという事もありますが、バレる要因がもう一つあるそうで・・・。渡辺さん曰く、長谷川さんは歩き方に特徴があり、ペンギンのような手の動きで歩いているのだとか。笑
「ずっと地面が凍っている所で育ったんですか?笑」と、川島さんにツッコまれていましたが、長谷川さんご自身は、無意識だそうです!
 
 
(幼少期の長谷川さん)
長谷川さんは現在50歳。史上最年長でM-1チャンピオンに輝きました。(※ファイナリストとしても最年長)
今までのチャンピオンは、20代で優勝して、一夜にして人生が変わるという“漫才ドリーム”を叶えてきた人達が多いですが、錦鯉は、若い方の渡辺さんでも43歳という年齢になってからのブレイク。多忙な日々に身体は対応出来るかお伺いすると、「マネージャーが、睡眠時間は確保してくれている。」と教えてくださいましたが、それでも悩みがあるそうです。それは、“寝ようと思っても、寝れないこと。”
お二人は、「2〜3時間で目が覚めてしまう・・・」「長い時間寝れない体になってしまった・・・」と、オジさんならではの悩みを告白。
渡辺さんは体がキツい時、7歳年上の長谷川さんを見て、“この人が出来るならまだ出来る!”と、ご自身を奮い立たせています。ちなみに、長谷川さんが、現在の渡辺さんと同じ43歳の時には、月30本のライブに出ており、毎日フル稼働だったそうです。笑
体の悩み話はまだまだ止まりません!渡辺さんは、以前から四十肩で左肩が上がらず、さらに最近、右肩も上がらなくなってきたとか・・・。漫才の立ち位置的に、右手は長谷川さんをツッコむ為に大切な腕。これまでは、野球のオーバースローの様なフォームで綺麗にツッコめていましたが、最近は下から擦り上げるフォームにチェンジ!卓球のスマッシュみたいな形になるそうです。笑 この変化について、長谷川さんは気付いているのか確認すると、「(ネタの時は相方を)見てないので気付かないですけど、下から上にツッコむって見ないですよね〜。」と、他人事のようにお答えに。この回答に川島さんは、「衝撃で分かるでしょ!M-1のネタの最中も、なんであんなに(ツッコまれても)ノーリアクションで進められるんですか?神経切ってるんですか??笑」と、微動だにせず、瞬きもしない長谷川さんに驚いていました。
 
そしてお話は優勝の瞬間について。
「どこで優勝を確信しましたか?」という質問をよく受けるお二人。ですが、長谷川さんは確信した瞬間は無かったそうです。1本目には手応えを感じましたが、ファーストラウンドを1位で勝ち上がったオズワルドの漫才が完璧すぎて、現場では、オズワルドが優勝する雰囲気に。しかし、渡辺さんは前回4位という悔しい経験を糧に、ファイナルステージ前は静かに闘志を燃やしていました。一方、長谷川さんも、躊躇せずに“バカをやり切る”という想いで2本目に挑まれたと言います。最終ラウンドは、7名の審査員が3組中の1組に投票し、その票数で優勝が決まります。そして結果は、錦鯉が5票を獲得し優勝!見事、昨年のリベンジを果たしました。しかし、優勝発表の瞬間、渡辺さんは票が増えるにつれ喜びを表していましたが、長谷川さんは、“何が起こっているか分からない”というような表情で、じっとモニターを見つめていました。この事を川島さんは、「あの時、本当に猿(最終ラウンドで披露した“猿の漫才”より)になっていましたよ。ルールが分かっていないと思うほど動いてなかった。」と指摘。笑 また渡辺さんも「理解して無かったと思う。“なんで我々の名前が出ているんだろう?”と思ってたはず!」と追い討ちを!「猿の役に戻った訳ではない!」と必死に弁明する長谷川さんでしたが、お二人のイジリは止まらず・・・笑 世間が感動したエンディングの涙に対しても、「猿のネタの役が抜けてないから、ビックリして泣いたんでしょ?笑 周りの人間が“はしゃいでる”から!」と、幸せな思い出を楽しそうに振り返りました。
 
 
(2012年、「錦鯉」結成当時のお写真)
現在は、SMA(ソニー・ミュージックアーティスツ)に所属されているお二人ですが、もともとは吉本興業の芸人でした。
長谷川さんは、高校の同級生と、23歳の時にご出身地でもある札幌の吉本
(1期生)に入られます。年齢は5つ離れていますが、同期のタカアンドトシさんとはずっと仲が良く、長谷川さんが吉本を辞め、東京進出した際も、既に売れっ子だったタカアンドトシさんは、可能な範囲でラジオやネット番組に呼んでくださったそうです。
渡辺さんは、1999年入所のNSC東京校5期生。同期には、ピース、平成ノブシコブシなどがいます。吉本を退所されてからは、“SMA NEET
Project”に所属され、2012年に“錦鯉”を結成。コンビを組むまではお互いピン芸人として活動していました。
コンビを組むきっかけは、渡辺さんからのお誘い。ピン活動に限界を感じていた渡辺さんは、以前から仲の良かった長谷川さんを誘います。結成当初は、“ダメだったらすぐに解散したらいいや”という感覚だったそうですが、特に解散するキッカケはなく、そのまま現在に至るそうです。
コンビを組んだ時、長谷川さんは既に40歳。“40歳の方を相方にスカウトするというのは、覚悟が必要だったのでは?”と、川島さんが尋ねると、「年齢より先に来た印象が“バカ”だった。バカに年齢は関係ない。」と渡辺さん。“バカ”にも種類があるがどの辺が良かったか伺うと、「明るくて優しい、人に害を与えないバカだった。」と言います。川島さんも「オーガニックバカだったんですね。笑」と乗っかりつつも、長谷川さんの人柄の良さを褒め称えていました。
しかし、結成時は、『THE MANZAI』の1〜2回戦敗退、テレビのオーディションにも受からない辛い日々が続きます。
当初のスタイルは、まだ長谷川さんが今ほど“バカ”らしさをアピールしておらず、“出来ますよ感”を醸し出しながら漫才をしていたそうで、若干の髪の毛とプライド、そして歯も残っている時期だったとか・・・笑 今のスタイルになったのは、事務所の先輩のハリウッドザコシショウさんの一言がキッカケ。「雅紀はバカなんだから、バカを全面に押し出してやってみたら?」と、アドバイスを受けました。
そして、渡辺さんはバカをどう表現するか考えた結果、“大人が大きな声で挨拶するのはバカなんじゃないか。”という答えに辿り着きます。実際に、舞台で長谷川さんが大きな声で「こんにちは〜〜〜〜」と言ったところ、会場は大爆笑!30秒ほど、会場の笑いが止まらなかったそうです。
そこから手応えを掴み始めたお二人は、現在のスタイルを築き上げていきました。ネタ作りは口頭で行います。最初はお互い台本を書いてきていたそうですが、コンビ組んだ時期が遅かったため、とにかくネタの数を増やすことに!2ヶ月に1回、新ネタ10本を行うライブを決行するなど、ストイックにネタを作り続けました。すると、台本を書いていては間に合わなくなり、口頭で打ち合わせをするスタイルに自然となっていったそうです。
しかし、口頭でのネタ作りには欠点が!それは、ネタを忘れてしまうため、難しいことができないシンプルなネタになること。数年前のお笑い界は、伏線を回収するような、緻密な漫才が流行っていましたが、お二人は逆行する形に・・・笑 「ボケをやって逃げる感覚だった。」と、笑いながら当時を振り返ったお二人ですが、今ではそれが功を奏し、老若男女が笑える錦鯉ならではの漫才が完成していく礎になりました。
 
 
長谷川さんの、日常生活での1番の楽しみは“YouTubeでUFO関連の映像を観ること。”
幼少期から、不思議な話が好きで、月刊オカルト情報誌『ムー』を愛読し、大人になるにつれて妖精や幽霊への興味は薄れていったそうですが、UFOには今でも興味があるそうです。
UFOを意識するようになったキッカケを探るため、川島さんと渡辺さんは、「実際に空で見たり、連れ去られた経験などある?」「UFOを実家と捉えてる?懐かしいと感じてる?」「どちらかといえばUMA(未確認動物)側じゃない?」と立て続けに質問をしますが、「いや、見たことはないです。」「UMA側の人間ではないです。」と、長谷川さんは聞かれたことを“そのまんま”否定。笑 この、“そのまんま”否定する長谷川さんの返しが好きな川島さんは、M-1決勝ファーストラウンドのネタを思い出します。それは、合コンに行くと言い張る長谷川さんが、渡辺さんから「穴でも掘ってろよ!」とツッコまれますが、「穴は掘らないよ。」とそのまま返す1コマ。このやりとりが何かの伏線なのかと川島さんは思ったそうですが、最後まで回収されることはなく・・・ただただ本当に「穴は掘らない」と否定しただけの、なんの意味も持たない時間が、川島さんのツボを捉えたようです。
ちなみに、優勝翌日に錦鯉が『ラヴィット!』に出演した際も、同じくだりがあったそうですが、笑っていたのは川島さんだけでした・・・!笑
 
 
渡辺さんにとって、今までで一番印象深い言葉は、M-1優勝後に、ダウンタウンの松本さんから言われた「一番バカに(票を)入れた。」という言葉。
“自分たちが優勝するにはバカしかない!”という想いで、努力を重ね続けてきた錦鯉。それを、憧れである松本さんに認められた時は痺れたそうです。「“緻密-1グランプリ”じゃなくて良かったですよね。ほんと。笑」と、冗談を言いながらも同業者として気持ちが分かる川島さんは、お二人の優勝を改めて祝福していました。松本さんから愛のある最高の褒め言葉頂けたことは、長谷川さんにとっても嬉しかったそうで、「そういえば、良い話がある!」とトークを始めます。
「M-1優勝後に、メールが300〜400件来ていたが、その場で返信をしたのはタカアンドトシの2人と、ハリウッドザコシショウだけ。そして、ハリウッドザコシショウから来たメールが“日本一のバカになれたな。”という言葉だった。」
この話を聞いた川島さんは、「ザコシショウさんが言うから尚更カッコいいよな〜。」と感動していましたが、ふと我に返り・・・「え?今、何の話してましたっけ?松本さんに関連する話をしていたんですけど・・・」と、突然ザコシショウさんの話を切り出した長谷川さんに戸惑っていました。笑 「“バカ”という言葉に引っ張られた。笑」と、反省していた長谷川さんですが、親友のタカアンドトシさん、そして師匠でもあるハリウッドザコシショウさんからのメールがとても嬉しかったのですね!
 
 
長谷川さんの思い出の場所は、『北海道・札幌の琴似パトス』というホール。
こちらは、吉本札幌支社の一期生として、お笑いを始めた場所。同期のタカアンドトシ、アップダウン、Bコース(現在は解散)などと共に「空飛ぶイクラ」というお笑いライブを開催していました。この場所で、“ウケる”“スベる”“コント”“大喜利”などすべて初めて経験し、芸人としての一歩を踏み出しました。また、「空飛ぶイクラ」という名前は、人間をイクラに例え、“大きくなって(鮭になって)帰ってこいよ”意味が込められているそうです。イクラが鮭ではなく鯉になりましたが、チャンピオンとしていつか琴似パトスで凱旋ライブを行って欲しいですね!
渡辺さんの思い出の場所は、SMA(ソニー・ミュージックアーティスツ)のお笑い劇場「Beach V(ビーチブ)」。
この劇場にはある特徴が・・・。もともと音楽のライブ会場だったため、壁に防音材がたくさん入っており、声が吸収されてしまうのだとか!声が届かない環境は、芸人にとっては最悪。ネタも伝わらない上に、お客さんの笑い声も響きません。そのため、ソニー芸人は、大声でネタをする習慣が付き、皆さん声が大きいそうです。笑 長谷川さんも含めてですが、小梅大夫、ハリウッドザコシショウ、バイきんぐの小峠さんなど、大声芸人を定期的に輩出する裏には、「Beach
V」とい存在があったのですね!
そして、ソニーは、ハリウッドザコシショウさんがゲストでいらした時もおっしゃっていましたが、どこかで挫折して傷ついた人が集まる事務所でした。かつては芸人の墓場とまで言われていたソニーですが、「Beach
V」という大切な場所があったからこそ、みんなで高め合うことが出来ました。今では、バイきんぐ→“キングオブコント”、ハリウッドザコシショウ、アキラ100%→“R-1”、錦鯉→“M-1”チャンピオンを輩出する、賞レースに強い事務所になりました。また、オリンピックの開催年に優勝するというジンクスもあり、2012年・ロンドン(バイきんぐ)、2016年・リオ(ハリウッドザコシショウ)、2021年・東京(錦鯉)という流れが続いています。2年後の2024年パリ・オリンピックの年も、ソニー芸人に注目ですね!
 
 
長谷川さんのエウレカは、“行動、出会いで人生が変わっていく。10年前に隆とコンビを組んで、今がある。”ということ。
錦鯉を結成して、芸人として食べていけるようになるまで9年かかりましたが、渡辺さんと出会ったことで、人生の歯車が回り始めたと感じています。実は、渡辺さんから声を掛けられていなかったら、40歳の節目で芸人を辞めようと思っていたそうです。「命の恩人ですね。」という川島さんの問いかけに対し、即座にうなずく長谷川さん。お二人の信頼関係が見えた瞬間でした。
渡辺さんのエウレカは、“面白い人は、面白いということ。”
ハリウッドザコシショウ、バイきんぐさんなど、有名になる前から渡辺さんは付き合いがありましたが、その当時から本当に面白かったそうです。ネタは勿論ですが、普段からその面白さを感じていた渡辺さんは、“嘘の面白いは無い。面白いは裏切らない”と気付きます。錦鯉のお二人の面白さも例外なく、裏切らなかったからこそ、最年長チャンピオンが誕生したのですね!
最後に今後の目標も伺いました。渡辺さんは、“街なかで顔を指されること。”
1人でいても、私服で歩いていても、「あっ、錦鯉の渡辺さんだ!」と気付かれることが目標。サングラスを掛けていても気付かれるレベルになりたいと語ってくださいました。笑
長谷川さんの目標は3つ!・・・“芸能界で末永く活躍すること。” “年1回、単独ライブをすること。” “一般常識を身に付けること。”
長谷川さんは最近、一般常識を身に付けるため子供新聞を購買しているそうです。普通の新聞だと難しいと思い、子供新聞から読み始めた長谷川さん。しかし、長谷川さんが購読している新聞は、週1回しか来ないそうで・・・「新聞って言ったら、毎日来ると思うじゃないですか!」と、何故か川島さんに不満をぶつけます。笑 「俺に言われても・・」と戸惑う川島さんに、長谷川さんはさらに不満をぶつけます!子供新聞を、時事ネタが分かりやすく書いてある新聞だと思っていたそうですが、なかには、『小学6年生女子が選ぶコスメ
ベスト5!』『女の子に今流行っている人気エコバック』など、自分には全く関係ない特集もあるそうです!笑 ですが、子供新聞を読んでいると長谷川さんがメディアで話したことがキッカケで、錦鯉のお二人はM-1優勝後、子供新聞に掲載されたそうです!読んでいた新聞に載る側となった錦鯉!まさに、ライフ・イズ・ビューティフルですね!
 
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